<W.標されたもの>





27.








それを見つけたのは、偶然。
そして『それ』をきっかけに歯車は廻り出したのかもしれない。
けれど。
そう気づいたのは、すべてが終わってしまってからだった。








「すごい本がいっぱい。」
吹き抜けのホールに並んだ棚には本がぎっしり詰め込まれている。
本好きなセリナにとって見慣れた光景だが、何しろ規模が違う。
正面には上階へと続く階段。壁際にも床から天井まで本が並んでいるが、採光に工夫されているのか部屋の中は明るい。
(これも"光魔法"なのかな?)
「ここは一般にも開放されている開架書庫。誰でも、好きな時に利用できます。手続きを踏めば貸し出しも可能です。」
そう説明したのはこの書庫の管理職員の女性。
ここは城の敷地内、南西に位置する国立研究所だ。
「一般の人も入れるんですね。」
セリナは感心しながら頷くが、言葉を正確に読みとって女性は真面目な顔で訂正を加えた。
「いえ。一般と言いましても、一般市民のことではなく、城の関係者なら誰でもということです。」
(その条件でも一般に公開って言うのね。いや、まぁ研究所関係者以外の人も入れるよってことなんだろうけど。)
表現としてなんだか釈然としないのは、育った環境が違うからだろうか。
(城壁に囲まれたこの場所に、市民が自由に出入りできるとは思えないけどさ。)
傷が治って以来、セリナは城内において比較的自由に生活することが許されていた。
しかし、どこかへ行く際には常に誰かが側に控えているので行動に制限はかかる。
部屋から出る時は、目立つ黒髪を1つにまとめ、更に紗を2重にしたヴェールで覆っている。それでも外見で何者なのかわかることもあり、他の人がいる場所へは近づかないことが暗黙のルールであった。
今までは、自分のいる部屋を中心とした限られた空間での生活で大きな支障はなかったし、そもそも外の世界を知らないので、そのくらい守られている方が生きやすかったともいえる。
しかし、先の一件で、いつまでも知らないふりを続けるわけにはいかないことを悟ったのだ。ここにいる自分に付けられた"名前"だ。
(少なくとも、知る努力はしなきゃ。恐れられてると言ってもはっきりしないことが多い。私はなぜここにいるのか。自分がどう見られていて、どう語られているのかくらいは把握しておきたいし、"黒の女神"がなんなのかちゃんと理解したい。)
それが世間を知ることに繋がるはずだ。
周りから話を聞くだけで、まだセリナ自身"予言の書"を見たことすらない。何よりセリナの心にかかる1つの仮説が、言いしれない不安をもたらしていた。
(そうでなきゃ、反論も肯定も、存在を認めることだって。何ひとつできないもの。)
ティリアに相談したところ、この研究所に案内してくれることになったのだ。
『書物を借りて来て部屋で説明を、と言いたいところですが、どうやら、セリナ様が望んでいるのはそういうことではないようですね』と。上手く説明できたとも思えないが、セリナの意図を正しく汲んでくれたティリアはやはりすごい女性なのだと改めて感心させられた。




「では、ごゆっくり。」
その場にいた一同の、とりわけティリアに対して礼を示すと女性職員は持ち場へと戻った。
くるりと周囲を見渡してから、ティリアが口を開く。
「ここにあるのは研究所に収められている蔵書の一部です。他にも貴重な蔵書や国が編纂した書物などは、第2書庫や地下書庫に収納されていて重要度に応じて閲覧制限がかかっています。城内の図書室とは比べ物になりません。」
「初めて入りましたけど、うわぁ、本ばっかり。」
セリナの一歩後ろで、ポカンと口を開けたアエラが呟く。
さらにその後ろで護衛騎士のパトリック=ライズがキョロキョロしている。
ティリアは彼らを眺めてから、セリナに向き直る。
「一般的に知られている"ノアの予言"を調べるなら、この開架の書籍で十分だと思いますわ。」
「はい。」
「伝承関連は2階ですね、行きましょうか。」
案内板に従いながら中央階段を上る。
辿り着いた棚の前で本を眺めてセリナは、途方にくれそうになった。
「これ全部?」
「神話、説話、童話。物語、翻訳、注釈書に専門書。よりどりみどりですわね。」
赤、緑、茶色などの色とりどりの背表紙に、わらわらと見慣れない文字たちが踊る。勢い込んで調べに来たのは良かったのだが、セリナは今更思い知ることになる。
(そういえば私、字読めなかった。)
「初めて読むならこの辺りでしょうか。」
ティリアから受け取ったのは、落ち着いた赤のハードカバーに金のラインが入った綺麗な装丁の本。ペラペラ捲ると、大きめの文字が並ぶ。
「左が予言の書の文言、右がその解説……という書式です。」
言われてみれば、確かに左の短文が、右で分解されて綴られている。
「それから、これとこれなども。」
渡された本に目を通す。
「こちらは、なんとなくわかる、かも。」
そう言ったのは絵がメインの書籍。
(たぶん子供向け。)
「そちらは予言を絵画にアレンジして書いたものです。もう一つは、暗号化された古代文字の原文を翻訳したもの。原書の実物を見ることはできませんから、"予言の書"の本来の文を知りたいならこういう本を見るしかありません。」
「書かれているのは、"黒の使い"だけじゃないんですね。」
草原や天使、星空や戦争などの絵が描かれた本を見ながら、セリナは呟く。
「いろいろ書かれていますよ。解読できていない部分もあります。借りて帰ってもいいですが、せっかくなので一冊読んでみましょうか。」
「はい!」
ティリアの申し出に頷いて、近くにあった椅子に並んで座ると、最初に受け取った本を開いた。




セリナに随行して書庫に来たアエラは棚を見上げた。
初めはおとなしくセリナとティリアの側に控えていたが、2人が座って本に没頭すると手持ちぶさたになって周囲に興味を移した。
「あ、創世の書。子供の時に読んでもらったなぁ。」
城の関係者なら誰でも利用できると言っていたが、メイドだった頃なら自分の用事でここに来ることなどまずない。それこそ誰かに付いて入るか、この研究所の清掃の仕事でも受け持つかくらいだ。
「あぁ、わたしって果報者っ。」
自分に浸りつつそんなことを呟く。
次の瞬間、後ろでぷっと吹き出す声が聞こえ、振り返ってアエラは赤面する。
「ごめん、ごめん。つい笑っちゃった。」
片手を上げてパトリックが謝る。
「い、いえ。」
彼はアエラと同じくらいの時期から、セリナの護衛に付き始めた騎士だ。
隊長のリュートを除くラヴァリエの隊員たちが、交代でセリナの護衛役を務めている。よく付くのがパトリック=ライズ、ラスティ=ナクシリア、そして副隊長のジルド=ホーソンの3名だ。
リュートは最近、護衛として付くことは少なくなっている。しかし、折を見つけてはセリナに会いに来ており、直接顔を合わせている時間で言えば他の隊員より長い。
第1騎士隊ラヴァリエの隊員といえば、貴族の子息も多くエリート中のエリート。
アエラのような新人メイドが口を利くことはおろか、顔を合わせることだって畏れ多い人種だ。
今、パトリックが目の前で笑っていることも、少し前までなら考えられない光景だった。
(目の肥やし……なんて至福。)
その辺りの意味でも、自分は果報者だとアエラは思う。
セリナに仕えるため志願した女神付きの侍女だが、やっかみ半分で"腹黒"だの"巧く取り入った"だの陰口を叩かれもしている。
異例の大出世に加え、雲の上の人たちとお近づきになれる立場は、嫉妬や羨望の的になり、嫌がらせを受けるのは予測できた事態だ。
(自分では何もしなかったのに、後から妬むなんて酷いわ。)
羨むくらいなら、彼女たちもセリナ付きになりたいと言えば良かったのだが、そのメリットを鑑みても、"女神付き"になるのは憚られるほど倦厭されていたということでもある。
迂闊に近づいて災厄に見舞われたらどうするの、と。
ただし、その不純なメリットが目的で志願したメイドなど初めの段階で女官長・アマンダにふるい落とされているに違いない。
出会った当初から迷惑しかかけてないにも関わらず、セリナが自分を侍女に引き立ててくれたのは光栄の極みだった。
アエラはちらりとセリナを見る。
願いが叶えられたのは有難いことこの上ないが、その胸中には誰にも言えない複雑な思いがあった。
(本当に。どうしてわたしなんかを側に……。)
「この本か、僕も幼少に読んだことがあるな。」
思考を遮ったのはいつの間にか横に立っていたパトリックの声だった。
「え?」
思わず顔を上げると、明るい茶色の瞳と視線がぶつかる。
「創世の書"レイブル"。」
指で背表紙を示して、表情を崩した。
「神が世界を創り人に明け渡してから、人がこの地を平定するまでの物語。国の始まりを示す書物だね。」
そこにあるのは、読みやすいように書かれ、一般家庭にも普及している定番の一冊。
本来の創世の書はもっと長編で、専門的に研究する人間でもない限り読破するのは難しい。
「懐かしいな。"英雄王"に憧れたものだよ。」
昔を思い出しながら、パトリックが目を細めた。
「"英雄王"。初代国王レオンハルト様ですね。」
同じように本棚を眺めながらアエラは応える。
「特に大地の神と対峙して、加護を得るくだりがね、子供心にも手に汗を握る感じで。」
「それは、この本よりもっと詳しいものですか?」
簡易型の"レイブル"は、子供が読んで楽しめるような冒険譚という要素は低い。
「あぁ、そうか。そうだね。この概要版じゃなくて、他の物語だったと思う……いわゆる五王時代の話で。」
そういえば、あれはどこで読んだんだろう、とパトリックは首を傾げた。
「タイトルなんだったかな。歴史書というよりは単なる読み物だったと思うんだけど。」
アエラはわからないなりにそれらしいものを求めて目を走らせる。
(『英雄王伝説』。『レオンハルト』『英雄伝』……。)
「これは?」
背伸びしてやっと届く位置にある本に手をかける。詰め込まれているのか簡単には取り出せなくて、アエラは力を込めて引き抜いた。
「あ!」
アエラが叫ぶより先にパトリックの声が上がった。








(むぅ。)
何度読んでもらったところで"予言"の内容は変わらない。
元々、短い文章だ。キーワードとなる言葉がどれも同じように解読されているのだから当然である。
「ノアは賢者と言われてるんですよね?」
「はい。」
「その……賢者というのは、未来を見通す力があるんですか。」
自画像だか想像だかわからないが、本の中にいるノアの顔を眺めながらセリナは尋ねる。
「賢者だからといって、皆にそんな力があるわけではありませんよ。ただノアがどうだったかと言われると、事実はわかりません。大賢者ゆえに、そういうことがわかったのだという者もいますし、そもそも"予言"ではなく研究メモだとか日記だとか、そういうことを記しているのだという者もいます。」
「日記!?」
「そちらの本の原文を見ればわかるのですが、もともと古代文字。しかもそれを暗号にして書いています。簡単に解釈できるものではないのでしょう。」
ティリアに示された傍らに置かれている本に、セリナは視線を落とす。
(いやいや、これがただの日記なら一気に話が変わるよね……!?)
それを"予言"だと信じているってどうなのよ、とセリナは内心で突っ込む。
そんなセリナの心情が伝わったのか、ティリアは申し訳なさそうに言葉を紡いだ。
「もちろん"予言"と呼ばれるのは、それなりに理由があるのですよ。」
セリナが視線を上げると明るい空色の瞳が揺れた。
「この書にはかつての政変や、長きに渡る隣国との戦争なども書かれているのです。」
「政変……戦争。」
先程の絵の中に、そういった描写があったのを思い出してセリナは確認の言葉を紡ぐ。
「つまり、的中している文章が存在するということですね?」
「えぇ。」
「いくつか前例があるなら……異世界から人が落ちて来たのをまた"予言"になぞらえるのは心理として当然。」
その前例が、本当に"予言"されていたのかどうかはわからない。ただ、およそ起こりそうもない事柄を言い当てたのなら信憑性は増す。
(散々、解釈が曖昧だの困難だの言われてるんだから、後付けでいくらでも合わせられると思うし。政変や戦争なんて、人の世の常。起こりますって言って、それが予言の内に入るかどうかっていうのはあるけれど。)
例えば「この地に雨が降る」と宣言して、実現した時にそれが予言だったと解釈できるかということであるが、その真偽を確かめるのは簡単ではない。
「……異世界、か。」
自分で言ったばかりの言葉をもう一度口にする。
「セリナ様?」
「世界樹の外……って言うんですね。」
(そういえば、確か最初にセカイジュから来たのかって聞かれた。)
セリナの呟くような質問に、ティリアが答える。
「世界樹とは、天と地を繋いでいると言われる精霊世界にある大樹です。生命の樹とも呼ばれ、時には世界そのものを指して、世界樹と言うこともあります。」
「精霊世界、ですか。」
「『世界樹の外』とは、そのまま取れば精霊界の外となります。一部では、『外』を天界とおいて、精霊世界を通らず直接至高天の元から遣わされるのだという解釈もありますが……大抵は異世界という意味に捉えられています。」
「どうして?」
ティリアはページ上の文字に指を滑らせて、ゆっくりと読み上げる。
「『フィルゼノンは魔法大国。どこよりも精霊の加護を受け、世界樹に近い場所にある。それを知るこの国の賢者であるノアが、天や地を指して"世界樹の外"だと記すのは不自然。現に、これ以外の部分では天は天、地は地として書かれている』。」
「世界樹の外、と書かれているのはここだけなんですね。」
「はい。ですから、これは精霊の加護のことを表しているのだろうと。」
わかりやすいようにと、ティリアは言葉を選びながら先を続けてくれる。
「天地を結ぶ世界樹の力は、天界と人の世の双方向に働いています。その力の及ぶ範囲外だと考えると、『世界樹の外』とは、精霊の恩恵から離れた場所、精霊の加護がないところとなります。」
セリナを一瞥してから、ティリアは再び本をなぞって読む。
「『世界樹からこの地に降り立った神々そして精霊が息吹を与えた"アーク・ザラ"上に、生命の樹の力が届かない場所はない。命の育つところはもちろん、北の果て永久凍土の地さえも偉大な大樹の一枝であると、かつて賢者は語っている』と。」
ティリアの声を聞きながら、セリナも読めない文字を辿る。
「だから"アーク・ザラ"ではないどこか、未知なる場所。具体的な場所はわからないけれど、そこを『異世界』と呼ぶんですね。」
事実、セリナがこうして別の世界から来たのだから、その解釈に今更反論を加えるつもりはない。
「人の目に映る精霊は減りその加護も廃れる一方です。魔法を持たない者も多くいますが、ここに書かれているように"アーク・ザラ"そのものは世界樹の息吹の元にある、と言って差し支えないと思いますわ。」
「この世界の、どこかをさして世界樹の外とは表現しない。」
セリナの言葉にティリアは顔を上げたが、否定も肯定もしなかった。


―――世界樹の元から遣わされた女神ではないのか?


再度ジオの言葉を思い出して、セリナは首を傾げた。
「初めて会った時、陛下に世界樹から来たのかと聞かれたんです。"世界樹の外"なのに……どうして、そんなこと聞いたんでしょう?」
疑問をティリアに告げると、しばらく考えた後で口を開いた。
「例えば、セリナ様が何者であったとしても、精霊界から来た使いならば"予言"は、その第一節目ではずれたということになります。それを確かめたかったのではないでしょうか。」
あの時、世界樹を知らないことをバカにされた。単純に無知を笑われたのかと思っていたが、予言の通りであることへの苦い笑いだったのかもしれない。
世界樹を知らない『人間』が、空から落ちて来たのだ。
「……。」
セリナは手元に視線を落とし、赤い本のページを捲る。そこには読めない文字で、"黒き使い"と書かれてある。
(使い。それはいったいどこからの使者? 問いて応えよ……汝が心に? 汝って、誰のこと?)
その文章はまるで謎かけ。難解さに眉をひそめた、次の瞬間。
「あ!」
頭上からパトリックの鋭い声が聞こえた。
反射的に顔を上げたのはセリナだけでなく、ティリアも同じだった。








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