18.








その夜、アンナによって用意された夕飯は、スープとパンと肉。とはいえ、食材のメインは芋だ。
スープに入った芋、それとはまた違う種類の甘い芋と一緒に煮込まれている肉。
砦で出されていたものとよく似たメニューだった。
さほど食欲があったわけではないものの、昨日からまともな食事を摂っていないと気づいて手を付ければ、家庭料理の味は思いのほか優しくて、食は進んだ。
イザークによれば、女神の口に合うだろうかとアンナがしきりに気にしていたらしいが、むしろフィルゼノンではその豪華さに気が引けることもあったから、こういう食事はセリナにとっても有難かった。


アンナに勧められるままシャワーを借りて汚れを落とした後で、元の部屋の隣室へ落ち着く。
食事やら着替えやらと、親切にしてくれるアンナではあったが、一定の距離を保った彼女がセリナに近づいてくることはなかった。
やはり黒髪が気になるらしく、セリナはアンナの目に付かないようにとフードを被った状態で家の中を行き来した。
(なんだか異様な状況よねぇ。怖がられている、という様子ではないけど。)
ついため息を吐いてしまいながら、セリナはようやく外套を脱いだ。
(異様、といえば、ここも。なんだか変な家。)
来た当初はまったく普通の家に見えたが、その間取りは少々不思議だった。
(家の主?のアンナさんの部屋は1階にあるみたいだけど。ここも寝室? "銀の盾"のアジトなら、隣の部屋とこことは『作戦会議室と仮眠室』って感じかしら。)
玄関ではない扉から行き来していたエドの動きから見ても、ただの民家ではなさそうである。
(朝になったら、また来るって。もう少し詳しく道順を教えてもらわないと。無謀にも思える旅だけど。)
セリナはベッドに横になる。
(このままアジャートにいて、戦争の理由にされるなんてまっぴらだし。)
「……。」
(そういえば、食事の後からイザークって人の姿が見えなかったな。)
緊張や移動続きだった上に、昨夜はほとんど眠れていなかったせいで、睡魔はすぐに訪れた。
















翌日。
「……。」
昼近くなっても待ち人は顔を見せず、セリナは現在扉と睨めっこをしている。
アンナも不安そうな顔をしており、期待しないまま何か聞いていないか尋ねてみたが、彼女は首を振るだけだった。
上に居ても落ち着かないので1階へと下りていた。
家には他の人の気配はなく、セリナはもう1つ気になっていたことを尋ねる。
「あの、イザークは?」
お茶の用意をと、お湯を沸かしていたアンナは声をかけられて、さっきと同じように首を振る。
「朝には戻ると聞いていたのですが。」
アンナも事情を知らないようだった。
居心地の悪さに身じろぎした時、奥の扉が音を立てた。
「!」
ぎくりと身を強張らせたセリナとは対照的に、アンナは素早く扉とセリナの間に立ちはだかる。
しかし、緊張が走ったのは一瞬で、扉から現れた人物の正体がわかるとセリナとアンナは力を抜いた。
扉を開けたのはイザークで、その後ろから顔を出したのはエドだった。


「遅くなってしまってごめんね。」


「何か、あったの?」
問いかければ、エドは苦い顔で頷いた。
「昨夜、北のアジトが急襲された。」
「!!」
息をのんだのはアンナだ。
「ア、アルノーたちは?!」
「別の場所に避難したと連絡がありました。」
動揺して震える声のアンナに答えたのは、イザークだった。
「良かった……。」
「幸い仲間たちは間一髪逃れたけれど、状況は深刻だ。」
エドの言葉に、アンナは神妙な顔を見せる。


「"ダンヘイト"が、今朝神殿に来た。」


「え!」
思わぬ話にセリナが声を上げる。
アンナは、どこかで予想していたのか深刻な顔のまま唇を噛んでいる。
「まさか本当に乗り込んでくるとは思わなかった。」
「……。」
目の鼻の先の神殿にダンヘイトが来ていた。
(この町にいる。)
昨日の話にも出た事態だから、と心を落ち着けようとするが、次の言葉にセリナはさらに驚く。
「しかも直接、僕を訪ねて来るんだから。ある意味で彼らの見立ては間違ってないわけだし、さすがに侮れないね。」
「い、居場所がばれているの?」
不安を隠せないままセリナが問えば、エドがどうかな、と思案気に呟いた。
「僕の正体に勘付いていて、揺さ振りをかけに来たってところかな。今のところ、正面切ってそれを追及する気はないみたいで、こちらもしらを切り通したけど、信じてないだろう。」
むぅっと眉根を寄せたエドだったが、すぐに表情を緩める。
「一度退いたような態度見せているが、納得したわけでも、諦めたわけでもないと思う。監視がつくと厄介だから、予定を早めてハーデンに行こうと思うんだ。」
「ハーデン?」
「南にある港町だよ。元々、そこへ向かう準備はしていたんだ。以前から、ここは"銀の盾"の拠点として疑われていたからね。女神もフィルゼノンへ行くのなら、まず南に移動しないといけないし。」
話を聞いていたアンナが、口を挟む。
「すぐに移動を?」
「陽が落ちたら夜陰に紛れて南に発つ。」
不意にエドが、セリナを覗き込むようにして視線を合わせて来た。
「もし、まだ心が決まっていないなら、オルフに残るという道もあるよ?」
「え……?」
真剣な顔のエドが、先を紡ぐ。
「ただし、この隠れ家はいつ見つかってもおかしくない。こうなっては、ここより神殿に身を寄せておく方が安全かもしれない。ラジエッタに……神殿にいる信用できる人物に、君のことを頼んでおけば。」
(ここより神殿の方が安全って。)
昨日と状況が変わったのは、明白だ。
セリナは一瞬だけ考えたものの、顔を上げてエドに視線を向ける。
「フィルゼノンへ戻るために、元々その港町へ行くはずだったのよね?」
「そう。そこからロザリアに出る船が……。」
「なら、行く。そのハーデンへ一緒に。」
「……わかった。なら、急いで準備をして、イザークと共に先に町を出るんだ。僕は、神殿での用事を済ませてから行く。日の入り後、町の外で落ち合おう。」
エドの言葉に、セリナは頷いた。
「ラジエッタなら、なんとか不在を隠してくれるはずだ。うまくいけば、2日くらいは時間が稼げるだろう。」
楽観的に告げたエドにアンナは渋い顔を見せる。
けれど口を開くより前に、しゅんしゅんと激しく音を立てる鍋に呼ばれて、アンナは慌てて火を消しに行く。
「イザーク、女神を頼んだよ。」
「はい。エド様もお気をつけて。」
最後にもう一度、不安げな顔を隠せないセリナにエドが視線を戻して微笑んだ。
「大丈夫。また後で会おう。」
無言のまま小さく頷いて、セリナは奥の扉へ向かうエドの背を見送った。








セリナがすべき準備など、それほどあるわけではない。
砦を出る時にジーナが用意してくれた服を身につけ、髪留めで髪を束ねる。
さらに昨日借りた外套を羽織る。これでフードを被れば目立つこともない存在だ。
支度を整えて再び1階に戻れば、イザークの準備も整っていた。
セリナと同じ外套に、腰には剣。下げた鞄の中身はわからないが、なんだか重そうだった。
「行きましょう。」
そう言われ玄関へ向かうのかと思いきや、イザークはセリナを家の奥に誘導した。
「……こっち?」
「奥の扉から、地下を通って町の外まで出ます。」
それは、エドたちが散々使っていた扉だ。
ランプを片手に先を行くイザークに付いて扉をくぐれば、そこには下へと伸びる階段があった。
下りた先は狭い貯蔵室。
何の変哲もないように見えたが、戸棚の裏の壁が可動できるように造られていた。
おそらくさっきエドが使ったそのままで、その壁が開いており、さらに地下へ下りる道が続いていた。
(これは……本当に秘密の抜け道というやつでは。)
「どうぞお気をつけて。」
深々と頭を下げ、恭しげな態度を崩さないアンナだが、セリナのことを案じてくれている気持ちは感じた。
(やっぱり、怖がられているわけじゃない。)
見送るアンナに、セリナはぺこりとお辞儀する。
「お世話になりました。」
「アンナ、きちんとココの扉は閉じておいて。」
「わかっているよ。イザークも気をつけて。」
別れを告げて、暗いその道へと足を踏み出す。
実に怖いが、奥の方に光が見えているのが救いだ。
きっとその光がなければ、足を踏み入れることにひどく抵抗を感じただろう。








「このような場所を歩かせることになり、申し訳ありません。」
ぽつりと呟かれた言葉に、セリナは首を振った。
「外へ出るのは危険、なのでしょう?」
えぇ、とイザークが首肯する。
どこで誰の目に止まるかわからないのだ。
(もしかして、ここから神殿にも繋がっている?)
迷いない足取りで進むイザークの後を進むが、何度も脇道が現れる。
その数多に伸びた道の1つが、神殿に通じているとしても不思議はない。
(確かに。忍んで移動するには、うってつけかも。)
「この先は足元に水が流れていますので、お気をつけください。」
時々頭上に開いた穴から光がもれて、息苦しさから解放される。
石積みの地下通路が作られた目的はセリナにはわからないが、雨水を流すためだけにしては大きさがある。
"銀の盾"がこれを作ったのではなく、元々あった通路を利用しているようだった。
(なんにしても昼間で良かった。)
切実な感想を胸に、前を行く背中を追いかける。
時々中腰になって進み、どのくらい歩いたのかわからなくなり息が上がって来た頃、ようやくイザークが足を止め、先にある階段を示した。
「あの階段を上がれば、出口です。もうここはオルフの町の外ですよ。」
縄梯子を上り、外の空気を吸ってようやくセリナはほっと息をついた。
空を見れば、日が少し傾いていた。
出て来た場所にあったらしい蓋を戻した後で、イザークはセリナに向き直る。
「すぐそこに馬を繋いでいます。合流地点は、もう少し向こうです。行きましょう。」
「えぇ。」
本当は休憩したかったが、セリナは指示に従う。
2頭いた内の片方の馬の手綱を外してセリナを乗せると、イザークはその馬を引いて歩き出した。
疲れを見透かされているのか、その扱いに苦笑が浮かぶ。
もう1頭は、後から来るエドのための準備だろう。
同じくらいの年だと勝手に思っているが、彼の方がしっかりしている。
馬上から、少し前を歩く男にセリナは声をかけた。
「聞いてもいい?」
ちらりと振り向いたイザークは、顔を前に戻してから「どうぞ」と応じた。
「馬、いつの間に用意を?」
「今朝です。必要になると思いましたので。」
じゃあ、と呟いて、イザークの背中を見つめる。
「昨夜はどこへ?」
今朝アンナにイザークの行方を聞いた時、彼女は「朝には戻る」と言っていたのだ。
「昨夜は一度神殿へ戻っておりました。エドワード様の取り計らいで自由がきく身とはいえ、さすがに不在が長いと怪しまれますので。」
「え? あなたも神官だったの?!」
淡々と告げられた言葉に、セリナは驚きの声を上げた。
それから慌てて、口を押さえる。
足を止めたイザークも、しばらく周囲を警戒していたが、やがて力を抜いた。
幸い、特に異変は起こらない。
「いえ、ただの下働きです。」
答えて再び歩き出す。
「"銀の盾"って、みんな神殿の関係者だったりするの?」
声を落としたセリナの質問に、イザークは首を横に振った。
「いいえ。そんなことはありません。」
「さっきアジトが襲撃されたって、言ってたけど。」
「はい。」
「やっぱり"ダンヘイト"の仕業?」
「………。襲撃の知らせを受けて慌てているところに、エドワード様を訪ねて神殿まで乗り込んで来たのですから。無関係ではない、と考えています。」
イザークの答えに、セリナは口を閉ざす。
そうだとすればかなりの揺さ振りだ。
エドがセリナを匿っていることに、おそらく気づいているのだろう。
(追っ手はすぐそこまで来てる。)
彼らが今追っているのは、"銀の盾"というより"女神"であるはずだ。
(捕まったら……どうなるのか。)
不安を覚えて、セリナは綱を掴む手にきゅっと力を込めた。
黙ってしまったセリナに、イザークがチラリと振り返るが、彼から声をかけることはなかった。




しばらくすると、廃墟なのか遺跡なのかわからないような崩れた石壁の残る場所に辿り着いた。
既に陽は落ちて、背後の森からは鳥の鳴き声が聞こえる。
馬の背から降りたセリナは、なんとなく森の方へ視線を向けて、さらに暗い空を見上げる。
「……。」
不意に怖くなって身震いを1つした後で、セリナは自分たちの来た方向から聞こえる馬の蹄の音に気づいた。
セリナがぎくりとしたのもつかの間、イザークが膝をついてやって来た人物を迎え入れる。
「やぁ、無事に合流できたね。」
明るい口調で手を上げたのは、エドだ。
下げていたランプに照らされた表情は口調と同様明るい。
それだけで体に入っていた力が抜けて、セリナは息をつく。
「神殿の方は?」
心配そうに声をかけたイザークに、にっこりとエドが笑う。
「大丈夫。後はラジエッタがうまくやってくれる。」
文句は言われたけどね、と付け足して両手を広げた。
つられるようにイザークも表情を緩め、では安心ですねとこぼした。
「さあ、すぐにでも出発しよう。女神はこちらへ。」
差し出された手に、セリナは彼に近づく。
「今度は前に乗って。落ちないようにね。」
引き上げられて落ち着いた場所は、エドの腕の間だ。
イザークは、さっきまで引いていた馬に騎乗する。
「夜通し走るから。眠たくなったら僕にもたれて寝ていいよ。」
(彼だって、"ダンヘイト"に正体がばれているかもしれないのに。)
エドの態度には余裕があり、セリナはさっきまで感じていた言い知れない緊張が薄まるのを感じた。
(この状態で寝るのは無理、だけど。)








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