6.








砦から出て来た男は、門から横手に回ると空を見上げた。
懐から小さな笛を取り出し、鋭く1度吹けば、上空から鳥が舞い降りて来る。
上げていた左腕に止まったのは、1羽の鷹。
眼光鋭い彼の足に手紙を取り付けると、男は再び空へと放つ。
「……。」
飛び立った空をしばらく眺めた後、男は砦へと足を向けた。












*****












大きな予定変更もないまま、順調に過ぎる視察日程。
雷雨で、外での演習が一部中止になったが、その程度は想定内だ。
道中と最終目的におけるそれぞれの任務は滞りなく処理され、『視察』そのものだけをみれば、なんの憂いもない。
明日には、緋の塔にある魔法陣を利用して、王城へと帰る手筈になっている。
(まったくもって、順調だ。)
そう考えて、近衛隊長ゼノ=ディハイトは人知れず、ため息をつく。
(模擬戦、昼に将軍たちとの会食があって、夜は宴。)
今日のスケジュールを思い起して、眉間を押さえた。
その手の向こう、騎士たちの模擬戦を眺めているジオの様子を盗み見る。
隣に立つ将軍と時折言葉を交わし、頷く王の姿は常と変わりない。
(……。)
本当に順調なら、こんな苦い思いは浮かんでいないし、副隊長であるグリフ=メイヤードもこの場にいるはずだった。
早朝、王に呼び出されたグリフは、その足でラグルゼへ飛んだ。
あちらで詳細な事情を把握し、『彼ら』を連れ帰るためだ。
昼食会には、何食わぬ顔で同席するだろう副隊長が、この模擬戦に不在なのを問題視する者はいないだろう。
女神の警護の任を理由に、元々エントリーしていなかったのが幸いした。


不意に、わぁ、と周囲に歓声が上がる。
闘技場の上で、繰り広げられる試合が白熱していたようだ。
押されているのは王宮騎士。ゼノが顔を上げてから3攻守の内に決着がついた。
勝った塔所属の騎士は、盤上で王の前に進み出ると、跪いて挨拶する。
満足そうな表情で将軍に声をかけている王は、一見、楽しそうですらあるのだが、ゼノは内心でひやひやしていた。
(ここ最近は、なかったというのに。)
ジオの振る舞いは、ある点では当然の行動。
事情を知らず、王のことをよく知らない周囲が、そうと気づけないのも無理からぬこと。
だが、日頃から側に仕えるゼノは、どちらも知っている。
故に、気づく。


(機嫌が悪い。)


無表情だと評される人物だが、実のところ、不機嫌や失望といった感情は、顔に出ていることが多い。
表情の変化は乏しくても、口調や視線、眉の動きなどで、意図は伝わり相手に威圧感を与える。
(表出しないそれを感じるのは、久しぶりだな。)
次の対戦者たちが、闘技場に上がるのを視認して、1点の順調ではない事柄を思い、無駄と知りつつ南の空を仰いだ。




















午後の空いた時間を使って、ジオは緋の塔の中央塔を上がっていた。
階段を昇りながら、どうしたものかと眉を寄せる。
(打てる手など限られているが。)
塔を上がりきると、物見台を兼ねたそこからは四方が見渡せる。


南へと向けた視線の先にはラグルゼがあり、それより手前にルサの地があるが、そこへの外出は予定から外してしまった。
案内する相手がいないのでは、意味がない。


西へと向き直れば、眼下に流れる川。
その向こうに森が広がり、その先はアジャートだ。


前を見つめながら、意識は背後、この地より東は王都・王城へと向く。
今朝、届いた城からの通信は、まったく面白くない内容だった。
ダイレナンで定例報告を受けた時に、感じた宰相とクルスの態度の違和感。
(気づいてはいたし、予想はついていた話だったが。)
ざわり、と吹いた風に、目を細める。


予定調和な会食の後、戻って来た近衛副隊長の報告を受けた。
連れ帰って来た者の中に、女神の姿はない。
魔法騎士の術により、『気』の探索は終えており、既にこの国にいないのはわかっている。
どうするべきか、と考えて、けれどもある程度まで答えは出てしまっている自分に眉を寄せる。
「……。」
フィルゼノンとしては、予言に詠われた、災いの使者によく似た存在を、そのまま国には置いておけない。
捨て置くこともできないために、神の名を冠して、保護を与えた。
(だが、あちらは、どういうつもりで彼女を迎えるか。)
休戦条約に反して、仕掛けて来たアジャートが、彼女を何に利用しようとしているかは明らかだ。
(向こう側では、黒の女神だろうと災いの使者だろうと、どちらでも利用価値はある。)
それは正しく事実。
けれど、口元には嘲笑が浮かぶ。
(違うな。きっと、アジャートの"黒の女神"への執着は消えていない。)
"本物の"黒の女神として、保護した時から諸刃の剣だとわかっていた。
起こったことは変えられない。
できることは、どう処理するか。何が最善か。
(到底、隠し切れはしない。)
窓枠に置いた手に力がこもる。
(だが、事実を知られるわけにはいかない。)


傾く太陽が、空を赤く染め始める。


ひらりと舞い降りた影に気づき、ジオは顔を上げる。
腕を伸ばせば届く距離に、一羽の鳥がとまっていた。
「……。」
その足に結ばれた物を見て、ジオは眉間にしわを刻む。
黒い紐。
それが喪章ではなく、弔意を示すものではないとすぐに気づくが、しかめた顔は戻らない。


判断を下さなければいけない。
そう考えるが、既に判断は下されている。


浮かぶ思考に、湧き出る疑問に、既に答えは出ている。


バタバタ、と頭上で旗が翻る音がした。
尖塔の上の緋色の旗が、血のように赤い夕陽に照らされているはずだ。


答えは、出ている。
(命じるだけだ。)
すべきことは、頭の中に浮かんでいる。
ぎり、と握り込んだ拳が揺れた。
目を伏せ、再び瞼を押し上げる。
表情に迷いはいらない。


「誰かいるか。」
「は!」
階段下で待っていた護衛騎士が、すぐにやって来る。
伸ばした手に乗って来た鳥を、ジオはその男に預ける。
驚いたような顔の騎士に、鳥籠に入れておけ、と短く指示した。


明日。ここを発つまでに、しておくべきことがある。
















訓練に励む塔の兵士たちを横目に、ジオは持っていた紙を折りたたむ。
「良い人材はいたか。」
不意に発せられた王の台詞に、ゼノが顔を上げる。
窓際に立つジオの視線の先に思い至って、漸く心得たように頷く。
訓練している声は、開いた窓から容易に届く。
「先が楽しみな者は、何人か。」
声をかけて引き抜くほどではないが、目を引く王宮騎士候補生はいたということだ。
「そうか。」
昨夜は、遅くまで懇親会と称して宴が開かれていた。
それに最後まで参加していたはずの顔をいくつか見つけ、ジオは呆れながらも感心する。
「頼もしい限りだ。塔は、"緋騎士"が全てではないのだと、もう少し主張すれば良いものを。」
「そうは言っても、ナイトロード殿を超える者はなかなか。」
「ふん、いつまでもそれでは困る。近衛の者も、少々鍛え直さねばな。」
「それについては、面目ありません。」
模擬戦で、全体的に王宮騎士が押され気味だったのは、痛感している。
「さて、予定通りここを発ちたい。準備はどうなっている。」
「滞りなく。」
応じて、ゼノは次に浮かんだ言葉を飲み込んだ。
一夜明け、王の不機嫌さは影を潜めている。
ゼノとしては、予定を変えられる方が困るのだが、この順調さは不気味ですらある。
(だが。本当に、それでいいのか、などと。言えた立場ではない。)




扉がノックされ、ゼノが対応に出る。
ジオは側に置いていた鳥籠から、昨日の鳥を出すと、その足に持っていた紙を付けた。
窓枠に手をついて、外を眺める。
「……。」
その瞳は、ずっと彼方に向けられていた。
("神の吹かす風"。人のか弱き力では止めることなどできはしない。)
「どんな風が吹くのだろうな。」
("黒の女神"、問いて応えよ、汝が心に。)




眼下の広場で剣を振るう兵士たち。
足元で撒き上がる砂埃。




「陛下、準備が整ったそうです。広間で出立の挨拶を。」
「すぐ行く。」
ジオが腕を伸ばせば、心得たように手の中の鳥が羽ばたく。


バサバサ、と。
1羽の鳥が翼を広げ、空へと舞い上がった。






―――巻き起こる風が、世界を揺らす。




















<U.変革する景色>に続く

BACK≪ ≫NEXT