81.








景色はそれまでと大きく変わるものではない。
けれど、どこか荒野を連想させるのは、そこに村や町がないからなのだろう。
ダイレナンから、少し西へ進み緋の塔へと辿り着いた。
なだらかな丘陵の上に立つ塔の西側には、幅は広くはないが流れの速い川がある。
黒くそびえ立つ塔を目にして、セリナは初めて"軍"という単語を思い浮かべた。
(国防の要。)
それは要塞でもあり、屋敷でもあった。
(学校だって言ってたけど、やっぱり砦だ。)
塔に掲げられている旗が赤いこと以外は、その外観から名前を想起するのは困難だ。
セリナは、馬車の窓からバタバタと風に翻る旗を見上げた。
(なんだか、威圧感のある場所。)








視察団の一行は、塔の門をくぐった。
整然と並ぶ騎士の出迎えに、馬車を降りたセリナはさらに気圧される。
思わず見渡せば、塔の者たちと視察団の者たちが、共に整列していた。
隣に立つイサラが、ヴェールとドレスの裾を整える。
普段より少しだけ高いヒールの靴に、背筋が伸びる。
促されて、戸惑いながらジオの横に並べば、手を取られた。
不安な気持ちで見上げれば、サファイアの瞳とぶつかる。
「中に入るまで、声を出すな。」
緊張で声を出せないのが理由で、セリナはただ頷いた。


整列していている騎士たちの間を、ゆっくりと進む。


「……。」


塔の正面玄関前、赤レンガが敷き詰められた広場。


出迎えに待っていた塔の騎士たちの前で立ち止まる。


一斉に、周囲の騎士たちが膝をつき、頭を垂れた。
「お待ち申し上げておりました、我が王。」
「顔を上げよ。」
「はっ。」
「シャリオの剣技は健在か、見せてもらおう。」
「ご期待に副えるよう、努めましょう。」
余裕のある表情で王に応じたのは、がっちりと鍛え上げられた壮年の男だ。
左目に大きな傷跡を持つ彼が、ちらりとセリナへ視線を向けた。
次の瞬間。


「――― ッ !!」


ぞくっと急な寒気に襲われ、身を震わせた。
思わず、繋いでいる手にも力が入るが、声を出すことは耐える。
「どうぞ。」
静かにそう告げて、塔の入口へ続く路を空けるように横へ移動すると、男は頭を下げた。
ジオに手を取られているセリナは、相手が歩くのにつられて足を動かす。
(何、今の。)
塔の騎士たちの間を抜け、入り口の階段を上る。
そこで待っていた赤髪の男に、さらに迎え入れられる。
「遠路遥々、ようこそ"緋の塔・シャリオ"へ。」
柔和な雰囲気とは不釣り合いに、重そうな剣を下げている彼がここのトップだ。
周囲からは高くなった場所で、ジオとセリナ、それから塔の長が立った。
向けられる無数の視線に、セリナは思わず身を引く。
ヴェールが下がっているのが、せめてもの救いだ。
不意に、ぐっと強く手を握られた。
はっとして、さっき力を入れてからずっと掴んだままの右手に気づく。
力の抜き方がわからず内心焦るセリナをよそに、ジオはそっとその手をはずすと、耳元に口を寄せた。
「挨拶を。」
「……。」
言われるまま、これまでの視察先と同じように、セリナは宮廷流のお辞儀を見せた。
















長官の挨拶を聞き終えて、ホールへ入ると、セリナは長い息を吐いた。
(なんかすごく緊張した。)
外にいる騎士たちは、それぞれ視察業務に移ったはずだ。
「軽い威嚇程度のものだが、将軍の覇気に当てられたか?」
「あれ……覇気っていうの? ぞくっとした。」
「女神が"塔"へ入るための、形式的儀礼だ。本気ではない。」
(ただでは中には通さないってこと?)
「覇気を受け流し、挨拶を返した。敵意がないことは、十分示せた。」
「……あ。」
玄関ホールから隣の部屋へ入りながら、セリナはジオを見上げた。
「さっきあいさつしていた人が、一番偉い人?」
「あぁ、ここを統括している長官だ。」
「じゃあ、あの人が"緋騎士"?」
挙げられた名前に、ジオはセリナに顔を向けた。
「いや、長官はそうではない。その名を……誰から聞いた。」
「パトリックたちが。英雄だと。」
何気なく言った言葉にジオは眉を寄せた。
「英雄……ね。」
「違うの?」
「いいや。めざましい活躍をしたのは事実だ。若い騎士の中には憧れている者も多いと聞く。"緋騎士"の称号も自然発生したようなものだからな。」
(あれ、命の恩人……にしては、なんだか。)
ジオの表情は硬いままで、セリナは首を傾げる。
「長官の後ろにいたな。この後、ここに来ることになって……あぁ、噂をすれば。」
ジオの台詞に顔を上げれば、部屋へと制服に身を包んだ騎士が入って来た。
「彼が、エリオス=ナイトロード。」
深く一礼を見せた銀髪の男が、ジオの紹介に顔を上げる。
「英雄の"緋騎士"だ。」
「……。」
セリナの目の前に立つ騎士が、ピクリと眉を動かした。
「ようこそ"緋の塔"へ。シノミヤ・セリナ様。」
「初めまして。」
これで3人目の挨拶ということになる。
名前を呼ばれたことに驚きながら、セリナは言葉を返す。
「あなたが"緋騎士"。」
「どうやら世間ではそのように呼ばれているようですね。以後お見知り置きを。」
言って灰青色の双眸を細めた。
セリナより10は年上だろうが、想像していたよりも若い。
「わたしとしては、良好な関係を築くことを望んでおりますから。」
貫禄というものはないが、独特の雰囲気を持った人物である。
「えぇ。こちらこそ……。」
険悪より仲がいい方がいいに決まっている。
そう思って答えながらも、セリナは困惑した目を騎士へと向けた。
「仲良く、できますよね?」
そうセリナが問えば、エリオスの笑顔がゆっくりと消える。
(数々の戦功を上げた騎士……"英雄"。)
前線に立つ者の鋭利さが見え隠れする。
「セリナ様がセリナ様である間は。」
「!!」
(私が"黒の女神"じゃないうちは、ってこと。)
国に仇なすなら"英雄"が黙っているはずがない。
広場で受けた覇気の、走り抜けたような寒気とは違い、全身を包むような冷気に晒される。
この迫力をもって面と向かって言われれば、もはや脅しともとれる。
「ナイトロード。それくらいにしておけ。」
「……。」
途端に感じていた冷気が消えて、セリナはぎこちなく微笑んだ。
「私も、良好な関係を望んでいます。」
セリナ自身は望んでこの国を害するつもりがないのだと、伝わればいいと思った。
僅かな沈黙の後、エリオスが口を開いた。
「その言葉を聞いて安心しました。女性に、剣は向けたくない。」
睨むでも笑うでもなく真摯な表情でそう告げた後で、ようやく鋭い双眸を和らげた。
ほっとして息をついたセリナは、思ったよりも緊張で身がすくんでいたことに気づく。
(これが"緋騎士"。)
緋の塔と同じような、威圧感がある。
その存在感は、カリスマ性に繋がる。そうであれば、騎士として憧れる対象になっていることもわかるような気がした。
(英雄。自然発生した称号を持つ者……。)
「では、これにて御前を失礼いたします。」
早々に下がろうとするエリオスに片手で応じてから、ジオはセリナへ視線を向けた。
「この後は、自由に過ごしてかまわない。せっかくだ、視察を見学するのもいいだろう。」
「はい、では……そうします。」
顔合わせは、これで終わりらしい。
ほっとして、セリナは礼を取り、騎士に続いて部屋を出て行こうと体の向きを変えた。
「っあ!」
「!!」
声を上げて、バランスを崩したセリナへ、咄嗟にジオが手を伸ばす。
「……ご、ごめんなさい。」
危ういところで支えられ、態勢を立て直す。
「大丈夫か。」
怒ったような顔のジオに、セリナはほんの少しドレスを持ち上げる。
「靴、脱げました。」
「………………。」
(わー、沈黙が痛い!)
「今日の靴、いつものと違って、慣れてなくて……!」
あわあわと説明を加えるが、もういい、という表情を浮かべられて、口を閉じる。
右手を支えられながら、脱げた靴を履き直す。
(あ。)
離れていく手を目で追いながら、一抹の寂寥感がよぎった。
(前にも支えてもらったけど。細身に見えて、けっこう力強いのよね。)
ちらりとジオを見上げれば、相手の視線は少し逸れた位置にあった。
首を傾げそうになって、その視線の先にある物に気づく。
「あ……、ペンダント。」
態勢を崩したはずみで、胸元から滑り出ていた。
「着けているのだな。」
綺麗な青を握りしめて、セリナは妙な気恥ずかしさを覚える。
(昨日の今日で身に着けてるとか、はしゃいでるって思われるかも。)
「そっその、なんていうか……お守り代わりにっ。」
言い訳めいたことを口にする必要などないとはわかっているが、口が勝手に言葉を吐く。
「そうか。」
いいでも悪いでもない、ジオらしいいつもの回答に「そう。」と合わせて、胸を撫で下ろす。
(な、何、焦ってるんだか、私。)


「失礼いたします。」
入り口から声がして、振り向けば、戸口にゼノが立っていた。
さらに、その一歩手前にエリオスの姿もあり、セリナはドキリとする。
(今のやり取り、見られてた?!)
「陛下、そろそろ将軍との打ち合わせの時間です。」
「呼んでくれ。」
「はい。」
扉の向こうへ消えたゼノに続いて、今度こそエリオスも部屋を出て行く。
「じゃ、私もこれで。」
「気をつけて。」
なんだかいろいろと含みを持った言葉をジオに返され、セリナはそそくさとその場を後にした。








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