82.








「あ! イサラ。」
部屋を出たセリナを待っていたのは、イサラだった。
「お話は終わりになりましたか。」
「うん。他のみんなは?」
「向こうのホールで待っていますよ。」
控室のようなそこには、誰でも入れるというわけではなさそうだった。
セリナたちと入れ替わるように、ゼノと将軍が奥の部屋へ入れば、静かな空間に変わる。
セリナを案内しようとしていたイサラだったが、立ち塞がる人影に動きを止めた。
そこにいたのは、エリオス=ナイトロードだ。
「イサラ……イシュラナ=ウォーカ?」
驚いた表情を一瞬だけ見せたイサラだったが、すぐに常の落ち着きで礼を取る。
「イサラ、知り合いだったの?」
小声で尋ねると、同じ音量でイサラが応じる。
「いえ、知り合いというわけでは。」
何気なく向けたセリナの視線がエリオスのものとぶつかると、相手は表情を曇らせた。
「まさか、白王宮の侍女を従えているとは。」
「ハク……?」
侍女という言葉に、セリナはイサラの方を向くが、彼女は騎士を見ていた。
(王宮の侍女って、イサラのことだよね。)
「どうやって、陛下に取り入ったのです。」
「……っ? と、取り入ったなんて!!」
思わぬ言葉に、セリナは反射的に言い返す。
「ナイトロード様、畏れながらそれはあまりにもお言葉が……。」
イサラの声にも戸惑いの色が浮かぶ。
「あぁ、これは不躾な問いでした。申し訳ありません。ただ、先程のやり取りで、ずいぶん陛下と親しげなご様子でしたので。」
(……やっぱり見られていた!)
指摘に焦るセリナへと、エリオスは灰青色の目を向ける。
「こんな短期間で、と。加えて、白王宮にいた侍女が仕えていると知り、セリナ様は、よほど特別なお方に違いないと、そう思ったものですから。つい。」
「特別……なんかじゃ。」
エリオスにじっと見つめられ、セリナは言葉を途中で飲み込んでしまった。
「保護自体には、驚きませんでしたが。」
思案気な表情で、エリオスは出て来たばかりの扉を見やり、息を吐いた。
「陛下に、"英雄"と言わせたのは、セリナ様ですね。」
「え?」
向けられたさらなる言葉に首を傾げる。完全に相手のペースだ。
「そう陛下が紹介したのは、セリナ様が"そう"尋ねたからなのでしょう。」
「"塔"に"緋騎士"と呼ばれている英雄がいると聞いていたので……。」
セリナが言い終わる前に、エリオスが言葉を発する。


「その名を、呼ばないでください。」


「―――っ。」
女神に、馴れ馴れしく呼ばれるのが嫌なのかと考えて、身を強張らせた。
「ナイトロード様。」
口を挟んだイサラに、エリオスは手を上げそれを制した。
「これは、セリナ様のために申していることです。」
「……私の、ため?」
「陛下と近しい関係であるのなら、"緋騎士"を英雄だなどと口にしない方がいい。」
「なぜ……? めざましい活躍をしたと、そう、ジオも言っていたけど。」
「陛下は、王であられる故。寛容なだけです。」
目の前の騎士が、何を言わんとしているのか理解できず、眉をひそめた。
そんなセリナの様子に、エリオスが薄い笑みを浮かべた。


「陛下にとって、"緋騎士"は英雄などではないはずです。」


「でも、陛下の命を救った恩人だと。」
不安げにセリナは、イサラの方を向く。
その動きに、エリオスもイサラを見つめた。
「イシュラナ=ウォーカが、そう言ったのですか?」
「いえ、そう教えてくれたのは、イサラではなくて……。」
「けれど、イシュラナ……あなたも、そう認識している?」
「わ、私ですか?」
エリオスからの問いかけに、イサラが目を見張る。
(……何、なんだか。)
口を開けたままでセリナは、エリオスとイサラを交互に見た。
「そのように思っています。」
「『英雄』だと?」
隣に立つセリナには、イサラが引き上げた頬が強張るのがわかった。
「アジャートの間者から、陛下……いえ、殿下の命を守った騎士であられるのですもの。」
「けれど、その時、犠牲になった騎士は、白王宮と無縁な者ではなかった。」
(え?)
「……はい。」
答える刹那、イサラの顔が苦しげに歪む。
(なんだか……。)
「それでも。当時、白王宮に所属していたあなたにも、英雄は存在するのですか。」
「王宮に所属していた者だからこそ。その場にいた、ナイトロード様の判断が間違いではないと思っています。」
優先されるべき存在が、誰なのかは考えるまでもない。
「その後、何が起こったのか、良く知っているはずなのに。」
「……それは。」
「真実は語られない。」
「……。」
雲行きの怪しい2人の様子を見ていられなくて、セリナは割り込むように身を乗り出した。
「あなたは、いったい何をしたの?」
足が震えたが、スカートで見えないのが幸いだ。
エリオスが身を引き、イサラとの間に距離ができる。
「短い昔話ですよ。」
エリオスは微かに首を振り、一歩後ろに下がった。
「ずいぶん前から、不安定な情勢下でアジャートとの小競り合いが続いていました。10年前、このルディアスの地で起こったことも、そんな小競り合いの延長でした。」
(ルディアス。)
「あの時、その方には、助けようとしていた騎士がいました。」
細めたエリオスの瞳は、どこか遠くを見ていた。
「けれど、その方自身も命の危険に晒されていたため、彼の行く手を阻んだ者がいたのです。」
(……あ。)
「その者は、白王宮に仕えていた騎士を見捨てたのですよ。その方が、彼を助けようとしていたことを知りながら。」
淡々と紡がれる音。
「その後の戦で、"緋騎士"などと呼ばれるようになった男は、戦前のその行いすら持ち上げて功績とされた。英雄としての活躍の、装飾の1つとして。」
エリオスの語る言葉は、他人ごとのようだ。
尊敬を込めて自然発生したという称号だというのに、彼の語る言葉がその名を重くする。
(言葉が出て来ない。)
思わず胸を押さえたセリナは、エリオスとジオの複雑な心境を思う。
国にとって、『英雄』は正しくヒーローだ。
けれど、エリオスにとっては、素直に誇れる功績ではない。
ジオにとっても、手放しで賞賛できる相手ではない。
(王、ゆえに、寛容。)
自分が助けようとした相手を彼が見捨てたとしても、非難できない。
個としての、己の心情は、王としての判断に差し挟めない。
(ジオ。)
硬い表情を見せた王は、エリオスを認めていないのだろうか。
そうだとしても、"緋騎士"はこの国の英雄なのだ。
セリナには、ジオの気持ちを推し量ることができなかった。
「おわかりいただけましたか? 陛下の前で、"緋騎士"などと口にしない方がいいと。」
「エリオスさん……。」
続く言葉が見つからないままのセリナは、口を閉ざす。
セリナの視線を受け止めることなく、エリオスは頭を下げ、銀色の髪を揺らした。
「このようなところで引き留めてしまい、申し訳ありませんでした。」












エリオスの去った方向を見ながら、難しい顔でイサラは黙り込んでいた。
イサラの視線の先を眺めてから、セリナは隣へと顔を向ける。
「ハクオウキュウって。」
セリナの声に、はっとしたように顔を上げて、イサラが答えた。
「白王宮とは、後宮の、王妃様がいた場所のことです。」
「あぁ、やっぱり。イサラは以前、王妃付きの侍女だったって。」
「ご存じだったのですね。」
「さっきの話、エリオスさんは、私にっていうより、イサラに訊いてたみたいだった。イサラが……英雄を、どう思っているのか知りたかったのかな。」
「亡くなった騎士は、王妃の専属でしたので。私も、よく知っている方でしたし、ジオラルド様とも、幼い頃から交流のある親しい仲でした。」
静かに告げて、イサラは体ごとセリナの方を向く。
「けれど、それは本題ではありません。セリナ様が、特別だと、思ったから。だから、あのような話を持ち出されたのです。」
「……え?」
陛下と親しそうだったことと、侍女が側にいたことで、『特別』だと思わせたのだ。
けれど、なぜ。とイサラの頭に疑問がわく。
「特別? "黒の女神"って意味かな。でも、エリオスさんは、今は私のことを女神ではなく、『セリナ』として見てくれてるはずなのに。」
「……。」
「もしかして、私、その騎士と同じような立場にいる? 剣を向けたくないって、言われたばかりだし。」
「騎士……というより、むしろ。」
「むしろ?」
「いえ、どうなのでしょうか。」
困惑気味に、緩く首振るイサラから、セリナは一度目を逸らす。
どうやら自分の思いつきと、イサラの考えにはズレがあるらしい。
悩ましげなイサラの様子から見て、彼女自身も己の考えをまとめきれていないようで、セリナは別の話題を口に出した。
「あの、言いたくないことなら答えなくても構わないんだけど。」
セリナはイサラの顔色を窺いながら、先を続けた。
「『その後、何が起こったのか』って。」
「……。」
「王妃の侍女が、英雄だと思っているはずがないって感じだったでしょう? 親しかった騎士を、助けられなかったこと以外にも理由があるのかなって。」
イサラは目を伏せる。
何をしているのか、外から騎士たちの歓声が聞こえてきた。
「近衛騎士隊の……王妃の専属騎士。王妃となって以来、側に仕え、信頼していた騎士を失った王妃様の悲しみは、それは深いものでした。どちらかと言えば、仕える主にそのような思いをさせたということを、侍女が恨みに思っているのではと。」
僅かに首を傾げたセリナに、イサラは苦笑を浮かべる。
「その後、王妃様が床に臥せるまで衰弱し、帰らぬ人となったことまで含めて、指して言われたのでしょう。」
「そ、そんなに大事な人だった、ということですか。」
「誤解なさらないでくださいませ、あくまで主従の関係でした。ただ、確かにお2人には、深い繋がり……絆と呼べるものがあったように思います。ですから、騎士を失ったと知った時の王妃様は、まるで糸が切れたようでした。」
「……あの、王妃様って、陛下の母親、ですよね?」
静かに頷き、イサラが肯定を示す。
奥へと続く扉を振り向いて、セリナは表情を曇らせた。


「ルディアスは。ジオにとって、つらい場所ですか?」


「セリナ様?」
「昨日……ダイレナンで、うまく言えないけど、違和感があったので。」
同じように扉を見つめてイサラは、小さく息を吐く。
「ナイトロード様の言っていた出来事が起こったのは、ダイレナンです。」
「……。」
「それだけでなく、6年前の戦のこともありますので。ルディアス、というよりダイレナンは、ジオラルド様にとって、あまり良い思い出のない場所、なのかもしれません。」
抑えたようなイサラの声を聞きながら、セリナはペンダントを握り込んだ。


―――その理由を語るには、今宵は場所が悪いな。


そう告げた時の表情を思い出して、胸がきゅうと締め付けられるような感覚を味わう。
(何か……"女神"を保護した理由と、関係がある? だけど、何が?)
城へ帰って訊いてくれと言われたが、本当にそのことに触れてもいいのだろうかと迷う。
理由は知りたい。けれど、エリオスの言葉の意味や、ジオの過去にむやみに踏み込むべきなのかはわからない。
(何か私にできることがあるなら、力になりたいと、思う。けど。)
「イサラ、私……。」
「セリナ様。」
思い詰めたような顔のセリナへと、イサラが強い口調で呼びかけた。
「この件については、ひとまず私に任せてくださいませんか。」
「え?」
侍女の申し出に、セリナは扉からイサラへと視線を移す。
「戦以降、あの方はずっと『英雄』でした。彼も、王も、もちろん、陛下の側近もそれを受け入れていました。少なくとも、私の知る限り。なのに、セリナ様には、ジオラルド様の前で呼んで欲しくないと。それがセリナ様のため、だと言うくらいですから、何かわけがあると考えるのは自然なことです。」
『白王宮』の名が出て来るのならば、イサラ自身、無関係でもない。
「このような話が出て、セリナ様がいろいろと気にかかるのは道理。」
ですが。と前置きして、イサラは真っ直ぐにセリナを見据えた。
「セリナ様は、今、すべきことがあるはずです。他のことに気を取られている時ではありません。」
もっともな意見に、セリナは目を見張る。
エリオスの話に、戸惑ったのはイサラも同じはずなのに、しっかりとした口調で語る侍女はどこまでも頼もしい。
「ここにいる、当初の目的を果たしてくださいませ。」
「イサラ。」
ぐっと両手に力を込めて、セリナは表情を引き締めた。
大きく息を吐くと、背筋を伸ばす。
「確かに、イサラの言うとおりね。」
セリナは一度だけ後ろを振り返った。
(そう。今はまず、ここへ来た目的を果たすことが先だから。)
「行こう。」
イサラに声をかけて、扉に背を向けるとセリナは足を踏み出した。
一旦イサラに預けるという方法で、気持ちを切り替える。
沸き起こる疑問や感情で、心を乱している場合ではないのだ。
「アエラたちをずいぶん待たせてしまったね。」
















西の空に太陽が沈み、茜色に闇の色が迫る頃。
魔法陣を前に、人目を忍ぶように灰色の外套を身に纏う一行の姿があった。
「後をお願いします。」
「どうぞお気をつけて。」
そう言って、イサラが静かに頭を下げた。
誰を連れて行き、誰に留守番を頼むかは、比較的スムーズに決まっていた。
護衛はそのためにリュートが選んだのだから、2人をここで外すわけにはいかない。
侍女を2人とも残していくか、どちらか1人を連れて行くか、選択肢は多くはない。
留守番役には、アリバイ工作をするという任もあるため、イサラがその役を申し出た。
付いて行きたいと言ったアエラの意思も尊重し、イサラを残し3人の同行者が決定したわけである。
出来れば侍女は置いて行けと言われていたが、グリフに告げた後も、メンバー構成を反対されることはなかった。
魔法陣の横には、グリフとアシュレーが立っていた。
秘密裏に進行している計画だけあって、他には誰もいないが、驚く様子もないアシュレーは事情を知っているのだろう。
(誰がどこまで、知っているのかしら。)
ちらりと視線を巡らせれば、アシュレーと目が合った。
お願いしますとの意を込めて小さく会釈をすると、アシュレーは僅かに口元を緩めた。
5人が魔法陣の中に立ち、魔法騎士が呪文を唱え始めた。
セリナは、そっと胸元に下げた青いペンダントを握りしめる。
「お気をつけて。」
もう一度そう告げたイサラに、セリナは頷く。
「行ってきます。」
微笑みを残し、セリナはポセイライナを目指す。
気になることはいくつもあるが、今は目的に突き進むのが第一だ。
目の前へと切り替えた気持ちを抱えて、顔を上げた。








また1つ。
回る歯車が、さらに大きな歯車を回し始める。




















<XI.扉向こうの雨>へ続く

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