34.








城下町の南、いくらか高台になっている場所に建つ白い神殿がある。
太陽神殿と呼ばれるその場所は、収穫祭の期間中、貴族諸侯の関係者がチャリティーバザーを行うことで知られている。
神殿の中とその庭では、身分に関わらず大勢の人で溢れていた。
朝からその手伝いに参加していたティリアは、ようやく一息ついて人のいない庭の一角へ足を向けた。
そこで警備に駆り出されていたらしい知り合いの騎士の姿を見つける。
「アシュレー?」
相手も休憩中らしく町を眺めていたが、驚いたように振り向いた。
「ティリア姫。」
返された言葉にちらりと睨むと、周囲を確認してから騎士が肩をすくめて見せた。
庭の柵に手を置いて、ティリアはアシュレーの隣に並ぶと眼下を見下ろす。
「さすがに賑やかね。みんな楽しそう。」
晴れて良かったわ、と笑うと、アシュレーも同意を示す。
「昨日は、大神殿の巫女姫様が来られていたそうよ。ここの巫女たちが嬉しそうに話していたわ。」
「そうですか。」
生返事のアシュレーに、ティリアは首を傾げる。
「何か気がかりなことでも?」
「え?」
「さっきも声を掛けるまで気づかないなんて、珍しいから。」
「すみません。」
微笑みながら告げた言葉に謝罪が返り、さすがにティリアは眉を下げた。
「別に責めているわけじゃないわ。」
邪魔をしたのだろうかと居たたまれなくて、ティリアは戻ろうかと後ろを見る。
そんなティリアを知ってか知らずか、アシュレーは町を見たまま口を開いた。
「少し考え事をしていた。」
「……もしかして、先日のラシャク様の件に関すること?」
ここでティリアに告げるくらいなのだから、心当たりはそれくらいしかない。
「一緒にロンハール邸へ。別邸の、マルグリット様のお屋敷へ同行したと聞いたわ。」
「ロンハール卿は怪我のことがあって直接はお会いしにくいと言うので、私が『鏡』を届ける役目を。」
通信を媒介する魔法具だ。
ラシャクが対になる鏡を持ち、それを通して両者が会話を行える。
ロンハール家の2人は、ともに魔力が多くないため、その状況ではアシュレーの魔法を使うしかない。
「『昔話』を聞きに行ったのよね。何か大変な話を聞いてしまった?」
仲介者としてどちらかの側にいたとすれば、会話は聞こえてしまう。
「いや、全体的に事実確認のようなものだ。どんな意図があったのか、私には理解できなかった。」
「アシュレー?」
「……。」
黙り込んだアシュレーに、ティリアは苦笑する。
「そうね。わたくしもよくそんなことがあるわ。」
彼らの話の内容を詮索することはできないが、アシュレーの気持ちも少しはわかる。
「お兄様もそう。いつだって肝心なことは言ってくれない。まぁ、言えない事情もあるのでしょうけど。それでも、振り回されるこちらは気になるし困ってしまう。」
はっとしたようにアシュレーが顔を上げる。
「悪い、ティリアにこんな話を聞かせるつもりでは。」
「アシュレーまでわたくしを除け者に?」
おどけてそう告げる。
無関係ではないと思っているから、アシュレーはさっきの話をティリアにこぼしたのだ。
「言ってくれて嬉しかったのに。」
正直な気持ちを口にすれば、相手が僅かに目を見張った。
「わたくしだって、セリナを心配しているのに。事情を知らされないのは、傷つくわ。」
「ティリアの気持ちは、みな良くわかっている。輪の外に置こうだなんて、クルセイト様だって思ってはいない。」
「ありがとう。わたくしこそ、ダメね。こんなこと、アシュレーに言うつもりではなかったのよ。」
沈みかけた空気を拭うため、ティリアは笑顔を浮かべる。
その時、急にごうっと強い風が吹いて木々を揺らした。
「きゃ。」
「ティリア。」
魔法騎士が風からかばうように体を寄せ、ティリアは髪を押さえて風が収まるのを待った。
あちこちで声が上がり、いろいろな音が一斉に通り過ぎて行く。
「すごい風だったな。」
「えぇ、驚いた。」
何事もなかったかのように晴れる空の下、驚きもすぐにおさまり町に元の賑やかさが戻る。
髪を整えながら、ティリアは片手で胸を押さえる。
(不意打ちでかばわれるなんて、心臓が。)
ドキドキしているティリアをよそに、アシュレーはそういえば、と呟いた。
「前回会った時にも思ったんだが、ティリア。」
「な、何?」
「力を制御できるようになったのか?」
予想外の問いに目を丸くして、ティリアは内容を把握する。
「い、いいえ。特に変わりはない、はずだけど。」
「では、安定して来たということか。」
「そう見えるの?」
「自分では感じないか?」
わからないので、首を振る。
ティリアは自分の魔力を上手にコントロールできない。
それで迷惑をかけたことがあるアシュレーの目に、安定して見えるなら嬉しくあった。
「相変わらず上手く使えないわ。」
ふと、ティリアは言葉を止める。
「あぁ、けれど。そうね、ここしばらく力の暴走はないわ。」
「良かった。春頃に君が倒れたと聞いていたから、心配していた。」
アシュレーにそんなふうに思われているとは想像もしていなかったので、ティリアは驚く。
気にかけてくれていたのかと考え、遅れて頬が熱くなった。
「平気よ、たいしたことはなかったの。」
知らず、言い訳めいて口調が早くなる。
穏やかに頷くアシュレーに、ティリアは視線を彷徨わせる。
「し、心配してくれて、ありがとう。」
もごもごと小さな声になってしまい、ティリアは聞こえただろうかと相手をちらりと窺う。
アシュレーは困ったように笑んで、いや、と応じた。
「すまないが、そろそろ交代の時間だ。」
「あぁ! どうぞ、仕事に戻って。わたくしも戻るから。」
一礼して歩き出した騎士の背中を眺めて、ティリアはほぅと息を吐く。
今日のアシュレーの態度は、昔のそれに似て、珍しく線引きを感じなかった。
さわさわと吹く風に、ティリアは髪を押さえる。
(マルグリット様の昔話。事実確認? セリナのことと、なんの関係があるのかしら。)
アシュレーの疑問はもっともだと思う。
(陛下は……。)
ふ、と浮かんだ疑問を胸に、ティリアは収穫祭に賑わう街並みを見下ろす。
笑顔が溢れ、今年の恵みに感謝を捧げる人々の姿がそこにはある。


(セリナを救うつもりがあると、信じていいのよね?)


きゅう、と締め付けられるような感覚に、ティリアは胸に手を置く。
(リビス祭に、セリナと来られたら良かったのに。)
















休憩を終えてアシュレーは警護に戻る。
(余計な話をしてしまったか。)
思いがけず事情を知るティリアに会ってしまい、口が軽くなった。
(ティリアも似た立場だと言われると複雑だな。)
ロンハール別邸を卿の代わりに訪ねて話をして来いという、無茶な指示をされたのはつい先日。
面識すらないマルグリット=ロンハールとの会見など荷が重すぎる。
本気で辞退すれば、じゃあ魔法で会話の仲介をしてくれたのでいいやと妥協案を出された。怪我しているのが見えないようにしてね、と。
最初からそのつもりでからかわれていたのか、本気で送り込む気だったのか。ロンハール卿の本音はさっぱり掴めない。
ただ、彼らの会話が聞こえる位置で待機させられたことから考えても、アシュレーが耳にして良い話しかされていなかったのは確かだ。
(だからこそ不思議なのだ。)
あんなふうにわざわざ話を聞きに行ったのに、世間話だけで済むはずがない。
城へ戻った後、ラシャク=ロンハールは怪我をおして王へ報告に行った。
『昔話』の確認を指示した王の、意に添う話をあの会話から得たということだろう。
鏡を通した会話で、挨拶と近況を経て、彼らの話題はマルグリットの昔話に移った。
馴れ初めから始まり、結婚の時期と苦労話や惚気話。
降嫁後のアジャートとの関係。これについては、結婚後の繋がりはほぼなく、現王に代替わりした後は皆無ということだった。
そして、アジャートの五王時代の昔話。おとぎ話や伝説という類のそれは、フィルゼノンに伝わるものとは多少異なっていたが、諸説存在することに不思議はない。
主人公が、アジャートの初代国王であることも当然である。
"黒の女神"へ対する解釈にアシュレーは驚いたのだが、それが王にとって目新しい情報になるとも思えなかった。
"女神"に関することに絞ればいくつか話の中に要素はあったが、ロンハール卿にとっても確認作業のようなものだった。
何か新事実を掴んだ、という様子は見受けられなかった。
強いて言うなら、現アジャート王との繋がりはないと確認した時にだけ、卿の表情が一瞬驚きに動いたくらいだ。
とはいえ、3時間を越えての長話に、術の時間制限で中断させてしまわないかとひやひやしていたので最後の方は内容が朧げではある。
(あれで役に立てていたのだろうか。)
アシュレーは、そっと自分の両手を見つめた。
(ティリアの場合は。クルセイト様もロンハール卿も、距離を測りかねているのかもしれない。『遠ざける』こともできないけれど、危険が及ぶようなところには近づけたくないはずだから。)
反対側にいる騎士に合図を出して、通路を通る荷馬車を止め先に通行人を渡す。
貴族や市民など多くの人が集まっている太陽神殿だが、今日はケンカなどの諍いもなく警護は平和なものだ。
晴れた空に目を向ける。
(ティリアが倒れたのは、女神が現れた頃だったか。それ以降……半年近く、安定しているのなら、良い傾向だ。)








BACK≪ ≫NEXT