30.








視察中に起こった事態をざっと聞き終えたティリアは、アシュレーと共にアーカヴィの屋敷へと走る馬車に乗っていた。
ちらりと向かい合わせに座る騎士を見る。
視察に同行していたとはいえ彼が、セリナの事情に通じていること。
そして、兄がラシャク=ロンハールの迎えを任せたこと。
どう控えめに解釈をしたとしても、『関係者』であることに間違いはない。
そして、ティリアよりも多くの情報を持っている。
(会うとは思っていなかったから、心の準備が。)
口を引き結んで、ティリアは窓の外に目を向けた。
ティリアとアシュレーは同じ時期に魔法学校に在籍していたため、以前よりの知り合いだ。
在籍の年次も所属クラスも違っていたが、アシュリオ=ベルウォールが優秀なことはその頃から知っている。
当時、ティリアに敬意の欠片もない態度を取っていたのに、卒業を境に彼の態度は余所余所しいものへと変わった。
騎士としての態度といえば、それが正解なのだろうが。
(最初は、とんでもなく無礼な人だと思っていたし。)
身分のせいか単に興味がないのか、先程のように注意すれば口調を崩してくれるが、他人がいるとそれもすぐに元に戻る。
ティリアとしては以前のように垣根なく接して欲しいと思っているのに、その態度の変化は明らかに線引きを示しており複雑だ。
何を言っても、令嬢のわがままに付き合わせている、という感じが否めない。
(険悪なわけではないけれど、居たたまれない空気。お兄様だって、わたくしがこういう状況になることはわかっているはずなのよね。なのにこんな突然ッ!)
お兄様のばか、と心の中で罵るくらいは大目に見てほしい。
冷静な魔法騎士は、ティリアの気持ちなど知らないだろう。
(舞踏会で、彼の姿を探したなんて……きっと、そんなこと考えもしない。)
自分の思考に落ち込みかけるが、ティリアは軽く頭を振る。
なんとか表情を取り繕って視線を戻した途端、こちらを見つめていたアシュレーと目が合って息をのんだ。
「っ。」
ちっとも心の準備が間に合っていない。
「どうかしたのか。」
「い、いいえ! そうだ、ラシャク様のことを話すのだったわね。」
続きは移動しながら、と場所を変えたのだ。
静かに頷く騎士を確認して、ティリアは余計な思考を追い払い背筋を伸ばす。
今は、自分のことを言っている場合ではない。
「ラシャク様は、足を怪我されて昨日から我が家に滞在しているの。」
アシュレーの表情が曇る。
「早朝に屋敷に戻って来たお兄様が、怪我をしたラシャク様を連れていて、すぐに手当てをって。お兄様はすぐに城へ行ってしまうし。」
ひどく急いでいたから話しかける暇もなかった。
「詳しい事情もまだ聞けていないの。でも、ラシャク様は何者かを追って南へ行っていたみたいだから。そこで何かあったのだと思う。」
「怪我の状態は?」
「骨に異常はないけれど、一人で歩くことはまだ難しそう。目覚めているといいけど……。」
「卿が追っていた相手の正体もまだ聞いていないんだな?」
その問いにティリアは頷く。
「そういえば……お兄様に、不思議なことを言っていた。ラシャク様の意識がはっきりしていたわけじゃなかったし、ちらっと聞こえただけだけど。」
「なんて?」
促されて、ティリアはアシュレーと目を合わす。
「自分は見逃されたって。」
















アーカヴィ家の屋敷の客間で、ラシャク=ロンハールは庭を眺めていた。
(いや、さすが名家。庭の造りも行き届いている。庭師の腕はなかなか。)
サイドテーブルに用意された飲み物に口をつけ、窓から入って来る風に目を細める。
雰囲気は、優雅な午後のひと時にほかならない。
あいにくと、通常ならいるはずのお相手の令嬢の姿は彼の前にはない。
さらに残念なことに、彼がいるのはベッドの上で、右足は動かせないし、左側の額にも大きな白布が貼られその下の傷を覆っている。
「あいたたた。」
身動きを取ろうとすれば痛みが主張を強くして、ラシャクは思いそのまま口に出す。
枕に背を預けて正面の壁を見つめた。








ラシャクが以前よりマークしていた商人たちが、南に移動するのに合わせて、部下とともにその動向を注視していた。
港町・リジャルへ向かって南下し、そのまま何事もなく船に乗り出国となれば、調査は空振りに終わる。
だが、道中に一度も商売を始めなかった彼らが普通の行商人だとは、ラシャクには到底思えなかった。
案の定、リジャルへ向かっていた彼らは、突然ハルリーへと行き先を変える。ハルリーも港町ではあるが、交易都市リジャルとは異なり、国家間を行き来するような大型船の出入りはない。
同じ頃、リジャルに先回りしていた部下から、不審船の存在が報告される。
入港予定の船の行き先から、彼らの目的地を探るために派遣した者だったが、小型船ながらそれに気づいた部下は、やはり優秀だったと言える。
調査している件に無関係なら、リジャルの港湾警備隊に通報すべきだが、様子見をさせていた。
密航を疑いつつも追跡を続け、ハルリーの港の陰でその不審船を発見したところで、ラシャクは気づいた。
目的地がハルリーに変わったのは船をそちらに回したからであり、船を動かしているのは彼らの仲間だと。そして、慣れた扱いで剣を手にした彼らが訓練を受けた武人であること。
その時はまだ、相手の正体も目的も推測するしかなく、リジャルとハルリーとに分かれて人手を割いていたラシャクは部下1人とともに監視の目を向けるに留まっていた。
だが、事態は急変する。
こちらの追跡がばれたのだ。
剣を手にした商人2人。否、既にその時には剣士に違いなく、彼らがどうやって接客などできていたのかと思うほどに冷酷な目をしていた。
この先追って来られて邪魔されては困る、と薄く笑いながら振り下ろされた剣を、文官であるラシャクが受け交わしたのは奇跡に近い。
共にいた部下は"武官"。より強いのはそちらだと知って、敵の剣士の標的はラシャクから一度逸れた。
2対2の戦いで、ラシャクの相手はもう1人の剣士だった。
見た目は少年。自分より年下の、笑うとあどけなさが見えるような。
面倒なことや無駄なことはしたくないと、だから早く終わらせましょうよ、と仲間にのんびりとした口調で告げながら、見た目に似合わぬ重い剣戟を繰り出す少年と、戦いを心底楽しみ、相手に傷を負わせて恍惚とした笑みを浮かべた剣士。
そんな敵にぞっとしたラシャクは、既に気持ちで負けていたのかもしれない。
土の上に倒れ、なんとか剣だけは手放さず、それでも反撃を繰り出せるほどの隙を見いだせない相手に、ラシャクは冷や汗を流した。
「ロンハール卿!」と。
部下の上げた声が、おそらくラシャクを助けた。
少年が振り上げた剣がピクリと揺れて、僅かに彼の目が見開かれた。
ロンハールの名を思案気に繰り返した少年が、ラシャクの瞳をまじまじと見つめた後。


―――プリンセス・マルグリットの血。


納得したような声音での呟きに、ラシャクは全身が震えた。
その一言で彼らの正体が知れたからだ。




次の瞬間、訪れた衝撃に意識を手放し、目を開けた時に彼らの姿はなかった。
どのくらい気絶していたのかわからないが、日の傾きからそれほど長くはないように思えた。
斬りつけられた足は動かず、倒れたままで連絡用の魔法を作動させる。魔力に乏しいラシャクにとっては、簡易魔法陣の発動すら簡単ではない。
現れた鳥に、伝言を託す。
ピクリとも動かない部下を横目に、本当ならば助けを求めるためにこの一羽しかいない鳥を飛ばすべきだとも考えるが、そのまま大空へ放つ。鳥が向かう先は、視察団のいる場所。この事態を何よりも早く伝えなければならない。
身動きの取れない状態で、もはやできることはなかった。そこからすぐにラシャクの意識は沈み、クルセイトという予想外の助けが現れるまで落ちていた。








ラシャクは手の平で顔を覆う。
(プリンセス・マルグリットの血。)
その発言で、相手がアジャートの人間であるとわかった。
マルグリットとは彼の祖母の名であり、祖母はアジャートの出身だ。それも、アジャートの先代国王の妹にあたる人物だった。
当時は今ほど両国の仲は悪くなく、国交もあった。
政略的な婚姻ではあったらしいが、ラシャクの知る祖父母の仲は睦まじいものだった。
ただし、両国の仲が険悪になるにつれ、彼らへの世間からの風当たりは強くなり、戦時下においてはロンハール家自体に監視がついて軟禁状態にあった。ラシャクの父も出世は望めず、下級貴族の席についているがそれだけだ。
幸い、こんな情勢下でも今のフィルゼノン王はロンハール家を排斥することはなく、ラシャクの仕官もなんとか叶っている。
(瞳の色を確認していたな。)
ラシャクのアメジスト色の瞳は祖母からの隔世遺伝であるが、この紫はアジャートの王族の色だとも言われている。
(先の戦の時、プリンセス・マルグリットには手を出さないようにと、アジャート側が指示していたという噂があったが。今回のことを思うに、嘘ではなさそうだ。)
あの若い剣士が、ロンハールの名に反応して手を止めたのだ。
マルグリット=ロンハールのおかげに違いない。
気を失う直前、聞こえた呟き。


―――さすがに、独断でその色を狩るのはまずいよね。


当然ながら、マルグリット姫は降嫁した時点で王族籍を外れているし、ラシャクはアジャート王家とは無関係だ。
(あの発言。剣士たちは王に近しい場所に仕えている。)
少なくとも、王家に連なる血を継ぎその色を持つ相手の、その命を取ることを躊躇うくらいにはアジャートに忠誠を抱いている。
(ハルリーから視察団……いや女神を追って西へ。さらにそのままアジャートへ向かったはず。)
顔を上げて、ラシャクは息を吐く。放った鳥の情報は、きちんと間に合うように王のところまで届いたのだろうか。
(あちらが"黒の女神"を手に入れた、のか?)




ノックの音が聞こえ、思考が中断する。
常ならず険しくなっていた表情を改めてから、どうぞと答えれば、ティリアとアシュレーが顔を見せた。
「おやおや、アシュレー君まで。」
簡単に挨拶の礼を取った後で、ティリアがラシャクの側に寄る。
「ラシャク様を城へお連れするために、来てくれたのです。」
「城へ?」
ラシャクは窺うようにアシュレーを見上げた。
「はい。それと1点、言付かって参りました。」
ラシャクは目で先を促す。
「『昔話を知っているのか』とのお言葉を承っております。」
「あぁ。」
小さく頷いて、ラシャクは内心安堵する。
クルスがラシャクの身柄を、アーカヴィ家に留めおいた理由。
ラシャクをそのまま城に連れて帰れば騒ぎになる。それを回避するのに、今の状況が当然取るべき処置であることはわかっている。
それでも、もしかすると。己の血筋ゆえに、この一件から遠ざけられてしまうのではと心配していたのだ。
だが、帰還の命で懸念は消えた。
誰からの伝言なのかは、考えるまでもない。それに応じるのは、望むところだ。


「じゃあ、行き先を変更して。ロンハール邸に寄るから。」


「え!?」
ティリアが驚いたように声を上げた。設備の整った城の医務室へ移動すると思っていた彼女には予想外だったらしい。
「アシュレー君、ほら肩貸して。」
ひらひらと手を振って騎士を近くへ呼ぶ。
「え、ラシャク様。城へは……。」
「ん? その後戻るよ。 ちょっと用事ができたから。」
ベッドから足を下せば、アシュレーが心得たように肩を貸してくれる。ゆっくり頼むよ、と軽口を叩く。
さらに何か言いたそうな表情のティリアだったが、立ち上がった2人の姿に小さく息をつく。ラシャクの上着を取ると、それを彼の肩へとかけた。
「どうか無理なさらないでくださいね。」
「ありがとう。」
傷の見える顔に紳士の笑顔が浮かべ、部屋の扉を開いたティリアの前で一度足を止める。
「ティリア姫、世話になったね。心より感謝する。」
そう言って、ラシャクは優雅な手つきでティリアの手を取り、その甲へと口づけた。
「…………いえ、お気になさらず。」
繰り返されてきた一般的貴族の挨拶に、ティリアが一瞬だけ固まったように見えた。
それを不思議に思うより前に、ティリアはいつもの態度で微笑んだ。
「馬車は外に待たせたままです。使用人を呼びますね。」
行きましょう、との言葉に異論はなく、ラシャクはアシュレーとアーカヴィ家の使用人の手を借りつつ屋敷を後にした。












「アシュレー君は、どう思っている?」
ラシャクとアシュレーは、アーカヴィ家の馬車の中にいた。
「どう、とは。」
「説明必要?」
切り返されて、アシュレーが視線を伏せた。
「特に何ということは……。」
「そう。私はね、好意を持っているよ。」
窓の外を眺めながら言った台詞だったが、アシュレーが目を開くのがわかった。
視線を投げてラシャクは、小さく笑う。
「そんなに不思議なことかい? "黒の女神"に好意的なのが。」
「ぇ、あ。いえ、女神……ですか?」
「何?」
「いいえ、あの。不思議ということでは。」
「私はね、実は黒の女神にそれほど"災い"のイメージを持っていない。」
「……。」
そう口にすると、きっとこの瞳のことを考えるだろう。
言葉に詰まったアシュレーのように。
フィルゼノンの人間ではないからだと、そう言われるのは不愉快で。表だって主張したことはない。
ラシャクが最初に"黒の女神"の名を知ったのは、フィルゼノンに伝わる賢者の言葉ではなく、祖母の言葉からだった。
だから今でも、女神に対する印象は他の者とは違うという自覚がある。
(黎明の女神ラウラリア。)
そして、その感覚はアジャートが持っているものに近いだろうということも。
災いや恐怖を感じる存在ではない。
それ故。
彼女が本物の"黒の女神"であるなら、気の毒だと思った。
何も知らない少女に同情した。
ラウラリアなら、この国であっても歓迎されるべき存在なのに。




「この道は。」
何かに気づいてアシュレーが呟く。
「行き先は、ロンハールの別邸だ。」
ラシャクの答えに、アシュレーは顔を上げる。
「昔話を聞きに行く。」
静かに頷いたアシュレーに、ラシャクは表情を崩して肩をすくめた。
「しかし、こんな怪我をした状態で訪ねて行くと驚かせてしまうだろうなぁ。」
肯定で応じようとしたらしいアシュレーが、こちらの表情に気づく。
「……ロンハール卿?」
嫌な予感を感じ取っている騎士に、にっこりと綺麗な笑顔を浮かべて、事もなげにとんでもない指示を出す。


「ということで、実際にロンハール別邸に出向くのはアシュレー君にお願いするね。」








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