27.








近衛騎士隊"メビウスロザード"。
自室に戻った副隊長のグリフ=メイヤードは目頭を押さえた。
一度身支度を整えに戻って来たが、すぐに出かけなければならない。
午後からの休暇は返上だ。
バスルームに入り、冷たい水で顔を洗いながら、つい先日のことを思い出す。




***




フィルゼノンの西。
国境を守る城塞都市・ラグルゼ。
そこへ再び訪れたグリフを出迎えたのは、警備隊に所属する青年・レイクだった。
緋の塔で御前試合が行われている間に、ここにいる者たちを連れ帰るようにとの命を受けて来た。
「まずは同行していた者たちの安否について報告を願う。」
「はい。」
「初めに襲撃を受けた、リルドというここの兵士が大怪我をした。ということは聞いている。それ以外の者のことを。」
「メイヤード様。」
廊下の向こうから現れた相手に、グリフは顔を上げる。
「あぁ、ラスティ=ナクシリア。」
ざっと上から下まで視線を走らせ、小さく頷く。
「どうやら君は元気そうだ。」
「申し訳ありません!」
勢いよく頭を下げた騎士の、握りしめた拳が震えている。
ふぅ、と息を吐いて、グリフは騎士の肩を叩く。
「謝罪を向ける相手は、私ではないだろう。いいから、状況の説明を。」
グリフの催促には、レイクが応じた。
「軽傷だったのは、我々とそれから特務隊のロイという兵士。襲撃後の捜索を行ったのも我々です。直接護衛についていた、特務隊のサイモンは交戦により負傷しましたが、幸い急所は外れており命に別状はありません。」
「侍女のアエラ。彼女も打撲していますが軽傷です。ただ、精神的な動揺が見られます。」
ラスティからの言葉に、グリフは眉を動かす。
「視察団は明日帰城予定だが、これは変更できない。君たちをすぐにでも塔へ連れ帰りたいんだ。わかるな?」
「はい。」
余裕があるなら落ち着くのを待つ方がいいが、これ以上ラグルゼに留まるのはリスクが高い。
何よりここで女性は目立つのだ。匿うにも限度がある。
「奇襲を受けたリルドは別にしても……初めに応戦した者よりも、先に進んだ者の方が重傷を負っています。我らが相手をしていた敵の撤退の早さから考えて、護衛を引き離すのが敵の目的だったものと。」
レイクの声は苦々しい色を含んでいた。
「段階的に襲撃をかけて戦力を割いたか。」
グリフは、ゼノから「足止めをされていたらしい」と聞いたのを思い出す。
攻防戦の在り様から考えて、敵には牽制を目的として動いた者と好戦的な者とがいたようだ。
それがこちらの被害の差に表れている。
「女神を追ったのは、好戦的な方か。」
もれた呟きにグリフは頭を掻く。
「失礼。それで、パトリック=ライズはどうした。」
視線を揺らしたものの、ラスティが口を開く。
「予断を許さない状態です。現在、病院ですが、まだ意識が戻っていないとの報告を受けております。」
「そんなに悪いのか?」
「出血が多く、雨に濡れて体温が下がっていました。それに、毒を受けていたらしく。」
そこまで告げて、ラスティは言葉を切った。
後を引き継ぐように、レイクが声を落として報告を足す。
「実は、そのことで不可解な点があります。」
「不可解とは?」
「彼は被毒していたようですが、その後、解毒剤を投与された形跡が。」
予期せぬ言葉にグリフは思わず眉を寄せた。
「毒は矢傷より受けたもの。サイモンの乗っていた馬はこの毒矢を受け絶命しています。毒はトリトニシアンという、即効性のものだと医者が言っておりました。発見してから、解毒剤を投与していたのでは、彼はとても助からなかっただろう、とも。」
「助けるなら、初めから致命傷になりうる攻撃をしたりなど。」
グリフは不満げに言いかけて、口を閉ざす。
(敵の態度が二極化していたとすれば、その矛盾は否定しきれない、か。)
「おそらく出所を隠すためでしょうが、矢はすべて回収されています。その余裕があったなら解毒剤を与える暇もあったはずです。」
グリフの様子を窺いながら、レイクは言葉を続ける。
「死者を出すつもりはなかった、ということなのかもしれませんが。助ける理由も思い当たらず。」
とどめを刺さず、何者かが生かす手立てを講じたらしいというその事実は確かに不可解だった。
あの場所に無関係の第三者がいたとも思えない。
「……パトリック=ライズが目覚めれば、何かわかるだろう。」
善意の行動とも思えない話に、グリフは表情を曇らせ低く呟く。
「さて、悪いがあまり時間がない。」
ラスティに顔を向けて、指示を出す。
「私はこれからパトリックのいる病院へ行って、彼を連れ帰る。戻るまでに、準備を終えておくように。」
「はい。」
即答するが、ラスティは視線を彷徨わせた。
「厳しいことを言うようだけど、彼女のために割く時間はない。予定通りになるよう、協力してもらいたい。」
依頼の口調だが、そう行動するのが当然だと暗に言っている。
ラスティとしても、納得するところはあるのだろう。
表情を引きしめて、こくりと頷いた。
「承知しました。ライズを、よろしくお願いします。」
「また後で。」
「は!」
一礼して背を向けたラスティに、グリフは小さく嘆息した。
「レイク殿、そういうわけで病院へ案内を頼む。今回の件についてのラグルゼ側の説明と、預かって来た今後の指示についてと、話は移動しながらしよう。」
「はい、移送の手筈も整えています。裏口から出ますので、こちらへどうぞ。」




***




顔を上げたグリフは、水を止めタオルを手に取る。
部屋へ戻り、クローゼットから出した平時に着用する制服を椅子の背に落とした。
(どう、話をつけたものか。)
よれたシャツを脱いで、糊の効いた新しいものに袖を通す。
あの後、滞りなく使命を果たし、緋の塔へ戻った。
重症の騎士を安静にできる場所まで転移させ、医者を手配した。
その後の昼食会にも参加し、こうして王城へと無事戻っている。
これから、今後のことについて会議があり隊長とともに出席しなければならない。
本来のその仕事以外に、もう1つ考えるべきことがあった。
自分の甥・セス=キングレイのことだ。
現在謹慎中の彼の失態については、既に耳に入っていた。
("ラヴァリエ"隊長に事情を訊くのが一番早いのだろうが、今は彼もそれどころではないだろうな。)
セスの話を聞き取ったという相手の顔を浮かべてから、それ以外で事情を知っていそうな人物を思考する。
セス自体の処遇等に口を出す気はない。
事態の一因に己の非――情報管理の甘さ――が絡んでいることを、グリフは冷静に認識していたし、身内だからと妙な誤解を受けることも避けたかった。
それよりもグリフが対処すべきなのは『キングレイ家』の方だと考えていた。
上位貴族に数えられるキングレイ家は力を持っているのだ。
(当主は温厚な人柄ゆえ心配ないが。)
抑えるべきはセスの母親、グリフの姉だ。
そこが騒ぎ立て、事態を炎上させるようなことだけは防がなければならない。
下手をすればそれがきっかけとなり暴動や戦争に繋がることを、彼は知っている。
そして。
彼の立つ側の者たちがそれを望んでいないことも。
(この国のためにも、我々自身のためにも。セスの件はうまく収めなくては。)
制服を羽織り、その襟元に薔薇と剣の意匠を施した所属を表す紋章を付け直す。
忠誠を誓った剣を取り、グリフはその手に力を込めた。
(何よりあの方のため。)
近衛騎士隊"メビウスロザード"の名の下に。




















王宮第一騎士隊"ラヴァリエ"の隊長、リュート=エリティス。
視察団の帰還を受け、城内警護が平時のものに戻される。
仕事の引継ぎを終えたリュートは、外出のための身支度をしていた。
剣を佩き、外套を掴む。
振り向いた拍子に、机の上のインク壷をひっかけ、慌てて受け止める。
「……。」
彼が上に報告すべきことは既に終えている。
先程までの会議とクルスとのやり取りのおかげで、大方の事情は把握しているつもりだ。
しかし、この先どう事態が転がるのかは見当もつかない。
明らかな嘘である『女神の静養』という対外的理由に、苦い思いが浮かぶ。
ぐっと握った拳に力がこもった。
(セリナ様。)




***




リュートは窓の外を眺めていた。
フィルゼノン王城内の西翼にある小さな会議室。
(北門の警備に"フェアノワール"の巡視を組み込んだのを、きちんと伝令しただろうか。いや、ジルドなら抜かりなく指示しているはずだ。そういえば、騎士団長が昼から会議とか言っていたか。雲の流れが速いな。風が強い。)
「まさか、こんな……。」
気を抜くと荒れる気持ちを抑え込むためにつらつらと巡らせていた思考は、絶望の滲む呟き声で打ち切られた。
上がって来た報告書に目を通して、『彼』はようやく口を開く気になったようだった。
取り調べを始めた当初は応答していた兵士だが、途中で事態の深刻さに気づいたらしく口が重くなっていった。
「そこに書いてあることが事実だ。」
正面に座して項垂れる兵士・セス=キングレイに、リュートは溜息を殺して口を開く。
「他に、何を話した。」
「……。」
「昨日も言ったが、そのラーフ酒場にいた女は、姿をくらませている。警備隊に調べさせた、その報告書でもわかるだろう、君のいうような者は存在しない。女の身上は全部嘘だったということだ。」
「彼女がそんな、すごく優しくて、親身に話を聞いてくれたんです。本当にあんなに健気な女性は……っ。」
訴えかけようとしたらしいセスは、リュートと目が合って言葉を失う。
そのまま項垂れた。
「ラーフの酒場は、それなりに身元もしっかりした者を雇い入れているって聞いていましたし。ベルが……彼女の話が嘘だったなんて。」
王宮騎士や兵士の御用達である城下の酒場だ。
それなりの信用があって成り立ってはいるが、過信していいというものではない。
「セス、お前の軽はずみな言動が、どれほど周囲に影響を与えるか、よく考えろ。」
セリナが城の抜け出した日の護衛であった彼は、その日の話を酒場で働くある女性に話していた。
「でも、ベル……いえ、彼女は女神に好意的でした。僕が会ったことがあると知って、どんな御方なのか知りたいと言って。とても熱心だったから、つい求められるまま話を。も、もちろん当たり障りのない範囲で!」
苦言を呈そうとして、リュートの口が空回る。
なぜそこで警戒しない、と責めたところで、彼がしょげるだけだ。
せっかく口を開いたのに話を止めることになる。
「女神様のことを貶めるようなことは何も! "サルガス"の話だって、少しでも好感を持ってもらえるのではと思って。」
彼自身は詳細を知らないのだから、大した情報は持っていないはずだった。
「それで? 城を抜け出していたこと、サルガスと接触があったこと、それ以外には?」
「っ! その、視察のことも……。いつか女神様の姿を一目でいいから見てみたいと、そんなことを言っていたので。」
「……。」
「ほんの軽口だったんです! 城の外へ出るのだから……あるいは……と。」
「視察への同行は公表されていた。それ以上の情報を話したのか?」
視線を泳がせている兵士に、リュートの目に鋭い光が宿る。
「セス=キングレイ。」
「実は……視察のルートを。そ……それと、"塔"から南へ、出かけることを。」
内容に、一瞬リュートの思考が止まる。
(なんだと?)
当たり障りのない範囲、だと言ったばかりの口からとんでもない話が飛び出した。
「も、申し訳ありません。ディア様の話をする度に、彼女が目を輝かせて喜ぶので、その……つい。」
もっと喜ばせたくなった、ということらしい。
「塔以南へ出かけることを、話した? 部外者に?」
「ラ、ラグルゼを経由して外出すると……。」
(そんなことまで!)
怒鳴りつけはしなかったが、表情には浮かんだだろう驚愕と怒り。
早い動きで椅子を下り、セスは床に頭を付けた。
「本当に申し訳ありません!」
酔っていたのだろうと、たやすく想像はつく。
そんな情報をどこから手に入れたのかという疑問は、今たいした問題ではない。
言葉巧みに若い兵士から情報を引き出した、その『女』の正体を考えるのも後でいい。
消えた女の行き先は。
(女神を見てみたい……だと。)
リュートは立ち上がり、その場にセスを置いたまま宰相の部屋を目指す。
現在クルスが南へ出かけて不在なのは知っていた。
セリナの動向を聞き出し、その後を追って姿を消したとすれば。
(視察を。いや碑石への外出をすぐに中止させなければ!)
予定通りなら一行はもう"緋の塔"に到着している。
伝令を飛ばすのに一刻の猶予もなかった。




***




(情けない。)
今の状況を思い返して、リュートは眉間にしわを刻む。
危機を察しながら、防ぐこともできず、彼女の安否は知れない。
部下が危険な目に遭い、今も意識不明だというのに、自分には何もしてやることができない。
せめてあと1日早くわかっていたなら、違っていたのではないかと悔やまれる。
インク壷を戻し、リュートは一度頭を振る。
(まずはホワイトローズだ。こちらのことはジルドに引き継いでおいたから心配ない。とにかく、すべきことをしなければ。)
そこにいる者たちから話を聞けば、少しはまともな考えも浮かぶかもしれない。








BACK≪ ≫NEXT