<Y.心の在処>





49.








違う、と。
窓枠に手を置いたまま、ぼんやりと外を眺めていたセリナは呟いた。
("黒の女神"ではない。)
言われた言葉に眉を寄せた。
(ずっと、自分でそう証明したかったじゃない。)
巫女姫・シャイラと会ったのは、それを伝えたかったからだ。
あの時は少しも取り合ってもらえなかったが、女神ではないと思っている人もいるのだと、喜んでもいいくらいだ。
けれど、言われて感じたのは衝撃。
(災いの使者。)
そんなことを認められたかったわけではない。
「違うのに。」
(どうしても、普通とは違うって見られるの?)
「セリナ様?」
名前を呼ばれて顔を上げれば、心配そうな表情のアエラが首を傾げている。
思わず声が出ていたことに気づき、なんでもないと急いで笑顔を浮かべた。
「クルセイトさんは廊下?」
「はい。」
セリナは入り口を見つめる。
笑顔のクルスに有無を言わせないものを感じて、すぐに後を追うことができなかった。
(何が起きている? 彼らは何者なの……。)
今はもう聞こえないが、少し前まで途切れ途切れに音楽が聞こえていたのだ。
舞踏会が終わるより前に部屋に訪れたクルスと、慌てた様子で走り去ったリュート。
何か良くない事態が起きているのだと推測するのは容易。
庭でのことが無関係だとも思えない。
(クルセイトさんなら事情を知っているはずよね。)
両の手を握りしめて、セリナは1人気合いを入れるように頷く。
扉に向かおうと姿勢を正した時、ノックの音がした。
「失礼します。」
「クルセイトさん!」
アエラが開いた扉から姿を見せた相手に、セリナは声を上げる。
その勢いに驚いたのか、クルスは足を止めた。
「あの! すみません……私、さっき庭へ。」
「はい、知っています。」
「え?」
「何があったのかも知っています。」
「そう、なんですか?」
尋ねながら、セリナは気づく。彼らは既に動いているのだから、知っていて当然だ。
「リュートは、あの人たちを追って?」
頷くクルスに、セリナはもう一度、そうですか、と呟いた。
(あの場にいなかったのに。情報が早い。)
早すぎると言ってもいい。
(魔法の力……なんだよね、きっと。)
側にいたはずのジルドに見えていなかった事態が、セリナの勘違いではなかったとわかりほっとする反面複雑な思いが起こる。
「すみませんでした。勝手なことをして、結局迷惑を。」
項垂れるセリナに、クルスが首を横に振った。
「セリナ嬢がご無事で何よりでした。」
コンコンと扉を叩く音がして2人は意識をそちらに向けた。
「失礼、入ってよろしいか。」
開いたままの扉を叩いたのは、近衛騎士隊長ゼノ=ディハイトだった。
セリナに応対していて入り口を塞いだままだったクルスが、恭しく頭を下げて横へと退いた。
「……陛下。」
予期せず現れた人物に驚きの表情を浮かべた後、セリナは慌てて礼を取った。
クルスは"彼"が来るのを待っていたのだ。
既に着崩してはいるが、舞踏会に出席していたのであろう格好のジオは、やはり雰囲気が異なっている。
クルスと同じく、舞踏会から直接ここへ来たのだと知れた。
「こんな時間に悪いが、いくつか質問に答えてくれ。」


「侍女殿。」
「はい?」
廊下に立ち扉を押さえていたゼノが、声をかけてクイと首を動かした。
その仕草にはっとしたように、アエラが慌ててお辞儀をすると部屋を出て行く。
直後、ゼノが部屋の扉を閉めた。
突然の事態に呆然としていたアエラだが、この状況だ。席を外すべきだったのだろう。
閉まる扉を横目に、イサラの耳に入らなければいいけど、とセリナは考えてから、ソファに向かい合わせで座った王に目を向けた。
なんだか尋問みたいだ、と緊張したセリナの予想に反して、相手の口から出て来たのは問い詰めるような質問ではなかった。
「大丈夫か?」
「は?」
素で出た返事はお気に召さなかったらしく、ジオはなんだか嫌そうな顔でセリナを凝視した。
嫌味の1つでも言われるかと身構えるが、ため息を吐かれただけだった。
「顔色が良くない。」
「そんなに、酷い顔……してますか?」
「手短に済ませよう。」
互いに質問には答えないままで、次の質問に移った。
「部屋を飛び出したそうだな、異論はあるか?」
「いいえ。」
「護衛騎士の静止を振り切って、外へ出た目的はなんだ。」
「え…と、目的、というか、窓から見えた人影を追いたくて、つい。」
「それは庭で会った人物か?」
「あぅ、えぇと、結果的にはそうだったのかも、なのですが。似てると思ったのは別の人で。」
「……要領を得ない。結局、誰を追いたかったのだ。」
「私にもわからないんです。だからこそ、追いかけたかったというか。」
「すまないが、話し込むつもりはないんだ。もっとわかるように答えろ。」
「ジオラルド様。」
矢継ぎ早に会話を進めるジオに、クルスが口を挟んだ。
声をかけられて、ジオは前傾になっていた姿勢を戻す。
「混乱しているのだろうが、重要なことだ。」
「すみません。」
「庭で会話した男に会うために、部屋を出たのか?」
その問いにセリナは目を丸くし、慌てて首を横に振った。
「いえ、違います! 部屋を出たのは、本当にあの時の思いつきで、突発的に私が勝手にしたことです。庭で会ったのも、まったくの偶然で!」
勢い込んで告げてから、一度言葉を切る。
「見えた人影が、以前……その、迷惑をかけてしまった人に似ていたので、追いかければ謝れるかと思って。」
説明しているうちにだんだん声が小さくなっていく。
後ろめたさを感じるのは、その動機の中に反抗心や意地が紛れているからだ。
「結局、見間違いだったみたいで、その人はいませんでした。すぐに戻るべきなのはわかってたし、ホーソンさんにもそう言われたんですけど……ごめんなさい。」
「だが、偶然会った相手と、面識があったのだろう? いつ、どこで、会った。」
セリナは思わず俯いた。
詳しく説明すると、あの日シスリゼ教会に行ったことを話さなければならなくなる。
僅かに躊躇った後で、上目づかいでジオを窺いながら答える。
「城を抜け出して街に行った時、たまたまぶつかってしまったんです。」
「……それだけ?」
「えぇ。会話らしい会話もしてないくらいで。」
セリナの答えに、ジオは黙り込んだ。
代わりにクルスが口を開く。
「けれど、相手は貴女が"黒の女神"だと気づいていた。ぶつかっただけの相手を、見抜いた?」
「あの。それは……その時、うっかり名前を呼んでしまったから。それでわかったと。」
「名前を? セリナ嬢の?」
「はい。」
「……。」
笑っているようにも見える表情で、今度はクルスが黙り込んだ。
「たまたま、ね。」
立ち上がったジオは、ウィッグを置いたままのテーブルに近づく。
「これは?」
そこにある1枚の葉を指さして、ジオはサファイアの瞳を鋭くさせた。
「彼らが、残していった物です。そっか、私、無意識に持って帰っちゃった。」
「目くらましの魔法で媒体にされていたものですね。」
「目くらまし……?」
「しばらくの間、時間が止まる。」
クルスの言葉にセリナは目を見開いた。
「そういう錯覚を起こさせる魔法です。実際に時間は止まってはいない。立ったまま無自覚に気絶させてしまうようなものです。」
「あ、それで。」
先程の釈然としない出来事に、説明がついて僅かに混乱から立ち直る。
「良かった、私、何がなんだかわからなくて、無性に不安だったんです。」
「セリナ嬢。」
良かった、とは言ったがセリナの表情は硬いままだ。
一葉を見つめたままジオが、口を開く。
「君に接触して来た者たちは、"エンヴァーリアン"という。」
「えんばー…?」
「これは、エント樹の葉。遥か昔から生えている古老樹で、智慧の樹とも呼ばれる。"エンヴァーリアン"が、自身らの紋章としても使っている物だ。」
「……。」
「まるで声明文だな。」
手を伸ばしたジオに、クルスが声を上げた。
「ジオラルド様、いけません!」
「わかっている。」
答えながら、ジオはその葉を持ち上げた。
その直後、ジオの手の上で、その葉は急に炎を上げた。
「!!」
息をのむセリナ。横でクルスが眉を寄せた。
炎は一瞬で消え、その後には何も残らない。
平然とした顔でジオは、何もなくなった手の平を弛緩させた。
「ご丁寧に。魔力のある者が触れれば、消滅するようになっていた。これでは追跡調査はおろか、証拠にもならない。」
「火傷でもされたらどうするんですか。」
渋面を浮かべる側近に、ジオはシニカルな笑みを浮かべる。
「そんな間抜けだと思っているのか?」
「自覚の問題です。」
緊張感に欠ける会話に、セリナは詰めていた息をはく。
そこで、自分がソファから立ち上がっていたことに驚いた。
ジオは再びセリナに目を向ける。
「彼らは、賢者ノアの崇拝者。ノアの予言はどこまでも真実で、すべて現実になると思っているようだ。」
「っ!!」


―――あなたは"黒の女神"などではない。予言に詠われた"災厄の使者"だ。


リフレインする言葉に眩暈がした。
突然、左腕を掴まれ意識が引き戻される。
「!?」
顔を上げれば、そこには真剣な顔のジオ。


「呑み込まれるな。」


青い瞳から目が逸らせなかった。
掴まれた腕もそのままで、ただセリナはジオを見つめるしかできない。
彼の左手が伸ばされ、顔の横で止まる。
パチン、と乾いた音が聞こえて、びくりと体が揺れた。


耳の横で指を鳴らされたのだと思い至って、セリナは怪訝さにジオの動きを追う。


掴まれていた左腕からジオの手が離れた瞬間、崩れるようにセリナは床に座り込んだ。
「ぁれ、どうして。」
「それが本来の状態だということだ。」
見上げた相手は、セリナの前に屈み込むともう一度質問した。


「大丈夫か?」


目を瞬かせて、セリナは情けない表情で笑いながら答えた。
「……わからない。」
「そうか。」
愛想も素っ気もない相槌だが、セリナの答えをそのまま受け止めたのだとわかった。
セリナの腕を取りソファへと座らせてから、ジオは身を引いた。
「"ラヴァリエ"の騎士が戻るまで、クルスが側にいる。今日はもう休むといい。」
クルスは何があったのかを知っていると言っていたが、ジオも事情を知っているのだろう。それも、おそらくかなり正確に。
だからこそ不足する情報を確認しただけで、部屋を後にしようとする。


「あの、ごめんなさい。」


急に謝罪の言葉が口をつく。
ジオの顔に純粋な疑問の色が浮かんだ。
セリナは、ぎゅぅっと胸のあたりを握りしめる。


以前、ティリアが説明してくれたことだ。
ノアの予言には"黒の女神"という名前は出てこない、と。
予言に書かれた"使者"が、いつの間にか名を転じてそう呼ばれるようになったのだ、と。


―――事実を歪めて真実を闇に葬るような真似はしない。


「私のせいで、あなたまで悪く……。」


―――フィルゼノン王と違ってな。


町の人たちが純粋に慕う王。けれど、黒の女神のことではあんな捉えられ方をされているのだと思うと、胸が痛い。
信じなくてどうする、と言ったファファたちにも申し訳ない気分だ。
フィルゼノン国王は、『本物の』黒の女神としてセリナを保護した。
ティリアは、予言を利用としたのだと言っていたが、それはすべてセリナのためだ。
(そのせいで、あんなふうに言われるなんて。)
「こんな時にも他人の心配か。」
淡々とした声が聞こえて言葉に詰まり、セリナはジオを見上げる。
(え?)
呆れた、と言わんばかりの表情だが、そこに冷たさはなかった。


「気に病む必要はない。」


諦めたように息を吐きながら告げられた言葉に、苦笑が混じっている。
「君が謝るようなことでもない。」
「……。」
想像もしていなかった返しにセリナは瞠目した。
ふとジオが視線を扉に向け、その表情を曇らせる。
何?とその視線を追うセリナより、クルスが動く方が早かった。
「廊下が騒がしいですね。」
言いながらクルスが扉に手をかけた。
「どうやらエリティス殿たちが戻ったようですが。」
ガチャリ、と開いた扉の向こうから声が響いた。


「いったい何をやっているんだ!」


一瞬、クルスの動きが止まる。扉を開いたままの恰好で、彼はジオに視線を送った。
響いた声は、先程扉を叩いた近衛騎士隊長のものだ。
瞳を眇めてジオが身を翻す。
「待って……!」
とっさにセリナは去ろうとするジオの服を掴んだ。
振り向いたジオに、セリナは掴んだ手に力を込める。
「私も、行く。」
自分に関わりのあることなのに、蚊帳の外でいるわけにはいかない。
(何が起こっているのか、知らなきゃいけない。)
驚いたように開かれたサファイアの瞳を見据えて、セリナは口を開く。
「私も、何があったのか……知りたい。」
服の裾を掴む手に目を落としてから、ジオはセリナと視線を合わせた。


「ならば、来い。」








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