29.








「町へ、ですか?」
「はい。城の外へ行ってみたいんです。」
「王都へ出かけてみたいと?」
「はい。」
真剣な顔で頷いたセリナに、ティリアは考え込む素振りを見せる。
「そうですね。町を見てみるのも勉強の内でしょうか。」
「え? いいんですか!?」
あっさり了承を得られたと、セリナの声に喜色が浮かぶ。
「いずれ、出かけてみましょう。」
「…………いずれ?」
「えぇ。そのうちに。」
「そのうちって……具体的にどのくらいでしょうか?」
「具体的な答えは難しいですが、良き折に。」
困ったように笑うティリアを見て、セリナは理解する。
(遠回しに断られてる。)
「私は今すぐにでも外の世界を見てみたいんです。」
思った以上にその声は、真剣な響きを持っていた。
「今すぐというわけにはいきませんわ。外出許可を取るにも時間はかかりますし。」
ティリアはセリナの目を見て言葉を続けた。
「セリナ様の立場を考えれば、不用意な行動はすべきではありません。城の外へ出かけることは、研究所へ出かけるのとは違うのです。」
「…っ。」
ティリアの言葉にセリナは言葉を詰まらせた。
「こちらの生活にも徐々に馴染まれて、外へ出たいという気持ちはわかります。けれど、その件はわたくしが許可を出せることではないのです。セリナ様の意向は、上の者に伝えておきますから、今少し待っていただけませんか?」
宥めるように、取りなすように告げられる。
ティリアの一存でどうこうできることではないのだと、そう言われてしまえばどうしようもない。
「困らせるようなこと言って、ごめんなさい。」
それでも行きたいのだと、わがままを口にする代わりに、セリナは謝りの言葉を述べた。


ティリアに断られたセリナは、今度はリュートに話を向けたが、返ってきた言葉は同じようなものだった。
「何が起こるかわからないのに、危険な目にみすみす遭わせるような真似はできません。あぁ、いえ。頭ごなしに反対しているわけではないのですよ!? もちろん……もっと、万全の体勢が整えばいつでもセリナ様のお供をさせていただきます。」
どうしてもダメ?と食い下がるセリナの態度に狼狽したようだったが、リュートが意見を変えることはなかった。


そしてさらにもう1人。
「我々侍女は主のために働きますが、その件には賛成できません。リスクを考えれば当然のことです。今は城で過ごされるべきです、そしてそれが……。」


「『セリナ様のためです』って。その私が行きたいって言ってるのにぃ。」
ふて寝よろしく、ベッドに突っ伏してセリナは恨みがましい声で嘆いた。
要するに結果は惨敗だったのだ。
"方舟伝説"には一言も触れず、社会勉強の名目でただ町に行ってみたいと話したのだが、良い返事はもらえなかった。
(それだけ聞けば、思いつきのわがままみたいだしね。)
今の状態ではどう説得しても、首を縦に振りそうにない。
(あと許可を出せるような知り合いは……クルセイトさん。)
考えた後で、どこへ行けば会えるのかすら知らないことに気がついてセリナは苦笑した。
ティリア、リュート、アエラ…はさすがにその権限を持たないので上役のイサラ、そしてパトリック。体を起こし、指折り数える。
聞ける人には聞いてみたが、同じ反応しか返ってこない。
パトリックに頼んだら、その後リュートに話が回って気まずい空気にさせてしまった。
(あれはまずかったよね。)
ラスティとジルドには尋ねてはいないが、彼らの反応は試さなくても想像できる。
「すごい冷ややかな目を返されそう。……他にはいないかな。」
(限られた人としか面識がないからなぁ。)
「あ。」
ぽんと浮かんだ顔に、声を上げるが一瞬で追い払う。
(ラシャクさんに頼むとか、ありえないし。)
あの軽さで有力者でもあるなら、助けとしては十分だ。しかし、2度会っただけで本当の人間性はまったく想像がつかないので、リスクは計り知れない。
(それに。あの人に会うのは、クルセイトさんに会うより難しい気がする。)
「許可を、待つしかないのかな。実現するかもわからないのに……ただ、待つの?」
憂鬱な気分に浸りながら頭を抱える。
(保護を受けて、護られてるのはわかってる。)
セリナに何かあれば困ることも理解できる。


(けど、諦めるのはまだ早い。きっと何か方法があるはず。)








「―――という話ですわ。さてと、そろそろ休憩にしましょうか。」
そう言って笑いながら、ティリアは本を閉じた。
「はい。」
答えてから、セリナは一度躊躇って言葉を紡いだ。
「あの、外出の話、あれからどうなりました?」
何気なく尋ねたつもりだった。
けれど、予想に反してティリアの表情は一瞬で固まった。
「えぇ……ちゃんと伝えましたわ。2、3日ではまだ許可は下りませんよ。」
言いながら、ゆっくりと表情を緩める。
「それは、そうですよね。その、急かしてるわけではないんです……許可されそうな雰囲気でしたか?」
いったい誰がその『許可』をするのかわからないまま、セリナは話を進める。
困ったような顔でティリアはセリナを見つめる。
「すぐに、期待通りの返答は難しいですが。何かあったのですか?」
「え?」
「この間から、予言を調べに行きたいとか町へ出かけてみたいとか……何か理由があるのでは?」
セリナは少し考え込んでから、口を開いた。
「知りたいんです。自分が何者なのかを。」
「町に行けばわかるのですか?」
「……わかりません。でも、私の世界は広がります。」
「……。」
セリナの答えを吟味するように、ティリアはしばし瞳を閉じる。
巫女姫との謁見が、セリナになんらかのきっかけを与えたのだろうことは察しているようだった。だが、それ以上のことはティリアにはわからない。
「世界を広げることはいいことですわ。けれど、今はまだその時機ではないと、わたくしは思います。」
「ティリアさん。」
そのまま黙り込んだセリナに、ティリアが困ったように微笑んだ。
「さぁ、お茶にしましょう?」
「……はい。」
頷いて、セリナはその先を続けることをやめた。
(味方だって言ったのに。)
意地悪で言っているわけではないことくらいわかっている。
(私のためなんだって……。だけど、その時じゃないって、今はまだダメだって……そんなのどうして勝手に決めるの。)
そう口に出して言えればいいのに、とセリナは自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。








事情を話せば協力してくれるかもしれない、という期待はあったが、落ち着かない胸のざわめきを引き起こす"方舟伝説"を口にする勇気はどうしても持てなかった。
(口に出した途端、現実のものになりそうで。)
そこを伏せておきたいせいで、思うように考えを伝えられない。自分の意見を押し通せるほど強くもないし、相手に拒絶や困惑されることも怖かった。
(私は城から一歩も外へ出てはいけないの? 何をしでかすかわからない存在だから。)
「時が来るまで城の中でおとなしくしてろと。誰もが同じことを言う。」
それはおそらく正しいことなのだろうと、セリナにもわかる。
(従うしかないのかな? それが最上の選択?)
ベッドの上に座り込んだまま、ぼんやりと窓の外を眺める。
「でも諦めたくない。」
動こうと決めたばかりなのだ。
きっとこの手もこの足も怖さに震えるけれど。何かを掴むためには、手を伸ばして動かなければいけなかったのだ。
(本当はずっと昔から……。だから。)
とん、とベッドを降りると窓に手をついた。
世界に慣れ、世界を知るうちに、思考は巡る。現状に向き合おうと決めた途端、見つけた偶然を放ってはおけない。
確かな意思を持って、セリナは両手を握り締めた。
「目的ははっきりしている。」
そして、とセリナは心の中で呟く。
「巻き込む相手も。」




けれど。
セリナはこの時、わかってなどいなかったのだ。


周囲の思い、自分のこと。
目的を果たした次にあるモノのことを。
目指す先のその先を。








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