sideジオ
『星に祈り』
星礼祭(せいれいさい)というものが年に一度行われる。
それは大神殿で巫女姫が祈りを捧げる儀式。各地の神殿から関係者が集まり、信心深い民たちが集まり、そして諸侯の貴族たちが集まる。そこには王族も参列する。
華やかであり、神聖であり、なんびともそれを侵すことは許されない。
今、城の北庭で開かれる祭礼は、規模こそ小さいが根底は同じだ。
王城の北側。神殿のある敷地に入った途端、周囲の温度が下がった。
ぴんと張ったような空気に、自然と背筋が伸びる。左右で出迎える神官たちの間、光灯に照らされた石畳を進み、神殿へと目を向ける。
そこで見つけた舞台上に立つ女性の姿に、ジオは目を僅かに見開いた。
第三者では気づかないほど僅かに。
白を基調とした神殿に、一際その存在感を示す黒。
いつものように髪飾りやヴェールで隠そうとはせず、惜しげもなく背中に流されている。
ドレスの色が淡いために良く目立つ髪が、記憶にあるより長い。怪訝さに眉をひそめるより前に、それが同色のリボンのせいであることに気づく。
なるほど、強調するには効果的だとジオは少し頬を緩めた。
灯りを受けて輝くその黒は、見ようによっては妖しくはあるが、厭わしいと思わせるものではない。
緊張しているのか硬い表情のセリナに、声をかけることはやめて自分の席の前に立った。
祭礼の終盤、巫女姫の祈りに応えた精霊たちが周囲に集まり始めた。やがて踊るように跳ねる。
しゃらりと澄んだ音が響き、鈴の音が鳴る度、精霊は増えてゆく。
いつ見ても巫女姫の祈りに集う精霊は嬉しそうだと、ジオは思う。
この国は精霊の加護と共に繁栄して来た。
魔法の源でもある精霊たちと、誰より近い場所にいるシャイラ。その姿を捉え、声を聞き、言葉を交わせる類稀なる才能をもつ女性。
ジオ自身、その血筋の縁で属性に縛られることなく、魔法を操る能力を持っている。
それは高位の使い手である証だが、それでもあらゆる精霊と心を通わせる芸当は到底できない。
賢者と呼ばれ、数多の知識を治めた者であっても、容易ではない。
だからこそ、彼女は確固たる地位を持って大神殿の巫女姫に留まっている。
ただし、彼女がその地位を降りようと思っても、神殿の方こそが彼女を手放しはしないだろうけど。
何気なく隣を見て、ジオは目を見開いた。今度ははっきりと。
神殿中央の通路となる空間を挟んだ左側。そこに座る少女の瞳が精霊を捉えていた。
ふわふわと彼女に近づく精霊をその手の平に受け止める。
先程までどちらかと言えば険しい表情をしていた少女が、今は頬を紅潮させて、見えているモノに興味津津といったふうだ。
ふ…と彼女が柔らかく微笑んだ。手の平にいた精霊は、恥ずかしそうに顔を隠した後で、ちらりと見上げふふっと笑って、その手の平から跳ねて宙を舞った。
シャイラの力で、精霊も常よりは感知しやすくなっている。
祭礼の最後、空へと舞い上がる無数の精霊は、魔力がほとんどない者でも光の球として見ることができる。
(驚いたな。)
見つめていると、視線に気づいたのか、セリナと目が合った。
けれど、顔色も変えず、彼女の視線はそのまま巫女姫へと向けられる。
「……。」
当然だ。祭礼の途中なのだから、よそ見をしている方が間違っている。
ジオもまた視線を前に戻す。
(魔力が皆無でも、祭礼の精霊は見えるらしい。)
それだけシャイラの力が強いということなのだろう。
(なぜだか彼女についている精霊は、集まって来たものとは違うようだが。あのシンレンは、シャイラの仕業か?)
祭礼の前に行っていた2人の会談で何をしたのやら、と苦い笑いが浮かびそうになった。
(……あんな表情もするのだな。)
「奉じる光が御許へ届かんことを乞う」
すぅっと広げた手を上へと滑らせるシャイラの動きに呼応して、精霊たちが舞いながら空を目指す。
頬を掠めて通り過ぎた精霊に、ジオが視線を上げれば、嬉しそうにくるくると踊って見せた。
(末永い国の安寧と人々への祝福を。)
巫女姫の祈りにのせて、ジオは瞳を伏せる。
しゃらり、と澄んだ音がして、祭礼は幕を閉じた。
シャイラと補佐の巫女が退場してから、席を立つ。
「皆様に、至高天のご加護を。」
神官長イルの挨拶を聞いてから、セリナへと視線を落とす。
落ち着いた様子で神官長に礼を取った後で、こちらを振り返り。彼女は、びくりと怯えたように肩を揺らした。
「……。」
別に怖い顔をしているつもりはないのだが、相手は硬直したままだ。
「今日は一日ご苦労だったな。」
少々苦い気持ちのまま、声をかける。
「謁見と祭礼と、初めてのことばかりで疲れただろう、よく休め。」
言い終えてから、少女が見せたのはきょとんとした表情だった。
「……なんだ?」
意外だ、と彼女の顔が言っている。
怒られるとでも思っていたみたいな態度だ。理由もなく怒るわけなどないのに。
(いや、怖がられるのは仕方ないが。)
ジオの思いは知る由もないだろうが、先の発言には応じることにしたらしいセリナが口を開く。
「お気遣いありがとうございます。」
語尾に「?」が付きそうな口調で、おずおずと会釈を見せた。
その後、セリナは宰相とも挨拶を交わす。
ジオは舞台を降りようと向きを変え、下で待っている護衛に視線を走らせる。
背後で、ほっとしたように息を吐くセリナの気配があった。
さわりと風が吹いて、周りの薄布が揺れる。
石畳に足を踏み出したジオだったが、ざわりと肌を撫でた嫌な空気に振り返った。
「!!」
ジオと宰相に少し遅れて舞台を降りたセリナの、その至近距離に神兵の姿。
考えるより先に、体が動いていた。
エリティス隊長が、襲撃を企てた神兵を取り押さえる。
近衛騎士隊長ゼノが無駄のない動きで事態を掌握し、城の兵士たちが男を捕らえる。
「神の名を騙る悪魔め! この世界に災いもたらす忌まわしき存在が…!!」
空気を振るわせた音。
およそこの場所には不似合いな、醜悪な音だった。
巫女姫が創った清廉な場が、一瞬で壊れる。
思わず指先がピクリと揺れたが、ジオより先に兵士たちが動いた。
ジオが連行される男から視線を外すと、こちらに気づいていたゼノが緊張を解いたようだった。
「大丈夫か。」
セリナを振り返れば、相手は呆然自失といった表情だった。
それでも、ゆっくりと黒曜石のような瞳が動いて視線が合う。
「痴れ者の讒言など気にするな。」
言ったことを反芻するような間があってから、セリナの唇が動いた。
「何?」
聞き取れずに問えば、落ち着いた声が響く。
「どうして、あなたが私をかばうの。」
出て来た台詞に、ジオは一瞬動きを止めた。内容を理解して、眉根が寄った。
「どういう意味だ。」
「災厄を運ぶという私を、護る理由が?」
「……。」
(何を言っているんだ、この女は。)
かばうなと、言っているのか。
なるほど。初めが初めだけに、ジオになどかばわれたくないというのもわかる。
(それで。あのまま静観していろとでも言うのか?)
「いっそいなくなってしまった方が、厄介ごとがなくなっていいじゃない。」
湧き上がった感情を抑えるため、ジオは一度瞳を閉じた。
言葉が出て来ない。
これは、ジオだけではなく今セリナのために動いた騎士たちも否定する言葉だ。
(そして自分自身でさえも。)
諦めている。執着がない。
そうではないから、巫女姫との謁見を承諾したのだと思ったのに。
少しは捉えたと思った形は、あっさりと覆される。
(あのまま斬られた方が良かったと?)
"女神"の考えがわからない。見えない。それをこちらに掴ませない。
目の前で振り上げられた剣に恐怖したのではないのか。
投げつけられた言葉に傷ついたのではないのか。
なぜ、こんなに落ち着いていて。
しかも、阻止したことを非難してくる。
(ふざけるな。)
「……そうであるなら、保護などするものか。」
感情を殺して告げたはずの言葉は、思いのほか低い声になった。
消し切れなかった未熟さに苛立ちが増す。
ラヴァリエの隊長を視界に捉え、さらに神官長イルの居場所を把握する。
「リュート、この者を部屋へ。」
この場を任せ、ジオはすべきことに思考を切り替える。
先程の神兵について、まず神官長から聴取を。
神殿からの一行の身柄を押さえる必要もある。
クルセイトにも宰相ジェイクにも、動いてもらわなければ。
敷地を後にするセリナの姿に一度だけ目をやり、ジオは彼女に背を向けた。
その後、想像もしないタイミングで再会することになるのだが、呆れと苛立ちと疑念と警戒と…見つけた姿に抱いたのは、そんな感情。
そう、そんな感情だったのだけど。
頭上に光る金色の月と輝く星。
精霊たちが舞い上がって行った夜空が広がるその下で。
それもまた。彼女はいとも容易く覆してしまうのだ。
彼から見た彼女。
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