24.








世界樹の伸ばした枝の先
一葉は光の滴を受けて 新たな浮き島を一つ成す
世界樹の加護を受けし島は実り育ち 生き物たちの住処となった


新しい楽園に世界樹は喜びの歌を謳う


大樹は新緑の葉を揺らし 祈りは天の贈り物となった
祝福を贈るため 精霊たちは自身の世界からこの世界へ旅立つ
紺碧の海を統べる女神はその腕に抱いた光に息吹をよせ
精霊たちを乗せた"光持ちし舟"はアスガルディアの港を発った
舟は島の港に着き 世界に国々が拓かれた


豊かに栄えゆく新しい世界に神々は頷かれ
やがてこの地の統治を人に任せることにした
土地を治めるに5人の"人"が立つ
新しき世界『アーク・ザラ』の五王時代の始まりである


神々の加護を受けた五王はよく地を治め
安寧を見た神々と精霊王たちは世界樹の元へ去る
人々の祈りに応え この地で精霊の恩恵を約束して












(シーリナ、アザリー、導きの星"ルピス"。)
エドの語る神話の一部は、セリナが既に聞いたことのあるものだった。
(五王時代って確か。)
「レオンハルト、だったかしら。」
記憶から手繰り寄せた名前を口にすれば、エドが頷いた。
「フィルゼノンの初代国王だね。そして、アジャートの始王、銀の覇者・ハプシャート。どちらも五王の1人だ。」
「アジャートの王。」
「他に3名……いずれも劣らぬ伝説を多く残す偉大な王だけど、今は置いておくね。『神々の加護を受けた』と言ったけれど、それは言葉通り、王たちにはそれぞれに守護神が側に付き、その力が統治を助けたとされている。神精霊時代から人の世への過渡期、この地には人と同じ場所で神々と精霊が存在していた。」
エドはちらりとセリナを見る。
「黒の女神がいたのもこの時代だ。」
「!?」








黒の女神はハプシャートを支え統治を見守るはずだった
彼女は太陽神と夜の女王との娘で黎明を司る者
そして
白の女神はレオンハルトを支え統治を見守るはずだった
彼女は月神と太陽神の妹との娘で黄昏を司る者


同時に生まれた女神は 血の系譜を越えた姉妹
はじまりの日 女神は王の統治を見守るに天衣を変えた
つまり
黒の女神が レオンハルトを
白の女神が ハプシャートを
見守り統治を支えたのである
やがて
人の世のはじまりを見届けた神々は元の世界に戻りゆく


天衣とは天意
黒の女神は はじまりに交差した天意を思い
アーク・ザラを去る前にハプシャートに告げた


『慈悲深き夜の恩寵を纏う女神
導くものは暁の光 女神の歌は英雄と共にあり
地が闇に包まれようとも 光は再びここへ巡る』


それは後世に遺された女神の加護
やがて落日が訪れたとしても 新しい光はもたらされるのだと












「リスリーア教は知っているかな?」
「え? えぇ、確かこちらでは神様や精霊を信仰しているって。」
(やおよろずみたいだって思ったから……。)
「あぁ、フィルゼノンではそうだね。」
「?」
「同じリスリーア教でも、解釈が違う。アジャートでは、信仰の対象は神々なんだ。」
「精霊は含まないの?」
頷いて、エドは揺れる火に目を向けた。
「"黒の女神"は戦乙女とも呼ばれていて、アジャートでは勝利の女神でもある。」
その響きに、セリナは顔を上げた。
それに応じてエドも視線を少女に向け直した。
「果たせなかった天意に従い、後世にも夜明けをもたらすと言い残した女神。この時代に現れた君の存在は、アジャートにとっての光……言うなれば、導き主のようなものだね。」
「勝利の女神。だから、アジャート王も手元に置きたがるの?」
「アジャートもフィルゼノンも、もう貴女を"黒の女神"……あるいはその使いだと認めているから。貴女の存在が兵の士気を高める。貴女の存在が、夜明けをもたらす英雄の存在を知らせるんだ。」
「……。」
(いくら私は神様なんかじゃないって言っても、ひっくり返すのは難しい。)
セリナが初めから抱えている歯がゆさは、この国でも同じようだ。
(戦乙女。戦いの多いアジャートでは歓迎される存在。正体の真偽を無視しても、それらしい者を"黒の女神"に据えたがる気持ちはわかる気がする。それに加えて、夜明けの女神がハプシャートに告げたという言葉。それを信じるなら、はじまりの天の意に添ってアジャートへとその夜明け……繁栄をもたらす?)
だから、とセリナは目を伏せる。
(フィルゼノンでは、黒の女神は歓迎されない存在になった? "黒の女神"そのものは決して災いの女神ではないと、言っていた。はじまりの時を支えた女神が、去り際に他へ加護を残したなんて話、面白いわけがない。だけど、建国時の守護神ではあるのだから貶めることもできない。)
ぐるぐると頭を回して、セリナは唇をかむ。
(賢者ノアがいう『世界樹の外からの黒い使い』が、その色のために混同されるようになったとして。他国へ夜明けをもたらす女神と、災厄をもたらすという使者と。その辺りの微妙さが、リンクしたのだとしたら……。女神は世界樹の外から来たりしない。けれど、使いなら外から来ることもあるかもしれない、と。こじつけはいくらでもできる。)
ただのセリナ自身の推測に過ぎないけれど。
使いの脅威を覆い隠すために、"女神"の名を被せて神格化する。
はじまりの守護神の名誉を守るために、遺された言葉の行方を使者のせいにしてしまう。
故意にそうしたのか自然とそうなったのか、調べる方法はないが、2つの存在が後世へと伝わるのに、そう混じってしまう方が都合が良かったのだろう。
(完全に同一視されていたわけじゃない。なんて言うのか……。)
以前、ティリアが名前を利用したと言っていた。そうでなければ、保護すること自体が難しかったのだとも。
(フィルゼノンでは使者=黒の女神、黒の女神=黎明の女神。だけど黎明の女神=予言の使者とはならない。)
同じ"黒の女神"でも、異なる意味で使われているのだ。
今の両国の関係では、フィルゼノンにとってどちらの"女神"でも厄介な存在である。
(どっちつかずの曖昧な存在。その点、アジャートでは黒の女神は黎明の女神と同一。信仰する神で、ただ呼び名が異なるだけ。)
「……。」
(そう。だから、あの時あの人……"ローグ"は、私が黒の女神ではないと。)
「大丈夫?」
エドの声に、はっとしてセリナは自分の思考から抜け出す。
「一気にいろいろ言い過ぎたかな?」
黙り込んでしまったセリナを見て、エドは反省したように眉を下げる。
「いえ、大丈夫。ちょっと整理していただけ。そうだ、なぜ、その白と黒の女神は役目を交代したの?」
「うーん、太陽神の巡りを妨げないためだったとか、女神と大地の相性のせいだったとか、いろいろな説があるけど、何が本当かなぁ。物語はたくさんあるし……あぁ、それにその研究ならフィルゼノンの蒼の塔の方が詳しいかもしれないね。」
「塔?」
「噂で聞いただけだけど、その塔ではそういうことを調査する人たちがいるって。」
それはありえそうな話だ、という思いが浮かんで、セリナはそれ以上尋ねるのを控えた。
どのみち大昔の出来事だ。今ここで真偽を確かめるすべはない。
「"黒の女神"が側にいること、それ自体が力になるのだという説明になったかな。」
「……。」
(夜明けの女神は英雄と共にあり、ね。)
「ずいぶん長話をしてしまった。あちらの天幕に、君の寝床が準備できたみたいだし、そろそろ休もう。」
そう言って微笑み、エドが立ち上がる。
のろのろと立ち上がったセリナは、頭に浮かんだ疑問を口にした。
「もう一方の……白の女神、黄昏の。彼女はどういう存在?」
「白の女神、黄昏を司るジゼルラグ。初代国王の守護神で、この国の礎を支えた女神だよ。黒の女神、黎明を司るラウラリアと同じく信仰する神だ。」
「そう。」
黒の女神の対極にいる、同等位の女神は、アジャートでは同じように扱われているらしい。
(フィルゼノンでは、一度も聞いたことなかったけど。)
「ん?」
聞いた響きにどこか覚えがあって、ふと動きが止まる。
目の前で、通りがかった人に何か指示を出しているエドの言葉も耳に入らなかった。
(黎明の……?)
「!!」
突然記憶が弾けた。
(ラウラリア……って。ララ、ローラ……じゃなくて、ラウラ! ラウラリア?!)
あの日、セリナにそう呼びかけたのは、ラシャクだ。
疑問に思って、視察から帰ったら彼に確かめてみようかと思っていたことでもある。
(でも、ここではそうでも、あちらでは違うから、災いだって。)
セリナの存在を知っていた上で、後姿をそう呼んだ。
(黎明の女神ラウラリア、そう思っていたってこと? アジャートの人と同じように?)
「……み、女神?」
「はい!」
呼びかけに遅れて気づき、必要以上に大きな返事をする。
その勢いに驚いたようだったが、特に突っ込むこともなくエドはセリナにカップを差し出した。
「え?」
「食事、口をつけてないだろう? 温かいミルクを用意してもらったから、寝る前に飲むといい。」
エドと目の前の銀色のカップを交互に眺め、セリナは湯気の立っているそれを両手で受け取った。
ミルクと言われたそれは、セリナの知っているミルクと同じに見えた。
これまでの経験上、味についてもそう外れることはない。
「天幕には彼女が案内してくれるから。」
いつの間にか隣に立っていた女性が頭を下げる。
さっきエドが話しかけたのも、カップを持って来たのも彼女で、ハーデンのアジトで見かけたことのある顔だった。
「あ…ありがとう。」
明日のことを思えばもう休むべきだと、素直に頷く。
温かい物を飲めば、少しは気分も落ち着くかもしれない。
天幕に入る前、セリナは一度だけ空を見上げたが、木々に遮られて星を見ることはできなかった。
(少しわかったと思ったら、疑問も増えてしまった。)












「アルノーさん。」
「どうかしたか?」
声をかけて来た顔なじみに、アルノーは足を止める。
「エリノラは合流しないんですか? 南の見張りが、気にしていて。」
「あぁ。」
予定通りなら確かに合流となる頃合いだが、イザークの話によればまだだろう。
「少し遅れることになりそうだ。時間がわからないが……見張りには気をつけるよう言っておいてくれ。」
見つければさっきそうしたように知らせの鳥を迎えにやることになる。
「あと、合流したら教えてくれ。」
わかりました、と頷いた相手を見送って、アルノーはふむと1人唸る。
(今夜、という可能性は低いかもしれんな。)
ダンヘイトを引き付ける役目を買って出るあたり彼女らしいと思う。
「それにしてもなぁ……。」
伸びたひげを触りながら、アルノーはエドと少女がいた場所を遠目に眺める。
(女神様が船で行っちまうと聞いた時は、正直落胆したものだ。せっかくあの女神様が我々の前に現れたというのに、エド様と来たらあっさり手放してしまうのだからな。)
エドたちを迎えに行った時に、並び立つ2人を見て息をのんだ。
港の酒場で店主をしていた自分が、何の因果かエドワード=シュタットと出会い、銀の盾として行動を共にして来た。
それだって十分驚きだというのに、まさか神話をなぞるような事態の目撃者となるとは。
(神話っつーのを、信じていたわけじゃねーが。)
女神はこの国を去らず、彼の元へ戻って来た。
「……。」
ぞくりと背筋を走ったものは、恐れにも似た高揚感。
(神話の女神の再来ねぇ。)












「エドワード様。」
「イザーク、まだ休んでいなかったのか。」
天幕の横、膝をついて待っていたイザークに、エドは目を瞬かせる。
「女神様を仰せの通りにロザリアまで送り届けることができず、申し訳ありませんでした。」
頭を下げる少年に、エドは苦笑を浮かべる。
「女神がそれを望まなかったのだから、イザークが謝ることはない。むしろ、ここまでよく無事にお連れした。」
イザークを立たせると、エドはその肩を軽く叩く。
「本当にお前は頼りなる。我が右腕だな。」
「……エドワード様。」
恥じるように俯くイザークに、エドは小さく笑みをこぼした。








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