22.








話を終えてエドとイザークが去った部屋の中。
セリナは1人、ぼんやりと地図を眺めていたが、ふと横にあるカップに視線を止める。
(そうだ、さっきのお茶。)
冷めてしまったカップを手に取り、その中身を揺らす。
(明るいところでちゃんと見たことなかった。おいしいのは、てっきりイザークの淹れ方が上手なんだと思ってたけど……いや、きっと淹れ方が上手なのは間違いないんだけども。)
紅茶とは違う『色』。
白い器の中で良く見えるその色は、黄緑だ。
そしてどことなく馴染みのある味。
(これ、まるで『緑茶』みたい。)
冷めてしまったそれを飲んで、セリナはぎこちなく笑みを浮かべる。
「おいしい。」
飲み干したカップをソーサーに戻し、日が落ち始めたことに気づく。
「片付けなきゃ。」
立ち上がり、ソーサーとカップを片手にドアへと近づく。
(ただただじっとしているわけにもねぇ。何か私にもできることがあればいいんだけど。)
先程の出迎えの様子を思い出し、ため息を吐きそうになる。
"女神"と見られている間は、何か手伝いたいと言ったところで難しそうである。
(嫌われてはなさそうだけど、腫れ物扱いって感じ。通行証がすぐにできないなら、2・3日はここでお世話になりそうだし。人数がいるから、洗い物くらいなら私でも邪魔にならずに役に立てるかも、とか思ったりはするのだけど。)
うーん、と考えながらセリナは廊下に出る。
「あれ。」
すぐにイザークがいるだろうという予想は外れて、そこに姿はなかった。
間取りを知っているわけではないが、端の部屋に居たので進む先は1つしかない。
人の気配のない廊下をそのまま角まで行くと、人の話し声が聞こえた。
そっと覗けば、階下の食堂のような広間に、銀の盾のメンバーが集まっていた。
立っている人も座っている人もいるが、真剣な話の最中であるようだった。
エドの声と、アルノーの声も聞こえて来た。
(これは、出て行くとお邪魔になるな。)
一旦、引き返そうと身を引きかけた時、ゴンと重い物が机に置かれる音がした。
続いて、バラバラと硬い物が撒かれる音。
「?」




「これが、例の?」
「で、こっちが『弾』か。」




音に驚いて振り向いたセリナは、視界に入った『物』にさらに驚いた。
(え……?!)




「前の物より軽いな。」
「先の戦で使ったものはあまり実用的ではなかったようで。」
「ひどく重たいし、攻撃までに時間がかかっていました。それが改善されて、飛距離も伸び、さらに威力も増しています。」
「大砲並の破壊力にでもなったか?」
「いえ、一点集中ですね。突き抜ける、と。」
「悪魔の業ですよ。剣では防ぎようがない代物です。」
「キル・スプラ。"精霊殺し"とも呼ばれているようです。」




セリナは自分の目が信じられず、その場で立ち尽くしていた。
彼らの話すその物が机の上に置かれているが、それはセリナも知っているモノだった。




「で、それがもう中央に?」
「はい、エド様。以前とは比較にならない程、流れています。」
「……かの地で何かあった。」
「急ぎ調査中です。」
「キール・バーダ、という小型の物も造られたと聞きました。これらの扱いについて、既に特別な訓練を受けた者たちの隊があるという話も。」
「軍で?」
「はい。」
「なんという……っ。」




苦渋を滲ませたエドの声を背中に、セリナは部屋へと向かうべく来た道を戻る。
(どういうこと、なんで。)
心臓が早くなる。
音を立てないように部屋へ帰り、かたかたと鳴るカップをなんとかテーブルへと置く。
そのままそこへ座り込んだ。


(まさか『銃』がここにあるなんて。)


剣と弓矢という武器は目にしていたが、重々しく黒光りする銃まで存在するとは思いもしなかった。
(まるで猟銃みたいな……彼らの口ぶりでは、最近普及しだしたみたいだったけど。でも、既に戦で使われている? あの、鉄砲が。)
そうして、セリナは口元を押さえる。
「……ッ!!」
(あぁ、嫌だ。思い出さなくてもいいのに。)
かつて聞いた言葉が蘇る。


―――世界が変わった。


ポセイライナで視た精霊が、ふと動きを止めてこぼした言葉だ。
(あの後雷雨で……嵐が来て、海が荒れるから。航海を守護するシーリナが属する世界ではなくなる。きっとそういう意味なだけで、関係ないよね。だって、物自体はもっと前からあったみたいだし!)
あの時。
ポセイライナで、セリナは「鉄砲水」という言葉を口にした。
(ただの熟語だった。それが武器の鉄砲だとか、欠片も考えてない。)
自動翻訳後のその言葉が、どう伝わったのかセリナにはわからない。
(相手は精霊だったけど、伝わったからにはその概念は存在していた。望遠鏡だって緑茶だってあるみたいだし。元々、「鉄砲」も鉄砲水もこの世界にあったってことでしょ。そうだ、それに例えば! 英語なら別の単語になるはずで……。)
納得するための理由を並べて、セリナはなんとか落ち着こうと努力する。
発した言葉1つで、この世界に影響を与えるなど荒唐無稽な想像だ。
(有り得ない、有り得ない。)
思い直したところで、ふと窓の外に目を向けた。
そこに見えるのは裏手の木々だが、セリナの目には視察途中で見た景色が浮かんだ。
(そう、でも確かに。あの時は、疑問に思わなかったけれど。不自然にえぐれた岩や地面のあのダメージは、剣や弓によるものなんかじゃなかった。)




―――"精霊殺し"とも呼ばれているようです。




誰が発したかわからないその言葉が、やけにセリナの頭に響く。
やがて魔法が衰退すると言ってみせたのは、ルードリッヒだった。
セリナの心に、また足元が崩れてしまうような言いようのない不安が蘇る。
(フィルゼノンにとっての"災厄"って。)
















夢を見た。
「!!」
寝台からがばりと起き上がり、左右に視線を走らせる。
(パトリックは?! アエラは?!)
殺風景な部屋に人の気配はなく、事態の把握に努める。
森に居たのにここはどこ?という疑問が浮かんだ後で、現実を取り戻す。
(違う。)
「はぁー。」
額を押さえ項垂れて、もう既に細部が遠くなってしまった夢に起こされたのだと自覚する。
(ここは、ハーデン。アジャート王国の南に位置する港町。)
"銀の盾"のアジトの一室を借りているセリナは、指を折り日にちを数える。
(船に乗るのは出港の直前。あと少し。)
船に乗れば、無理矢理連れて来られたアジャートから出ることができる。








起きたセリナが居間に出て行くと、朝から慌ただしい空気に包まれていた。
何かの書類を見ていたイザークを見つけて、セリナは彼の元へ近づく。
「何かあったの?」
すっと膝をついたイザークが頭を下げる。
相変わらず会話しにくい作法である。
「北部で衝突がありました。」
「まさか襲撃?」
「"銀の盾"の話ではなく。領主の交代があったのです。」
それでなぜこの慌てぶりになるのかわからないセリナは、首を傾げる。
「女神。話があるんだ、こちらへ来て。」
「エド。」
呼ばれて、セリナは彼の後を追う。
「いったい何が?」
結局元の部屋に落ち着いて、セリナは目の前の男に問う。
「急ぎここを発つことになった。女神のための案内人は残しておくから、心配しないで。」
「どうして急に……もしかして、ここが見つかったの?」
「いや、そうじゃない。"盾"として北に用事ができたんだ。人命がかかっているから一刻を争う。」
驚きを隠せないセリナに、エドは神妙な顔で告げる。
「戦いを始めるつもりだ。」
え、と返したセリナの言葉は音になっていなかった。


「フィルゼノンとの戦。その動きが加速している。」


だから止めないと。と、固い声が続ける。
「いったい何が……。」
アジャートが女神を手元に置いたら、それが戦いの理由になると。
だから、セリナはどうあっても「そこ」には行きたくなかったし、あんな手段で無理やり連れてこられた場所から出て行くことしか考えていなかった。
アジャートの地にいるが、利用されるような事態にはなっていないと思っていた。
「フィルゼノンはそれを望んでいない。向こうから何か仕掛けたわけじゃないはずよ。」
その言葉に、エドは複雑そうな顔で笑んだ。
「女神は海へ。そこまで争いの火は飛ばないだろうから。」
「!」
「エドワード様! 僕も、僕は、エドワード様と一緒に……!」
「イザーク、女神の案内役を任せられるのは君だけだ。」
「しかし!」
「ロザリアに着いて、役目を果たしたら、すぐに戻っておいで。」
「待ってください、それでは到底……!!」


間に合わない。


そう、イザークの声なき声が聞こえた。
「言い合っている暇はない。乗船券と通行証はエリノラが持ってくるはずだ、町の抜け道も彼女が詳しい。乗船までは彼女について行けばいいから。」
「……!」
「頼んだからな。」
有無を言わせない言葉に、イザークは項垂れる。
「見送れないのは心残りだが、旅の無事を祈っている。」
慌てた様子で部屋を出て行くエドに、取り残されたセリナは頭を抱えた。
(このまま海路へ進む?)
銃を見てしまったことは、誰にも言っていない。
あの時浮かんだ思いも、口にするのは怖くて見ないふりで押し隠している。
"方舟"の仮説をそうしているように。
(海を渡れば、争いは届かない?)
戦いに巻き込まれることはないのかもしれないが、なんの解決にもなっていない。
(戦をって、どうして。)
アジャート王の元へ行かなければ、その事態は回避できるのだと思っていた。
山道で会った兵士の逃げられないとの言葉ははったりではないだろうし、追っ手が諦めたというわけでもないはずだ。
(船に乗れば、後は安全だなんて思ってない。)
追いかけてくる彼らを、道中交わし通せるとは言い切れない。
相手の強さを知っているし、自分の非力さを知っている。
「……。」
ぐるぐると思考が回る。
けれど答えになりそうなものは出てこなかった。
















結局、出て行くエドやアルノーたちを見送ることしかできず、アジトは急に閑散とした場所になった。
いるのはセリナとイザーク、エリノラの3名だけである。
エリノラも船までの案内役を務めた後は、"盾"を追って北へ向かうことになっていた。
言葉少なく、一夜を明かした翌日。
乗り込むべき大型船を視界に入れながら、彼女の後ろをついて港へ向かう。
正確には港の横の崖下。
そこの岩場に、沖へ移動するための小舟を事前に用意してあるという。
「あそこが通常の乗り口ですが、迂回します。」
今いる場所―崖の上―の茂みの端から、セリナは眼下の船着き場を眺める。
「……あ。」
何か?と怪訝そうな顔で立ち止まったエリノラ。
誰に、というわけでもなくセリナは眉をひそめて呟く。
「"ダンヘイト"がいる。」
船着き場にあるほったて小屋の陰に、身を隠すようにして立っている少年には見覚えがある。
(確かマルス。)
砦からサラニナまで監視役として残されていた兵士だ。
「"ダンヘイト"兵士の顔を知っているのですか。」
「はい、あの少年のことは……。」
問うたエリノラは、答えに表情を曇らせた。
身をかがめたまま港を見つめ、思案するように呟く。
「面の割れている者を、これ見よがしに配しているのは囮か? それとも何かの罠? いや、何にせよ、先へ進むしか。」
ちらりとイザークに目を向けたエリノラは固い声で告ぐ。
「船の中でも油断しないように。」
「……っはい。」
一歩踏み出したエリノラだったが、その場を動かない少女に気づき足を止めた。
「女神様?」
「……。」




この先に、確かな安全などない。
女神が現れるのを待ち構えているのだろう兵士を見つめ、セリナは唇をかむ。
戦いが始まる。
エドの言葉を聞いた時から、セリナの心は揺れていた。
パトリックやアエラの無事を一刻も早く確認したい心に偽りはないけれど。
(フィルゼノンに戻るための道は、今行こうとしている先にはない、気がする。)
ふと頭に浮かんだ人物に、セリナは被ったフードの端をぎゅと握る。
(私は"災厄"になるためにいるんじゃない。)
運良くアジャートから脱出できて、ロザリアへ着いて。フィルゼノンへ戻る。
(『間に合わない』と言いかけたイザークの言葉は、きっと私にも当てはまる。)
今持っているセリナの情報は、その頃伝えても遅すぎる。
(今すぐ向こうに伝える方法もない。)
海に出たセリナに今以上の情報は届かない。
仮に届いたとしても、何もできはしない。
休戦条約を結んでいたはずのアジャートが戦を始めようとすることに、わざわざ攫わせた"黒の女神"が無関係だということはないはずだ。
騒ぎの中心に"女神"の名があったとしても、当のセリナはそこにいないという蚊帳の外状態はかなり笑えない。
(戦争の理由にされるなんて冗談じゃない!)




ようやく心が決まった。
「船はやめます。」
告げたセリナに、2人が目を丸くした。


キル・スプラ。
その威力を、きっとセリナは彼らより知っている。
同じではない。けれど、限りなくセリナの知識に近いモノ。
あの武器がアジャートの主力になって、フィルゼノンとの戦に使われることを予想することは容易い。
(それが魔法大国の脅威になるかもしれない。)
フィルゼノンは精霊の加護を受けた国だ。


「あの兵士以外にも見張りが他の道に、いえ……既に船の中に追っ手がいる可能性がある。」
セリナは、視線を港からイザークとエリノラに向ける。
「それは……。」
「それを追い払うのが、イザークの役目です。」
言いよどんだイザークとは対照的に、エリノラはきっぱりと応じた。
「エドは……戦いになるのを止めようとしているんですよね。」
エリノラは表情を引き締め、すっとその場に膝をついた。
「はい。このままでは近くアジャートは鬨の声を上げるでしょう。進軍できると、そう判断するだけの力が手に入ったということでもあります。」


「止めると言う、エドにそれを成すだけの力がありますか?」


「あの方でなければ、成せないと私は思います。」
エリノラの言葉に、イザークが隣で頭を下げた。
「エドワード様ならば必ずや。」
2人の態度に、セリナは両手を握り込む。
船着き場と沖に停泊している船を順に見つめてから、セリナはもう一度イザークたちに向き直る。
「引き返して、エドたちと合流したいのだけど、できますか?」
「!!」
エリノラの顔に驚きが浮び、その表情が喜びの色に染まるのを見た。
膝をついていた彼女は、姿勢を崩しその場に伏せた。
「女神様の御心のままに。」
ぎょっとしたセリナに構わず、エリノラは機敏な動きで姿勢を戻すとイザークを見た。
「聞いたな、イザーク。エド様のところへなんとしてもお連れせよ。我が家には戻るな、異変を察して踏み込まれている可能性がある。アルの酒場に用意してある私の馬を使え。今から駆ければ、峠のあたりで追いつけるはずだ。」
「エリノラさんはどうするのですか。」
「1つ細工をしてから、後を追うよ。」
怪訝そうな顔をしたセリナに気づいて、エリノラは女神に向き直る。
「このまま船に向かい"女神様が船に乗った"ように装います。相手の注意を逸らすことくらいはできるはずです。」
「けれど、それではあなたが危険に。」
「ご安心を。いくらでも言い逃れは出来ますので。」
口の端を引き上げ言い放ち、イザークを急き立てる。
「早く行け。」




来た道を戻って行く女神とイザークの後ろ姿を見送り、エリノラは深々と頭を下げる。
(エド様。必ず、我々の理想を。)
彼女の心は高揚していた。
(アルと合流するのは、少し遅れそうだ。)
外套のフードを目深にかぶり、エリノラは身を翻す。
陰になった青い髪が少しくらい見間違えてくれる要因になればいいが、とアテもない思いが浮かび苦笑する。
(畏れ多くも、女神様の身代わりが務まると思いはしないが。なんとしても引きつけてみせるさ。)
お守りするように、とそう言ったエドの言葉に知らず頷いて。
「あの方は、"我々の"女神に違いない。」
岩場の小舟を目指すエリノラの言葉は、波の音にかき消され誰の耳にも届かなかった。






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