67.








アキュリス暦1750年、12の月(イシュラント)。
「また、本か。」
「ウルヒ、返して。」
取り上げられた本にアズは手を伸ばす。
向かいの椅子に座り、本を眺め。ウルヒは眉をひそめた。
「……返す。」
「もう、邪魔しないでくれるかな。」
苦笑いを浮かべたアズは、ウルヒの着ている毛皮に溶け残った雪に気づく。
「外で訓練していたの?」
「あぁ、鍛錬はサボれない。」
アズの手元に戻った本を見つめて、首を傾げる。
「建物の本がそんなに面白いのか?」
「興味深いね、とても。」
「模型を作っていると聞いた。」
続く会話にアズは、眼鏡を外す。
「魔法に頼らない建築物。素材や構造。丈夫さ、快適さを両立させる。機能性と美的内観と外観が…。」
「おい、待て待て。詳細はいい、説明しなくていい。」
えー、と不満そうな顔を見せてやれば、ウルヒが身を引いた。
「オレにとっては、お前にとっての波動拳と同じだ。」
ははは、とアズは笑い声を上げる。
「フィルゼノンの王宮は、今でも魔法陣や呪文だらけの部屋があるんだ。以前から気にはなっていたが、何がどうとは説明できなかった。けれど、ロザリアに来て思う。やはり違和感がある。」
「魔法大国なのだから、当然ではないか。攻守において、加護をおいた構造なら心強い。魔法の構築に陣や呪文は必須だろう。」
「そうなのだけど、なんというか。魔法に頼り切ったフィルゼノンの建物は、構造的に弱すぎる部分があるのではないかと。」
「そこを魔法が補っている、のだとオレは思うのだが。まぁ、そこはアズの考えもあるだろう。」
腕を組んで、ウルヒはまぁな、と呟く。
「オレは武器の強化を、魔法でできないかと探っているくらいだからな。魔法に頼らない方針のアズとは考え方が異なる。」
「アジャートの武器は、十分地位を確立していると思うけれど、これ以上ってこと?」
「まだまだだろ。剣に弓に……シミター、サーベルも結構だが。もっと強い力があるはずだと考えている。だから、ランカーの武術にも興味がある。」
「そうか。」
「オレは自国の資源をもっと活用できると思っている。その補助として、魔法や他国の武術も役立てられるはずだ。」
ウルヒが、自分の腰に差した剣の柄を撫でる。
国を想う気持ちは共感できる。
アズは手元の本をひと撫でして、頬を緩めた。
「国のために力を尽くせるといいね。お互い。」
「そうだな。」
















生地の厚い織物を手に、アズはそれと似合う組紐を探していた。
木箱にいくつも並べられた物の中から、茜色の紐と金糸で織った紐を見つける。
「アジュライト。」
勘定を済ませ、店主から荷物を受け取ったところで、名前を呼ばれて振り返る。
立っていた人物に、少し目を見張る。
「アム、どうした?」
シルバーブロンドを編み込んだ女性。外出着を着た彼女の菫色の瞳に、焦燥が見えた。
「アズ、良かった、会えて。貴方も今日は、バザールへ買い物に出かけると聞いていたから。」
公女アムネジアの声に、少しの安堵が含まれていた。
「何かあった?」
学院の休日には、街へ外出することもできる。女性陣も、街に詳しいアムネジアを中心に降雪祭のための買い物へ来ていたはずだ。
冬の行事である降雪祭には、家を飾ったり食事を作ったりと準備がかかせない。
フロリアの街に広がるバザールには、その準備に必要な物が様々に取り揃えられているのだ。
毛皮の付いた外套。そのフードを直しながら、アムはアズの腕を引く。
「コーラルとシアと、買い物の途中ではぐれたの。」
「!?」
「今、手分けして探しているのだけど、アズにも手を貸してほしい。」
「探していないのはどこだ?」
「西と北の区画よ。」
「なら西を探す。北にはゼノを向かわせる。アムは、他の女性たちと中央区画を探して。他に、はぐれる者が出ないようにな。」
「わかったわ、ありがとう。」


西区画へ向かう途中で、同じく外出していたゼノを見つけ、事情を伝える。
お任せを、と頷いたゼノと入れ替わりに、ウルヒとアジャートの留学生の一行と出会う。
「アズ! 事情を聞いた、我々も捜索を手伝おう。」
「助かる。」
晴れていた空から、ひらひらと雪が舞い始める。
手分けして探していた者たちが、それぞれ中央区画に集まる頃にはうっすらと雪が積もり出していた。
「コーラルは見つかったわ。」
見れば確かに、アルデナからの留学生の顔があった。
「シアはまだ。バサールからは出ていないと思うのだけど…。」
アムが眉を下げる。他の生徒たちも心配そうにしている。
白い息を吐く彼女たちを見かねて、アズは時計塔を見上げた。
「アムネジアたちは、もう学院に戻って。」
「っそういうわけには。」
「全員で門限を破るわけにはいかないだろう。アムは、彼女たちを無事に連れ帰らないと。」
「……。」
「ゼノ、足元が悪いから、アムたちについて行け。」
悪天候のため、十数名の引率をアムネジア1人にだけ任せるよりはと、安全策を取る。
「アジュライト様、しかし。」
「頼んだぞ。」
「……わかりました。」
伏せていた菫色の瞳を上げて、アムはアズの手を取った。
「シアをお願いね。」
「えぇ。」
振り返りながらも歩き出したアムネジアを見送って、ジェイクを呼ぶ。
彼も途中から捜索に加わっていたようだ。
「もう一度、探す区画を割り振り直す。」
「はい。雪が強くなってきたので、外商だけでなく店舗の中も捜索を。」
「ウルヒもすまないが……。」
「当然だ、うちのヤツらも動ける。指示を。」
ウルヒの言葉に頷いて、アズは区画ごとに人を割り振り、再集合の時刻を告げた。
アズは、中央区画をもう一度回って探す。
ここに来て、探索の魔法が使えれば、すぐに見つけられたのに、という思いが浮かんだ。
残念ながら、追跡できるほどフィリシアの魔力を把握していない。
「どこにいる。」
呟いた声と共に白い息が冷たい空気に溶けた。












「フィリシア殿!」
探していた相手を最初に見つけたのはジェイクだった。
南区画の青果店の軒先に佇む見覚えのある人影。
名前を呼べば、降る雪の向こうで彼女も顔を上げた。
「良かった、ご無事で。」
「ジェイク様っ。」
ほっとしたような表情を一瞬浮かべたシアは、けれどもすぐに眉を下げる。
「あの、私、綺麗な織物に夢中になっているうちに、みんなと離れてしまったみたいで。すぐに戻ろうとしたのですが、方角が違っていたのか…迷ってしまって。途中で雪も降り出してしまうし、それで。」
側に寄ったジェイクは、反対からやって来る人物に目を止めた。
「ウルヒ様。」
「ジェイク、見つかったのか。」
「ああぁ、ウルヒ様にまで、探させてしまって、申し訳ありません。」
肩に雪を乗せたまま、シアはしょんぼりと項垂れる。
「お店の方にも、道を尋ねたのですけど。うまく戻れなくて。」
「ロザリアの、この時期のバザールは、迷路のようだというのは有名な話だ。出かけた学院生は、よく迷子になる。」
「そうですよ。特に、初めて来る方は、たいてい誰かが。」
ウルヒとジェイクの言葉を慰めだと受け取ったのか、シアは晴れない表情のままだ。
「雪も止みそうにないですが、とにかく中央区まで戻りましょう。アジュライト様も心配しています。」
「ううぅ、すみません。」
ジェイクの台詞に頷いて歩き出したシアの横に、ウルヒが並ぶ。
「ジェイク、悪いが先に中央へ戻ってアズに、見つかったと伝えて来てくれないか。」
「先に、ですか? ウルヒ様は?」
立ち止まりウルヒは、シアの手を取る。
「あの? ウルヒ様。どうされ……。」
「見たところシアは手ぶらだ。」
「え、あ。まぁ…はい。」
掴まれたまま手袋をした両手を、戸惑いながらシアは広げて見せる。
「降雪祭の買い物は。」
「織物生地を見ている途中で、はぐれたのに気づいて……。」
「飾り紐は。」
「あ、それはもう買っていたので。」
「では、織物を買ってから戻るぞ。」
「え!? ウルヒ様、いえ、みんな探してくれているのに、そんなこと。」
「ジェイクが伝えてくれる、後はアズがうまいことやるだろ。」
言いつつ、「なぁ?」とウルヒに同意を求められ、ジェイクは頷くしかない。
「こ、これ以上のご迷惑は……。」
さらに眉を下げたシアは、助けを求めるようにジェイクに顔を向けた。
ジェイクはあごをひと撫でして、空を見上げる。
「ウルヒ様。」
ジェイクが声をかけると、ウルヒは手を振る。
「アジャートの連中が何か言いそうなら、オレが暴走したと言ってくれ。ヤツらもそれでわかる。」
「いえ、そうではなく。できるだけ、雪がこれ以上強くなる前に合流するようにお願いします。」
「ジェイク様まで。ウルヒ様、本当に。買い物はもう…っ。」
恐縮した様子のシアの手を離して、ウルヒは、中央区画の方に目をやる。
「見ていた織物の店は、中央区画か? アムたちとそこに行っていたんだろ?」
ウルヒ様!と声を上げたシアに、ウルヒが振り返る。


「例えば。ロザリアでのことを思い出す時。降雪祭の記憶に、苦いモノが残るのは嫌だろう。」


アメジストの瞳は静かで。
不思議そうに首を傾げた彼が、ただただそうするのが当然と考えているのだと示していた。
問うたのか、それとも単なる意見なのか判然としなかったが、その言葉を向けられたシアは瞳を丸くして息をのんだようだった。
「良いから早く来い。気に入った織物を手に入れるぞ、シア。」












ガロアデール学院の扉が開き、雪と共に冷えた人影がホールになだれ込む。
「門限ギリギリだったな。」
「雪道でなければ、もっと余裕があったのだけどね。」
外套の雪を払いながら、ウルヒとアズが言葉を交わす。
その後ろで、ジェイクとシアがフードを外した。
玄関ホールで待っていたゼノが、脱いだ彼らの外套を受け取る。
「無事で良かったわ、おかえりなさい。」
シアの腕をさすりながら、アムネジアは安堵の息を吐く。
「今日は2人ともありがとう。協力してくれた皆さんにも礼を伝えておいて。」
「礼を言われるようなことは何も。」
「当然のことをしただけだ。」
引率者としての責任を感じていたアムは、2人の返事に無言で軽く膝を折って謝意を示した。
「迷いやすいから、気をつけてはいたのだけど。」
と言いながら、アムは苦笑う。
そういえば、とシアが口を開いた。
「迷子になりやすいって、ウルヒ様もジェイク様も言っていましたね。でも、私もちゃんと赤い旗を目印にしていたのですが。」
そこまで言ってシアはしょんぼりと肩を落とした。
「残念ながら、シア。バザールに掲げてあるその各色ある旗、区画ごとに分かれていてさも目印のように見えるのだけどね。」
そっと声を落としたアズに、シアはピンク色の瞳を上げる。
「違うのですか?」
「あれ、不定期に移動しているんだ。」
「え?!」
「……だよな、オレもあれが迷子を増やしていると思うんだが。」
声を上げたシアの横で、ウルヒも眉を寄せた。
「去年は、私もあれに混乱させられたよ。どうやら移動行商の旗のようで、バザール自体を把握する目印には不向きな物のようだね。」
えぇ、とアムが首肯する。
「バザールのシンボルにもなっていて、それを知っている者には慣れっこなのよ。待ち合わせには、よく使われるし。」
ただ、初見だと惑わされてしまうのだ。
「そうとは知らず……それで、方角をすっかり見失ってしまって。」
説明が足りなかったわ、と反省する様子のアムに、慌ててシアが両手を振って否定を示す。
「さぁ、早く奥の部屋へ。暖炉の近くで暖まってちょうだい。」
アムに促され、それぞれ歩き出す。
「アジュライト様も、ジェイクさんも。オレ、すぐに皆さんに温かい飲み物持ってきます!」
バタバタと足音を立てながら、ゼノが走り去る。
その後ろ姿を見て、アムが少し笑う。
「アズたちが心配で、ずっとそわそわしていたの。この雪の中、バザールに戻るって言ってたのよ。」
「引き留めてくれていて礼を言う。」
「あら、やめてよ。ゼノを付けてくれて、礼を言わなきゃいけないのはこちらなのに。」
アズの言葉に、アムがおどけたように両手をひらりと振る。
「彼のおかげで帰路の空気が軽く。」
アムネジアの意味ありげな笑みに、アズとジェイクは顔を見合わせる。
一瞬ののち、3人はそれぞれ笑いをこぼした。


「ウルヒ様、本当にありがとうございました。おかげでみんなと一緒に、降雪祭の準備ができます。」
空色の髪を揺らして、シアがぺこりと頭を下げる。
「気入った物があって良かったな。」
「今日の日も、大切な思い出になりました。」
シアの言葉に、ウルヒはふっと笑い、窓の外に目を向けた。
「よく降るな。」
静かに、世界は白く染められていく。
「これはさすがに。明日は外での訓練は無理か。」
「ウルヒ様もアジャートの皆さんも、日々の鍛錬を怠りませんよね。」
「当然だ。」
「先日、剣技を見学して……特に、ウルヒ様の剣には目を奪われてしまいました。」
シアも窓の外に目を向ける。けれど、見ているのは記憶にある光景。
「無駄のない動きが美しくて。」
微笑んだシアの横顔を一瞥して、ウルヒは降る雪に視線を戻す。
「それは、まだ本物の剣士を知らないのだな。」
「そう、なのですか?」
「我が国に来ればわかる。」
「アジャートには本物の剣士が?」
「くくっ、ダリウスという別格の男を紹介してやる。」
「いつかアジャートにも行ってみたいです。」
「……なら、その時は。私自ら、姫君を案内でもしよう。」
まぁ、と声を上げ、シアはピンク色の瞳を輝かせた。
「それは、とても素敵なお話ですね。」
彼女に向き直って、ウルヒは表情を緩めた。
「歓迎するよ、フィリシア。」
織物を包んだ荷を両手で抱えたまま、シアは花のように笑んだ。









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