37.








将軍のところから戻ったエドが、アルノーのところに行くと言うので、セリナも同行させてもらうことにした。
ちなみに、その間にイザークは馬の世話に行くということだった。
「アルノー。」
砦の一角で身を休める"銀の盾"の仲間。
30名ほどにまで増えた仲間の中でも、体格のいい彼はすぐに見つけられた。
エドに呼ばれたアルノーは、すぐに仲間の間を縫って近くに寄って来た。
彼の日焼けした肌は港町の男だからなのかもしれない、とセリナは今更思いつく。
「この先のことを話し合おうと思って。」
エドの言葉に頷いた彼は、セリナに目を止める。
「1つだけ聞きたいことがあって、エドについて来たの。すぐに席を外すわ。」
アルノーが感じただろう疑問を解決するため、彼らの話し合いに参加するつもりではないことを告げる。
エドに視線を向けたアルノーだったが、すぐにセリナに向き直る。
その態度にセリナは、遠慮なく用件を口にした。
エドの了承は先に取り付けてある。
「エリノラさんのことなんだけど、まだ合流はしていないの?」
あぁ、と納得したような表情を浮かべた男が、気まずげに頭をかいた。
「えぇ、まだです。」
「何か知らせは?」
セリナの心配を汲み取ったのか、アルノーは腕を下ろすと背筋を伸ばした。
「おそらく、なのですが。エリノラは、ここに合流するのではなく王都へ行くのではないかと思います。」
「え?」
「最終的に王都へ向かうことは知っているので、アーフェまで追って来るより、そこで待った方が良いと判断するはず。」
「それは、確かに。そうね……行き違いになるよりは。」
もっともだと思える話に、セリナは小さく頷く。
「連絡がないとしても、不思議ではない?」
港に1人残った彼女が気がかりなのだが、アルノーはにかりと笑った。
「エリノラは"使い"を所有していないので、今の状態では連絡の取りようがないんですよ、女神様。」
あ、と呟いたセリナは、アルノーの梟を思い出した。
「エリノラなら大丈夫。賢い女性だからね。」
エドがセリナを安心させるように、口を挟む。
アルノーとエドの表情に心配の影がないのを見て、セリナはもう一度小さく頷いた。
「それならいいの。」
「合流したら、間違いなくエリノラに伝えますよ。」
「ありがとう。」
アルノーのしっかりした台詞に、セリナも微笑む。
「私の用件はそれだけだったの。どうぞ、後は2人でお話を。」
両手を広げて、彼らに話を戻す。
深々と頭を下げるアルノー。
エドは、気をつけて部屋に戻ってね、と手を上げた。
同じような仕草で応じてから、セリナはその場を後にした。








そしてそのまま、さほど距離も離れていない先程の部屋へと戻るはずだったのだが。
「なぜ、あなたがここに。」
砦の中に戻り廊下に立った途端、その人物を見つけた。
「そう不思議な話ではありませんよ。」
銀青色の髪を揺らして、彼は流れる様なお辞儀をした。
「クラウス=ディケンズ。」
「はい。」
別に呼びかけたわけではない。
セリナがそのまま沈黙していると、クラウスが口を開いた。
「ルードリッヒ様の軍がアーフェに遠征するのに付いて、ここへ来ていたのです。彼らはもう帰路に着きましたが、私は残った。だから、今ここに居る。それだけの簡単な話です。」
「ルーイと、一緒に行かなくていいわけ?」
「私の行動は私が決めることです。」
そういえば、部下ではないのだというようなことを言っていたと思い出す。
目の前の人物を見つめたまま、セリナはその場に立ち尽くす。
「まぁ、実際のところ。女神殿がアーフェに来るらしいと知って、待っていたのですよ。」
「待っていた?」
目を瞬いたセリナに、クラウスは静かに告げる。
「おや、調べ物を依頼したのは貴女でしょう? お忘れに?」
『調べ物』という単語に、セリナははっとする。
「パトリックのこと、何かわかったのね?!」
クラウスは口角を少し上げると、半歩下がった。
「では、女神殿。少し場所を変えてお話を。」
優雅な動きでひらりと廊下の先を示し、セリナの歩みを促す。
誘われるままセリナは、彼の言葉に応じた。








着いた先は内部の部屋ではなく、塀の上だった。
砦のそれは当然民家の塀とは異なり、石造りで回廊のように繋がりあっていて、そこを馬が走ることもできるほど強固な物だ。
間隔を置いて小塔が建ち、そこは監視台も兼ねる場所になっている。
囲われているので外部からは遮断されているが、内部からの見晴らしは良い。
その塔の内に2人は立つ。
近くに兵士の姿は見えなかった。
長身の男に、セリナは向かい合う。
「パトリックのことを調べてくれたのでしょう? でもあの時は、私のために動く理由はないと。」
「対価を持っていなかった以前とは状況が変わったのですよ。騎士の安否をお伝えする代わりに、女神殿にやってもらいたいことが1つあります。」
考えてもいなかった展開にセリナは身構えるが、それを気にしたふうもなくクラウスは先を続ける。
「難しいことではありません。むしろ、貴女になら可能とすら言えます。」
さわさわと、乾いた風が頬を撫でて行った。
「ただ、情報の対価として女神殿の行動を指定することは、取引として平等ではありません。なので、貴女に有利な条件で、取引を提案し直します。」
「取引……。」
「前提として、知りたがっていた情報を私は現実に貴女に提示することができる。」
困惑を隠せないセリナに、クラウスは視線を合わせる。
「こちらの条件は1つ。ヴァルエンの王城内にある武器庫に私を案内すること。」
「っ。」
内容に、セリナは思わず息をつめた。
「取引が成立した場合、私の情報はこの場で開示する。」
「それだと、聞くだけ聞いて、途中で逃げ出すかも。」
「だから、女神殿に有利な提案だと言っているのです。」
意地悪めいて言い返してみたが、事もなげに答えが戻って来た。
(信用されているとは思えないのだけど。)
「武器庫になんの用が?」
「詮索は無用です。」
武器庫を目指しているのは、セリナも同じだ。
近づく方法はわからないが、案内だけならば悪い条件ではない気もする。
けれど。
「目的がわからないのに手を貸すことはできないわ。」
「なるほど。賢いですね。」
驚いたような顔を見せて、クラウスは少し考え込む。
「キル・スプラ。」
「え?」
「いえ、……ある武器に興味を引かれましてね。それを探しているのです。」
クラウスは言い直したが、セリナの耳は初めの言葉も聞き取っていた。
(あの銃のような武器を、クラウスも狙っている?)
魔法使いである彼にとっても、相性の悪い武器であるはずだ。
それとも、自ら利用しようとしているのだろうか。
「『それ』が、城の武器庫にあるの?」
「予想が正しければ。」
(どうするべきなんだろう。安否は知りたい、けど。のってもいいものかしら。)
彼の目的がわかったとは言い難い話だ。


「そして、もう1つ、貴女に有利な話を。」


考え込みそうになっていたセリナは顔を上げる。
「わざわざここまで移動したのには、もちろん理由が。」
そう言って、クラウスは外に目を向けた。
つられてセリナも同じ方向を見る。
「柵が並べられているのが見えますか? その奥の丘陵、それを越えればマルクス領で、右手側の山の向こうに砦が建っています。」
「?」
柵は見える。カルダール山脈から伸びる稜線も捉えることはできた。
その先を追って目を凝らすが、霞んでいてよくわからず、砦も位置的に目視することは難しそうだった。
「マルクス国の辺境警備隊が詰めている場所です。」
へぇ、という感想に心はこもっていない。
広がる大地は荒れていた。生き物の気配を感じない。
所々大地が黒いのは、どうやら焦げているかららしい。
ここはルーイが向かおうとしていた場所で、現在騒動は起きていない。
帰路に着いたというクラウスの発言からも、鎮圧という任務を無事果たしたのだと知る。
「アルフレッド=ターナーという人物を知っていますか?」
言われた名前に、セリナは首を傾げる。
どこかで聞いたような気もするが、誰だかわからない。
「フィルゼノンのグリサールを治めている伯爵。」
そこまで言われて、視察途中で通った地名に思い当たる。
(グリサールって、神殿に寄ったあそこ。確か領主は『すてきなおじさま』?!)
記憶に残っているのは、相手への感想がそんなふうだったからだ。
クラウスは、セリナの表情から知っていることを判断したようだった。
「その伯爵の使いの者が、あの砦にいるらしい。」
「え?」
思わずきょとんとして、目を瞬いた。
「あそこに、いるって。どういうこと。」
「フィルゼノンから派遣されて来たのでしょう。噂では、マルクスにはフィルゼノンへ行き来できる魔法陣があるとか。」
「なんで、そんなことを知っているの?」
「噂ですよ。」
「違うわ、フィルゼノンからの使いが来ているなんて、どうして。」
「まぁ、方法はいろいろと。このタイミングですから、女神殿と無関係ということはないでしょう?」
そう言われても、セリナには何もわからない。
「伯爵の単独行動だなんてことも、あり得ないでしょうね。」
クラウスの台詞に、セリナは男を振り仰ぐ。
相手は顔を動かさず、翡翠色の瞳だけがセリナを向いた。
「当然、指示した者がいるはずです。」
言われて浮かんだ顔がある。
セリナは、ぎゅっと胸元を両手で握りしめた。
「そんな……。」
今、自分がどんな顔をしているのか、わからなかった。
フィルゼノンは女神を見捨てた、とルーイは言ったけれど。
「どうしますか?」
問われて、頭が真っ白になる。
何を聞かれたのかわからない。
「今なら。あの砦まで行けば。」
「……。」
クラウスの言葉を待った。
「グリサール伯爵の使いが、女神殿をフィルゼノンへ連れ帰ってくれるかもしれません。」
息をのむ。
(そんなことが?)
クラウスを見つめる。
何を驚いているのか、とでも言いたげにクラウスが不思議そうな顔を作った。
震える両手をさらに握り込む。
(帰れる? 向こうの砦まで行けば、フィルゼノンへ?)
降ってわいた魅力的な選択肢だった。
(フィルゼノンへ。)


戻れるのなら、クラウスと取引をする理由もない。
戻れるのなら、自分で事実を確認できる。
戻れるのなら、先の見えないこの状況から解放される。


山の向こうへ、視線を凝らして。
セリナは塀から身を乗り出すほどに、先を見つめた。
乾いた風を受けて、髪が流れる。
「……。」
やがて、かかとを下ろして、塀から両手を離す。
視線は山の向こうを見たままで。
「ムリよ、行けないわ。」
ゆっくりと呟いた。
「戻りたいとは思わないのですか?」
「っ! 戻りたいに決まってるでしょう!!」
反射的に、セリナは語気強く言い返した。
「それが本当で、フィルゼノンに戻れるなら、すぐにでもっ。だけど今、途中で逃げ出すなんて。」
銀の盾の力を借りようとしたのはセリナ自身だ。
ここで離脱すれば、セリナを信用して正体を明かしたエドを裏切ることになる。
思い切れず走り出せなかったリシュバインの砦の時とは違って、きっと本気でそうしたいなら、ここからマルクスの砦に向かう道はあるのだろうけれど。
「私は、フィルゼノンとアジャートが戦争をすることを阻止したい。そのために、ここにいるの。フィルゼノンのために、私にできることをしようと。」
「フィルゼノンのため?」
「クラウスにはクラウスの、フィルゼノンを恨む理由があるのかもしれないけれど、私には私の……フィルゼノンの力になりたい理由があるの。」
感情の読めない翡翠色の瞳が、静かにセリナを見つめていた。
「それに、あなたの言葉を信用できるかどうか怪しいわ。」
セリナの言葉に、クラウスは、はっと声を出して笑った。
「確かに。私は大嘘つきですからね。」
「……。」
「貴女は人を信じすぎるようだから、そうして少しは相手を疑うことをした方がいい。」
胡乱な目で男を眺めたセリナは、思いがけず真剣な瞳とぶつかって息をのむ。


「後で、痛い目を見るのは貴女自身だから。」


(何、急に。疑えって、ジオのことを言ってるの? それとも……。)
「では、条件がそろったようですし、取引開始としましょう。貴女は取引相手として不足ない。」
クラウスの言葉に、セリナは引っ掛かりを覚える。
「今の、どういう意味。」
「何がですか?」
「相手として不足ないって?」
まるで、今そう判断したという口振りだった。
否、実際その通りなのかもしれない。
「ここであちらへ帰る相手と、できる取引ではないでしょう。」
相手は悪びれもせず肩をすくめた。
(それはそうでしょうけど。取引を持ち掛けておいて、それを壊すような情報を提示するなんて、何考えてるの。)
掴み切れない男だ。
(滅びの訪れを歓迎する、と言っていたけれど。)
セリナは以前ルーイから言われた言葉を思い出した。


―――理由が知りたいなら、本人に尋ねてみろ。


クラウスを改めて見つめ、セリナは顎を上げる。
(聞くなら、今しかないかもしれない。)
「では、『平等』な取引のために、私もクラウスがどういう人物か知るべきよね。」
「へぇ、交渉のつもりですか?」
「フィルゼノンを憎む理由は何。」
さっきまで余裕の態度を見せていたクラウスが、ピクリと反応したのがわかった。
「クラウスの出した条件も、それと無関係ではないのでしょう。」
見上げるセリナに、視線を落として。青年は短く息を吐いた。
「憎む理由など知ったところで、面白くもないでしょうに。」
乾いた風が、銀青色の髪を揺らす。
視線を外したクラウスは、しばらく沈黙した。
答えてはくれないかも、とセリナが諦めかけた頃、呟くように相手が口を開いた。


「我がディケンズは、先祖代々王家に仕える魔法一族でした。……あの戦いまでは。」








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