73.








シュトラ領ヴィラ。
その手前で視察団は、シュトラ伯爵とその私兵に出迎えられる。
ヴィラの中心街に入る前に通りを外れ、林の入り口で一度足を止めた。
何事かと馬車の中でキョロキョロしていると、ラスティに窓を叩かれた。
「何かあったの?」
窓を開けて、セリナはラスティに問う。
「この先のことについて、メイヤード様がセリナ様の意見を伺いたいと。」
「?」
「ご機嫌麗しく、ディア様。」
パトリックの横から騎士が現れ、軽く頭を下げる。
緩くウェーブのかかった赤茶けた髪が揺れた。
視察にあたり名前は知っているが、話すのは初めてのメビウスロザードの副隊長だ。
「視察先はこの林の奥になるのですが、道が狭いので半数ほどがここで待つことになっています。この先、ディア様はどうされますか? 視察に同行してもかまわないですし、ここに残られても構いません。」
「どちらでもいいの?」
「はい。ただし、たいした距離ではありませんが、視察場所までは馬車を降りて歩いていただくことになります。」
一瞬アエラたちと目を見合わせるが、セリナはすぐに答えを出した。
「一緒に行きます。」












明るい林の中の一本道は、馬車が1台通れるだけの道幅だった。
グリフの言葉どおり、徒歩で数分もしないうちに目的の場所へと辿り着く。
そこには1本の木が立っていた。
「……これは。」
一行が通って来た道は、その木の生えた場所で行き止まりになっている。
しかも、その木の周囲は綺麗な円を描いて林に囲まれている。
「ウォールツリーです。」
「?」
答えたラスティに、目で問い返す。
「都市に張られた魔法壁の媒体の1つ。ヴィラのウォールツリー。」
「ヴィラへの遠征は、街の視察ではなくこの木のためだったのですね。」
セリナの横でアエラが呟く。
(魔法壁の媒体。)
描く円の一歩外で騎士の1人が立ち止まり、何かを唱えた。
道と接した部分の空気の一面だけがさわりと揺れる。
「!?」
目を見開いたセリナに、今度はグリフが説明する。
「木の周りの結界を一部解いたのですよ。」
ジオと男女1人ずつの騎士が、結界をくぐり木へと近づく。
来ている制服から、ランスロット所属の魔法騎士だと知れた。
それ以外の人は、その場に残ったままだ。
「心配はいりません。しっかりと根付いていますし、媒体として申し分ない。」
「ここの魔法壁も万全ですね。」
そう見解を述べると騎士たちは、木の幹に手を当てる。
ざわっと木を中心に空気が渦を巻いた。
(……何?)
ジオが、木の正面に立ったまま片手を伸ばした。
その動きと横顔に目が釘付けになる。
ゴォッ!!
その風の渦が勢いを増して、上昇気流となり空へと駆け上った。
ひらひらと、葉っぱが数枚地に落ちる。
風で靡いていた彼らの外套がゆっくりと重力に従う。
「……。」
目の前の出来事にセリナは呆然とする。
(魔法だ。)
この国では日常的にお世話になっている代物だが、改めて目の前で使われると驚いてしまう。
結界内から3人が出てくると、待っていたように再び一面が揺れた。
「どうもありがとうございます。」
彼らに向かって、深々とシュトラ伯爵が頭を下げた。
「初めの防御魔法はしっかり定着していますし、木自体に異常もありません。念のため防御壁に補強を加えておきましたが、憂慮することは何もありません。」
女性の魔法騎士の言葉に、伯爵は心底ほっとしたような表情を浮かべた。
「それは、それは。ありがとうございます、これで一安心です。」
(魔法壁、結界、媒体。魔法大国……精霊の力。)
「アシュリオ、その結界だが……。」
単語の羅列を思い浮かべながら、ぼんやりと木を眺めていたセリナだったが、聞こえた名前に意識を取り戻す。
(『アシュリオ』?)
女性騎士に呼ばれて振り向いた、青銅色の髪の男に目を止める。
先程、結界の中に入った男の騎士だ。
「あの人が……。」
(あの夜、私がアルテナの間にいるとリュートに知らせてくれた騎士だ。)
ようやく会えた。と考えた瞬間、セリナの胸がどきんと高鳴った。
見つめる視線を感じたのか、相手が顔を上げ、セリナと目が合う。
驚いたように目を開いた後、魔法騎士は小さく会釈を寄越した。
あ、と思い、一歩を踏み出そうとした刹那、アエラの声がかかる。
「セリナ様、そろそろ戻りましょうか。」
「そ、そうね。」
応じてから、視線を戻せば、青年は仲間との会話に戻っていた。
来た道を戻りながら、セリナは一度だけ振り向く。


(部屋に運んでくれたのが、誰なのか。あの人なら知っているはず。)












中心地であるヴィラは、華やいだ活気に満ちていた。
林を出た後、大通りを進みシュトラ伯爵のマナーハウスへと招かれる。
客間に案内され、食事も終わったセリナだったが、寝るには早く暇を持て余していた。
「今日は、良い月です。中庭の散策はご自由にとのこと……せっかくですから、ご覧になってみては? 1階のテラスから庭へ出られるそうですよ。」
いつの間に得た情報なのか、イサラの提案に、アエラもセリナの横でへぇ、と呟いていた。
目を輝かせてセリナは、アエラとラスティと共に部屋を出た。
テラスに出る窓を開けて、耳を澄ます。
「微かに声が聞こえるわ。」
騎士たちの歓待に、酒宴が催されているという話だった。
セリナにも声がかけられたが、そこは辞退しておいた。
「宴会は、屋敷の反対側の広間で開かれているそうです。」
ラスティが律儀に答えた。
ちなみに、パトリックは断り切れず宴会に引き込まれたということだ。
「イサラの言ったとおり、今日は明るいね。」
誘われるようにふらりと足を踏み出す。
(そういえば、あの日も綺麗な月夜だったな。)
足元を照らすように配置された光灯に導かれるように、造られた小道を歩く。
見事な蔦のアーチがある休憩所まで来たところで、セリナは再度空を見上げた。
その時、庭の向こうで人影が動いて、ゆっくりと視線を動かす。
「セリナ様!」
慌てたようにアエラが声を上げるが、不思議とセリナに恐怖はなかった。
「……ディア様?」
「あ。」
見覚えのある色の髪に、セリナは動けなくなる。
(こんなところで会うなんて。)
相手は、騎士の礼式に則って頭を垂れた。
「失礼いたしました。」
邪魔したことを謝り、騎士は早々に立ち去ろうとする。
慌ててセリナは声をかけた。
「待って!」
相手の騎士―アシュレーは驚いたように目を大きくする。
「えぇと、アシュリオさん……ですよね?」
「はい。魔法騎士隊"ランスロット"所属のアシュリオ=ベルウォールです。名を知っていただいているとは、思いませんでした。」
「あなたと。話をしたいと思っていたの…。良ければ、少しだけ私と話をする時間を作ってくれないかしら。」
「セ、セリナ様!!」
それまで黙って控えていたラスティが、初めて狼狽した声を出した。
「ディア様が私に? それは……勿論、お伺いいたします。」
「ありがとう。」
セリナは振り向くとアエラとラスティに声をかけた。
「しばらく2人で話を。」
「……。」
言いかけた言葉を飲み込んで、ラスティは許諾の礼をする。
セリナとラスティに視線を彷徨わせてから、アエラは落胆したように肩を落として頷いた。
休憩所に置かれているベンチにセリナを促して、アシュレーは距離を保って控える。
「初めまして……と言うべきなのかしら。」
セリナの言葉に、アシュレーは少し表情を緩めた。
「そうですね。何度かお目にかかっていますが、こうして言葉を交わすのは初めてですね。」
「何度か……?」
呟くように繰り返したセリナに、騎士がえぇと答えて頷いてみせる。
記憶を辿っていると、相手が先に口を開いた。
「いえ、お気になさらず。」
実際には、王都の空き地で陛下の背中越しに1回、舞踏会の夜に部屋の前で1回。
だが、残念ながらどちらもセリナの記憶から見つけることはできなかった。
「今晩は、こんな場所でどうされました。」
「月がキレイなので、夜の散歩に。」
「月の魔力に誘われましたか?」
「魔力をお持ちなのは、あなたでは。」
その返事に、月の光を浴びたアシュレーが微かに笑った。
「仰るとおりです。ただし、月の魔力も侮れませんよ。」
月のように静かな魔法騎士に、セリナが問う。
「あなたこそ、ここで何を?」
「酔い覚ましに庭へ出たのですが、ディア様と同じく、月が綺麗だったので。つい歩きすぎました。」
(あぁ、宴会で……。)
納得したところで、ようやく引き留めた目的を思い出し、セリナは本題を口にのせる。
「あなたにお礼を言わなければいけないと、ずっと思っていたの。」
「私に……ですか? 礼を言われるようなことは何も。」
「もう、ずいぶん前のことだけど。4ヶ月……になるのかしら?」
日にちの感覚が初めの頃は曖昧なので、セリナにはしっかりとした日付はわからない。
「今夜みたいに月の輝く夜。城の中で迷子になっていた私を見つけて、リュートに知らせてくれた、と。」
すぐに思い出して、アシュレーは頷く。
「礼を言われることではありません。私は、私がすべき行動をとっただけのことです。」
「そうだとしても、私はお礼を言いたかった。」
くすりとセリナは笑って見せる。
「では、その御心謹んでお受けします。」
「えぇ。」
そこで沈黙が落ちる。
「……。」
「どうぞ、聞きたいことがあるのでしょう?」
「!?」
「あの夜。貴女を、初めに見つけたのは誰なのか。」
「……ッ!」
アシュレーは、セリナが聞きたかったことの中心を正確に射抜いた。
どうして、と尋ねようとしたがセリナの声は出ない。
「私が見つけた時には、貴女は既にアルテナの間にいらっしゃいました。」
「え?」
「それ以前、どこをどう迷われたのか、何があったのか、私は知りません。ただ、ディア様がいなくなって、リュート様が探されているのを知っていたので見つけたことを隊長に伝えた。その後は、リュート様が部屋へお連れしたはずです。」
「そう、ね。その前に、庭で誰かに会ったの。その人物に心当たりはある?」
「さて。」
「あなたがアルテナの間へ入った時、そこには他に誰もいなかったの?」
「……ソファに寝ていらしたのは、お1人だけでした。」
僅かな間にセリナは首を傾げる。
「あなたが見つけたのは偶然?」
「どういう意味でしょう?」
「いえ、あの方が……アシュリオさんを呼んでくれたのかと。庭でのことをあなたが知らないのなら、庭で寝てしまった後、アルテナの間まで運んでくれたのはきっとあの人だから。アシュリオさんなら、彼と会っているんじゃないかと思ったの。」
「私が、お伝えできるのは、今述べたことだけです。貴女の知りたい答えについては、残念ですがお力になれません。」
「そう。」
「ディア様こそ、相手に心当たりがあるのでは?」
逆に問われて、セリナは視線をはずした。
「……かもしれない、というだけで、自信はありません。」
「どなたです?」
一瞬躊躇ってから、セリナはその名を告げた。
「ラシャクさんです。」
「ラシャク……ロンハール卿?」
アシュレーは静かに繰り返した。
「ラシャクさんとは、その前にも会ったことがあるの。とても親切で……あの時も迷惑をかけてしまったんだけど、紳士だから無下に振り払うこともできなかったのかなって。それなら、その後、気にかけてくれるのもなんだか理解できる気がして。」
舞踏会の夜にあった話し合いの席で、ラシャクが口にした言葉。


―――セリナ嬢には輝く月夜の下での逢瀬というのは良く似合う。今宵の相手がこの私でなかったことは残念です。


こんな時に、と思ったが、もしセリナの探している相手がラシャクなら、あの発言の意味は少し変わる。
「……。」
「でも、やっぱりわからないんです。上手く言えないけど、違うのかなって気もしてて。」
言い訳めいた言葉を口にするセリナから、アシュレーは月に視線を向けた。
「こんな月の夜、でしたね。なら、きっと月はすべてを知っている。」
「え?」
「本当に知りたいのなら、本人に訊いてみるのも手ですよ。」
「それは、そうなんですが。」
彼とは反対に、セリナは視線を地に落とす。
「直感は、時に鋭く真実を射抜くことがあります。」
アシュレーの台詞にセリナは、弾かれたように顔を上げた。
「アシュリオさん、やっぱりあなた何か知っているんじゃ……。」
アシュレーは艶然と微笑んで見せた。
「私では、ディア様の力にはなれない。ほら、言ったでしょう。」
言って彼は指で上を示した。
「力を持つのは、あちらだと。」
導かれるように顔を上げたセリナの目に映ったのは、星空に浮かぶ明るい月。
天空だった。








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