48.








困ったような顔を見せた男に、リュートはまっすぐな瞳を向けた。




「お前に剣を向けたくはない……カイル=テフナー。」




「エリティス隊長。」
カイルの声が静かに響いた。
















アシュレーがカイル=テフナーの監視を命じられたのは、ロンハール卿が彼を見つけた日からしばらく後のことだ。
一隊員である彼に『その監視がなんのためなのか』という極秘に当たる情報が開示されたのは、さらに後。
6月中旬に行われた、巫女姫との謁見および祭礼の儀があった頃である。
『監視対象』の人物はエンヴァーリアンである可能性が高い、と。


警護配置や任務担当の偶然が重なって、否応なく彼は"黒の女神"に関する事情に巻き込まれていった。


麻薬密売人を捕えた時も。
―――……あれから、何か動きはあったか。
―――いいえ、風なき水面の如く。


青い結晶石を握りしめた時も。
―――祭礼の時、セリナ嬢を襲った賊の名だ。
―――以前から君にお願いしている件にも動きがない。まったく尻尾を掴めていない状態だとか。
―――その情報を鍵に、もう一度調べてみてほしい。繋がりがないかどうか。
―――この犯人と……関係していると?


調べた結果を、クルセイトたちに伝えた時も。


それが誤解であればいいと、思っていた。
("エンヴァーリアン"。)
アシュレーが監視を始めてから、対象と"黒の女神"に接触はなかった。
裏で画策しているという証拠も掴めなかった。祭礼の時に襲撃を仕掛けた男との確固たる関係も見つけられなかったのだ。


ただし、彼をシロだと言えるだけの事実もなかった。


祭礼での襲撃者に仲間がいたことは明らかにできなかったが、状況から協力者は不可欠だった。襲撃者の足取りや侵入経路を調べているうちにわかったのは、彼がその日担当でもないのに西門の詰所に出入りしていたということ。
ラトル郊外の火事についても、屋敷へ踏み込むという情報を彼は事前に手にできる立場にいた。
そして、先日。舞踏会の招待状を、おそらくは偽造した上で、第三者へ渡した疑いが出ている。
どれも状況証拠に過ぎず、罰するにしても目的とする点を糾弾するための要素はない。


だから、こうして泳がして尻尾を出させようとしたのだ。
そして彼は動いた。


無駄になればいい、誤解であればいい、と思いながら、そうではないことを心のどこかでアシュレーもわかっていた。
そうでなければ、そもそも彼らが調査の話を持ち出したりしないはずなのだから。








反対側に立つリュートが、そのことを知ったのはアシュレーよりもさらに後。ずっと最近のことだ。


セリナが街へと下りた日。
城の中に"エンヴァーリアン"と通じている者がいる可能性が高い、と聞かされた。
そして、その相手の名前を知らされたのは、北宮への出入り禁止という謹慎が明けた日だった。
リュートが謹慎している間はこれで仕事を回せ、と騎士団長から渡された護衛担当者の配置表。珍しいこともある、と首を傾げたが、その謹慎明けの日、組まれたスケジュールの意味を知った。
ラヴァリエの多忙さにかこつけて、わざと女神と接触する機会を作ったのである。
踏襲せざるを得なかった"罠"は、結果として部下もセリナも裏切るものだった。
女神を狙う賊かもしれないと疑い、そう疑いながら女神の護衛に付ける。
どんなに細心の注意を払って頭を悩ませたとしても、真実がどちらに転んでも、それが報われることはない。


隊長として果たすべき任務は、まったく正反対のものが2つ。
それでも、そのどちらも滞りなく果たさなければならないものだった。












舞踏会の会場で部下から届けられたコードの解読内容は、『侍女が不穏な動きを見せた』というものだった。
アエラが?という思いはあったが、懸念事項がないわけではない。
念のために確認が必要だと考え、夜会から抜け出すことにした。もう一度会場に戻って来るつもりはなかったので、護衛の交代要員だったダミアンの任を免除した。
代わりに自分がセリナの護衛に付く気でいたからだ。
けれど、クルスから聞かされたのは、まったく別の内容だった。
「セリナ嬢が部屋を飛び出したと、聞いたのではないのですか?」
顔色を変えたリュートは、低い声で唸るように告げた。
「……動くつもりです。」








別室に移動したクルスとリュート。部屋には既にアシュレーの姿があり、入って来た2人に頭を下げた。
すぐに張られた結界の中で、クルスは手を払い魔法を発動させた。
「侍女の動きも追いましょう。部屋にいないのは本当のようです。」
「女神……気配捉えました。騎士も近くに。……西側、庭園です。」
高位の魔法使いである2人が的確に気配を捉え、その動きを追う。
厨房へと向かう侍女の様子に、リュートは拳を握りしめた。
「不穏な動きというのは、陽動のための偽りですね。確認に向かわせて、遠ざけるつもりだったのか。」
確かに部屋を離れたアエラは、不審に見えるかもしれない。
「食事が届かないのは偶然か。それとも、それも企ての内か。どちらにしても、侍女が部屋を離れたことは、彼にとって好都合だったはずです。」
クルスはアシュレーの展開した"ヴィジョン"(映像魔法)に目を向けた。
「ただ部屋を出たのはセリナ嬢自身の意志。彼女の部屋の結界が崩れていないのが何よりの証拠……いえ、この格好を見ればその証拠も不要でしょう。」
茶色の髪に変わった姿のセリナが、そこに映し出されている。
「すぐに迎えに行きます。」
言い終わる前に踵を返したリュートを引き留めたのはクルスだった。
「いいえ、待ってください。」
「なぜ!?」
「動いたからです。」
現れた緋色の瞳の男を認めて、リュートは元の位置へと戻った。
クルスはアエラの映像を消すと、何かの呪文を短く詠唱した。
その間にアシュレーは"ヴィジョン"の映像を、部屋の壁に掛かっていた楕円の鏡に移した。媒体となる物を得て映像は安定を見せるが、時折揺れてぼやける。
精度が悪いわけではなく、気づかれないために力を加減しているからだ。
カイルが合流し、セリナと男が噴水の縁に腰を下ろす。
今回の映像は一方通行の魔法であるため、向こう側の声は聞こえない。
「知り合い……?」
推察するしかないが、セリナの様子を見る限り警戒心は持っていないようだ。
「ただの招待客、でしょうか?」
難しそうな顔でアシュレーが呟いた時、事態は一変した。
セリナが立ち上がり、男も遅れて腰を上げる。
「!!」
直後、セリナの背後には別の人物の影があった。
「セリナ様……!」
リュートが声を上げるが、クルスは映像を睨んだままだ。
「堪えてください、エリティス隊長。」
「しかしっ!」
「まだです。」
殺すつもりなら、その機会はあった。もちろん、その事態には対応できるように気を張っていたが、そうはならなかった。まだ差し迫った危険に晒されているわけではない。
彼らの目的が知りたい。
エンヴァーリアンの証拠が欲しい。
その組織に関する情報を手に入れたい。
ぎりぎりの駆け引きだった。
「『勝手な真似をするな、コナー』。」
映像に映る男の唇の動きを読んで、クルスは音を紡ぐ。
「『先に、勝手な行動を始めたのは、そっちだろ』……。『好機を逃す手はない』。」
リュートも"ヴィジョン"を見ながら、クルスの声に耳を澄ませた。
「『ローグ、顔見知りとは、知らなかった』。」
セリナの首元に目を凝らすが、髪の毛で死角になっている上に不明瞭で判然としない。
そこに気づいたリュートがアシュレーの肩を掴む。
「何か持っている、短剣か? 反対から見られないのか!?」
「……できなくはありませんが、ここの庭園の結界に干渉することになります。そうなれば、結界を張った術者に気づかれます。」
「っ。」
結界を張ったのは城の関係者であるが、この件には無関係の魔法使いだ。
「その噴水が術の媒体なんです。噴水側からヴィジョンを展開するには、精霊に近すぎるので……機嫌を損ねると、かえってセリナ嬢たちが危険です。」
クルスの説明に、リュートはぎり、と奥歯を噛んだ。
歯がゆい思いはクルスも同じだ。
庭での接触が、元々の計画だったわけではないのは今のやり取りから推測できる。セリナが飛び出したことで、偶然この状態になったのだ。


仕掛けてくるならセリナの部屋だと思っていた。
わざわざカイルを当日の護衛に当てたのも、誘い水のようなものだ。
これまで、彼は直接的に手を下していない。
いわば協力者のような立ち位置。
事前に外と連絡を取っていた形跡もあり、今回も別の仲間がいる可能性が濃厚だった。舞踏会当日に城に潜り込んでも、護衛であるカイルの協力があれば女神を見つけるのは簡単だ。仲間がいるなら、引きずり出したかった。
セリナの部屋の結界を強化したのはクルス自身。そこならば、干渉を気にせず、魔法を使うことができるが、今となってはどうしようもない。
それ以外のケースに対する見込みが甘かったのだと、反省するしかない。


「『あなたは、予言に詠われた、"災厄の使者"』。」


なおも映像の中で口を動かす相手に、クルスは眼鏡の奥の瞳を細めた。
固まったように動かないジルドに目を移したリュートは不安げに口を開く。
「どうなっているんだ。」
「心配いりません。本人の耐性によりますが、副隊長にかけられた魔法は短時間で解けます。」
「何?」
「媒体となる物質に、暗示、さらに視覚効果。3重の条件で構成された低級魔法。一種の目くらましです。」
アシュレーの答えになんとか納得の色を見せ、そうかと呟いた時、今度はセリナの動きが止まる。
カイルが元いたところへ戻った後で、ジルドが弾かれたようにセリナを振り返った。




「限界か。」
苦しげに呟いて、クルスは手を払った。その場に、きらきらと残光が舞う。
西園への人の出入りを制限するための魔法をかけていたが、さすがに開放区域をいつまでも閉じているわけにはいかない。
回廊の入り口に幻術を施していたが、人が増えれば怪しまれる。術を解いて、ヴィジョンに目を向けた。セリナはジルドに連れられて、戻ろうとしているところだった。
「っ、すみません。リミットです。」
アシュレーが告げた途端、見ていたものが消えて、鏡はただの鏡に戻った。
「カイル=テフナーを追います。」
「隊長。」
クルスは、飛び出して行きそうな騎士の腕を掴み押さえる。
「ようやく出した尻尾です。証拠は残さないでしょうから、掴んでください。」
「……。」
クルスとリュートの視線が交差するが、クルスはすぐにアシュレーに顔を向けた。
「アシュレー、"彼"に先程の男を追うように伝えてくれ。」
「は!」
「クルセイト様、申し訳ないが頼みたいことが……。」
「えぇ、セリナ嬢の護衛には私が付きますので、副隊長と合流してください。」
「感謝します。」








ロンハール卿に伝言を届けたアシュレーは、カイルの気配が北の宮にないことに気づき、逃走経路になりそうな西門の前に先回りしていた。
それにしても、卿の素早さには驚かされる。
(カイル=テフナーと通じていた相手に目星でもついていた? いや、カイルを張っていたのか?)
彼の部下が見張りについていたのかもしれないが、"ヴィジョン"で近くにそれらしい人間は捕捉できなかった。どちらにしても、舞踏会に出席しながらあそこまで先手を打った指示が出せるのだから、たいしたものである。
(ラシャク=ロンハール……怖い人だ。)












「エリティス隊長。」
カイルは静かに呼びかけた。
目だけで応じたリュートに、彼は薄く笑みを向ける。


「"ラヴァリエ"はボクの誇りでした。」


「……。」
ぬるい風が吹いた。
「王に忠誠を誓い、国を護るために力を尽くす。フィルゼノンの騎士として、高みを目指して研鑽を積むのは何よりこの国のためです。」
ざわざわと周りの木々が揺れる。
「だからこそ……シノミヤ・セリナの護衛は、どうしても納得できなかった。」
表情を変えずリュートは、カイルの姿を見据える。
「彼女が"女神"なら、謹んでお仕えいたしましょう。けれど、彼女は"使者"です。それも、災いをもたらす者。彼女の存在は、守るべきものではなく危惧すべきもの。」


「そう知っていながら、皆なぜ放っておくのです。殺すことを良しとしないのならば、せめて封じるべきでしょう。」


「お前はフィルゼノンの騎士として失格だ。」
真面目な顔でゆっくりとリュートが告げる。
その言葉に、カイルは眉間にしわを寄せた。
「わかりません。理解できません。目の前の災いを看過する王にも隊長にも……。打つ手を持ちながらそれを行使しないなど、何もしないせいで国に危難をもたらすなど、何よりも罪深い。」


「大層な口を叩くな、カイル。自分を正義の如く語ったところで、その言い分は迷妄だ。」


この会話が交わることはない。
目を逸らしたカイルに、リュートは別の話題を持ち出した。
「空から落ちて来たセリナ様を、あの日パトリックと共に運んだのはカイルだったな。」


「……はい。」


「あの時から、そう思っていたのか。」
「おわかりでしょう? 一目見ただけで異質でした。姿も状況も。」
「怪我をしていた彼女が目覚めるまでの間、心配していたのは嘘か。」


「……。」




少女の姿に怯んだことも、パトリックほど彼女を受け入れていないことも知っていた。
けれど、自らが保護した怪我人の身を案じてはいたのだ。
だからこそ、あの頃リュートはラヴァリエとして、女神護衛の任を受けることに抵抗を持たなかった。


予言に怯え、外見の色に眉をひそめることがあったとしても、自分たちの護衛対象に過度な私情を挟むほど愚かではない、と信じていたから。




「パトリックに、合わせていただけです。」
「カイル……。」
深々とカイルは頭を下げた。
「知りながら……それでも、護衛を任せてくれたこと、感謝します。」
リュートの顔が歪んだ。
そこにいるのは部下だ。共に笑い、戦った仲間だ。


「一緒にいた者のことも話してもらう。」


けれど、カイルにとってラヴァリエが仲間ではなかっただけのこと。


じり、と距離を詰める騎士たちに、カイルは周囲に素早く視線を走らせた。
当然ながら包囲網を突破できる穴はない。
背を伸ばして、カイルはジルドに話しかけた。
「貴族、覚えた方がいいですよ。いろいろ役に立ちますから。」
ジルドは眉を寄せると、射抜くように相手を睨んだ。
「バルドールも嘘か。」
カイルが笑う。




そして、自分から足元の魔法陣を踏んだ。




















<Y.心の在処>へ続く

BACK≪ ≫NEXT