44.








「こちらでお待ちください。」
呼び出されて王妃の居室に足を運んだエドは、侍従からそう告げられた。
取り次ぎの彼が出て来た時に開いた扉の向こうから、大臣たちの声がもれていた。
何かの話し合いの途中なのだろうと、さっさと姿を消した侍従が立っていた場所を眺めてため息を飲み込んだ。
イザークには、ここへ来る途中でエドの部屋に先に行っているようにと指示している。
壁際に置かれた椅子の1つに腰を下ろして、エドは先程の謁見を思い出す。
(話がしたいなら、申し込めか。機会はくれる、ということだろうな。)
すぐにでも手続きを取りたいところだ。
女神と同席したものの、あの場では発言権すら与えられなかった。
とはいえ、一度だけでも目を向けられたのは収穫だ。
(ダンヘイト、ルードリッヒ。)
思わず握りしめた拳に力がこもる。


「エドワード殿下。お待たせいたしました。」


思考に沈みかけたところに声をかけられ、エドははっと前を見る。
侍従が押さえた扉の向こうに、話し声はしない。
ゆっくり立ち上がり、部屋に足を踏み入れれば、中にいたのは王妃1人だった。
(別の扉から出て行ったのか。)
机の上に積まれた書物。
持っていた冊子をさらにその上に載せてから、アジャート国王正妃・グレーティアは優雅な所作で立ち上がった。
「王妃様に拝謁いたします。」
礼を取るエドに、王妃は白い指を伸ばす。
「顔を上げなさい、エドワード。久しぶりに会った母に、よく顔をお見せ。」
「長らく挨拶にも来ずにいた不孝をお許しください。」
「少し、たくましくなったか。顔色も悪くない。」
青色の瞳を細め、表情を緩める。
幼少期、エドは病弱で寝込むことが多かった。
成長するにつれ体調を崩すことは少なくなったが、彼女の中では子供の頃の心配が今も続いているのか、会うといつも体調を気遣われる。
落ち着いた赤のドレスの裾を揺らし、王妃はソファに座る。
エドを見上げて、手元に扇子を持った。
「さて。エドワード、わたくしの記憶が確かならば。そなたはオルフのリヴァ神殿に上級神官として籍を置き、そこでの勤めに励んでおるはずで、今ヴァルエンのグランディーン城にその姿があろうはずもないのだが。わたくしは、子が愛しいゆえに幻でも視えているのでしょうか。」
「いえ、母上。これには事情が。」
「城にそなたがいると聞いてすぐに呼び寄せたのに、少々時間がかかったのではないか?」
「母上。」
「よもや、陛下に会ったなど言いはしないでしょうね。」
「……。」
無言は肯定。
広げた扇子を口元にあて、グレーティアはため息をつく。
「陛下からお声がかかって、城に戻って来た。と、いう話ならすぐに聞かせておくれ。」
「いえ。」
「エドワード。」
落胆したように王妃の口からため息が漏れる。
「リヴァ神殿に大人しく居れば良いものを。なぜ許しもなく城に戻って来たのです。陛下の怒りを買うだけだというのに。」
「戦の準備が進んでいると耳にしました。この冬を越せない民がいるのに、なぜ今戦争なのです。神殿で、ただ黙って成り行きを眺めていろと?」
「エドが城にいて何を成そうというの。」
「無謀な開戦を考え直していただくのです。戦へ国力をつぎ込むのではなく、飢える民にこそ温情を示すべき。このままでは。」
「無謀などと、二度と口にするな。ましてや陛下に向かってなど、あってはならない。エドワード、陛下に逆らうような真似は慎みなさい。」
「母上は、このまま王のやり方で国を進めて良いと思っているのですか。」
「お前が口出しすることではない。」
「っ! 陛下に城を追い出された王子は、この国を想うことも許されないのですか?」
「エドワード。」
「今の在り方は、おかしい。」
「自重なさい。城内外の行動含めて、陛下とていつまでも見逃してはくれません。」
グレーティアは立ち上がり、扇子を閉じる。
ぱしっと乾いた音が鳴り、会話の終わりを告げた。
「すぐにオルフの神殿へ戻りなさい、いいですね。」
















女神が出て行った広間の扉を、しばらく無言で眺める。
ウルリヒーダがゆっくりと玉座から立ち上がれば、側に控えていたダンヘイト隊長も動く気配がした。
「フィルゼノンから連れ出したのは、ワシの元に置くためだと思っておった故、不思議か?」
「……いえ。陛下のお考えに異などありません。」
ウルリヒーダがちらりと窺えば、平素と変わらぬ様子の男がいる。
「アジャートで保護する"黒の女神"が、我が元以外に在るとすれば、そこだけだ。むしろ、ルーイが射止めるのが楽しみなくらいよ。」
そう言って薄く笑えば、ギゼルが僅かに表情を曇らせる。
「ですが。女神を戦にも使わないとなれば、一部の者から不満がでるやもしれません。」
重厚なマントを掴み、王は玉座の階段を下りる。
ギゼルはその後ろに立った。
「戦に利用しない、とは言っておらぬ。」
「……。」
「アジャートにいるのだから、もちろん役に立ってもらうとも。良い旗印になるだろうよ。そう、それに。あれが"本物の黒の女神"であるなら、彼女こそ我々に光を導く者だ。」
無言のギゼルが、静かに目を見張った。
そうであるなら、尚更。自身の側に置きたいと考えるはず。なのになぜ、と。
「疑問が顔に出ておるぞ、ギゼル=ハイデン。」
くっと人の悪い笑みを見せれば、ギゼルが慌てて頭を下げた。
そんな相手を一瞥してから、歩き出したウルリヒーダは揺れる燭台の火を睨む。


「忌々しい休戦条約も漸くだ。今度こそ、決着をつける。」
















王都・ヴァルエン。
男が1人、周囲をきょろきょろと見渡し、人影がないのを確認してからとある家の中へと入って行った。
窓の戸板が半分閉められているせいで、家の中は薄暗い。
「ぅいっく。」
酒の臭いが濃い室内で、木のテーブルに突っ伏すようにして、赤ら顔の老人が座っている。
右手に握られているのは、ほとんど中身がなくなった酒瓶だ。
「やぁ、ホゥル。作業は順調か?」
「ほぉん? なんでぇ、兄ちゃん。」
眠そうな顔で、目を眇めた老人が男を見上げる。
そのまま右手を上げて、瓶を振った。
「これかな。」
緑色の新しい酒瓶を取り出し、男はそれを老人に渡す。
「ほぉ、さすが酒場の兄ちゃん。えーもん仕入れとンなぁ。」
いそいそと上体を起こし、老人は椅子の上で胡坐を組む。
よれよれの薄汚れたシャツで両手を拭くと、嬉しそうに酒を抱えた。
「こっちはどんな状況?」
外套を脱ぎ、男は向かいに腰を下ろす。
「アルノー!」
床の板が持ち上がり、下から知っている顔がのぞいた。
「エリノラ。やはり、こっちに合流していたか。」
「えぇ、アルもここへ来るだろうと思って。」
床下の通路から上がって来たのは、元気そうな様子のエリノラ。
「その様子じゃ、うまくいったみたいだな。残して来たエリノラのことを、女神様がずいぶん気にしていた。」
「あの御方が? ……そう、なの。」
思案気な様子でエリノラは、空いていた椅子に座った。
「はー、ウマイ。」
早々に開封した酒に口をつけていた老人が、至福とばかりに声を上げる。
「で?」
「順調と言いたいとこじゃが、最後の壁が異様に固くて難儀しよる。あそこまで行って、迂回というのも難しかろう。」
「あまり時間もない。」
「わかっておる。……そっちこそ、どうなった。」
完全な酔っ払いという風体に似合わず、鋭い目がアルノーに向けられる。
「グラシーヴァ卿の奪還には成功。とある場所で保護してもらっている。楽観視できる状況ではないが、取り得る最前の手は打った。」
「ほぉん。」
老人は瓶に口をつけて、酒をあおる。
「別に、あの卿が良いというわけではないが。今度来た領主よりはましじゃからな。イレの民をなんだと思っておるのか。我が同胞らが、まるで奴隷のような扱いを受けておるという。」
「ホゥル、最後の壁とやらは、どうにかなりそうか。」
ちらりとアルノーに目を向けた老人は、瓶を片手に立ち上がる。
アルノーの腰辺りまでの身長しかない、細く小さな老人は、ふらつく足取りで跳ね上げ式の床板を掴む。
「若造め。イレの穴掘りをなめるなよ。」
「頼りにしている。」
ふん、と鼻を鳴らしてから、酒瓶を持ったまま彼は床下へと姿を消した。
「エリノラも下に?」
「進捗を見て来た。」
アルノーの言葉に、エリノラは頷く。
「相変わらず、というのか。イレの技術には驚かされるわ。」
「ふむ。」
今回の『計画』において、彼らの協力は不可欠だった。
ホゥルを筆頭に"銀の盾"に協力してくれている技術者たちも、エドが連れて来た者たちだ。
「まるで夢物語だと思っていたようなことが、現実のものになっていく。確かに。変える力があるのだと、思い知らされる。だから、私も。エド様の。少しでも、あの方の力に。」
夢見るように呟いていたエリノラが、はたと動きを止める。
「女神様は、今どこに?」
「エド様と城へ行った。」
そう、と肩を落としたエリノラに、アルノーは首を傾げた。
「我々じゃ、なかなかもうお会いできないかもしれないが、エリノラが無事だと、伝言くらいはしておくべきかもしれないな。」
な?と顔を向けるが、エリノラの視線は遠くを見ていた。
「ハーデンの港で。」
「ん?」
「私は、エド様の思慮の深さに感動したのだけど。」
様子のおかしいエリノラに、アルノーは口を閉じる。
「ねぇ、アルノー。」
向けられたエリノラの表情は、見たこともないほど真剣なものだった。


「私たちは"正義"よね?」








BACK≪ ≫NEXT