64.








「やぁ、クルセイト。」
「ラシャク。」
後ろから声を掛けられて、クルスは足を止めた。
追いついたラシャクと共に歩き出す。
「珍しく外に借り出されていたらしいね。」
「例の……組織の摘発時に、魔法具を押収したらしくてな。その解析を頼まれていた。」
先週、クルスが城を離れていたのはそういうことか、とラシャクが頷く。
「"サルガス"か、首尾は上々だったと聞いたけど?」
「大手柄、といったところだな。」
その言葉に小さく笑ってから、ラシャクは首を傾げた。
「特別顧問が出向いたにしては、早い帰還だな。大した物じゃなかったのか?」
「さほど価値のある物はなさそうだったからな。後は部下に任せて来た。それにしても、あの組織、麻薬以外にもいろいろ取り扱っていたようだ。」
「武器とか?」
「いや、薬草。」
「薬草ぅ? なんだ、薬つながりか?」
クルスの答えに、廊下の角を曲がりながら、眉を寄せる。
「さぁ、先に捕えた密売人の取り引きも、ナーラスだったらしいぞ。」
「それはまた、代表的な薬草で。まぁ……希少な草だから、裏ルートができるのか。」
「根は毒性があるから、取り扱うには許可がいる。正規ルートの協定に入れない者が、量を求めれば裏からになるだろうな。」
一般市民が手に入れたければ、町の薬師から買えばいい。
高価だが、危険な部分は取り除かれた状態で流通している。
ただし、個人が大量に手に入れることは難しい。
「サルガスが、薬屋に転身していたってわけでもないんだろう?」
「それはない。仮に、そうだとしても"密売組織"に変わりない。」
「あー、確かにな。」
「取り引きの物が薬だったとはいえ、目撃者の口封じに金を受け取る輩だ。善人とは程遠い。」
「口封じ……あぁ、取り引きを目撃したっていうご令嬢をね。何、金もらってたのか?」
「捕えた時の所持金が多かったので、問い詰めたら、そう白状したらしい。」
この辺りの初期の情報は、アシュレーから得たものだ。
「はぁー、とんでもないね。それにまで追加料金をかけるとは。」
「依頼されたと、本人たちは言っているがな。」
「どちらにしても、良い話じゃないなー。」
レディに対して何考えているんだ、とぶつぶつ文句を口にするラシャクに、クルスは肩をすくめた。
その『ご令嬢』がセリナだということは、伏せられている。
ラシャク=ロンハールがそれを知っているのかどうか、クルスは確かめていない。
(ラシャクが知ろうとすれば、あっさりばれるだろうがな。)
彼の情報収集力は、馬鹿にできないのだ。
ふと思い出して、クルスは視線をラシャクに投げた。
「アシュレーは戻って来たか?」
「あぁ、帰って来ている。君が不在だったから、報告はこちらで受けておいたよ。」
「助かる。」
「今は、"ランスロット"の任務に復帰している。」
そうか、と安堵したようにクルスは息を吐いた。








ラシャクの脳裏に、アシュレーから報告を受けた時の会話が蘇った。


「ご苦労だったね。」
手にしていた書類を机に置きながら、声を掛ければアシュレーが一礼する。
「いえ。まだ、決定的な証拠は掴めていませんが。」
「いや、たいしたものだよ。それにしても、時期は違うものの同じアカデミーに所属していたことがあるとはな。」
言ってラシャクは嘆息した。
「"クジャ"の方は清掃員としてですが。東部に住んでいたこの頃に刺青も刺したようです。」
「その頃から"エンヴァーリアン"の影はあったのかもしれないな。"コナー"だけでなく、"ローグ"の名も見つかれば言うことなしなんだが。」
ふと、言葉を区切る。
「アシュレー君は視察に同行するんだったね。」
「はい。」
「この後は、しばしこちらが引き継ごう。"ランスロット"の通常業務に復帰すべきだな。」
「しかし……。」
「無理をさせているのは承知している。クルセイトも私も、君を合同訓練までに帰してやれなかったことを反省しているんだ。」
「そのようなことは。」
「あいにくとクルセイトは今、仕事で不在だが、これ以上、君を魔法省の事務補佐として借りておくわけにもいかないと言っていたよ。"ランスロット"の隊長からの圧力もあるようだし。」
苦笑するラシャクに、アシュレーはきょとんとした表情を浮かべた。
「すまないね。」
思わぬ言葉に、青年は慌てて頭を下げた。
「いえ。」
姿勢を戻したアシュレーは、躊躇ったように視線を彷徨わせてから、口を開いた。
「あの。1つだけ、よろしいでしょうか。」
「ん?」
「調べていた"エンヴァーリアン"と関係はないのですが……。少し、気になることがあるんです。」
「気になること?」
「えぇ、実は…………。」








ちらりと視線を巡らせて、周囲に人の気配がないことを確認する。
「実は、今の件についても、アシュレー君から報告があってね。」
声のトーンを落とし、ラシャクが告げる。
「今の件って、サルガスか?」
「そう。」
「どういうことだ? 彼が調べていたのは"コナー"のことだろう。」
自然とクルスの声も低くなる。
「うん、だから別件でということになるんだけどね。」
「?」
「町で、気になる話を聞いたらしいんだ。」
歯切れの悪いラシャクに、クルスは表情を曇らせた。


「サルガスの摘発は、"女神"のおかげだと。」


一瞬だけ目を見張ったクルスは、すぐに表情を戻す。
「そ、れは。おもしろい噂だな。」
「いったいどこからそんな話が出て来たんだろうねー。」
ラシャクのわざとらしい物言いに、『令嬢』の正体は把握済みらしいとクルスは見当を立てる。


初めに、女神の名が出ないようにと王から釘を刺されたのは、アシュレーだ。
そんな噂を耳にすれば、気になるのは当然だが、彼の対応に非があったとは思えない。
公安へと引き継がれた後、目撃した令嬢のことが注目される機会はなかったはずだ。
立ち止まり、腕を組んだクルスは、目を眇めた。
「良くないな。」
「"女神"のイメージアップになるかもしれないけど、それより逆恨みの対象になる方が危険だね。」
ラシャクの呟きに頷いて、顔を上げた。
一斉摘発に成功したとはいえ、組織の残党がいないわけではないのだ。
すぐに動けるだけの力はないかもしれないが、危険なことに変わりはない。
("黒の女神"を持ち上げるような話が、自然発生するとも思えない。)
「その件、少し追ってみる。」
クルスの言葉に、頼むとラシャクが応じた。
す、と背筋を伸ばして、ひそめていた声を戻し、手を上げる。
「で。これ、アシュレー君からの報告内容。」
ちょうど渡せて良かった、とラシャクは、にやりと笑う。
「確かに。」
言って、差し出された青い結晶石を受け取る。
じゃ、と短く交わすと、立ち止まっていた2人は、それぞれに歩き出した。
















医務室へと戻って来たララノは、扉の前で見たことのある顔に出会った。
「おや。」
深々とお辞儀をした少女と入れ替わりに部屋へ入れば、カーヤと目が合った。
「今出て行ったのは、女神殿の侍女じゃな。」
「はい。ラベルドの香を取りに来ていたのです。」
「ラベルド……安眠とリラックス効果のある香か。」
「以前、焚いた時に良く眠れたとのことで、それ以来使っておられるようです。」
棚から茶色の薬瓶を取り出しながら、ララノはふむふむと応じる。
「先日伺ったら、残りが少なくなっていたので。」
カーヤの言葉に、ララノは手を止めて向き直る。
「のぅ、カーヤ。先日お会いした時の様子はどうだったね。」
「様子……ですか?」
戸惑ったような顔の助手に、ララノは言葉を足す。
「落ち着いておるかね。」
「階段から落ちたという夜ですよね? えぇ、特に変わった様子はありませんでした。」
「カーヤも事情は知っておるな。」
「はい。ですから、部屋へ伺ったのです。」
ヒーラーとしての役目を果たすために。
「まあ、気にしておられないなら、それで良いのじゃが。」
ララノの言葉にカーヤは表情を硬くした。
「ドクターララノ。」
「ん?」
「そのように言うからには、ドクターも気づいているのではありませんか?」
「……。」


「わたしは、不安に思います。」


カーヤの神妙な表情に、ララノは息を吐いた。
言いたいことはわかっていた。
「そうじゃな。だからこそ、カーヤのような"ヒーラー"の存在が重要じゃ。女神殿によくお仕えせねばな。」
怪我や病気を癒すララノとは異なり、カーヤの力は心に作用する。
言われた内容を反芻してから、カーヤはぎこちなく頷いた。
「…………はい。」
そうして、自分の机に向かうカーヤを眺めてから、ララノは薬瓶を手に作業台へ近づく。




気のせいだと、勘違いだと。
そう言ったセリナの心境はわかる。実際、それが事実なのかもしれない。
けれど、『突き落とされた』と感じたことを、無理をしている様子もなく、無かったことにできてしまえるのは、気丈なだけが理由ではないと思えた。
(ましてや、女神殿は、これまでにもいろいろと危険な目に合われた経験がある。だからこそ、そう簡単に切り替えることは難しいはず。)
ララノの脳裏に、頭痛を引き起こしていた『何か』を忘れたと言ったセリナが蘇る。
無意識に。
記憶に封じ込めたり、感情を切り離したりするのは、自己防衛本能だ。
「……。」
白いひげを撫でながらララノは黙り込む。
(今回のことだけに限らず。初めから、そうであったな。)


事態を受け入れるのが早すぎる、と。


(この地で、あの黒曜石の瞳が開かれた時から、の。)
自分の運命を知っていたなら、現実を受け入れもするだろうが、話の限り見知らぬ場所にいきなり落ちたというのだ。
泣き喚いて、拒絶を示しても不思議ではないのに、そうはならなかった。
ララノは窓の側に寄って、外へと視線を投げる。
(心を守るための反応か。個々の出来事に対して、心は動いておるのに。感じた痛みや恐怖……不安を、すぐに閉じ込めてしまう。)
あまりも自然に。
けれど、負った傷が浅いわけでもないのに、前を向く強さは。
不自然なものだ。


廊下を渡って行く集団の中に、目を引く相手を見つけた。
(そのことに我が王も気づいている。)
そして、案じてもいる。
(無理に聞き出すことでもない、とは言ったものの。放っておいても、良いものか。)
考えて、ララノは小さく息を吐く。
数名の臣下に囲まれている王の姿が木の陰になり、見えなくなったところで手元に視線を戻した。
(まったく、かの者は何を思うのかの。)








BACK≪ ≫NEXT