68.








「なんだと! 本当か、ランカー!」
部屋に入って来たランカーに、何事かを耳打ちされたゼノが声を上げた。
珍しくもない光景に、ジェイクが棚の向こうで「静かにしろ」と一言だけ注意を与えた。学院内に与えられた半私室の休憩スペースなので無関係な人はいないが、大声は周りの迷惑にもなる。
口を噤んだゼノたちだったが、ばちりとアズと目が合った。
こちらを見たゼノとランカーが、じわじわと近づいて来る。
詰められた距離に仰け反ったアズが、何だ?と聞くより前に、ゼノが小声で告げた。
「偵察に出て来ていいでしょうか。」
「偵察? 席を外すのは別に構わないけど。」
「冬季臨時で来たシスが、超絶美人らしいです。」
「……。」
ゲーム途中の駒を持ったままでアズは、騎士に張りつけた笑顔をあげる。
「アジュライト様も一緒に見に行きます? あ、ウルリヒーダ様も一緒にどうです?」
「……。」
「しかも胸が大き」「ゼノ。」
台詞を途中で遮って、アズは笑みを作り直した。
意図を察したのか、綺麗な敬礼を無言のままでして見せてから、2人は部屋を出て行く。
黙って見ていたウルヒが吹き出した。
「お前の騎士は、本当に面白いな。」
サファイアの瞳を細めて、笑うウルヒに応じる。
「……面白騎士の採用枠でもあればいいけど。」
息を吐きながら持っていた白い駒を盤上に置いた。
くっくっくと肩を揺らすウルヒが黒い駒を盤上で動かして、視線を戸口に向けた。
「俺も、後で見に行くか。」
肩をすくめて、アズはさらに白い駒を動かした。
「一緒に行かなくて良かったのか?」
「今はこちらが先だ。」
とん、と黒い駒が前に進む。
「アズは、ロザリア美女には興味ないのか?」
「からかわないでくれ。」
「心に決めた相手がいる、とか。」
ちらり、とアズの視線が盤上からウルヒに向く。
「……。」
白い駒が逃げるように横に動く。
「図星だな。……簡単に手に入らない相手か。」
「ウルヒ。」
促されて、ウルヒが黒い駒を動かす。
「それとも、アズ側の問題か? 他に婚約者がいる、とか。」
「食い下がるね。」
苦笑いして、ふとアズは相手を窺う。
「婚約者がいる…のは、君の方だろう。」
「たいして会ったこともないが。妃教育を受けた、にこりともしない6つも下の子だ。とはいえ、教育の賜か、子どもらしくもなかったな。」
こつん、と駒が当たって盤面が音を立てた。
「ずいぶん、幼少から決められているのだな。」
「政治的な、よくある話だ。」
「……そういうものなのか。」
「で、お前は。」
アズは駒を進めて、視線だけ上に向ける。
引く気もなさそうなウルヒに、1つ息を吐いてアズは口を開いた。
「婚約者はいない。で……相手は、あー。概ねウルヒが思っている通り。」
黒い駒がさらに進む。
「フィリシアではなさそうだな。」
「シアのように留学に来られるような身分の令嬢じゃない。」
「決められた相手がいないなら、何が問題だ。」
白い駒が1つ盤面から退場する。
「ウルリヒーダだって、わかるだろう。」
「身分の差か? 好きなら、口説き落とせ。いや、相手の気持ちは尊重しろよ。」
「嫌われては、いないと思う…けど。」
「なら、お前が相手を護ればいい。本当に愛しい相手だと望むなら。」
黒い駒が横に動き、次の手でその駒が盤面から退場した。
「まるで、ウルヒこそ、想う女性がいるみたいだ。」
「おいおい、決められた婚約者がいると言っただろう。」
「それでも、望む相手ができたら?」
駒が入れ替わり、1つまた1つと数を減らしていく。
「どんな障害も厭わず手に入れる。」
黒い駒を持ち上げ、ウルヒが一瞬だけ動きを止めた。
「もし、相手に望まれない想いなら、自分の気持ちくらい乗り越えてみせる。が、まぁ。手に入れたい女なら、相手の気持ちを自分に向けさせる自信はあるけどな。」
黒い駒が、白い駒をはじいた。
「勝負あり。」
にやり、とウルヒが笑んで宣言する。
駒を見て、アズは両手を広げた。
ついた勝負に動かす駒はない。アズは椅子の背に体重をかける。
「……愛しい相手だと望むなら、か。」
「フィルゼノンにも政略結婚はあるだろう。お前に、候補者もいないのか?」
「今のところは。帰国すれば、そういう話も出てくるのかもしれないが。」
盤上の駒を片付けながら話すアズに、ウルヒはふぅんと唸る。
「フィリシアは、そうだと思ったのだが。」
「最初もそんなことを言っていたな、ウルヒは。ロイエンタール侯爵は、そういう人じゃないんだ。」
「だが、叔父とやらは曲者だろう。」
うまく聞き取れなかったのか、ん?とアズが首を傾げる。
ウルヒは盤面に残っていた駒をざっとすくって、アズが持っている箱に乱雑に戻した。
「何でもない。さすがに余計なお世話だな。」
椅子から立ち上がって、ウルヒが視線を窓の外へ向けた。
「アズ。」
呼ばれて、視線を彼の横顔に向ける。


「アジャートに帰る前に、オレと手合わせを。」


「私では、ウルヒの相手にならないと思うよ。」
眉を下げたアズに、ウルヒは真剣な表情を見せた。
「フィルゼノン第1王子の魔力のことを知らないとでも思っているのか? いつまでもその嘘くさい理由で断れると思うなよ。」
「……。」
「留学を終えるオレへの『餞別』だと思って、相手しろ。アジュライト。」
「相変わらず、君は強引だな。」
アズも立ち上がり、外の景色へとサファイアの瞳をやる。
雪の積もる学院の庭園。小道の雪は横に積まれて、下のレンガがちらほらと見えているが、それでも白い足跡を確認することができる。
陽の光が差し、空には薄い青空。
大陸共通の冬季の休暇期間でもある、短い13の月。
それが終わり、年が明けて。雪が姿を消す頃には、ウルヒたちアジャートからの留学生は国に帰ることになる。
「なんだか、あっという間だね。」
「1の月(エルデ)の実技1回目はお前が相手だからな。」
「え!? 冗談だろ!」
「はっはっは、逃げられると思うなよ。」
腰に両手を当てて豪胆に笑う相手に、アズはがっくりと肩を落とした。
「えーーー。」












キラキラと光を撒いていた結晶が、ふわりと動いて本の中に消えた。
「……。」
セリナは、ゆっくりと顔を上げてジオを見る。
彼の視線は、結晶が消えた本のページに落とされたままだ。
「この後、アジャートの留学期間が終わり、ウルリヒーダ様たちは学院を去った。我々3人も予定どおりの期間を終え、フィルゼノンに戻って来た。フィリシア様は、予定を前倒しにして、我々より1月早く帰国を。」
ジェイクが説明を続け、ふとセリナを見て眉を下げた。
「"なぜ"と言いたげですな。」
「……だって。」
そう呟いて、セリナは先の言葉に詰まった。
(2人の仲は、まるで親友のよう。どうして、彼らが対立を。)
それに、と再びちらりとセリナの視線はジオに向く。
「静と動。まるで正反対の性格だったが、気が合うのか不思議と一緒にいる機会は多かったのぉ。」
少しだけ懐かしむようにジェイクが瞳を細めた。
「あの頃…、本気で夢見ておった。」
伏せていたサファイアの瞳が、ジェイクに向けられる。
「あの2人が国を治める将来。フィルゼノンとアジャートとマルクスと、三国が同盟を結び発展する未来を。」
何を思っているのかはわからないジオの横顔。
「どこかで歯車が合うておったなら、あるいは。」
ジェイクの声が僅かに揺れた
ふ、とジオの視線が逸れる。
静かに彼が手を伸ばした先は、机の上に開いたままの本。
「けれど、現状はご存知の通りです。……何が『最初』だったのか、わしにはわからないことなれど。」
文字に指を滑らせていたジオは、数ページ捲った。


「例えば、それはマルクスの件。」


ぽつり、とジェイクが呟いて、本から顔を上げた。
「かつて、マルクスの国境線は、現在よりも南東にあった。山脈の裾野にマルクスとアジャートとイレの地が接しているような位置関係だ。かねてよりイレの民と親交を深めていたマルクスは、交易路の延伸を目指しておった。」
イレの地を通行することができ、交易路が伸びれば、フィルゼノンもマルクスと交流が盛んになる。
フィルゼノンにとっても国交上の利があるし、イレにとっても発展が見込まれる。だが、それが実現するより前に、マルクスとイレの国境線は分断されることとなる。
アジャートが割り込む形で。
「そこから、アジャートはマルクスを侵略し始め、今の国境線まで押し削った。イレとも約定を結び、取り込んでしまった。そして、マルクスへの攻撃の先頭に立っていたのが、ウルリヒーダ様だった。」
宰相は白いひげをひと撫でする。
「アジャートにしてみれば、マルクスが力をつけるのは脅威。ただでさえ、双子島の交易の玄関口で、北の大国との国交も独占。加えて、イレやフィルゼノンまで国交が強く結びつくのを、黙って見てはおけない。」
「双子島?」
首を傾げたセリナに、ジオが説明をしてくれた。
「マルクスの西。海峡を挟んで島がある。マルクスとは昔から交流があり、盟約が結ばれている。島の産出品は貴重な物が多いが、マルクスにしか国交が開かれていないため、まずマルクスへと流れる。マルクス国の双子のような島国ということで双子島と呼ばれている。本当の島名はまた別だ。両国は、強固な同盟国という認識だな。」
「アジャートは、双子島との交易権を手に入れたがっていますが、島は、昔の盟約に従いマルクス以外とは、取引しないと頑ななようです。」
なるほど、とセリナは呟く。
(イレと分断させても、マルクスにはまだ強みがある。だから、マルクスへの攻撃を止めなかったのかな。)
北の大国についても気にはなったが、話の筋から逸れてしまうため、セリナはそれ以上の問いを控えた。
「……それで、マルクスの交易路は伸びなかったし、イレにはアジャートから領主が置かれることになったのね。」
「イレの技術を取り込んだアジャートは、軍事力を増強させた。マルクスへの態度を見れば、フィルゼノンも警戒せざるを得ない。」
淡々と、添うように事実を語るジェイクの表情は落ち着いている。
マルクスの留学生とも親交があった、彼の心の内は計り知れない。
「それでも、アジャートとの国交は保たれておりました。アジャートの先代王が逝去されて代替わりし、その後フィルゼノンでもアジュライト様が王位を継がれました。それが20年前ですが、どちらの時も互いに祝意のやり取りはあったのです。」
しかし、とジェイクは表情を曇らせた。
「アジュライト様の即位の4年後、アジャートはフィルゼノンへ侵攻する姿勢を見せ始めます。そこから何度かの交渉と衝突を経て、ついには魔法防壁が崩壊する事態になりました。」
魔法防壁の崩壊は、セリナの知識にもある話だ。
「ジェイク。」
よく通る声音が響く。
はっとして、セリナもジェイクも声の主へ視線を向けた。
当の本人の瞳は、机の上の本に落ちたままだ。
彼の指先が、とんとんとページを叩いた。
「ここの話を。」
ジェイクが視線を落とし、きゅっと拳を作るのが見えた。
「無論。」
ふわりと浮き出た青い結晶が、キラキラと光を撒いた。
「少々、話が飛びましたが、続きを。場面は、フィルゼノン。ロザリアから帰国したのちのことです。」










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