28.








パトリックの緊迫した声にセリナとティリアは顔を上げ、2人は目の前の光景に釘付けになった。
それはまるでスローモーションのようだった。
倒れゆくアエラとその上から降る何冊もの本。
「危ない!」
「アエラ!!」
バサバサという音に続いてパトリックとセリナの声が響く。
「あわわ……すみません。わたし、また。」
パトリックに腕を取られなんとか転倒を免れたアエラは、足下に落ちた本を見て色を失う。
「ケガはない?」
「は、はい。」
セリナが問えば、アエラが頷き、次いでパトリックの腕に気づき慌てて離れると、頭を下げた。
「すみません、ライズ様。ありがとうございます。」
「気をつけて。」
「はい……。」
苦笑を浮かべるパトリックに、アエラはいたたまれなさそうに恐縮した。
「うぅ、ライズ様はセリア様の護衛なのに、わたしったら。本当に何を。」
「無事で何よりですけど。」
安堵したようにティリアが呟いて、複雑そうな表情を浮かべた。
「どうかされましたか!?」
吹き抜けの階下から先程の職員の声がかかる。
手すりに近づいてティリアは、彼女になんでもないと返す。
「騒いでごめんなさいね。以後、気をつけるわ。」
チラリとセリナたちに視線を動かすが、ティリアに謝られてはそれ以上追求もできない。
「お願いします。」
会釈を残して、女性はホールから歩み去った。
「ティリア様にも、ご迷惑を。本当に申し訳ありません。」
「まったくね。」
呆れたように返されて、アエラはますます肩身を狭くする。
「何か探してたの?」
散乱した本を拾いながら、セリナが話題を変えた。
「セリナ様、片付けは僕が。」
すっと静かな動作でパトリックが膝を付き、セリナの手から本を取り上げる。
流れるような動作は止める暇もなく、さすがだなとセリナは妙な感心を抱く。
アエラも落ちた本を拾い上げ、セリナの問いに答えた。
「"英雄王"の物語を。」
「英雄王?」
首を傾げたセリナに、パトリックが説明する。
「この国の初代国王でもあるレオンハルトの物語です。」
「レオンハルト。」
同じ言葉を繰り返してみるが、初めて耳にする名前だ。
「かの王の逸話は多いですからね。天からこのフィルゼノンの地の統治を任された人物で、史実ではなく既に伝説と言うべきかもしれません。」
ティリアの言葉にふぅんと、曖昧に頷いてみせる。
拾った本を棚に戻しながらティリアはパトリックに話かけた。
「どこまで真実なのかわかりませんが、あの頃の伝記はいつの時代も人気ですわね。」
「えぇ、五王時代は……。」
引き継がれていった話題から興味を逸らし、少し離れたところに開いて落ちている本を見つけたセリナはそれを手に取る。何気なくページに目を落として動きを止めた。
「この模様。」
その呟きを聞き止めたのか、アエラが手元を覗き込む。
「各教会の紋章を集めた書物ですね。なぜこの棚に配架されてるのでしょう? 宗教関係の書物、いえ……もしかしたら紋章研究の魔法学関係になるのかもしれません。」
「へぇ。やはりこちらも教会では十字架を掲げるのね。」
驚いたのは、そこにいくつか載っているのがどれも十字をアレンジした絵だったからだ。
ぺらりとめくると、どのページも見開きで5、6枚ほどの絵が並んで描かれ、その横に説明文らしきものが添えられている。
(地球と同じ宗教だとは思えないけど……驚くほど根本は似ている。不思議だわ。)
「十字は精霊界を表したものでもあり、また世界の四方と中心を示したものでもあります。」
「また精霊世界ね。ここでは自然を崇めるの?」
「また……? えぇ、はい。リスリーア教といいます。」
セリナの言葉に、アエラは僅かに首を捻りながらも肯定した。
(聖人君子ではなく自然を。国の源、魔法が精霊の力によるものなのだから、宗教としてそれを祀るのは当然かもしれない。)
「神も……いる?」
「えぇ、もちろん。世界の創造者たる主上や太陽神をはじめとして、各精霊王など多くの神がおります。教会によって祀る神が異なりますので、それによって紋章も変わってきます。」
アエラの台詞にセリナは僅かに眉を寄せる。
(つまり、天の神様も精霊も、全部まとめて同一宗派に含まれるんだ。なんだろう……日本で言うところの"やおよろずの神"に感謝して崇め奉る〜みたいなものかな?)
万物には神が宿る、と。自然に住まう精霊が現に存在するこの国であれば、不思議ではない。
同じページに視線を落としたまま考え込んでいたのを誤解したのか、アエラが口を開く。
「それはシスリゼ教会のものです。王都にある教会ですが、珍しい紋章みたいですね。」
添えられている説明文を読んでいるらしく、客観的に告げられる。
アエラの視線を追って、セリナは1つの絵を指で押さえる。
「これ?」
「その紋章、舟を表しているんだそうですよ。」
その言葉にセリナは息をのんだ。
(舟……?)
「海をゆく航海者への加護を祈る・シーリナの神を祀ると。形として舟にはとても見えませんけどねぇ。」
「航海者……。」
「セリナ様?」
アエラは様子の変わったセリナを心配そうに見つめる。
それに気づいたティリアたちが、セリナに近づいてきた。
「どうかしました?」
「いえ。」
気もそぞろに返事をして、手元の絵を眺めた。
(この、まるで家のような絵が舟?)
すぅっと体温が下がるのを感じた。ソレを知ったのが、いつだったかセリナは覚えていない。何かの機会にソレを読んで、印象的だったから記憶に残っていた。
(ノアの方舟のあの舟は……私のよく知る舟とは大きく異なる形。)
洪水を凌ぐために造られた物ゆえに、推進力を必要とする現行の船舶とは機能が違う。
(確か、3階建ての長方形の"舟"。)
かつて見た絵に描かれていたのは、手こぎボートを大きくしたような船の上に、3階建てのお屋敷が乗っている"方舟"。
その後、箱型のモノも目にして、形は1つじゃないと理解してはいる。
けれど、そこに載っている絵は、衝撃を受けた最初の方舟とよく似ているものだった。
(本物なんて見たことないからただの推測だけど。)
「セリナ様?」
訝しげなティリアの声が聞こえたが、返事はできなかった。


―――眩暈がする。












研究所から借り出した本を眺めながら、セリナはため息をついた。
"予言の書"を見ながらも、研究所で目にした教会の紋章が頭から離れない。
(なんで舟? やおよろずだから、海だの舟だのあって当然かもしれないけど、なんで舟には見えない形で"舟"?)
あの日、セリナを不安にさせた雨は止んだのだ。
(ただの思いつき。なんの根拠もない……なのに。なぜまた"方舟"を思い出させるような物が出てくるの。)
本にはアエラが説明した以上のことは載っていなかった。
あの教会や紋章について調べて欲しいと言えば、ティリアでもリュートでも手を尽くしてくれるだろう。けれど『創世記』との一致による推測はセリナの勝手な想像で、自分でも違っていればいいと思っていることだ。
(できれば他の人には話さないで、まず自分で確かめたい。)
「直接、あの教会に行って司教だか神父だかに話を聞けば、何かわかるかな。」
アエラは王都にある教会だと言っていた。ならば、城からそう遠くないところにあるということだ。
(でも、行きたいと言って簡単に出かけさせてくれる?)
何不自由のない生活だが、自由とは程遠い。
(リュート……とか誰か騎士がついて来てくれれば、外出できるかも?)
ここへ来てずいぶん経つが、未だ城の外へは出たことがない。
「頼んでみようか。」
呟いてみて、けれど、と思い直す。
(教会まで同行されたら、舟を調べているのばれちゃう。それじゃわざわざ行く意味がない。)
その理由を問われたら、"方舟伝説"を隠しておくのは難しい。
(黒の女神の起こす災いが、洪水かもしれないから、調べたいんだって、そんなこと言ったら警戒されるかもしれない。)
今、彼らが予言に懐疑的なのは根拠がないからだ。
"災厄"といっても、何をさすのかわからない。
それは世に起こるすべての災いを女神のせいにすることもできる危険性を持っているのと同時に、そのいずれも女神のせいではないと言える回避性を持っている。
(けれど、具体的な災いが見えてしまったら? それも私自身から提示して……。)
セリナの知る人たちは大丈夫でも、どこからか漏れた情報によってこの国が恐慌に陥らないと言い切れるのだろうか。もしも何かが起こった時、セリナに責任を取るだけの力はない。
(巫女姫に言われたとおり、災いを止める力もない。)
動機の核となる"方舟伝説"を隠して、曖昧な説明で教会に行きたいと言っても、それを許可してくれるとは思えなかった。下手に中途半端な説明をすれば、結局自分が窮地に追い込まれてしまうに違いない。
(教会に行きたい、じゃなくて……まずは町に行きたいって言う方がいい。)
半信半疑。
自分の推論も、周りにいる人たちのことも。
その話をしたくらいで手の平を返すような人ではないと、頭では理解しているつもりなのに心は怯えていた。
それに、セリナは推論を裏付ける証拠が欲しいわけではない。
(むしろ何の成果もないこと、無駄足を踏んだだけに終わることを望んでいる。)
そうすれば、またこの嫌な考えに蓋をすることができる。
そんな理由で付き合わせることは、後ろめたさもあり口にはしづらい。
セリナは自らの両手をじっと眺めた。
(今ここに在って、自分はこの手に何を掴めるのだろう。)
「私は、なぜここにいるの。」
元いた世界を離れて、別の世界へ迷い込んだ。
「世界を越えたのは災いを起こすため?」
(否定したい。)
望まない役目を背負うために、世界から切り離されたなんて笑い話にもならない。
(そんなの冗談じゃない。)
セリナは顔を上げる。
(世界を、変えたかった。)
かつて、セリナは確かにそう思っていた。
「思っているだけじゃ、世界は変わらない。」
もう一度、両手を見た。
(ここにいる意味を、知りたい。)
そのために努力をしなければと思い立ったばかりなのだ。
セリナは両手を握りしめる。
「自分が動かなきゃ、きっと何も始まらない。」








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