65.








「どこから話を始めれば良いのやら。」
ふむ、と白いひげを撫でて本に手を置く。
「我が国とアジャートは、この数年ずっと不仲だったが、10年前……あの事件が起こるまでは、隣国として交流も盛んであった。先代のアジャート王の治世には、両国王の行き来もあったし、王妹がフィルゼノンに降嫁することも、それほど不思議なことではなかったのだ。」
「妹? 先代の王様の?」
「そう、ウルリヒーダ王の叔母にあたる女性だな。」
「その人がフィルゼノンに。」
ふと、先程ジオが口にした、アジャートのことに詳しい者がこの国にもいるという言葉が蘇った。
「そして、それぞれの国の王子や姫たちが、交流を持つこともなんら不思議なことではなく。……ふむ。」
唸って眉を寄せた宰相ジェイクは、気遣わしげにジオへと視線を向けた。
「ディア様にお話するには、時系列を追って…の方がよろしいでしょうな。」
ジェイクの手の下で、カチリと小さく本が音を立てた。
そのまま滑らせるように動かした手の下で、本が自然と開いてページが捲れた。
(おぉう、すごい仕掛け。)
セリナが思わず食い入るように見つめていると、あるページで止まった。
「始まりの舞台は、フィルゼノンでもアジャートでもなく、ロザリアです。」
「ロザリア、隣国の?」
思わず繰り返したセリナに、ジェイクが無言で頷いた。
本から、キラキラした青い結晶が浮かび上がる。
ゆっくりと回転しながら、本の数センチ上に浮かんだそれは、時折光を散らす。
(綺麗……。)
「そこでの出会い。先程も申した各国の子息令嬢たちの交流の場。話は34年前、先代のフィルゼノン王・アジュライト様が、まだ王子と呼ばれており、ロザリアに留学していた頃まで遡ります。」




ここに記された出来事と、自分の知る事実と。
フィルゼノン側の目線にはなりますが、と前置きした宰相ジェイクは静かに語る。


フィルゼノンとアジャートの、それぞれの糸が出会い絡まり、解けることなく。
切り離すしかなかった話を。




















アキュリス暦1749年。
ロザリア公国首都・フロリオ。国立ガロアデール学院。
中立国ロザリアが有する学問機関(アカデミー)には、自国および他国の王侯貴族の子息令嬢が集まり、そして家柄に関わらず入学試験に受かれば誰でも通うことができる。
諸国の人間が入学し各国の文化・政治が交差するため、見聞を広め知識を深める社交場でありつつ、同年代が集まった外交の模擬実習の場でもある。
ただし、自主性を重んじながらも、自他の国の秩序を保つための規則は厳しく守られていた。
そこで結んだ関係がその後、自国に戻った後も、外交ルートとして活躍することも少なくない。
そのため、国によっては、外交官を育てることに重きを置いて、王族ではなく貴族を国費で留学させるところもある。
各国の事情も思惑も、学院の秩序を乱すものあるいは国家間の問題になるようなものでなければ許容されるが、ルールを逸脱した者への処分は迅速で、なおかつ違反者のその後にも影響力は強い。その管理能力も一助となり、由緒ある学院は中立国に建つ各国の交流の場、若者の留学先として、その地位を確立していた。












フィルゼノン王国第1王子・アジュライト=ルドナ=レイ=クライスフィル。
2年間の予定でロザリア公国へ留学に出た。
フィルゼノンでは、王家の者が留学するのはここ何代も経常のことだった。
男女を問わず何人かが年を変えて候補になるが、王位継承権上位の者が選ばれることが多く、その際優秀な護衛なども同行する。
フィルゼノンの都合と学院の受け入れの都合で一定ではないが、アジュライトの留学は18歳の時だった。


窓から差し込む光に、照らされたページを捲り、アジュライトは書かれた内容をメモする。
向かい側の席の横に人の気配。
「失礼いたしました、アジュライト様。」
「やぁ、ジェイク。シスに呼び出されていたな、用事は終わった?」
顔を上げながら、かけていた眼鏡を机に置く。
「今日の午後、マルクスからの留学生に学院を案内するようにとの内容でした。」
「あぁ、昨日到着の。彼はマルクスからの入学者だったのか、珍しいね。あの国からとは。」
開かれたままの本のページに、ジェイク=ギルバートが目を止める。
「昨日の続きですか?」
「そう、興味深いよ。特に南大陸の建物は。」
肩にかけていた上着が落ちそうになって、アジュライトは左肩を押さえた。
彼が熱心に目を通しているのは、主に建築に関係する書物だ。
「文献が多くて、勉強になる。」
本に視線を戻しかけたところで、扉が勢いよく開く音がした。
「アジュライト様!」
「ゼノは賑やかだなぁ。どうかした?」
サファイアの瞳を部屋に入って来たばかりの青年に向けて、苦笑う。
片手に剣を握りしめ、興奮気味の騎士ゼノ=ディハイトが大股で彼に近づく。
「シミターですよ、シミター!」
「シミ、何?」
首を傾げると金色の髪が揺れる。
「少し落ち着け、ゼノ。」
「ジェイクさん、いや、落ち着いてられませんって。」
藍色の瞳を細めたジェイクと対照的に、ゼノは緑色の瞳を大きくした。
「昼からの剣術の授業で、ランカーのヤツがシミターを持って来るって言ってるんですよ。」
「ランカー君が?」
「前に、『三日月刀』と言っていた武器か? 変わった形をしているとか。」
思い出した情報を口に出したジェイクに、ゼノは人差し指を立てる。
「そう、もったいぶって出し惜しみしていた剣を、ようやく。」
「ほぉ。それは見ものだな。」
「でしょ、アジュライト様も参加してくださいよ。」
「こら、ゼノ。」
「授業には出るよ。ランカー君の武器には興味あるからね。」
「ですよね! ジェイクさんも、もちろん来ますよね。」
断られるとは微塵も思っていない様子のゼノに、ジェイクは肩を落とす。
「顔は出す。」
よし!と頷いたゼノは、剣を持った手を振りながら、後ろ向きに扉に向かう。
「第1闘技場ですからね! ちなみに俺も参加しますんで!」
そう言いおいて、来た時と同じように慌ただしく去って行った。
「まったく。」
閉まった扉を見つめながら口を開いたジェイクに、アジュライトはふっと笑う。
「わざわざ伝えに来たのだから、応援してあげないとな。」
側近の騎士の奔放さにため息を吐きそうなジェイクだが、仕方ないというふうに告げた。
「マルクスの方の案内のついでに、見学しますよ。」
ははっと声を上げて、アジュライトは椅子の背に体重を預けた。




剣術の授業は、手合わせの場だ。
毎回組み合わせは変わるし、訓練の範囲内ではあるが、それでもライバルとなる相手が出てくることはよくある。
ランカーという東方からの留学生が、対戦するのはまさにそういう相手。
勝ち負けを繰り返し、雌雄を決することができないアジャートからの留学生。
ゼノがシミターと呼んだ『三日月刀』という武器は、アジュライトも初めて見る形状の剣だった。
闘技場の控え席から仕切り壁を掴んでランカーに声援を送るゼノの隣で、アジュライトは器用に武器を扱うランカーの動きを目で追っていた。
鎌にも似ているが、それとは異なる面白い武器だった。
アジャートの留学生も、勝手の違う獲物に苦戦しながら、健闘していた。
不意に視界に影が落ち、アジュライトは顔を上げる。
「……ウルリヒーダ。」
同じように手合わせを見物していたアジャート国の王子が、いつの間にか隣に立っていた。
「お前は、やらないのか?」
試合に目を向けたまま問われ、アジュライトは眉を下げた。
「たまには実技に参加しろ。」
「授業には出てるよ。」
ちらりとアメジストの瞳が向けられる。
今試合をしているアジャートの兵士もそうだが、ウルリヒーダ率いるアジャートからの留学生たちは、アジュライトたちより前からロザリアに滞在している。
来て数か月のアジュライトからすれば、今年が2年目になるウルリヒーダは先輩にあたる。年齢から言っても年上だ。
「っわ!」
前触れなく、ウルリヒーダから剣を投げられ、思わず両手で掴む。
「訓練相手になれ。」
「……。」
さっさと歩き出した隣国の王子の物言いは、否応なしだ。
どこで目をつけられたのかな、と一瞬浮かんだ考えに蓋をして、アジュライトは掴んだ剣を見て肩を落とすが、大人しく彼の後を追った。




ウルリヒーダ=ハイネスブルグの剣は重たかった。
鍛えられた体は骨格にも恵まれ屈強で、振るう剣技も洗練されていた。
アジュライトは、ロザリアでは座学を好んではいるが、これまで剣術を疎かにしてきたわけではない。
まともに受けては力負けすると判断し、相手の力を受け流すように剣を振る。
それでも体力差は如何ともしがたく、すぐにアジュライトの方が息が上がった。
時期は冬。
見ているだけのさっきまでは外気を冷たく感じていたが、今はそれを感じる余裕もない。
「!!」
弾かれそうになって、咄嗟に後ろに飛び、相手と距離を取る。着地に片手と片膝を地面につく体勢になった。
ぐっとウルリヒーダの足に力が込められ、構える。が、相手はなぜだか力を抜いた。
「手を抜いている、のか。」
宝石のような瞳に宿る光は鋭かった。
「……この状況で、そんな余裕があるように見えますか?」
正直に答えれば、相手は眉を寄せた。
「なぜ、魔法を使わない。」
相手の言葉に、アジュライトは目を丸くした。
どうやらそれゆえに手を抜いていると思われたらしい。
立ち上がり、アジュライトはうーんと小さく唸った。
「魔法は、私の力…剣技の力ではないので。」
答えが気に入らなかったのか、ウルリヒーダはさらに眉間のしわを深くした。
「剣に対する魔法が使えないわけではないのだろう。」
「……魔法騎士のように戦う方法がないわけではありません。」
「だろうな、アジュライトの噂は聞いている。」
うむ、と頷くウルリヒーダの姿を意外に思う。
「しかしな。使えるモノは使う、は基本だ。」
言いながら、ウルリヒーダが剣を構え、アジュライトははっとする。
「手を尽くしてこその本気。お前の姿勢は、オレを侮っているのと同義だ!」
振り上げられた剣に、慌てて対応しようとするが反応が遅れる。
正面から剣を打ち下ろされ、なんとか両手で持った剣で受け止めたものの息が詰まった。
ウルリヒーダがそのまま剣を薙ぎ、アジュライトは剣を弾き飛ばされる。
追撃を避けるためアジュライトは低くした体勢から、相手の足を払う。
「っ!」
僅かにバランスを崩したウルリヒーダの隙を付いて、懐に入り込み、下方から右手を突き上げた。
掌底をギリギリで交わした男は、傾いだ体の勢いを利用して回し蹴りを繰り出す。
「―――!?」
両腕を交差させ受けて、体への直接ダメージを回避するがそのまま地面に倒れる。
じゃり、と砂を踏む音に、アジュライトはぎくりと身を強張らせる。
上体を起こした彼の前に立っていたウルリヒーダは、しばらくアジュライトを見下ろしてから胡坐をかいて地面に座り込んだ。
「なかなか良い反応をするな。」
アジュライトは息を吐いて、力を抜いた。
「あなたの蹴りは強すぎる。」
「くっくっく、つい足が出た。悪かったな。」
さほど悪いとも思っていない様子の男に、アジュライトは視線を外す。
「ウルリヒーダを侮っているわけではない……が、あなたの理屈には一理あるとも思う。」
「……。」
「魔法は精霊の力、借り物なのだ。私としては、魔法に頼るだけの『力の行使』を良しとは考えない。」
少しの間、無言で難しい顔を見せていたウルリヒーダだったが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「魔法とは、そういうものなのか? 便利に使えばいいと思うが……まぁ、お前の言い分も理解した。」
そして、彼はアジュライトに右手を差し出す。
その手を掴んで、アジュライトも立ち上がる。
落ちていた剣をウルリヒーダが拾い、鞘に納めた。
付いた砂を払うアジュライトを振り向いて、ウルリヒーダはにやりと笑って見せる。


「オレは魔法の力に興味があるのだ。だが、誤解もありそうだ。またフィルゼノンの話を聞かせてくれ、アジュライト。」




2人の手合わせは、闘技場の片隅で行われたが、ランカーたちの試合から観客の目を奪うものだった。手合わせをしていた本人たちも含めて。
アジャートとフィルゼノンの王子の交流は、その時期の留学生にとっても少なからず影響を与えることとなる。
実験室が炎に包まれたり、宿舎の水道管が壊れたりというトラブルや些細なケンカなどはあったものの、ガロアデール学院に在籍していた彼らはそれぞれに有意義な時間を過ごしていた。
そして冬が終わり、季節が巡った夏の終わり。
それは、アジュライトの留学が2年目を迎え、ウルリヒーダの留学が最終年の半年を残すのみとなった頃だった。








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