65.








城の中央棟にある、会議室の1つ。
「……。」
ラシャクは、床に落としたままの視線を彷徨わせた。
その先に座る陛下に報告を終えた後、室内に落ちたのは沈黙。
サファイアのような瞳が、細められただろうことは見なくてもわかった。
(いっそ使えないと、判じてくれた方が気が楽だ。)
引きつりそうな表情をなんとか保って、相手の反応を待つ。
「ロンハール卿。」
「はっ。」
静かに名を呼ばれ、ラシャクは頭をさらに下げた。
「一般人を監視させるために、卿に人と財を与えたわけではないぞ。」
王からの皮肉に、一瞬言葉に詰まる。
「申し訳ありません。」
(前言撤回。声をかけられない方が、まだマシだったかもしれない。)
失望の色が見える言葉は、思いのほか堪えた。




城下町で不審な動きを見せていた連中を、ずっとマークし警戒してきたラシャク。
陛下にも知らせていたことだが、これといった尻尾が見えることもなく、過ぎていた。
巫女姫の祭礼があった6月から、人々の集まる社交期の間逗留していた相手は、その終わりを待たず、先日王都を発ち南へ移動したという。
監視に付けていた部下から出立の報告を受けて、陛下へ伝えたところだ。
「不審者は、ただの行商人だった、と?」
「……。」
社交期に合わせて、王都に商人がやってくるのは珍しいことではない。
数いる中でラシャクが彼らに目を止めたのは、扱っている絹織物の産地が混ざっているのを珍しく思ったからだ。
しばらく様子を見ていれば、やけに王や女神のことを嗅ぎまわっていることに気づいた。商機を見出す情報収集は当然でもあるが、売り込みに熱心な様子でもないのが気になったのだ。
けれど、ぱたりとおとなしくなった後は、特に目立った動きもなく、エンヴァーリアンの騒ぎと連動することもなかった。
結果を出すことができないまま、相手は離れて行こうとしている。
(私の勘も鈍くなったものだ。)
苦い思いが浮かぶが、ラシャクは少し視線を上げた。
「目的地は、どうやらリジャルのようです。」
「……。」
「陛下。どうか、もうしばらく監視を続けさせてください。」
「……。」
「確たる証拠はまだ掴めていませんが、ただの行商人だとは思えないのです。」
(ただの商人にしては、鍛えられていたのが……腑に落ちない。)
返って来ない声に、相手の機嫌を損ねた可能性を見て、自然と胸の前で握っていた手に力がこもる。
"ローグ"を逃がした失態があり、その追跡にも人手が欲しいところだ。
やはり引き揚げさせるべきか、と思案して眉を寄せかけた。
「無論、目を離すな。」
「はっ!」
短く応じてから、ラシャクは聞こえた内容に首を傾げた。
(……は?)
思わず顔を上げれば、相変わらず無表情の王がいる。
「なんだ。」
「い、ぃえ。……感謝します、陛下。」
ラシャクの戸惑いを見透かしてか、薄く笑う気配がした。
「初めに、深い接触は控えろ、と言ったことは守っているだろうな。」
「もちろんです。」
例の商人たちは、ロザリアとアルデナの通行証を持っていた。
諸国を巡る行商人であり、フィルゼノンの民ではない。他国出身者であれば、容易く強硬な手段を取ることはできない。
「卿が三月の間張っていて、正体が掴めないのなら、十分不審だろう。」
はっとして、ラシャクは目を開いた。
「リジャル、南部の港町だな。目的地への到着、およびそこでの動向を確認して報告せよ。」
「承知しました。」
「くれぐれも、こちらに気づかれないように。」
「はい。」
さっと頭を下げてから、ラシャクは身を翻す。
廊下に出たところで、肩にかかった髪を払った。


受けた皮肉は、『正体を暴けないこと』へではなく、『暴けないこと自体が不思議だと気づけなかったこと』へのものだ。
(そう。確かに、一般人を監視するために、与えられた時間じゃない。)
打って変わって浮かんでくるのは、奇妙な昂揚感を持った笑み。
(南部……南に、何かあるのか?)
一度、息を吐いて、ラシャクは足を踏み出した。




























「星?」
「うん。昨夜、空を見上げたら、満天の星で。」
相手の嬉しそうな声に、ティリアは微笑む。
セリナの部屋で、2人は向かい合わせに座っていた。
間のテーブルには、柑橘系のフレーバーティーが置かれている。
「そうね。この時期は明るい星も多いから。少しずつ夜も早くなって来たので、天体観測には良い時期ね。」
「そう、こちらの夏って、結構遅くまで明るいですよね。」
「そうかしら? そうかもね。」とティリアが小首を傾げながら笑う。
(暑さも違うし、やっぱり緯度が違うのかな。)
地球と同じ考え方をしていいのかはわからないが、セリナはひとまず自分の常識に照らして推測してみる。
「でも、本当にすごくきらきらしてたの。」
バルコニーから何気なく見た頭上に広がる景色に、まるで子供のように単純に圧倒された。
「ちょっと、感動しちゃうくらい。」
「セリナったら、大げさねぇ。晴れた夜なら、いつでも星は輝いて見えるわ。」
元の世界であまり空を見上げることはなかったし、見上げたところでそれほど綺麗に星が見えるわけでもなかった。
「あはは、それもそうか。」
同意しながら、自分でも不思議に思う。
(空くらい見てたはずなのに。どうしてだろう。こちらの世界の方が色鮮やかなのかな?)
こちらに来てから、セリナの視界は広がっているような気がする。
(空の星も、花の色も……不思議。)
「あ、そうね。せっかくだから、セリナにいいことを教えてあげるわ。」
「いいこと?」
ティリアの台詞に、セリナは顔を上げる。
「もしかしたら、もう女史から聞いているかもしれないけれど。」
そう前置きして、ティリアはふわりと微笑む。
「"ルピス"の星。」
「……?」
目を瞬いたセリナに、ティリアは説明を続ける。
「旅人や船乗りが、道しるべとして見上げるひときわ明るい星よ。視察へ同行するなら、知っていて損はないと思うわ。まぁ、セリナ自身が道を探すことはないでしょうけど。」
「ルピス。」
「北を向いて、真上より少し視線を落としたところにあって。すぐに見つけられるわ。」
「へぇ。」
(北極星みたい。)
感心していたセリナの耳に、ティリアの声が届く。
「導きの星とも呼ばれるの。」
「え?」
どこかで聞いたことのある単語に、セリナは動きを止めた。


「知っている? 神話に出て来る"アザリー"という船が掲げていた星のことよ。」


「……。」
「セリナ?」
「あ、えと。神話の星が……本物?」
セリナの台詞にティリアは面食らったような表情を浮かべる。
それからくすくすと声を立てた。
「さぁ、そう呼ばれているだけだから、本物かどうかはわからないわ。あの星の下に精霊たちの船が眠っているとか……そういう伝説もあるわね。」
(び、びっくりした。)
思いがけずに飛び出した言葉に、跳ねた心臓を押さえる。
「ルピス、は希望の女神の名前でもあるのよ。」
「希望。」
繰り返すセリナに、ティリアが頷く。
「今夜、探してみる。」
もしかすると、昨夜も目にしていたかもしれない星だが、探すとなると楽しさが増す。
「視察でしばらく会えなくなるのは、寂しいわね。」
肩を落とした様子を見せたが、すぐにティリアはにこりと笑う。
「セリナの旅が実りあるものであるよう、それから無事に帰還するように、祈っているわ。」
「うん!」
つられるようにセリナも表情を和らげ、ティリアに笑みを向けた。








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