63.








足を止め、窓枠に手をかけた。
外で風に揺れる花。その横に置かれた白いベンチ。
その向こうに温室が見える。
庭では季節ごとに様々な植物がその姿を見せるが、白いバラが年中見られるのは、あの温室があるからだ。
庭の散歩道の奥にちょっとした芝生の広場があり、かつてはそこでよくお茶会を開いたものである。
「イシュラナ。」
名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。
立っていたのは、ホワイトローズのメイドだった。
「王城との魔法陣が動きました。」
陣が動いたということは、城からやって来た者がいるということ。
そして、おそらくはセリナが城へ戻れる準備が整ったから、迎えが来たということだ。
「すぐに部屋に戻ります。」
(ティリア姫の見舞いと入れ違いにならなくて良かった。あぁ、いえ。それを待ってから動いたのかしら。)
イサラは、止めていた足を再び前に出した。


アジャートの軍が国境に近づき、休戦条約も白紙にされたという噂が立っている。
宣戦布告があったのかもしれない。
だが、それにしてはフィルゼノンの動きは落ち着いていた。
(ここに一時滞在しているだけの私たちに、届く情報などただでさえ限られている。それに、ホワイトローズは守られていて、領外の状況にいちいち騒ぎ立てたりはしないから……。)


―――ホワイトローズは守られている。


目的の部屋の扉を前に、イサラは不意に浮かんだ誰かの言葉に戸惑った。
(確か、あれは……王都が攻撃を受けた時。ジオラルド様に向けられた言葉。)


―――そこは手出しができない場所。だから、決して火は届かない。


窓が風を受けて音を立てる。
「イシュラナ。」
慣れた声に呼ばれ、イサラは振り返る。
近づいて来る執事に、お辞儀をしてイサラは目を伏せた。
「城へ戻る前に、少しいいですか。」
「はい、テイラー様。」
「先日、昔の話を聞きたいと言っていましたね。」
確かめるように問われ、イサラは無言で頷いた。
「ディア様のために、と言っていましたが、あの話を持ち出したのには、何かきっかけがあったのですよね?」
「テイラー様の仰るとおりです。」
僅かに逡巡してから、イサラは先を続けた。
「視察で"緋の塔"へ行った際に、エリオス=ナイトロード様が昔の話をされて…それで。」
意外な言葉ではなかったのか、テイラーに驚いた様子はなかった。
「イシュラナ、1つ頼まれてくれませんか。」
「え?」
「ホワイトローズの執事は、王領を離れることができないので。ある方に、この手紙を届けて欲しいのです。」
そうして差し出されたのは、手の平におさまるサイズの白い封筒。
封のされたそれは、バラの図柄がエンボス加工されたホワイトローズでよく使われる物だが、宛名も差出人の名前も書かれてはいない。
厚みもないから中身は、手紙というよりメッセージカードなのだろう。
「テイラー様、これは……?」
「あいにく、折が悪くて届けることができずにいた物なのですが。」
「えっと。」
穏やかな調子で告げられるが、イサラは困惑を隠し切れずにいた。
「届ける、とは。どなたに?」
「イシュラナの望みの役に立つかはわかりません。だが、知りたいことの答えの1つくらいは示してくれるはずです。」
受け取った白い封筒を両手で持ったまま、じっとテイラーの顔を見つめる。
「お願いできますか?」
視線を手元に落とし、その物の軽さに反した重みを感じる。
「いつ渡すかは、貴女に任せます。これより後、イシュラナなら、その機会を得ることができるだろうし、渡す機会を間違えたりもしないでしょう。」
優しい笑みを浮かべた執事だが、瞳の奥には真剣さが見えた。
「その手紙の宛先は、エリオス様です。」
イサラは思わず息をのみ、目を大きくした。
手の中の物を掴む手にぎゅっと力がこもる。
「……わかりました。」
意を決して頷くと、テイラーが目尻を下げた。
ふ、と視線を逸らしてから、イサラは顔を上げた。
「けれど、テイラー様の言うように…もう一度会う機会を得ることができるかどうか。」
今から塔とは反対の王城へ戻るのだ。
この先、緋の塔の騎士にイサラが面会できる理由も機会も思いつかない。
不安さを表情に出したイサラとは対照的に、テイラーは笑みを深くした。
「時機は任せると言ったでしょう? 大丈夫。これより後、必ずその機会は訪れます。」
























「城へ?」
ティリアの言葉通り、セリナが思うよりもずっと早く城へ戻れる算段が付いたらしい。
やって来た迎えを前に、セリナは少し落ち着かない気分だった。
「転移の陣は準備できている。」
事もなげに応じるのは、落ち着いた様子のジオ。
長居する気がないらしく、椅子を断った彼は立ったままである。
「今、アジャートはどうなっているの?」
「騒ぎが落ちついたとは言い難いが、状況は見えて来た。」
「フィルゼノンは? 開戦だとか、兵が退いたとか、聞いたけど。」
「その辺りのことで、セリナにも聞きたいことがある。」
尋ねたつもりだったが、ジオから返って来た言葉に怪訝さが勝って、セリナは首を傾げた。
「……城に戻ってからでいい。」
セリナの反応をどう捉えたのか、ジオはあっさりと告げ軽く手を振った。
「支度ができ次第、ホールへ降りて来い。」
用件がすんで踵を返そうとした相手に、セリナは思わず声をかける。


「ダイレナンで。」


その言葉に、ジオが足を止めてセリナに視線を戻した。
気を引くことのできる単語だとわかっていて口にしたのだが、どこか後ろめたくなってセリナは視線を床に向けた。
「ジオに質問したことを覚えている?」
「覚えている。あれも城に戻ってからという話だったな。」
「えぇ。」
「もちろん『それ』も、知りたいのなら答えよう。今回のこととも、無関係ではない。」
答えたジオだったが、その後で微妙な沈黙が落ちて、セリナは顔を上げた。
セリナのその動きに気づいて、今度はジオが視線を外した。
「だが、話をするには、必要な人物がもう1人いる。」
「え?」
「私が、すべてを知っているわけではないということだ。」
首を傾げたセリナだったが、ジオは止めていた足を踏み出す。
「今のアジャートの状況も含めて、とにかく戻ってから説明する。」
のんびりしている暇もないのだろう。彼の言葉に、セリナはおとなしく頷いた。
部屋を出て行くジオが、小さく息を吐く。
「この話を、ホワイトローズでも口にすることになるとはな。」
「ジオ?」
彼の言葉を聞き止めて名前を呼んだセリナに、ジオが振り向く。
その顔は感情を読み取れないけれど、僅かに口元は引き上げられていた。
「先に下に行く。」








準備とはいえまとめるような荷物があるわけでもなく、簡単に身支度を整えたセリナは、同じく身支度を終えたアエラとイサラと共に、ホワイトローズの魔法陣のある部屋へと向かった。
アエラが開いた扉の向こう。
何度も目にした移動用の魔法陣が準備されており、執事テイラーの姿があった。
執事に促されてセリナは既に陣の中にいるジオの横に立つが、アエラたちは魔法陣に入らずテイラーの横に並んだ。
「アエラたちは?」
ジオを見上げると、心配ないと返事される。
「第2陣で転移させるから、向こうですぐ合流できる。発動させるぞ。」
「は、はい。」
ジオの言葉で、すぐに白い光が立ち上がり視界を塞がれる。
その向こうで深々と頭を下げる3人の姿が見えた。




光が消えた先に見えたのは、白い壁。
以前に城を抜け出したセリナが、ジオと共に移動して戻ったのと同じ空間だった。
(抜け出して、迷子になって……連れ戻された場所。)
床に描かれた無数の複雑な模様が、ただの絵ではなく魔法陣を成しているのだと初めて気づく。
「帰って、来たんだ。ここに。」
隣にいるジオを再び見上げると、相変わらずの無表情。
「……そうだな。」
「なんだか少し変な気分。」
「具合が悪いのか?」
眉根を寄せたジオに、セリナは慌てて首を振る。
「そうじゃなくて、良かったなって。」
懐かしい、と感じたことは黙っておく。
良い思い出があるわけでもないのはジオも知っているから、きっと伝わらない。


「やっと、フィルゼノンに帰って来れた。」


不機嫌そうな顔のジオにしっかりと瞳を合わせて、そう告げる。
ふっと気を抜いたようにジオが息を吐いた。
「そうか。」
抑揚のない返答。
(なんだか今の。)
寄せていた眉が戻っただけのことだったのかもしれない。
けれど。彼の態度がほっとしたように見えて、セリナは緩みそうになった両頬を慌てて手で押さえた。




















<\.足跡>に続く

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