80.








用意された寝室に入ったジオは上着を脱ぐと、乱雑にソファの背に投げかけた。
「例の書類は、滞りなく城へ転送したとグリフから報告がありました。」
「そうか。」
ゼノに短く応じてから、首元を緩める。
鏡越しに、後ろにいた近衛隊長に視線を向けた。
「"女神"の件では無理を通したな、ゼノ。」
「いえ。急な用向きには慣れていますから。」
ある種、不敬な発言を事もなげに口にした後で、ゼノは逡巡の様子を見せ、結局先を続けた。
「予定通り、送り出されるのですね。」
「そのために、こうして連れて来たのだからな。」
「それはそうでしょうが。先に報告したように、"女神"の警備は万端とは言いかねます。ラグルゼ警備隊に協力を要請しているとはいえ、実質は"ラヴァリエ"の2人が付いているだけの外出。加えて以前とは、少々状況が変わっております。」
言いながら、騎士は眉を寄せる。
「西の動きのことか。」
「塔やこちらだけではなく、ルディアス領主の耳にまで届いている情報です。」
ここルディアス領へ入った際、領主との会見を行った。
その時不安げな面持ちの領主から切り出された話は、先だってホワイト・ローズでジオの元に届いた情報と同じものだった。


『アジャート軍が国境付近に遠征。その活動を強めている』と。


こちらの視察遠征の動きを察知しての、牽制行動だと考えられる。
その情報は緋の塔にも伝わっていることであるが、塔の兵士たちとは違い領主は明らかに動揺していた。
「となれば、『対外的にもわかるよう』に警戒しなければいけません。」
警戒ならば、言うまでもなくしている。
ジオの元にその報告が届いた直後、西部の警戒レベルは引き上げられているのだ。
「ラグルゼは、その最たる場所だな。」
「だというのに、このタイミングで、国境の兵士を借りることになります。」
「とんでもない"女神"の暴走だ。」
さらりと吐かれたジオの台詞に、ゼノは口を閉ざす。
塔を抜け出す"黒の女神"が、その目的を遂行できるのは、『誰も"女神"の頼みを断ることができない』からだ。
畏れや恐怖という感情を、逆手に取るシナリオ。
1人掛け用の革ソファに腰を下ろして、ジオは足を組んだ。
「ここまで来て、今更中止しろとは言えないだろう。」
「しかし。」
反駁しようとした相手をジオは手で制す。
「私とて考えなかったわけではない。けれど、相応の覚悟はしているようだし、中止させて勝手に行動されるほうが危険だろう。」
「それは……仰るとおりですが。ディア様には前例もありますし。」
小さく付け加えて、無意識にゼノは渋面を浮かべる。
「『閉じ込めておくのが良策なわけではない。運命の女神なら、どう足掻こうと呼びよせるものは呼びよせてしまうもの』と、寛大な見解を披露したのはゼノではなかったのか。」
黒の女神を視察に同行させると言われた時、ゼノは確かにそう答えた。
城に居ようが塔に行こうが、危惧すべきことはいくつでもあり、それらは起こり得る。となれば、あらゆる事態に備える構えを持つことが重要なだけだ。
起こる未来を止める術など、持っていないのだから。
「その見解に変わりはありません。けれど、ディア様の動きが、万が一にもアジャートを刺激しはしないかと。」
「ゼノ。」
名前を呼ばれて、メビウスロザードの隊長は口を閉じた。
「彼女が碑石に行きたい理由は話したな。"女神"が考えて行動した結果、その先に何があるのか、何を見つけるのか。興味はないか。」
「……。」
かつて王都に飛び出した少女は、なんの因果か麻薬密売組織の一端を掴んで帰って来た。
もちろんただの偶然に過ぎないが、予言を鵜呑みにすることへの懐疑を示唆する出来事ではあったのだ。
災厄の正体も分からない現状で、女神の行動の先にもたらされる未来を『見る』ことへの興味。
「結果、災いを呼びよせることになっても?」
「避けられないと決まったわけではないだろう。予言の証明となるなら、それを以て対応を改めることもできる。」
それに、と呟いて先を続ける。
「女神の行動を妨げることが、災いをもたらす可能性だって否定できない。」
「陛下は謀っておいでか。」
ゼノの言葉にジオは僅かに口元を上げた。
「天の意を量っているだけだ。」




隊長は視線を一度虚空に外して、再び王を見る。
議会で決定したことだとはいえ、誰もが納得しているわけではない。
『保護』という判断への批判や、何かと足元を掬おうとする者たちを、その都度あしらい続けているジオが、その意を翻すことはないと、ゼノも知っている。
王にもまた、相応の覚悟があると理解している近衛騎士隊長は、それ以上の発言を控えた。
















食事を終え、用意された部屋へと戻ったセリナを、イサラが出迎えた。
「お帰りなさいませ。陛下との会食はいかがでございましたか。」
「ただいま。明日のこと、いろいろと段取りを教えてもらって来たの。えぇと、それでね……ん?」
早速ポセイライナへ同行する者を決めなければ、と口を開きかけたセリナだったが、パトリックの姿に首を傾げた。
「パトリック、どうかしたの?」
「え? どう、とは……。」
「あ、なんだか嬉しそうだから。」
驚いたような表情を見せたパトリックの代わりに、アエラが笑いながら説明する。
「今も話をしていのですけれど、ライズ様は明日の"緋の塔"が楽しみなのですって。」
「楽しみ? 何かあるの?」
不思議そうなセリナに、今度はイサラが応じる。
「騎士の方にとっては、"塔"は憧れの地なのですよ。」
「名高い豪傑たちが集う場所ですから。」
イサラの言葉に、パトリックが首肯する。
アエラに促されて、セリナはソファへと腰を下ろした。
「さらに、明日の顔合わせには、"緋騎士"も同席すると聞けば、身が引き締まる思いです。」
「あか、騎士?」
「先の戦の英雄のことですよ。」
(英雄……。)
ぴんとは来ないが、すごい人らしいということは認識できた。
「豪傑たちって……もしかして、"緋の塔"ってすごい人たちばかりがいる?」
恐々といった様子で問うセリナに気づいて、イサラが口を開いた。
「もちろん、所属しているのは素晴らしい騎士ばかりですが、騎士の候補生も多くおりますよ。」
「候補生?」
「セリナ様は、"緋の塔"の役割をご存知ですか?」
「えぇと……確か、国防の要だと。」
「そうです。それに加えて、騎士の育成を行う"学校"でもあるのです。各地から、騎士の候補生が集まり、訓練を受けています。」
「学校なんだ。」
パトリックが、先の説明を続ける。
「はい。アカデミー生や見習い騎士の内、身分に関係なく優秀な者だけが"塔"で訓練を受けることができます。競争率の高い、狭き門です。」
あぁ、と一度言葉を切ってから、口元を緩めた。
「エリティス隊長も、"塔"出身なんですよ。それで、当時の"ラヴァリエ"隊長の目に止まって、声をかけられたという話です。"ラヴァリエ"に入らないか、と。」
「わ! さすが、リュート! それって、ものすごーくスゴイことよね。」
「もちろんです。」
感嘆の声を上げるセリナに、パトリックが我が事のように誇らしげな顔をする。
その事態は、言葉で聞くよりもずっと大変なことに違いない。
「それで、先の戦で功を立てて、"ラヴァリエ"の隊長に任じられるのですから、エリティス様は我々の誇りです。」
「あ。」
5年前の隣国との争いに、リュートが参加していたのかと思えば、不思議な気分だった。
(戦争……か。)
「目標とする騎士の下で、仕官できるなんて本当に恵まれています。」
パトリックの表情には、ありありと尊敬の念が浮かぶ。
「確か、ホーソン様も、停戦後に副隊長に任じられたのでしたよね。」
イサラの確認に、ラスティが頷く。
「はぁ、やはり皆さんすごい方ばかりなのですね。」
呆然としたように呟く、アエラの気持ちはセリナにも良くわかった。
(やっぱり、すごい人たちに囲まれてるわ。)
「その、"緋騎士"って人も。英雄、だなんて、よっぽど活躍した人なのよね。」
どんなに屈強な戦士なのだろう、とセリナは想像するが少しも思いつかなかった。
「"緋騎士"は、数々の戦功をあげ、ジオラルド様の命を守ったこともあると聞いています。」
「……え。」
「ここルディアスの地で。」
ジオも戦に参加していたことは、聞いていた。
当時は、王子という立場だった彼も、死線をくぐって来たということだ。
(ルディアス……。)
「このブランチで。昔、何かあった?」
食事の時に違和感を覚えたジオの様子と、場所が悪いと言った言葉が蘇る。
(女神を保護する理由とここに、何か繋がりがあるのかな。)
「何か?」
「その……なんとなく、"塔"に近いし、ここでも何かあったのかなって。」
ジオの態度を口に出すのは躊躇われて、セリナは言葉を濁す。
「当時の内情なら、まだアカデミー生だった僕たちよりイサラさんの方が詳しいのではありませんか?」
パトリックから話を向けられて、イサラが身じろぎする。
「城の女官に、戦地の出来事は把握できませんよ。」
そう答えるが、セリナと目が合うと、イサラは言葉を継ぐ。
「ただ…………"ダイレナン"は、要所にある砦で、前線となったこともある場所。敵に、王都までの進軍を許した先の戦では、国境線を破られた後、そして、王都から国境まで押し戻した時の2度、戦火を受けています。」
「そっか。西に近いほど、被害は大きいよね。」
(そんな場所だから、ジオの様子が少し違って見えたのかな? いや……まぁ、違うって言っても、そもそも普段の陛下だって良く知ってるわけじゃないけどさ。)
むぅ、と眉を寄せかけたセリナの視界に、レーニアの花が飛び込んで来た。


―――君を保護したのは、オレの我が儘だ。


あの後すぐに護衛騎士と合流したセリナは、聞き返すこともできなかった。
(『ワガママ』って……どういう意味なんだろう。)


(明日からは、視察で忙しいけれど。ルサに出かけた時には、またゆっくり話せるかな。)
















騎士を退室させた後で、ジオは用意されていた酒をグラスに注ぐ。
一気に煽って、眉を寄せた。
「まずい。」
酒自体は一級品だが、この場所で飲む酒はどれも味がしない。
懲りずに注ぎ直したグラスを持って、窓を開ける。
(風が出て来たな。)
ざわざわと大きく木々を揺らす風に、運ばれて来た雲が空を覆っている。
東から吹くその風は、まるで視察団の後を追って来たかのようだ。
ふと先の交信でのやり取りを思い出して、王都を思う。
(おそらくは。城の方でも、風が吹いているのだろうな。)
風の向かう西へと目を向け、闇を眺める。
この地で交わした言葉を最後に、見送った者たちがいる。
力のない自分に怒りすら覚えたあの時から、少しはマシになっているのか自問したところで答えはない。
(最期まで、悔やまなかった。)
ジオに、後悔していないと告げた人物は、もうこの世にいない。
ずっと自分の前にあった大きな背中の『彼』が、膝を折ったのはこの場所。
(繰り返さない。)
グラスに口をつけ、思考する。
("本物の"女神なら、わかるのだろうか。)
「……。」
吹き込んだ風に、髪が流れた。
(やはり、嫌な場所だ。)
思い出さなくてもいいことばかりが浮かんでくる。
グラスをサイドテーブルに置いて、ジオは髪を掻き上げた。
西へ。
そこに広がる闇へ。
睨むような視線を向けてから、感傷を切り離すようにぴしゃりと窓を閉めた。
















フィルゼノン城。
「……。」
「……。」
宰相の執務室で、顔を突き合わせた男たちが、どちらからともなく息を吐いた。
「なぜ、この時期に『ファトレ』なのでしょう。」
ノアの予言については、当初から"蒼の塔"協力の上、研究所が調査を行っている。
もとより本物として女神を保護すると決めていた王にとって、その予言の信憑性はさほど重要視する問題ではなかったのだ。
起こり得る災いのヒントは、そこには載っていない。
ゆえに、自ら調べるなどという労力をかけてはいない。
「さて、何か考えあってのこと。」
クルスの呟きに、ジェイクはひげを撫でながら応じる。
「早速、"蒼の塔"へ依頼しておきます。」
「うむ。」
会話を交わして、ふつりと沈黙が落ちる。
「…………気づいておられましたよね。」
「あぁ、見逃してくれただけじゃ。しかし、仕方あるまい。報告すべき『中身』がないのだ。」
「えぇ、確かに『まだ』何も起こっていない。」
語る2人の表情は、硬い。
「南、にいるのだったな。」
「はい。念のため明朝、追跡に人をやります。」
「彼の場合、珍しいことでもないのだろうが……時期が時期だけに、な。」


昨日、ラシャク=ロンハールが突然城から姿を消した。


追跡魔法により南部にいるらしいことまでは判明したが、どうにも連絡がつかなくなっていた。
「ふらりといなくなるのは、良くあることですが……こんなふうに消息を絶ってしまうとは思えません。」
「妙なことになっておらねば良いが。」
そこでジェイクは顔をしかめた。
「もう1つの、"ラヴァリエ"隊長の件はどうするつもりだ?」
表情を曇らせて、クルスが口を閉ざす。
「陛下に報告するような話でもないし、『処分』は騎士団長が下されるとはいえ。」
「まったく軽はずみな真似をしたものです。」
疲れたような溜息を吐いて、クルスは眼鏡を押さえた。
「事態が大きくならなければいいのですが。」


吹いた風が、窓をがたがたと揺らした。








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