78.








ダイレナンという支城に到着したセリナは、客間へと落ち着いた。
(うぅ、お尻痛い。)
あと少しの我慢だが、長距離の移動は楽ではない。
クッションの効いたゆとりのある馬車ですら、この状態だ。
(ぜいたくは言えないけど。限界が近い〜。)
野宿がある強行軍などではない。
日中も休憩を挟みながらであるし、寝床もしっかり確保されている旅路は、ずいぶん恵まれたものだとわかってはいるのだが、体の耐性はどうしようもない。
幸いにも、乗り物酔いにならなかった自分を褒めたいくらいだ。
部屋のソファに沈んで、セリナは靴を脱いだ。
「……あ。」
部屋の隅に置かれた猫足の台の上に、レーニアの花が飾られている。
あら、気の利くこと。とイサラが満足げに頷く。
(後で飾らせるって、まさか彼が?)
浮かんだ相手を、打ち消すことはしなかった。
いつも、そんなはずはないと思っていたのに。
「……。」
セリナは、そっとポケットの中身を取り出した。
しゃらりと小さな音を出したそれに、アエラが足を止めた。
「セリナ様、それは?」
覗き込むような侍女の動きに、セリナは手の平を開いて見せた。
「まぁ、なんて綺麗な。」
アエラの隣に立ったイサラが、不思議そうに目を瞬いた。
「いつの間にこれを?」
「昼間、ベル・ヒルで休憩していた時に。」
答えながらセリナは、少し気恥ずかしくなって苦笑を浮かべた。




















ベル・ヒルに、赤い花びらが舞う。




「ならば。」
一呼吸置いてから、ジオは真っ直ぐにセリナを見た。




「君がその名を背負う間は、その命私に預けると誓え。」




セリナは目を丸くする。
「返事は?」
「どうして……。」
「君の願いに添うただけだ。不都合はないはずだが。」
「だって、それって。」
言いかけて、セリナは途中で唇をつぐんだ。
「諦めないと言ったのは、セリナだろう。」
「……。」
「もうそれを違える気持ちがあるのか。」
はっとしたように顔を上げたセリナは、首を振る。
「違う、そうじゃない、けど。」
語尾が小さくなってしまうセリナに、ジオが一歩近づく。


「君は、自分が犠牲になることを厭わない。」


さっきジオへと向けた言い回しで返された。
すっと差し出されたジオの手の平に、透明度の高い青い石が載っていた。
「誓えるか?」
あぁ、とセリナは息を吐いた。
見透かされているのだと、知れる。だからこんな提案をしてくるのだ。
諦めないと言ったけれど、その最後の選択肢を捨ててはいない。
(そうだ、私はこの人の前で口走ってしまったことがあるもの。)


『いっそ、代わりに』と。
この国を滅ぼす災いになってしまうくらいなら、いっそ自分が先に滅びれば、と。


今、口にした願いを、受諾したフリをして、正反対のことを誓わそうとしている。
"黒の女神"の重荷を背負う間は、命を彼に預ける。
それは、つまり。
犠牲となって、自ら命を捨てるようなことはするな、ということだ。




思えば、当然だ。
容赦しない、とその覚悟を示した上で、身元不明の相手に、衣食住に加えて教育まで与え、手厚く保護してくれたのは、目の前の男だったのに。
身代わりなど望んでいないと、言ったのは他でもない彼だったのに。


差し出されているのは、何度か目にしたことがある魔法石。
今までに見たどれよりも、綺麗な青色をしている。
これに誓いを立てろ、ということなのだろう。
「預けると誓え。」
上に立つ者らしい、傲慢とも取れる態度で迫られる。
どこまでも穏やかな気持ちで、ついさっき願った気持ちに嘘はない。
じっと向けられている、魔法石の青より綺麗なサファイアを見て、セリナの微笑みはついに歪んだ。
浮かんだ涙がこぼれるのを防ぐために、瞬きを我慢する。
「……っ。」
青い石を両手で握りしめる。


「…ぁりがとう。」


声を出せば、意思に反して涙がこぼれた。
ふぅ、と小さくため息が聞こえた。
「……どうしていいかわからない、とあれほど。」
その呟きに、思わずセリナは吹き出した。
「っはは。」
泣き笑いのセリナは、ぐいと涙を拭う。
「ありがとう、ジオ!」
にっと笑みを見せれば、呆れたようなほっとしたような表情で、肩をすくめられた。
「そろそろ出発の時間だ、戻るぞ。」
「はい!」
後に続いて足を踏み出し、あ、と両手を差し出す。
「これ……。」
握った石を返そうと手を開いて、目を瞬いた。
石だったそれは、アーモンド形のトップを持つペンダントに変わっていた。
「いつの間に。」
「その形を選んだのは、魔法石だ。」
「きれい。」
「誓いを立てたのはセリナ自身。それは君が持っておけ。」
「……。」
驚きを隠せないまま眺めていたが、やがてセリナはもう一度それを握りしめた。
「ん。」
















突如差し出された青い石は、魔法の力で現れたものだ。
石から姿を変えたペンダントを見つめながら、そういえばと思い出す。
(確か、ジオも王都の空き地に突然現れたんだっけ。)
ただ者ではないと、慌てていた男たちの反応から、高位の使い手なのだろうと推測する。
ヴィラのウォールツリーで見た姿からも、それはすとんと腑に落ちる理解だった。
(あの後、処分を言い渡された時、私ひどい顔してたかも。)
その時も、泣きそうな表情だったのかもしれない。
さらに喚起された記憶に、セリナは、あーと心の中で唸る。
『君は凶星か?』と問われた初期のやり取りでも、涙目で見上げた気がする。
(あ、の……涙は生理的なものだったけど。)
度重なって、と思わせる程度には、涙を見せているようだ。
(あまり自覚もしてなかったのに。それを気にするなんて、意外。)
「セリナ様?」
アエラに声をかけられて、セリナははっと顔を上げる。
「あ、なんでもないわ。それより、これ! 魔法石って、みんな青いの?」
セリナの疑問には、イサラが応じた。
「そうですね、基本的な色です。町で売っている石には、いろいろありますけどね。それはもう、淡い色から毒々しい色まで各種。」
「へぇ。」
「でも、こんなに綺麗な青は、珍しいですよ。」
「こ、高価だったりする?」
明らかに狼狽の色を浮かべたセリナに、イサラは手を振った。
「どのようにご説明すればいいのか……。石の価値は、魔力の濃さで決まるのです。ですから、色はあまり関係ありません。好みの問題という程度で。」
「そっか。」
ほっとしたように息を吐いて、セリナはペンダントを眺める。
言われるまま受け取ったものの、あまりに高価な物なら、もらうには気が引けると思ったのだ。
「昔から良く使われる言い回しですけれど。」
言って、イサラは一呼吸おく。
「価値を知るのは、それ自体だけだ、と。」
「それ自体、ってこの石?」
「えぇ、あるいはそこに込められた思いを知る者だけ、ということでしょうか。どんなに魔力の強い石でも、既に主を定めた魔法石というのは、他人にとってはただの石でしかないのです。」
「主を定めた……。」
「その石は、セリナ様の心を受けて、その形へと変わったのでしょう?」
「はい。」
「であるならば、主はセリナ様ですね。」
「……。」
なんだか不思議な話だが、立てた誓いは、確かにセリナが持っておけばいいもので他人には関係ない。
(宝石とは違って、高級品ってわけじゃないなら。私が持っててもいいのかな。)
大事そうに握りしめたセリナに、イサラは微笑む。
その石が主を定める前、どれほどの価値を持っていたのか、わざわざ告げることはないはずだ。
「それにしても、綺麗な青ですねー。」
しきりに感心したように頷くアエラは、頬が上気している。
「まるで、月の女神さまの"涙の一滴"みたいです。」
「……っ!!」
アエラの台詞にぎょっとして、セリナは思わずペンダントを取り落すところだった。
きょとんとアエラに見返され、再度なんでもない、と答え愛想笑いを作る。
「先日、セリナ様が読まれていた本に、そんなお話ありましたよね?」
「う、うん、あったね。」
やりとりを見ていたわけじゃないよね、と疑いたくなるような絶妙な指摘だ。
アーモンドのようなその形は、きっとこぼれてしまった涙の形なのだと、セリナも思っていたから。
(ア、アエラったら、妙なところで鋭い……!)
「さぁさ、セリナ様。そろそろお召替えを。」
と、イサラに促されたところで、部屋の扉をノックする音がした。








BACK≪ ≫NEXT