21.








6の月18日。
「こちらでございます。」
大きな扉の前に立ち止まったメイドが、セリナの方を振り向く。
扉を開けて促されるままセリナは足を踏み入れた。
「わぁ。」
中を見て思わず声が漏れた。
案内されて辿り着いたのは、白を基調にした豪奢な部屋だった。
華やかな装飾のソファやガラステーブルに、金色のラインでアラベスク調の模様が描かれた壁紙。サイドテーブルの上にはたくさんの花が生けられている。
(知らないけど、いかにも神殿の巫女にふさわしい!みたいな部屋。)
リュートが言っていた通りの人物ならばまさに、である。
清潔で気品にあふれる雰囲気に背筋が伸びる。
ここで今から巫女姫と会うわけだが、部屋に入るのが相手より先で良かったと思う。
(話す前からきょろきょろしちゃって、きっと呆れられていたわ。さすがはお城、いろんな部屋があるな。)
「ここは初めてですか?」
笑いを含んだ声に、セリナはようやく人がいることに気づいた。
目を向ければクルスが立っていて、セリナは顔を赤くする。
「えぇ、はい。なんだかずいぶん趣が違うなって。」
「賓客をもてなすための応接室なのですが、セリナ嬢に相応しいかと思いましてここをご用意させていただきました。」
「え? 私? 巫女姫様じゃなくて?」
「はい。」
(なんで私?)
怪訝そうなセリナにクルスは言葉を付け加える。
「お気に召しませんでしたか? すみません、わざわざ足を運んでいただいたというのに。」
頭を下げるクルスに、セリナは慌てて手を振った。
「い、いえ。そうではなくて。この部屋のどこが私にふさわしいのか、と。」
セリナの言葉に、おや、という表情を浮かべてから、クルスはゆっくりと微笑んだ。
「さあ、セリナ様はこちらに。間もなく巫女姫様もいらっしゃいます。」
「は、はい。」
答えをもらえないままだが、セリナは素直に従い、引かれた椅子に腰を下ろした。








見慣れない制服を着た者に案内され、その人は部屋に入って来た。
「お初にお目にかかります。わたくしは、サン=エルティア大神殿の巫女、シャイラ=ミリア=エスファスティールと申します。」
澄んだ声に流れるようなお辞儀。
腰まであるさらさらの銀糸に、白磁のような肌と淡く光る碧の瞳。全体的に色素の薄い巫女の姿にセリナは思わず見惚れる。透明感がある、というよりむしろ本当に透けてしまいそうだ。
「シノミヤ・セリナ様。本日は時間を取っていただきありがとうございます。」
「いえ。」
クルスは既に退出しており、リュートは部屋の外だ。
巫女姫・シャイラを案内してきた、彼女の護衛役の神兵も廊下で控えている。
白い部屋で2人きりにされ、セリナは内心ビクビクしていた。
少しの沈黙があって、シャイラが口を開く。
「座らせていただいてよろしいかしら?」
「は! え、はい!」
本来ならセリナから言うべきだった台詞だと気づいて、頬に朱が登る。
揃って椅子に座ったところで、タイミング良くメイドがお茶を運んできた。
メイドがしずしずと退室するのを待って、再びシャイラが口火を切る。
「本日は、セリナ様に神殿からの贈り物をお持ちしました。」
「え?」
「気に入っていただけると良いのですけれど。」
そう言って、シャイラは賞状のような紙を取り出す。
動きに合わせて、しゃらと装飾品が綺麗な音を響かせる。
その紙の上には先日見た神殿の紋章と読めない文字。中央付近に、他とは区別した大きな字体で一言綴られている。
「この地に生まれ出でし者が、あまねくその身に与えられる贈り物。貴女様を祝福して、神名を。」
「名前?」
怪訝な表情を浮かべた少女に、巫女は口角を上げた。
「はい。『ディア』と。新星の神ディアルーナと親愛を意味する古語に由来して……敬称、あるいは通り名として、受け取っていただけたら幸いです。」
予想もしていなかった申し出に、その意味を考える。これをただの好意として、受諾して良いのか判断が付かない。
れっきとした名前を持つセリナに、勝手に名を付けるのは余計なお世話ではないのだろうか。
(けど、断る理由も思いつかない。)
「お心遣いありがとうございます。」
結局、使うとも使わないとも返事をせず、論点をすり替えて礼を述べた。
















謁見の間。
そこはセリナたちの座る部屋とは異なり、本当の広間だ。大きな両開きの扉から玉座に続く階段まで広間中央には赤い絨緞が敷かれている。
昼過ぎに城へ到着した神殿の一行が、王へ挨拶を述べた場所であるが、今は数名が残るだけでがらんとしている。
神事以外ではめったに外へ出ない巫女姫を見たのは久しぶりのことで、相変わらず掴みどころのない相手に「変わりないようで結構」と声をかければ、「おかげさまで」と微笑みが返された。
ごく普通のやりとりのはずなのだが、そこに和やかさの欠片もないのは不思議である。
当事者はお互いさまだろうが、同席者にとっては迷惑な話だ。
笑顔の仮面を被った巫女姫は、用意された部屋には見向きもせず、退室後そのまま女神との謁見に臨んでいる。
「此度は、お時間をいただき誠にありがとう存じます。」
告げて頭を下げた男に、ジオは目を向けた。
階段下の赤いじゅうたんの上。巫女姫が立っていた場所に今は神官がいる。
「私に話があるのだったな。」
声をかけると、相手が頷いた。大神殿の神官長を務めるイル=ラニフ=サランだ。
神殿を支える長が2人揃ってやって来たのである。
事前の話にはなかった事態に少なからず驚きはしたが、ジオにとっては長が不在となる神殿の心配より、面倒な相手が来たなと眉間にしわを寄せる方が先だった。


「畏れながら、陛下は神殿を軽んじておいでなのでしょうか。」


ゆっくりと告げられた言葉に、宰相がぴくりと眉を上げた。
「なぜ、そのように思う。」
相手の言葉には答えずジオは問い返す。
「過日のこと"女神"の保護につきまして、我々神殿の者に一言もなくお決めになられた由。」
「議会の総意だ。神殿の事務局長も参加していたが。」
「"女神"の真偽につきまして、聖典の儀式にかけられなかった由。」
「あれが現れた経緯は知っているだろう。」
「"女神"と認められながら、未だに神殿へ足を運ばれない由。」
「……。」
そこへ持って来たか、とジオは口元を押さえた。本当は頭を押さえたかったのだが、かろうじて思いとどまったのちの仕草だ。
「現れてより既に2ヶ月。いつ、こちらに足を運ばれ、その姿を拝見できるかと待ち望んでおりましたのに、未だにその知らせはいただけず。」
正確にはまだ2ヶ月目は来ていない。と、心の中だけで訂正して、相手には無言をくれてやる。
「このまま待っていても埒が明か……失礼、望みは叶いそうもないと悲嘆して、こうしてわざわざ、巫女姫様御自らこちらに出向かれた次第であります。」
しゃあしゃあと、わざとらしく本心を口に出すイル。
その切れ長の瞳には、明らかに非難の色が浮かんでいた。
















「先程、祝福して、と言いましたね。シャイラ様は、私のことをどう思っているのですか?」
「どうとは?」
「"黒の女神"だと思っているか、ということです。」
直球の問いに、シャイラは目を瞬かせた。
「セリナ様は"女神"だと、思っております。」
「私は。」
視線を上げ巫女を見据える。
目を逸らさない相手に、自分の言葉を待っている気配を感じてセリナはきちんと伝わるよう祈りながら思いのままに言葉を紡ぐ。
「ただの人間です。ここではなぜか"女神"と呼ばれてるみたいだけど、神様なんかじゃない。」
まぁ、と呟いてシャイラが口元に手を当てると、しゃらりと音が鳴る。
「けれど、空から降臨されたということと、これまでここではない世界にいたということは事実なのでしょう?」
「それは……はい。空から落ちるとか、別世界とか。それが普通じゃないってことはわかるから、変な目で見られるのも仕方ありません。」
無意識に下がる視線を、セリナは自分を叱咤して相手に向ける。
「なぜ、こんなことになったのかはわかりません。私が神でないということも、ここにいる私という存在が危険でないということも、証明することはできなくて……だから、なんというか、いくら自分はただの人だって言っても、説得力に欠けるでしょうけど。」
口先だけだと思われても仕方ないが、それでも告げるべき言葉を紡ぐ。
「特別な力もありませんし、私自身は災いを起こしたいなんて、欠片も思っていません。」
ふと、シャイラが小首を傾げた。
ややあってから口元の手を下ろし、落ち着いた声を出した。
「少し、誤解をなさっておいでのようですが……。」
その台詞に、今度はセリナが目を瞬いた。


「我々は聖典と神々の系譜を重んじます。民間伝承ではなく。」


「え?」
「ですから、貴女が神の系譜に連なる者あるいはそこからの使者であるなら、どのような神であっても我々は受け入れます。」
「"黒の女神"が何か災いを起こすかもしれない、と言われていることについては、どうでもいいということでしょうか。」
「どうでもいい、とは言っておりません。それが真実ならば、由々しき事態です。」
「"ノアの予言"を信じているわけではないのですか?」
「賢者には敬意を払っております。」
しゃらり、と澄んだ音が響く。
「ただ、我々には予言より重んじるべきものがあるということです。」
「……。」
「貴女が何者であろうと、この国は『女神』と認めた。それを神殿が否定しては、民が惑います。」
シャイラは、碧の瞳を真っ直ぐにセリナに向ける。
「神殿として態度を示すにおいて、貴女に会うことは必須。こうして神殿から参ったのも、貴女が選ばれた存在であるなら、一目見ただけで天啓が下るかも知れないと思ったからでした。」
その口調から、期待していた天啓はなかったという落胆が見えた。
「貴女は先刻、自分は人間だと言ったけれど、蒼穹より降臨した事実を持ってすれば、どう主張しようと只人ではありはしない。それはセリナ様もお気づきの通りです。」
「……。」
「故に、貴女が我々と同じく人であったとしても、『天の使者』だということまで否定はできない。使命を帯びているけれど、それを貴女自身が認識していないだけという可能性もあるでしょう。」
静かに淡々と語る巫女姫に、セリナは眉をひそめた。
「あなたは、少しも私という存在を信用していないんですね。」
「そのようなことはありません。」
「ただ、私が突然現れて空から落ちてきたという事実だけを認めているにすぎない。私が『本物』かどうかはどうでもいい。」
思わず詰るような調子になり、セリナは唇を噛んだ。
ふ、とシャイラは薄く笑みを浮かべる。
「ジオラルド陛下がその瞳で捉えた事実に基づく判断があり、こちらとしても貴女が特別であることさえわかっていれば、それで足りる。」
「特別?」
「えぇ、セリナ様。」
それが空から落ちたことを言っているのか、外見のことを言っているのかわからなくて、セリナはシャイラをただ眺める。
相手は、微笑んだ表情のまま口を開いた。
「神殿は、貴女を歓迎します。」
違う、と思った。
(歓迎なんかしてない。)
セリナはぎゅっと拳を作った。自分の言葉は届いていないのだと思い知る。
リュートから聞いた人物像と、自分の中にあった巫女というイメージから、穏やかで優しい女性、尚かつすべてを受け入れ包んでくれるような相手を思い描いていた。
(神殿の長として束ねる力を持っている人。)
それは名目だけの飾りではなく、実質的な存在なのだと気づいて、自分の勝手な思い込みに殴られたような衝撃を受けていた。








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