第1回人気投票 お礼SS













「………。」
1枚のメモを握りしめたまま、セリナはその場に立ち尽くしていた。
目の前の光景が信じられなくて、けれどそれから目を離すこともできなくて。


窓から入り込んだ風が、その金色をさらさらと揺らすのを見つめながら。


もしかしたら、どこかで自分は何かを間違ったのかもしれない、と考えた。








『それは1、2を争う人気のものです。』










ことの始まりは、女史の講義だった。


「…と。それから、今回はもう1つ宿題を出しましょう。」
女史の言葉にセリナが顔を上げると、目をきらりと光らせるマーラドルフの姿が映った。
「次回の講義で使用を考えている本があります。城の図書室に所蔵されている本で、タイトルは『世界の名画100選』。」
「名画。」
「それを借り出して、授業に持参するように。」
「は、はい。」
「探す手掛かりに…著者名をメモしておきましょう。侍女に手助けをしてもらうのは結構ですが、あくまでもこれはセリナ様への宿題ですからね。」
(それは言外に、手助けしてもらうなという意味では。)
マーラドルフが書いてくれたメモを受け取りながら浮かんだ考えは、心の中にしまっておいた。


ひとまずは自分で探してみよう、と何度か足を運んだ図書室へと向かう。
メモを片手に、棚の間を覗き込みながらゆっくりと歩く。
(んーと…なんとなくこっちかな?)
≪第2図書室≫と書かれた扉を開けて、中の様子を窺うが静かな室内に人の気配はない。
「こっちも入って、いいんだよね?」
誰にともなく聞いて、セリナは足を踏み入れ、その部屋の奥で立ち尽くした。








(そして、今に至ると。)
特に間違いはない。
自分の行動を回想して、セリナはそう結論を出した。
目の前に広がる光景につい動きを止めたセリナは、次の行動に迷って、ただそれを見つめる。


壁際のカウチ。
膝の上に開いた本を載せて、背もたれと肘掛けに身を預けて。
瞼を伏せ青年が眠っていた。


(どうして、こんなところに陛下が…。)


揺れる髪に誘われるように、セリナは息をひそめてジオの方へと足を踏み出した。
そこにいるのは、ここにいるはずのない人。
(ほ、本物?)
訝しく思いながら深い考えもないまま手を伸ばした。


次の瞬間。


「……っっ!!!!!」
ゆっくりと開かれた瞳に捕えられて、セリナは再び静止した。
「…。」
無言で見つめてくる相手に、同じ反応を返しながらも頭の中はパニックだ。
(し…心臓が口から出るかと…思った!!起きてた!いや、私が起こした?!)
「ご、ごめ…!!」
口を開けば出て来たのは(もちろん心臓ではなく)謝りの言葉だった。
けれど、それを言い終わるより前に、開いた窓の下から声が聞こえてきた。




「クルセイト!ジオラルド陛下を見かけなかったか?」
「これは宰相殿。ジオラルド様ですか?いえ。執務室に居られないのですか?」
「ゆえに、こうして探しておるのじゃ。もし見かけたら、部屋にお戻りになられるよう伝えてくれるか。」
「わかりました。」




階下の会話に、セリナは顔を上げて「あ。」と呟いた。
それに気づいて、ジオは素早く手を伸ばす。
その掌がセリナの口の前で止まった。黙っておけ、の合図だ。
「…。」
声が遠ざかり、外の気配が消えたところで、ジオは腕を下ろした。
「いいの?探していたみたいでしたけど。」
「あぁ。」
「もしかして…抜け出して来た?」
「…。」
無表情のままのジオに、セリナは心の中でわぁ、と声を上げた。
(すごく意外!!仕事サボったりするタイプに見えないのにっ!!)
「隠れてる、とか。」
「…。」
ふらりといなくなって周りに迷惑をかけたり、遊んで仕事を溜め込んだりするようには見えない。ストイックな印象が強いが、こんなふうに息抜きをしているのかと思ったら、急に身近に感じられた。
(確かに、この場所は気持ちいいし人が来ないし、ちょうどいい穴場かも。)
立ち去る気配のないセリナに、ジオの方が先に動いた。
「あ。待って!」
息抜きの邪魔をする気はないのだ。
身を起こそうとするジオを、セリナは押し留めた。


…つもりだったのだが。


カウチに身を沈めたジオは、驚きの表情を浮かべてセリナを見上げた。
表情に出るのは珍しい。と分析する余裕もなく、セリナは今の失態に気付いた。
押し留めた、というより突き飛ばしたのだ。
思いがけず、力いっぱい押してしまったがために。
「ご、ごめ…。違うんです、そういうつもりじゃ!それに、その邪魔するつもりでもなくて!」
慌てて弁解に走り、ずいと手元のメモを突き出した。
「本をっ!探しに来たんです、だから!向こうで、静かに探してますから、陛下は気にせずここで休んでいてください。起こしてしまってすみませんでした!あ、大丈夫です!ここにいることは誰にも言いませんから!」
勢いに任せて言い切ると、セリナはばっと頭を下げる。
「…。」
呆然としているジオをそのままに、セリナはパタパタと棚の奥へと移動した。
気になってそっと様子を窺えば、嵐が通り過ぎた衝撃から立ち直ったジオは、態勢を戻して手元の本に視線を落とすところだった。
(出て行かれなくて、良かった。)
ほっと胸を撫で下ろし、息を吐いた。
(それにしても、なんか難しそうな本読んでたなー。)
広げられていた本のページには、小さな文字がびっしり書かれていた。
内容はわからないが、セリナにとってはそれだけで難易度が上がる。
(よし。私も頑張らなきゃ。)
手元のメモを持ち直して、マーラドルフの言葉を反芻する。
(世界、100。)
スカートからお手製の単語帳を取り出して、綴りを確認するとメモにはタイトルが書かれていないことに気づく。
(字面が同じものを探すんじゃなくて、ちゃんとタイトルを解読して探せってことよね。抜け目ない。)
しばらくうろうろと棚の間を彷徨った後で、ようやくその単語を見つけて、青い装丁の本に手をかけた。
「?」
(『世界』と『100』の間と…ついでにその後ろにも読めない単語がある。)
その後ろに付いた単語に見覚えがあった。
(確か、これって続きとか続くって意味だったよね。と、いうことはこれ『続・世界100選』ってことかしら。)
そんな話はなかったから、借り出すのは初めに出ているものだ。
合わせて200選。有難みが薄れるなーなどと、余計な考えが浮かぶ。
じゃあ、とその周辺に視線を向けて、セリナはしばし固まった。


その棚のある一角。
そこに並ぶ青、深緑、黄緑、赤の装丁の本。そして、反対側に並ぶ白、えんじ、薄紫の装丁のもの。そのいずれにも、3つの単語が綴られていた。
(これは違う。続じゃない…。)




(『世界の○○100選シリーズ』!!!)




唐突に閃いて思わずセリナは叫びそうになった。
(マーラドルフっ!!!)
棚に両手を置いて、怒りにも似た衝撃をやり過ごす。
叫ばなかったのは、少し向こうにジオがいるからだ。だって恥ずかしい。
『名画』という単語の綴りが解らず、セリナはメモに書かれた名前をなぞる。
100選というくらいだから、著者というより編者なのだろう。
「あうですないずぅ?」
メモの名前(推定)を無理やり読むとそう解読できるが、高い確率で間違いだということは自分でもわかっている。
背表紙を目で辿るが、それらしい表記を見つけるだけでも一苦労だ。
(あった。)
上段に並べられたそれに手を伸ばすが届かず、つま先に力を込めた。
「むぅ…っ。」


「取りたいのはこれか。」


不意に背後から声が降って来た。
「!!」
考えるまでもなくその正体に気付いて、セリナは勢いよく振り向いた。
いつの間にか側に立っていたジオは、想像以上に至近距離にいて、危うくぶつかるところだった。
動揺甚だしいセリナを無視して、ジオは先を続けた。
「違うのか?」
「あ、いえ、それです。合ってます!」
差し出された黄緑色の本を受け取りながら、セリナは頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「いや。」
セリナから離れ、踵を返そうとしたジオは思い直したようにセリナに視線を向けた。
「それは、君の趣味か?」
「は?」
抱えた本を言われているのだと気づいて、セリナは首を傾げながら答えた。
「趣味…というか。次の講義で使うのです。」
「………………。」
何を言っているのかわからない、と言わんばかりの怪訝な顔でジオはセリナを凝視した。
「な、なんですか。」
「講義で…マーラドルフが?」
「えぇ。」
「それを?」
「…。」
「なんのために?」
なぜこんな質問を受けているのかわからず、セリナはむっとした表情で言い返す。
「教養のためでしょう?なんたって、『世界の名画』っていうくらいなんだから!」
キッとジオを見上げて言い放つが、相手からの反応は薄かった。
むしろ、ぽかんとしている。
「…。」
両者のしばらくの沈黙の後。
「く…。」
押し殺したような笑いがもれた。
(え?)
見ればジオの肩が震えている。
「え?」
口元を押さえている男に、一瞬遅れて笑っているのだと思い至った。
(な、なんで?別に何もおかしなことは…。)
「なに…笑って…。」
動揺を見せながらも気分を害した様子のセリナに、ジオは笑顔を引っ込めて掌をかざした。
「いや、すまない。どうやら見識に食い違いがあったようだ。」
「食い違い。」
「中を見ればわかる。」
そう言ってジオは、セリナの持っている本を指さした。
目を瞬いて、セリナは言われたとおり本を持ち直して中を開いた。
「っきゃあ!!」
現れた絵に悲鳴を上げセリナは思わず本を放り投げそうになった。
セリナの手から落ちる前に、ジオが本を取り上げて苦笑を浮かべる。
「これは『世界の珍獣100選』だ。」
(な、なんか変な生き物がいた、あわあわあわ…。)
「教養の講義では使わんだろう。」
自分の体を抱えて妙な表情をしたままセリナは、ジオの言葉に勢い良く首肯した。
「うわ、思い出すだけでぞわっとする。」
「探している本なら…。」
と言いかけたジオに、セリナは慌てて彼の腕を取る。
「待って、宿題なの。次の講義までにそれをちゃんと借り出すことって!」
探さないまま教えてもらったのでは、クリアしたことにはならない。
あぁ、と小さく呟いてジオは示そうと伸ばした手を下ろした。
「『名画』の単語がわからないのか。」
理解力の速さに驚きながらも、セリナは頷く。
「だから、手掛かり。」
著者名の書かれたメモを見せて、再度頷いて見せる。
少し考えた後で、ジオが静かに口を開いた。
「『珍獣』の編さん者とも、名前が違うようだが。」
「うっ!!」
ぐさりと痛い音がした。
「ど、どうせ間違ってますよー。」
ちょっといじけてみる。
黄緑色の本を上の棚に戻しながら、ジオが呟く。
「『傑作』。『職人』の『作品』…とも言うな。」
「あ。」
それが『名画』のヒントだと気づいて、セリナは隣りのジオを見上げた。
(『職人』はわからないけど、『作品』なら単語帳にある!)
ぺらぺらと単語帳をめくる。
進展があったらしいセリナの様子に、ジオは持っていた自分の本を戻すべく隣りの棚に移った。
本を探しているジオの気配を感じながら、セリナは単語と本の背表紙を交互に眺めた。
(名画、100選…名画、あうですないずぅ。)
見つけた白い本に手を伸ばす。
抜き出したそれを開いて、中が絵画集であることを確認した。
名画かどうかはわからないが。
「ありました!」
両手で掲げてそう報告するが、相手の反応は微妙だった。
「…それが、指定されたものなら何も言わないが。」
「え?またなんか違う?!」
ジオの台詞に急いでタイトルを確認する。
「あ、れ。『世界』じゃない?えと、これはー。」
むぅっと唸るセリナの前にジオが立つ。
指で単語を押さえ、ゆっくりと音にする。
「『こども』。」
「子供?あ。」
(『こどものための』名画100選!!)
「わわ、違う、違います!これじゃないです。」
ジオは首を振るセリナから並ぶ本に目を向ける。
「教養として初めに学ぶには、代表的な本だな。」
「え?」
「『世界の名画100選』だろう?」
そう、それです。とセリナは頷いた。
「良くまとめられたいい本だ。」
「そ、そうなんですね。」
「ちなみに言っておくが。」
「はい?」
思わずセリナは背筋を伸ばす。


「『あうですないず』ではない。」


「…。」
固まったセリナに、ジオは小さく笑った。
「聞こえていた。」
「わーーーーっ!そこを間違ってるのは自分でもわかってて。」
言いながら、セリナは本で顔を隠した。
(なんか恥ずかしいところばかりを見られている…うぅ。)
「まぁ、がんばって宿題をこなすことだな。」
「はい…。」
応じてから、セリナはちらりと上目づかいに相手を窺う。
本を探すのをやめたジオは退室しそうな様子だ。
「…休憩のジャマ、してしまいましたか?」
静かに探すとは言ったものの、うろうろしていたのだから気は散ったはずだ。
今や巻き込んでしまっているが、そもそもここへ入った時点で邪魔はしている。
(起こしちゃったし。)
「いや、時間が来ただけだ。」
あっさりと答えた真偽は不明だが、セリナはひとまずほっと息を吐いた。
「あの、ありがとうございました。」
「…別に。」
「でも助かりました。」
セリナの言葉にジオは肩をすくめると、そのまま何事もなかったかのように図書室を出て行った。
(なんだかんだで親切なのかなーって思ったり。)


「…。よし、がんばって探すぞ!」
















「あ、ジオラルド様。宰相殿が探していましたよ。」
「…。」
「まぁ、『例の客人』はもうお帰りになったと思いますが。」
だからジオが戻って来たのだということはわかっている。
苦笑を浮かべるクルスに、ジオが深い溜息を吐いた。
「意味のない世間話から娘の紹介を始めだすのは目に見えている。いい加減あのあたりの貴族連中を引き合わせようとするのを止めさせてくれ。」
「陛下が言って聞かないのですから、難しいでしょう。居場所に目をつぶる、というところで許していただけませんかね。」
お手上げ、といった調子で返されて、ジオはげんなりした表情を浮かべた。
「あれらのために割く時間などないというのに…。」
無為な時間を過ごすくらいなら、本を探している方がマシだ。
目的の本は彼女の手の届く高さに収まっていたから、あれからさほど時間をかけなくても自力で探し当てるだろう。
「何かいいことでもありました?」
「なんの話だ。」
クルスの問いにジオは眉を寄せた。
「あぁ、いえ。なんだか機嫌が良いように感じたもので。」
今現在うんざりした気分でいるジオから、どうやってそう解釈できたのか理解不能だ。
「…意味がわからん。」
















「さすがです。正しく見つけられたのですね。」
いつもより少し高いマーラドルフの声が響いた。
「同じような本が並んでいて大変だったでしょう?」
「はい。あ!あの。」
「どうしました?」
「この本っていい本なんですか?」
「あら、誰から聞いたのです?」
そう言って首を傾げた女史は、答えを求めることなく言葉を続けた。
「おっしゃるとおり。本自体も教材として不足ない物ですし、特にこのアウディ=シュナイザー監修の名画100選は秀逸なのですよ。」
あ、名前そう読むんだ。と思ったのは黙っておく。
「王侯貴族の勉強にも用いられる本ですし。」


珍しくにこやかな調子でマーラドルフが説明を加えた。


「たくさん発刊されているシリーズの中でも、1、2を争う人気があるものです。」


「人気…。」
「どうかしました?」
「いえ。」
1、2を争う?何かひっかかる気がする?と首を捻るセリナ。
マーラドルフがパンパンと手を2度叩いた。
「では、今日はこの本を使ってお勉強いたしましょう。」




ちなみに。
『世界の珍獣100選』の編者はアウザーランドという、似ても似つかない名前の人でした。




















<あとがき>


第1回人気投票のお礼SS、お待たせしましたっ!


最終僅差になって1、2を争った2人をメインに番外編という形で上げてみました。
時系列的には社交期の終盤。ある日の出来事という感じです。←ぼんやり
いやー軽い気持ちでお礼SS載せますとか発言してしまったんですが、
ちゃんと仕上がって良かった。ネタに苦しんだよ…。


作中、ジオが読んでいたのは小難しいお堅い本です。←寝てたけどね
(漫画とか読んでたらもっと親近感わくのに…。とか思ったのはここだけの話)


お読みいただきありがとうございました!!




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