72.








上層部が村にある穀物庫の視察をしている間、セリナたちや他の兵士たちは馬車を止めている場所で待機することになった。
馬に水を飲ませている騎士たちの邪魔にならないようにしながらも、セリナはパトリックたちの側でその様子を興味深そうに見ていた。
少し離れた場所で控えていたイサラは、近づく人影に振り向いた。
驚きと喜びを混ぜたような顔で立っている女性は、見覚えのある人物だった。
「マリさん……?」
かつて同じ場所で、宮廷女官として働いていた女性だ。
記憶にあるよりいくつか年を重ね、ずっと日焼けした姿だが間違いない。
「イサラ! やっぱりイサラだわ! まさか会えるなんて驚いた!」
がっしりとした両腕でハグを受け、イサラは表情を緩めた。
「お久しぶりです、マリさん。」
「陛下が視察に来られると聞いてから、ずっと楽しみにしていたのよ。イサラまで同行しているとは思わなかった!」
「女官を辞められてから、田舎へ帰ってしまったと。まさか、バッカスで?」
「旦那とね。今じゃすっかり農業婦人だよ。まったく、ここじゃ日焼けは勲章だからね。」
白いエプロンをした女性は、豪快に笑った。
「しかし、あんたどうして一緒に。」
「セリナ様の侍女として。」
「セリ……あぁ、ディア様のことだね。確かに同行すると聞いたね。けれど、誰の専属にもならないと言って、教育係として残ったイサラがなぜ。」
ふと視線を向けた先で、マリはセリナとアエラの2人を見つける。
「見かけない顔の侍女だね、新人かい?」
「えぇ。」
「ははぁ、だいたい事情はわかったよ。指導係兼ってとこね。それにしても、良く了承したものだね。条件に違反すると、断ることもできただろう?」
「いえ、まぁ。」
「……あぁ、そうか。いや、悪かったね、余計なお世話だった。」
微苦笑を浮かべたイサラに、マリは肩をすくめて手をひらひらと振った。
「元気そうで、安心しました。」
言葉どおり安堵の表情を浮かべて、イサラが告げる。
マリがにっと笑顔を見せた。
「見てのとーり、ここでのんびり過ごしているよ。あんたもうまくやってるようで良かった。」
「マリさん……。」
「イサラさん、お知り合いですか?」
いつの間にか、水場から戻って来ていたアエラがそこに立っていた。
アエラに顔を向けてから、イサラはマリを紹介する。
「私の先輩に当たるマリ=リドルさんよ。」
「先輩? では、こちらのお方も侍女ですか? は、初めまして! アエラ=マリンといいます。」
「初めまして。侍女だったのは昔の話。今はただの田舎のおばさんよ、そんなに力を入れなくていいわ。」
「い、いえ!」
「まだ入ったばかりね? 初々しいわ。」
マリはそう言って楽しそうに笑った。
離れた場所でその様子を眺めていたセリナが、不思議そうに首を傾げた。
敏感にそれに気づいて、マリは頭を下げた。
つられるようにお辞儀をしたセリナに、マリはぽかんとする。
「……さっきの入り口でのやりとりも知ってるけど、あれが本当に噂のディア様?」
「はい。」
あっさりと頷いたイサラに、マリはへぇと呟く。
「ミーリちゃんが憧れるだけはあるねぇ。」
そう言って、顔を綻ばせた。
少しだけ周りの目を気にしながら、セリナはマリの元まで歩み寄る。
「こちらの村の方?」
「はい。かつて城の侍女をされていたマリ=リドルさんです。今は引退して、ここで農業を。」
答えたイサラの声を受けて、再びマリは頭を下げる。
「ここには、もう長いの?」
「今年で6年目になります。」
マリの答えに、イサラは目を細めた。
6年前。
それは、いろいろなことが起こった年だった。
(マリさんが辞めてから、もうそんなに経つのね。)
セリナは顔を伏せたままのマリから視線をはずす。
通りの方から、ちらちらと様子を窺う村人たちが見える。
「こういう視察は多い?」
最前考えていた、王と国民との距離について興味がわきセリナは問うた。
「今回で3回目になります。」
ようやくマリは顔を上げた。
さすがに王宮に勤めていただけあって、落ち着いた対応をする。
「3回。視察に、ここまで国王が出てくるのは良くあること?」
「さて、私には他の場所でのことはわかりかねますが。ディア様の目には不思議に映りましたか?」
問い返されて、セリナは少し黙り込む。
「……不思議、というか。ここへの視察には力を入れているような、そんな印象を受けたもので。」
「セリナ様。」
おどおどとアエラが小さく呟く。
遠回しな表現だが、対応の差を指摘するような発言はあまり誉められたものではない。
マリはイサラを見てから、セリナに視線を向けた。
「きっと、バッカス地方は特別なのです。」
穏やかな声でマリはそう告げた。
「特別?」
ざわざわと畑が揺れる。
心なしか時間がゆっくりと流れているようだった。
「ここは戦争で焼けて、一度は死んでしまった場所。」
「え?」
「その命を繋ぎ止めたのは、他ならぬ陛下ご自身ですから。この場所が立ち直るまで、責任を持たれるおつもりなのです。」
マリは慈しむような目で畑を眺める。
その目には、現在と過去の光景が浮かんでいた。
「繋ぎ止めた。」
ただ繰り返すセリナに、マリは優しく答える。
「魔法です。初めにかけた魔法の効果は、去年で解けている。……だから今年の収穫は、真の意味でこの土地が息を吹き返した証でもある。」
セリナは揺れる金色の波から、マリに視線を移した。
「まだ、これからが大変なのですが…それでも、最初の峠を無事乗り越えたというところでしょうか。」
決して楽観した言葉ではない。
けれどマリの表情は、どこか満足げだ。
(命を繋ぐ……責任。息を吹き返した大地。)
もう一度、金の畑を見た。
青い空の下、太陽の光を受けて大地は輝く。
(だから、ここの景色はあんなにも心に響いたのかな。)


「バッカスは、まだ成長しますわ。」


「……。」
確信すら含んだ言葉に、セリナは目を見開きマリの横顔を見た。
「ここには、それを支える者たちが多くいる。」
自信に満ちたマリの顔に、セリナはなぜか泣きそうになってしまった。
「はい……!」
どうして、この国の人たちはこんなにも眩しいのだろう、とセリナは目を細めた。
(元気になる、心が温かくなる。人は、こんなにも強く、優しく、恵みに満ちている。)
「まぁ、すみません。調子に乗って、べらべらと。」
はたと気づいてマリは頭を下げる。
「いえ、ありがとう。」
恐縮したような態度に苦笑を浮かべて、セリナは空を見上げた。
(また1つ。わかったような気がする。)
心が震えた。


―――あぁ、なんてこの世界は。












「陛下。いくら子供といえども、ああも簡単に近づけるのはどうかと思いますぞ。」
視察を終え、馬車に戻るジオにゼノは後ろから小声で苦言を呈す。
「あの子が何をするというのだ。」
「わからないではありませんか。いくら村長の孫娘といえど、予定外のことにはもう少し慎重に……。」
ぶつぶつと言い募るゼノを、ジオは手で制す。
「4歳の子供にそう怯えるな。カシュラにも異常はなかったのだろう?」
「は、それは。まったく。」
応えて、ゼノはふと顎に手をやる。
「なかなか、良い出来でしたね。」
カシュラはここの土地に合わせて、品種改良を行った果実だ。
近衛騎士隊長の言葉に、小さく頷きを返す。
「特産となれば良いが……まだこれからか。魔法が解けた今年も、収穫には問題はなさそうだ。」
「えぇ。」
「もはや、自然に…偉大なる大地に、任せるのみか。」
「あの時、魔法で繋ぎ止めていなければ、こんなふうにこの地が復活することはなかったでしょうな。」
「……いや、そうとも限らない。侮るものじゃないぞ、ゼノ。繋ぎ止めたと言うが、初めにほんの少し手を貸しただけのこと。」
ジオは歩みを止めて、村を眺めた。
「後は、この大地と、この地を捨てなかった民の力だ。」
視線を流し、煌く景色を記憶する。
一陣の風が吹き抜け、見送るように畑がさざ波立った。
「……。」
言葉はなく、ゼノ=ディハイトはただ深々と頭を下げた。








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