22.








段の左下に控えた宰相、その反対側にいる近衛騎士隊長に目をやる。
一度退室していたクルスが部屋に入ってくるのを視界の端で捉えてから、再び隊長を見た。
ジオには背中を向けているが、後ろからでもわかるほどに露骨な敵意をまとっている騎士に思わず内心で苦笑する。
神殿からの一行との謁見は既に終わっている。神官長である彼個人に王との謁見許可が出ているわけではない。本来なら、場所を変えて会合を持つべきだが、イルが強く希望したためここにいる。
彼からすれば、王への奏上なのだからここに踏みとどまりたいのは道理だ。部屋を移し、ただの会話で済まされたくないわけである。少なくともそれくらいの強い思いを持って、王に挑んでいるのだとはわかる。
「要するに"女神"が自ら、あるいはこの私が自ら神殿に出向くべきだったと?」
「何も、陛下に足を運んでいただこうなどとは思っていません。」
イルの台詞に、クルスが途中参加ながら微苦笑を浮かべていた。
(けれど"女神"は足を運んでくれ、と?)
ついでに、今の言い方では、王に用はないと言わんばかりだ。
不用意に失言をする人物ではないだろうから、わかっていての発言かと結論付けて、ジオは変わらず感情を消した顔で相手を眺める。
「"女神"はこちらの世界、この国のことに不慣れだ。神殿を訪ねなかったのは、彼女自身その存在を知らなかったからだろうし、特別意味があって無視をしていたわけではない。神殿にとっては不本意だったかもしれないが、そこは許容せよ。」
「仰ることはよくわかります。その通りだとも思いますが、神殿にも立場があることをおわかりいただきたい。」
「"女神"に神殿のことを教え、訪問を勧めていれば良かったとでも? しかし、こちらも隠していたわけではない。神殿が招待するなら、そのように応じただろうよ。なぁ、イル=ラニフ=サラン。」
「……っ。こちらから招くなどと畏れ多いことです。」
「では、歓迎されるかどうかもわからない場所に、早々"女神"を送り込めというか。」
「神殿が"女神"に害をなすと仰せですか、それこそ心外にございます。」
気にしているのは、神殿の権威。
"女神"だと認めたのが議会で、聖典の儀式ではないことが気に食わないのだろう。加えて、シャイラを煩わせる事態も看過しがたい、と。
理想としたのは、女神が自ら神殿に足を踏み入れ、その手を巫女姫が取るという光景。それも、大勢の国民の前でだ。
そうであれば、大神殿である面目も立ち、巫女姫の位置づけも強固なものになる。
結果として、女神自身にハクがつき、その地位が確定すると言ってもよい。
(神殿の後ろ盾を求めるなら、初めから『自分は神ではない』などと明言しないだろう。)
そもそも、当の本人はその辺りの事情を何も知らない。
話をしてやったところで、進んで神殿の威光に縋るとも思えなかった。
「この国は精霊の加護によりて平和を約されています。治める陛下が、聖典を軽んじては示しがつきません。」
国教であるリスリーア教は自然を尊ぶ。
神の恩恵に祈りを捧げ、精霊の加護に感謝する。魔法は精霊の力であり、それを元に庇護された国。そして全国の神殿を統べる大神殿は、その信仰の根幹である。
「神殿のために"女神"の名を利用しろと?」
「なんということを仰せに! ですから、陛下は神殿を軽んじておいでか、と訊いているのです!!」
声を荒げたイルに、近衛隊長ゼノ=ディハイトが一歩踏み出し身構えた。
「退け、ゼノ。」
間違っても飛びかかったりするわけではないが、威圧は不要と知らせるため短く告げると、頷いて姿勢を正した。
せっかく現れた"女神"だ。
神殿の権威を示すために振る舞ってもらいたいというのは神殿の考えそうなこと。
そして、聖典を掲げ守る神殿を重んじるなら、国はそう振る舞わせるべきだった、と。
(そう考えるとわかっていて、放っておいたわけだから仕方ないが。)
「神殿の考えはわかった。誤解を与えたようだが、軽視しているわけではない。」
はっきりと述べて、ジオはイルを見据える。
「神殿に属する者たちが、日々祈りと共にあり、その心身を捧げて仕えていることが、この国を支える柱の1つであることはよく承知している。」
求める言葉を引き出すことに成功し、イルは目を伏せた。
「それが我々の務めでございますれば。」
「今後も、強き柱としてその役割を果たすものと思っている。」
「もったいなきお言葉にございます。」
イルは深々と首肯し、言葉を紡ぐ。
「陛下に、至高天の神々を重んじている、という御心を示していただけたことは神官長としてこの上ない僥倖でございます。不敬なる言動を致しましたが、ひとえに国を愛するがゆえ、世の安らかなるを願うがゆえ。どうか、ご容赦いただきたく。」
「以後もよく仕えよ。」
「御意にございます。」
前で両手を合わせ、神官長は再度頭を下げた。
















思わず黙り込んでしまったセリナだったが、すっと白い手が差し出されて視線を上げた。
「セリナ様、お手を。」
言われるまま手を出せば、中に液体の入った透明の小瓶を渡される。
「貴女のために持って来た聖水です。」
「聖水?」
傾けると、細かくカットされた瓶がキラキラと光る。
「祭礼の前に、これを手にお掛け下さいませ。」
「わかりました。」
そういう決まりなのだろうと、セリナは頷く。
この後、庭の神殿で祭礼が行われるが、平行線のやり取りに既に疲労感を覚えていた。
(平行線どころか、そもそも話をしている論点がまったくかみ合ってない。)
セリナとしては、黒の女神と呼ばれているけれど、何かをしでかそうという気持ちはないのだと、伝えたかっただけだ。
神に仕えるという巫女姫がそれを認めてくれれば、なんとなく事態が好転するような、そんな淡い期待を持っていた。
ところが、相手はそのあたりのことには関心がないらしい。
とはいえ途中で投げ出すわけにもいかないのだから、とセリナは自分を奮い立たせる。
「祭礼の前に、聞かせてください。」
「はい。」
「私は、初め巫女姫様が"女神"のために祈りを捧げたいと言っていると聞いていました。」
セリナの言葉にシャイラは答えない。
肯定を見せないその反応に、セリナは自分の考えが的はずれではないことを悟る。
「シャイラ様が祈りたいのは、本当は『誰』のためですか? "災厄"を引き起こす気持ちなど持っていないと、示すことができれば、『私』のために祈ってくれるかとも思ったのですが、どうやらそれは無関係の様子。祈りを捧げに来たのは、"女神のため"ではなく"女神のせい"ではないのですか?」
その台詞に、シャイラがほんの少し眉を動かす。
「私が言えた立場じゃないかもしれないけれど。できれば……巫女姫がこの国を憂いて『民』のために祈ることがなければいいと思う。」
そこに自分が同席するならば尚更だ。
"黒の女神"のせいで怯える民がいたとして、その不安を取り除くために巫女姫が祈るのだとしたら、その場に立つのは酷くいたたまれない。
「わたくしが民のために祈ることを、貴女が阻むことはできません。」
「っ!」
「災いを憂う心を貴女が誹(そし)ることもできません。」
静かな空間に、しゃらりと響く音。
告げられた言葉が胸に刺さった。
「ご自分で神ではない、力はないという以上、自ら望んで災いを巻き起こす力もそのつもりもないのでしょう。けれどそれは同時に、巻き起こすことになったとして、それを防ぐ力もお持ちではないということ。」
言葉を失うセリナに目を止め、巫女姫は両手を胸の前で合わせた。
「けれど、お気持ちは伝わりましたわ。」
弾かれたように顔を上げたセリナとは対照的に、シャイラはゆっくりと頭を下げた。
「災い招く者を憂いて、祈りを捧げるわけではありません。嘆きを奏上する気はない。かの祭礼において、天に届くのは心からの祈りだけです。この国が、この国の民が安寧であらんことを。」
顔を上げたシャイラの表情は真摯なもの。向けられた碧の瞳に心臓がはねる。
「そのために巫女姫は祈りを捧げるのです。」
「……。」
「貴女が遣わされた場所であれば、貴女の祈りも届くでしょう。」
心からの祈りならば。と言外に匂わせた台詞。
目の前の存在に圧倒され、セリナは無意識に小瓶を握りしめていた。
透けてしまいそうだと思った巫女姫。
どこまでも透明な印象を残しながら、それはどこまでも強い光を放っていた。
















「大丈夫ですか、セリナ様。」
リュートに声をかけられてはっとする。
見ればそこは自分の部屋。
さっきまでいた部屋で、退室する巫女姫を見送ったことも、向かいの席が空いて部屋が広く感じられたことも覚えているが、ここまで戻ってくる間の記憶は曖昧だ。
「平気、ちょっとぼーっとしてた。」
「謁見で何かあったのですか?」
「ううん、始終穏やかだったよ。でも、最後の最後にちょっと圧倒されたかな。見た目の儚さとは逆に、すごく芯の強い人だったから。」
(意思がぐらぐら揺れてる私とは正反対。)
「お疲れでしたら、準備は少し休んでからにしましょうか。」
聞き慣れた女性の声に、顔を向ければティリアが微笑んでいる。
「準備?」
「はい、祭礼のためにお召し替えを。」
「着替えるんですか?」
問いかけて、セリナは今着ているドレスのスカートをつまんだ。
謁見用にと用意されていたのは、落ち着いた青色のドレス。露出が控えめで、生地は柔らかい。ごてごてとした飾りが少ないし、裾の長さも引きずるものではないため比較的動き易いのだ。
衣装替えはまったく念頭になかったため、続く祭礼もこの服で出席するものだと思っていた。
「本来なら事前に試着して、用意したかったのですが、時間もなく仕立てもぎりぎりでしたので。申し訳ありませんが、こちらでご用意させていただきました。セリナ様の気に入るといいのですが……カナン、リル。」
呼ばれて赤毛の侍女がドレスを、そしてラベンダー色の髪の侍女が髪飾りを手に奥から現れた。さらにその隣にアエラが立つ。
カナンの手には淡い黄色のドレス。裾が広がり、その上に幾重もの薄い紗があしらわれている。しかもその紗には刺繍で花が描かれ、清楚ながら華やかだ。
アエラが持っているのは、ドレスよりは濃い黄色の靴。
「わ、キレイ。」
セリナが巫女姫と会うと決めてから今日までそれほど日はなかった。
ジオがセリナに謁見の話を持って来てから、セリナが答えを決めるまでは話は伏せられていたはずだから、前もって準備していたということでもないだろう。
「今日の祭礼のために準備したんですか?」
問えばティリアがにっこりと応える。
このところティリアの姿を見かけなかったので、不思議に思っていたのだが、これが理由だったのかと気づく。
「昼間は百合の間で謁見をなさると聞きましたので、ロイヤルブルーのドレスがぴったりだと思いましたの。思った通り、良くお似合いですわ。」
「百合の間……ってあの部屋のことですか? 白い部屋。」
「はい、高貴の花・百合をイメージしたサロンです。」
(部屋のことまで考えてドレスを選んでくれたんだ。)
あの部屋が相応しいからと選んだクルスもそうだが、彼らにとっては当然のたしなみといったところなのかもしれない。がセリナには考えもつかないことだ。
ティリアに手を引かれ姿見まで誘導されたセリナの前に、カナンがドレスを当てる。
「よくお似合いです、セリナ様!」
アエラが嬉しそうに声を上げた。
「あ、りがとう、アエラ。」
「夜。それも外での祭礼に青のドレスでは映えませんから、今度は明るめの色を。祭礼には限られた者だけが参加します。せっかくですので、髪をおろして肩に流しましょう。その方が存在感をアピールできますわ。リル。」
「はい、ティリア様。」
主に呼ばれて、リルは髪飾りを2つ手に取る。
この状況下で、目立たなくてもいい、と口に出す勇気はセリナにはなかった。
「こちらをされるのでしたら、この辺りに付けて……。」
言いながら当てた手が震えている。ティリアの意向なので、協力を惜しむつもりはないが、リルはセリナを前に極度の緊張を強いられていた。
震えに気づいたセリナはティリアに視線を向ける。
それを受けて、ティリアはゆったりと微笑んだ。
「リルは髪をセットするのがとても上手なの。いつだって素晴らしい仕事をするんですよ、セリナ様。」
「そう……なんですね。じゃぁ、お任せするので、よろしくお願いします。」
ティリアの言葉に合わせて、セリナは小さく会釈した。
そんなに丁寧に言わなくてもいいと普段なら訂正を受けるところだが、今回は指摘をされない。
ぎょっとしたようにリルが固まるが、慌てて頭を下げた。
それからもう一度、オレンジ色の髪飾りを当てた。
「こ、この辺りに付けて。髪は左に流して……。」
「いいわね。こちらで留めて、真下に流すのはどう?」
「まぁ! さすがティリア様ですわ。」
ティリアに誉められ、自分の職務に専念すればあっと言う間に普段の調子を取り戻す。
「それにこの黒レースのリボンを足してはどうでしょう。長く垂らして。」
「ドレスの雰囲気とも合うわね。サイドは緩く。」
「では、このように。」
「素敵だわ。」
セリナが目を白黒させている間に、イメージを固めたティリアが何度か頷いて見せた。
その様子にリュートはセリナに声をかける。
「用意が整った頃、またお迎えに参ります。」
「あ、はい。お願いします。」
「祭礼の始まる3時間後までには仕上げますわ。」
ティリアの言葉に苦笑しつつリュートは一礼する。
部屋を出る時に、カナンの声が聞こえた。
「では。まずはドレスの着替えから致しましょう。」


その後、時間になって呼びに戻ったリュートが見たのは、生来の貴族令嬢にも劣らぬほど上品に仕上げられたセリナの姿。
そして、一仕事を終えて満足げなティリアたちだった。








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