57.








「クラウス、いるんだろう。」
謁見の間の扉の上へ向いてルーイが声をかける。
姿を見せた男が、目礼した。
最前、セリナたちがいたスペースだ。
いつから居たのかわからないが、クラウスは身軽にそこの壁を越えて、広間に降り立った。
なんの衝撃もなく、羽のように足をつけて、周囲に風だけ広がる。
「傍観者め。」
「お取込み中でしたので、出るに出られずです。」
悪びれない魔法使いを、ルーイはふん、と鼻であしらう。
「さっきの命令は、まだ生きてるぞ。」
目を見開いたクラウスに、ルーイは意地の悪い笑顔を見せる。
「良いのですか?」
「2度言わせる気か? この混乱なら、女神が姿を消しても誰も気にとめない。城の兵士も…このオレもな。」
意味に気づいて、セリナは目を見張る。
「この事態をどうする気? 城の外だって混乱してるのに!」
「心配いらない。オレには優秀な部下がいる。クラウス、行け。」
「承知しました。」
「待って!」
クラウスに腕を取られてセリナは反射的に叫んだ。
「事態を収めるなら、私も何か一緒にっ!」
「それは無理な話だな。」
「でも、"銀の盾"のことは私にもっ。」
「おっと。それ以上は、やめとけ。」
セリナに苦笑を向けて、ルーイは少し首を傾げた。
「セリナに泣いて懇願されちゃ、叶えてやりたいところだが。」
「何をこんな時に…!」
「ここにいても、"セリナ"にできることはない。」
すっと鋭くなった瞳に、思わず言葉を失う。
ルーイは伸ばした指先で、セリナの涙を拭った。
「ル…。」
「もし今ここに留まれば、お前を"女神"として扱うしかなくなる。」
「!」
「アジャート側に立つ女神として、だ。"盾"とは相反することになる。……それに、そうなれば、二度とフィルゼノンにも帰してやれなくなる。」
ルーイの台詞に、思わずぎくりと身を強張らせてしまう。
その動揺を、ルーイが気づかないはずもない。
「でも、ルーイは、フィルゼノンにはって……。」
震える声で、言い訳めいた台詞を口にする。
「あれ…は、もういい。違ったから。」
「?」
怪訝な表情を向けると、ルーイはなぜだか泣きそうな顔を浮かべた。
「いいんだ。ほら、クラウス早くしろ。」
動かないクラウスに、ふっと笑って、追い払うように手を振った。
「聞けよ。命令だ。」
受諾を示すように、クラウスがセリナの腕を掴み直す。
「……。」
名前を呼ぼうとして、声が詰まった。


ぐっと腕を引かれ、セリナは足を踏み出さざるを得なくなる。
水色のドレスの裾が揺れる。


慌ててクラウスを見上げるが、彼はセリナから顔を背けたまま動き出した。
「―――ッ。」
部屋を出る前に、セリナは後ろを振り返った。




赤い。
玉座の間。


予想もしていなかった惨事が起きたその場所に。


ルーイだけが、1人。




壊れ、歪んだ謁見の間に。




たった1人。








その光景を目に焼き付けて。
セリナは、唇を噛みしめた。




















何度かの攻撃を受けた影響か、倒れたり壊れたりしたものが、あちこちに転がっていた。とはいえ、城自体はさすがに強固な造りらしく、倒壊の様子はない。
クラウスに手を掴まれたまま城内を走るが、人の気配は少なく、時折兵士とすれ違うものの呼び止められたりすることもなかった。
やがて、裏口のようなひっそりとした木戸に辿り着いた。
そこから出るのかと思ったら、クラウスは無言のままその横にある棚を動かした。躊躇なく進むクラウスの後を追い、足を踏み入れた通路にセリナは目を丸くした。
「地下通路?」
「暗いので、足元に気をつけてください。」
「崩れた……。」
「そことは別です。」
セリナが言い終わる前に、クラウスが短く答える。
彼は裏から棚を押して、入り口を元通りに戻す。
(別…ってことは、こういうのが地下にいくつもある? オルフの地下と同じ石積みだけど、もう少し立派な造りしてる。)
行く先には等間隔に灯りがついているが、通り過ぎるとそれが消える。
元からそういう仕掛けなのか、クラウスの魔法なのかはわからない。
しばらく進んだ先で、ようやくクラウスが足を止めた。
通路の行き止まりにある扉に近づき、耳を当て外の様子を窺っているようだった。
「出た先は、南門の外側です。左手側に進めば、詰所と厩舎がある。そこまで行けば、その先はわかる。」
扉に手を掛け、クラウスが告げる。
「クラウスは?」
「ここでやることがあるので。行くのは、貴女だけです。」
クラウスと扉を交互に見つめて、セリナは胸の前をぎゅうっと握りしめる。
「適当なところで放り出そうとか、罠にかけようとか思っていませんよ?」
ぐずぐずして見えたのか、クラウスが眉を寄せた。
「そんな心配をしているわけじゃ……。」
視線を泳がせながらそう返せば、クラウスは肩をすくめた。
「疑えと、教えて差し上げたのに。」
「クラウス、あなたは……。」
セリナが口を開きかけるが、それを遮るように魔法使いが声を出した。


「女神殿。」


はっきりとした声に、セリナは口を閉じて男を見上げる。
「フィルゼノン王へ密告しても構いませんよ。クラウス=ディケンズは生きている、と。」
「っ。」
息をのんだセリナに、クラウスが翡翠の瞳を向けた。
「その情報は、あの王を助けるかもしれない。」
存在を知れば対処ができるからと、言いたいのだろうか。
「きっと貴女は、貴女の知りたいことを聞くことができるでしょう。」
悠然と笑みを刻む。
「ただし、その結果、私は消されるかもしれませんが。」
「どうして、そんなことを言うの。」
これなら喋るなと言われた方が、気が楽だった。きっとセリナは、彼の存在について口をつぐんだだろう。
薄く笑った男は、扉を開く。
途端耳に届いた強い雨音に、セリナは外が雨だったことを思い出す。
ばさり、と聞こえ、急に肩が重くなった。
「え?」
「少しは雨避けになるでしょう。」
肩にかけられたのは、クラウスが着ていた灰色の外套だった。
「急いでください。」
背中を押され、セリナは手早くフードを被って、外套を体の前でかき合わせる。


一度だけクラウスを振り返り、先に進むしかないセリナはぬかるむ地面に足を踏み出した。












「『どうして』、か。」
ぽつりとこぼれた言葉に首を振り、重たい色の空を見上げる。
(あの国のために、キル・スプラを追って、こんなところまで乗り込んで来た愚かな女神。滅びの訪れを歓迎する者として、貴女に賭けてみたくなったのですよ。)
降りしきる雨に隠れた少女を見送って、クラウスはそっと呟く。


「どうか無事にフィルゼノンへ、ディア・セリナ。」




















クラウスの説明通り、すぐに隣接する2つの建物が見えてきた。
(行けばわかるって、言ってたけど。)
南門の城壁に接し、さらに灯りのついている詰所よりは、と考え厩舎へ足を向ける。
抜け道から出て来たせいか、着いたのは建物の裏手だ。
気配を消して、勝手口に近づく。木戸は開いていた。
そっと足を踏み入れ。


バサバサ!


「ひゃ……―――っ!」
足元から突然飛び立った鳥の羽音に、上げた悲鳴を必死で飲み込む。
目の前を横切ったのは、白い鳥。
(ハ、ハト!?)
雨宿りで厩舎に入っていたのだろう。
少し高い位置の横木に止まった鳩は、既にこちらに無関心だった。
心拍数の上がった心臓も押さえたいところだが、セリナの両手は口元を押さえたままだ。
仰け反ったせいで、せっかく被ったフードもずれてしまった。
だが、今はその場で微動だにせず周囲の気配を窺うので精一杯だった。万が一にも、アジャートの兵士に気づかれては大変だ。
だが。




「セリナ様!」




抑えめな低い声が、雨音を無視してセリナの耳に届いた。
動けないまま、セリナは目を大きく開いた。
厩舎の中、物陰から姿を見せた相手は。




「リュート……?」




どうして、彼がここに。と思考が停止する。
また幻を見ているのではないだろうか、と。
その場を動けないセリナだったが、騎士は数歩でその距離を縮めた。
「セリナ様。」
その声に、セリナは手を伸ばす。
「リュート!」
懐かしい人に抱きついて、その服を握りしめる。
体当たりのような行動の上にずぶ濡れなのだが、相変わらず危なげなく受け止めてくれた。
「お会いできて良かった。ご無事ですか、すみませんがきちんと確認させてください。」
「平気、どこもケガとかしてないよ。」
有無を言わせぬ力でセリナの肩を押し、その無事を確認してリュートは息を吐いた。
「でもどうして、リュートが。」
安心と困惑とで、セリナは目を回しそうだった。
クラウスが、わかると言っていたから、何か手は打っているのだとは思った。
でもそれは、ルーイの部下の誰かが案内役に先回りしているのかな、というところまでの想定だった。
まさか、こんな中心部にフィルゼノンの騎士が来ているとは。
「その話は、長くなるので後ほど。とにかく、今は急いでここを出ましょう。あちらに馬を用意して……。」
言いかけたリュートが急に黙り、厩舎の表に注意を向けた。聞こえるのは雨の音。
セリナをかばうように前に立つ。
疑問が浮かぶより先に、厩舎の軒下に兵士の姿が現れる。
中に用があるというより、雨を避けてという様子だったが、振り向かれたら見つかってしまう。
思わずリュートの背中を掴んだその時。


城内から爆発音が響いた。




「なんだ!」
「今度はどこから。」
俄かに外が騒がしくなる。厩舎の入り口にいた兵士も、慌てた様子で駆け出す。
「武器庫の方角だ!」
「いったい、どうなってるんだ、誰か説明しろ!」
「持ち場を離れるな、門を守れ。」




驚いているセリナの手を取り、リュートが動く。
「今のうちに。」
はっとして、セリナも彼の後を走る。
用意していた馬にセリナを乗せ、リュートもその後ろに跨ると、厩舎を裏から回り込んでそこから抜け出す。
視線を巡らせると、城壁の向こうから黒煙が立ち上っており、その下部が赤く燃えているのが見えた。
(武器庫……?)
そこも襲撃を受けたのだろうか、と考えて、セリナは自分がしようとしていたことは、結局何1つまともに果たせなかったことに気づく。
馬の鞍を掴む手に力を込めると、それに気づいたのか、リュートはセリナの外套を整え、フードを軽く押さえた。
その手が優しくて、セリナは俯いたまま握る手にさらに力を込めた。


雨の降る中、グランディーン城南門から城下へ続く、傾斜の急な坂道を黒い馬が駆け抜けた。
















坂の上から、遠ざかって行く馬の姿を眺めていた少年はのんびりとした口調で呟く。
「城の外に現れるのは予想外だったなぁ。」
城へと向き直り、塀を見つめる。
この城に、そんな道があっても不思議ではないし、そんなだから"盾"ごときの侵入を許してしまうのだろうけど、と思う。
「何かありましたか?」
様子に気づいて寄って来た兵士たちに、笑顔を作る。
「いや、何もない。僕のことより、君たちは自分の仕事を。不審者が、出入りしないように、門をちゃんと見張ってて。」
「は!」
落ち着かない現場の兵士に、ここの指揮官でもないのだが、行きがかり上指示を与える。
雨に濡れるフードを手で押さえながら、マルス=ヘンダーリンは顔を上げた。
城壁越しに空へ舞い上がる黒煙に息を吐く。
(今度は、武器庫…って、派手にやったなぁ。)
これだけ立て続けに起これば、中の兵士たちも混乱を極めているだろう。
ここに来たのは、"盾"の動きを掴むためだ。
非効率なことが嫌いな彼に、任務に関係のないことで無駄な争いを起こす気はない。
(風向きが変わる。一度、戻るか。)
腕を上げると、詰所の梁に止まっていた鷹が滑空した。
「あ、伝えておいてあげれば良かったかな。」
はた、と気づいて後ろを振り返るが、すぐに思い直す。
(んーでも、伝えたからといって回避できるわけでもないし。)
鷹の背を一撫でして、マルスは目を伏せた。
(後は、あの騎士次第ってことで。)








この日、降り出した雨は、2日間止むことはなかった。




















<[.境界線>へ続く





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