43.








謁見の間を出たセリナは、まだ驚愕と混乱の中にいた。
(ちょっと、なんか、考えがまとまらない。何がどうなっているの。え? 王様との話し合い終わった?)
頭を抱えたセリナの隣に、エドが立つ。
「さっきの話、本当?」
問いかけに視線を上げると、なんとも微妙な表情のエド。
「ルードリッヒに求婚されていたって。」
「え、あ。まぁ。」
のろのろと頷くと、そう、と短く声が聞こえた。
「いや、でも……っ。」
「エドワード様。」
衛兵が1人近づいて来て、エドの前に膝をついた。
「王妃様からです。」
黒い台の上に白いカードが乗せられていた。
「すぐに行く。」
カードを取り上げてから、エドはセリナに向き直る。
「ごめん、女神。用事ができてしまった。」
私なら大丈夫、とセリナが応じると、エドが視線を巡らせた。
そのエドの視線を受けて、ルーイが頭を下げる。
「じゃあ。」
廊下の端で謁見の終わりを待っていたらしいイザークは心得たように、歩き出したエドの側に寄り、2人はその場を離れて行った。
その場にダンヘイトの兵士2人の姿も既にない。
(別に隠し事とかじゃないけど、なんだか悪いことをした気分。)
それにしても、と改めてルーイを見る。
「ルーイも。」
「ん?」
「この国の王子だったのね。」
「んー。まぁな。」
去って行くエドの背中を見送っていたルーイの表情は曇っていた。
「隠してたわけじゃねーぞ?」
だが、進んで告げる気もなかったはずだ。
「だから、ルーイが後宮の話に口を出せた。でも、それはとても特別なこと。」
驚いた。驚いているが、納得できる部分も多い。
さっきの状況でルーイの告白が、セリナにとっては助け舟であったこともわかる。
ただ、まだいろいろと飲み込めていない事情で、セリナの頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「なぜ。あんなに王の態度が。」
訊こうとして、途中でセリナは口をつぐむ。
「そこは難しいところでな。何も殿下だけに原因があるってわけじゃ……っつーか。」
「?」
「立ち話もなんだろ。こっちだ、ついて来い。」












「セリナ!」
扉を開けると勢い良く名前を呼ばれて、思わず足が止まった。
セリナの前にいた男を両手で押しのけて顔を見せたのは、白衣の女性だった。
「ジーナさん。」
「元気だった? 怪我はしてない?」
そわそわとセリナの様子を確認する女医に、セリナは苦笑する。
「平気です。」
「そう、なら良かったわ。」
セリナの手を引き、部屋の中に案内する。
中には副長のロベルトの姿もある。
(クラウスの姿は、ない。)
セリナとの会談を言い出しただけあって、どうやらルーイが事前に用意していた部屋のようだった。
ちなみに、さっき入り口でジーナに押しのけられたルーイは、制服の首元を緩めながらセリナの後に続いた。
「一応言っておくけれど。私は、セリナを追いかけようって提案したのよ?」
セリナに椅子に座るよう促しながら、ジーナが言う。
「あ! ズルいぞ、ジーナ。」
セリナがルーイに目を向けると、頭をがしがし掻く。
「"銀の盾"のことなら、知っていたからな。ダンヘイトの手に移ったわけでないなら、心配ないかと。」
あのままアーフェに向かったことを、悪いと思っているのかもしれない。
そんな必要ないのに、とセリナは少しおかしくなる。
「信用してるのね。」
「ダンヘイトから逃れるには、こっちにいるより好都合だろうと思ったんだよ。」
バツが悪そうに言い訳するルーイの態度に、セリナは首を傾げる。
(いつもの自信満々って態度が、エドに対してはないのよね。)
「さっき聞いていた話のことだけど。エドは、アジャート王と。その、なんていうかあまり仲が良くないの?」
「……第1王子という立場上、厳しく当たられているというのもあると思うが。」
「だけど、あまりにも。」
ルーイに対するものと態度が違いすぎる。
(あんなふうに目の前で。)
黙り込んだセリナに、ルーイが苦笑する。
「ちょっと複雑な事情もあってな。」
椅子に座ったルーイが、ため息をつく。
「腹違いの兄だけど、これでも小さい頃は仲が良かったんだ。」
ロベルトが机の上に、人数分のカップを置いていく。
それに会釈で応じてから、セリナはルーイに視線を戻した。
「異母兄上(あにうえ)は頭が良かったから勉強を教えてもらったり、オレが高い絵画を破いた時も一緒に怒られてくれたりしてくれて。」
当時を思い出したのか、少し笑う。
「だが、そのうちに話をすることさえ、周囲にいい顔はされなくなって来て。そんな状況に気がついたら、お互い自然と距離をとるようになってた。兄上が神殿に移ってからはほとんど顔を合わせることもなくて、今じゃ会っても他人行儀に挨拶する始末だよ。」
ルーイ自身は、エドを敬い兄を立てようとしているように見えた。
「どの兄弟も似たようなもんだが。」
「ルーイ様。」
ロベルトに呼ばれて、ルーイは肩をすくめる。
ルーイがあっさりと口にした腹違いの兄弟という事実。
後宮があるのだから、王の妃は1人というわけではないのだろう。
以前、「愛人も多いぞ」と言っていたのは確かルーイだった。
(血筋や派閥? 王宮には、ややこしい人間関係があるってことかな。)
「オレのせいで気まずくなったか?」
「ルーイのせいってわけでは。」
「話したいなら、兄上の部屋に案内する。」
「いいの?」
「陛下には黙っておけよ。」
釘を刺されてセリナは、もちろんと頷く。
「王妃様に呼び出されていたようだから、もう少し時間がかかるだろうけどな。」
「さっき兵士が持って来ていた、あのカード?」
「あぁ。」
まったりとした表情でカップに口をつけていたジーナが、しみじみと頷いた。
「王妃様も、さすがに我が子が城に戻ったと聞いては、久々の再会を望むというものだよね。」
我が子、とセリナは思わず繰り返す。
「エドが、正妃の息子?」
「そうだよ?」
今更どうした?とジーナが目を瞬く。
ルーイとは腹違いだというエドが、第1王子で、王妃の息子。
(ということは、ルーイは側室の子どもってこと? 素直に考えれば、エドが順当な後継者だよね。だからこそ厳しくされている? いえ、だけど、あの態度は。)
「大丈夫か? セリナ。」
怪訝そうにルーイに名前を呼ばれて、セリナは顔を上げる。
「ちょっと、ここに来てから、いろいろありすぎて……混乱してる。」
「そうか、そうだな。今日は、もう部屋に下がるか。ジーナも、無事なのを確認できて満足しただろう?」
「えぇ。話し足りないけれど、無理をさせたくはないわ。」
何一つ解決していないし、聞きたいことはたくさんあるはずなのだが、情報の整理が追い付かない。
ルーイの言う通りにしようとセリナが立ち上がると、それを見ていたジーナが首を傾げた。
「ねぇ、セリナ。もしかしなくても、その格好で国王陛下と謁見を?」
深緑色の外套と動きやすい旅装束は、銀の盾で調達してもらったものだ。
服の裾をつまみながら、セリナは頷く。
「城に着いてすぐにって。ダンヘイトって何考えているのかしら。女の身支度、整えるくらいの間、待てないの!?」
「いや、オレを睨まれても。」
とばっちりで非難されたのはルーイだ。
「女神を女神として迎える気、本当にあるのかしら。セリナが疲れちゃうのも無理ないわ。」
ぷんぷんと言い出しそうなジーナに、ルーイも腕を組んだ。
「確かに。後宮に入れると言っていた割に、ずいぶんあっさりしてたな。」
呟くような言葉に、セリナは顔を上げる。
「もう少し、陛下の不興をかうかと思ったが。」
「"黒の女神"を手に入れたがっていたんでしょ。わざわざ攫わせたのに、なんだか変なの。」
「フィルゼノンには置いておけない、ということでしょう。」
ロベルトの言葉に、ジーナがふぅんと呟く。
「ここで守っているつもり?」
「女神への執着は確かにあるはずだ。でなければ、ダンヘイトを動かしてまでは、な。」
ルーイの言葉に、セリナは眉をひそめる。
(何か、違和感ばかり。)
女神を殺す、と言い切ったあの言葉の強さは、引っかかる。
「そうだ、セリナ。」
ルーイの声にはっとして、セリナは相手を窺う。
「陛下は猶予をって言っていたが。」
「?」
「もう選ぶ方は決まっているだろう? 答えを告げに行くなら、オレも一緒に行こう。なんなら明日にでも。」
「いや、決まってないから。」
「え?! 迷ってるのか?」
なぜ本気で驚いた顔をするのか。
「そもそも、なんで二択なの。」
むっとした顔で答えれば、ルーイが笑った。
「そー言われると、まーな。」
「笑い事じゃない。」
くっくっくとさらに笑った後で、困ったように眉を下げた。
「こんなところに、乗り込んでくるからだよ。」
そう呟いて、ルーイは笑顔を引っ込めた。
「セリナ1人の力で、戦を止められると。本気で思っているのか?」
「……。」
ルーイの側にいる方が影響があると、そう言っていた意味はわからないが、アジャート王が"黒の女神"を思ったよりも重要視してはいないのかもしれないと。そう気づいて、前提が崩れた。
"黒の女神"なら、アジャート王と交渉できると。
(とんだ思い上がりだった。質問1つですら、満足な答えをもらえていない。こんなんじゃ、開戦を遅らせるためにどうこうなんて、とても。)
「対峙する方法を選んだのなら、覚悟を決めろ。」
「っ。」
「言っただろう。」


「この手を取れば。アジャートにいる間は、オレがセリナを守ると。」


向けられるアメジストの瞳に、セリナは息を詰める。
(きっとウソじゃない。その力も地位も持っているし、なんなら私に力を貸してくれさえするんだろう。)
「なんの話?」
隣でジーナがロベルトに小声で問う。
いやぁ、と青年は返事を濁す。
「いつの間に、隊長ったらセリナに惚れてたのよ。」
いやぁ、と同じ返答をしたロベルトに、ジーナは鋭い視線を向ける。
「陛下と取り合いの最中だ。」
真面目な顔でジーナに応えたのはルーイ自身だった。
「まぁ! まぁ、まぁ、まぁ!」
きらりと効果音が付きそうなほど目を輝かせたジーナが、立ち上がって両手の指を組む。
「1人の女性を巡って、2人の男がっ。」
冷静な頭でジーナの台詞を聞きながら、セリナは遠い目をした。
(なぜだろう。言う通りのシチュエーションのはずだけど、この『そうじゃない』感。)
「私の昔を思い出すわぁ。」
セリナの腕に抱きつきながら、ジーナが夢見るように呟く。
「え、自分の話ですか。」
「ジーナにそんな過去があんのかよ。」
呆れたようなロベルトと、怪訝そうなルーイからの反応に、ジーナが不満の表情を見せる。
話を追及してくるのかと思っていたセリナは、ほっとした。
「あったしみたいな、超絶美女を捕まえて何言ってくれちゃってんのかしらー。」
「魔女の間違いでは。」
驚いたようにロベルトが反応する。
「美魔女なら許す。」
さらりと言いおいて、ジーナはポーズを決めた上で緑色の髪を手で払った。
「年齢不詳。オレが子どものころから、あの姿だ。たぶん、妖の類だな。」
こっそりとセリナに耳打ちするルーイだったが、ジーナは聞き逃さなかった。
「そこ、妖精なら許す。」
びしりとルーイを指さす。
「ポジティブか。」
呆れ顔のルーイがこめかみを押さえた。
「は、いやだわ。総合的にまとめてみると、つまり。魔法は使えないというのに、私の溢れんばかりの才能ゆえに魔法使いとの称賛を受け、光り輝く美貌と、生来の神秘的かつ儚げな姿に、この世ならざる妖精の面影をまとう絶世の美女医師、という肩書に収まるってことね?!」
「おさまらねーよ。」
「全然まとまっていない。」
確認で振り仰いだジーナに、ルーイとロベルトから同時にツッコミが入る。
セリナは呆気にとられて、置いていかれ気味だ。
「じゃあじゃあ……。」
「その話長いですか? そろそろ切り上げても?」
時計を見つめて、ロベルトが眉をひそめる。
「まったく、面倒な話に捕まったな。」
「あんたたちの命預かってる美人女医に、この扱い?! 知らないわよ、次の時、地味に消毒液塗り込んでやるーーー。」
「あ、それは痛そう。」
「想像すんなよ。」
ようやく反応できたセリナの感想に、ルーイが間髪入れずに応えた。
「さては、さっさと切り上げて帰る気……って、そういえば、ウォルシュ君。」
「なんだ?」
「君の、ピンクのお姫様、帰って来たの?」
「あぁ。帰って来ている、それが何か?」
「いやー、愛する旦那様がやっと王都に戻って来たのに、お姫様が留守にするなんて珍しいなーと思ってたけど。なんだ、やっぱり帰って来たか。」
「家出とかケンカとか、変な噂流してないだろうな。」
「その前に戻っちゃった。」
「やる気だったと。勘弁してくれ、ジーナ=ノーファー。」
「ひひひ。」
魔女の笑いだ、とロベルトが呟いて、ジーナに殴られた。
「ピンクのお姫様?」
「ロベルトの妻のことだ。」
「髪の色がね、ピンクなの。ふわふわの、可愛いお姫様。」
「へぇ。」
「すっげー夫一筋のな。」
「超絶、過激な愛をぶち込む、ね。」
ルーイとジーナの説明にセリナは目を瞬かせる。
「ぶ、ぶち込む?」
右手をひらひらさせながら、ジーナが語る。
「なんだったっけ? ほら、愛しい愛しい運命の相手と結婚するために、元々あった婚約を破棄をしなきゃならなくて、邪魔する実の父親を失脚させかけたって逸話。」
「……お。」
「ほら、あれだ。仕事の拘束時間が長すぎて、愛する旦那となかなか思うように会えないからって、直属の上司に殴り込みかけたっていう伝説持ちの。」
続けて語ったのはルーイだ。
「……お姫様。」
「セリナ様。一応断っておきますが、2人の話は大げさですから。」
「いや、殴られたのオレだし。」
「その節は、申し訳もなく。」
(事実!!)
「止められるのは、ウォルシュ君だけっていう。愛に生きるお姫様。」
「少し思い込みの激しいところがあるだけで。」
「あれが少しとか言っちゃうぅ?」
「そうやってお前が甘やかすから。いつか絶対アイツ、オレをヤりに来る。」
「それは、ないですから。」
「「それはどうだろう。」」
疑惑の表情を浮かべながら口をそろえて返したルーイとジーナに、セリナは思わず吹き出す。
「ふふ、ごめんなさい。つい。」
3人のやり取りから仲の良さが伝わって来る。
なんとか笑いを引っ込めて顔を上げると、ルーイと目が合った。
がりがりと頭をかいてから、男はセリナに手を差し出した。
「そろそろ部屋に行くか。案内する。」
「ん、お願い。」
ルーイの申し出に、セリナは素直に頷いた。






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