4.








フィルゼノン城の魔法陣に戻って来たクルスは、見慣れた地下の景色に軽く頭を振る。
その顔に疲れが見え隠れするが、彼は早足でその場を後にし、城の階段を昇った。
昨夜のうちに戻って来たかったのだが、事情を把握していたらすっかり夜が明けてしまった。
時間が早いので、まだ居ないかもしれない、と思いながらもフロアを上がり、わき目も振らず宰相の部屋に辿り着く。
そのまま扉を開けようと突き進めば、部屋の前に立つ衛兵たちが、慌てたように声を出した。
「アーカヴィ様! 申し訳ありませんが、ギルバート様はただ今、取り込み中です。」
「在室とは有り難い。急ぎの要件だ。取り次ぎを。」
「しかし。」
ためらいを見せる兵士に、人払いがかかっているのだと察する。
だからといって、終わるのを待っている暇はなかった。
「取り次ぎを。」
視線を合わせたままやや強めに繰り返せば、緊急度を理解したのか、衛兵2人は顔を見合わせた後、了承の意を示した。
「少し、お待ちください。」








「失礼します。」
取り次ぎの後、すぐに入室を許可されたクルスは、先客を認めて目を丸くした。
「エリティス殿。」
名を呼んだクルスに敬礼をしたのは、ラヴァリエ隊長だ。
顔を上げたリュートは、先日、会議室の前で会話した時よりも顔色が悪いように見えた。
「こんな時間に、隊長がここにいるということは……何かあったのですね?」
「えぇ……。」
言葉を濁したリュートの態度に、クルスは眼鏡を押さえる。
「まずい事態ですか。」
その言葉に、宰相ジェイクがうむと渋い顔で応じる。
「まずいな。」
そして、クルスを見据えて、にこりともせず先を継ぐ。
「そちらも、まずい事態か。」
「はい。」
退席すべきかと迷いを見せたリュートだったが、彼自身もまだ引くわけにはいかない事情があるようで、その足は動かなった。
「構いません、エリティス殿もいてください。」
頷いたリュートを横目に、クルスは本題を切り出す。
「ラシャク=ロンハールが以前から警戒していた、『商人風情』が姿を消しました。」
ジェイクが眉を寄せ、リュートが息をのんだ。
「突然居なくなったのは、それを追ってのことだったか。」
「ラシャクの居場所を捕捉し、現地に飛んでいました。追尾した者の報告によれば、相手は船で逃走。昨日まで吹いていた強い風が、彼らを西へ運び去ったと。」
「西?! ギルバート様、このタイミングは!」
焦燥の表情を浮かべて、リュートが宰相に目を向ける。
「ふむ。」
「やはり、急いで知らせてください。」
まぁ、待て、と宰相は唸って、執務椅子に腰を掛ける。
「グリフ=メイヤード様に、話を通さなければっ!」
「グリフ?」
リュートの常ならぬ態度に加え、出て来た名前に、クルスは首を傾げた。
「こちらでは、何があったのです。」
はっとしたようにリュートが振り向き、頭を下げた。
「失礼いたしました。実は、あの後も"彼"と話をしまして、サルガスの件だけでは、なかったと判明したのです。」
「だけではない?」
ゆっくりと復唱するクルスに頷いて、少しリュートが落ち着きを取り戻す。


『サルガスの摘発は、"黒の女神"のおかげだ』という噂。


アシュレーが聞きつけたというその話の、出所を調べていたのはクルスだ。
先日、その犯人の男の正体を突き止めた後、"彼"の相手はリュートに任せていた。
「例の護衛兵……の供述ですよね。」
本人も認めたと聞いたのは、2日前。
「今回の視察について、セリナ様が、塔を抜け出し、ラグルゼ以南へ行くつもりだということも、もらしたと。」
語る内容にクルスは、目を見開く。
「彼が……あれ以降セリナ嬢に近づく機会すらなかった"あの兵士"が。そんな情報を手に入れられるわけがないでしょう?!」
無意識に宰相・ジェイクに目を向けたクルスは、彼の表情でそれが嘘ではないことを悟る。
「セリナ様が街へ出たことを、もらしただけにしては態度がおかしく。問い詰めたのです。」
クルスに言われたとおり、全て話す方が身のためだと、諭して。
「それを話した、酒場の女が急に姿を消し、ようやく不穏さに気づいたようです。軽率な行動をしたと。」
「いえ、いいえ。隊長! 彼は、その情報をどこから聞いたのですか! 機密事項でしょう?!」
強い口調で詰められ、リュートが顔を上げる。
「グリフ=メイヤードの執務室で見たと。」
「グリフの? 彼が話した……?!」
「いいえ、そうではなく。視察の書類を、部外秘の物を見た、と言っています。」
「それを、城の外で話した、と。」
「酒場に何度か通っているうちに親しくなり、事情通だと褒めそやされて、相手の期待に応えたかったと。」
「なんという愚かなっ!」
あまりの事態に、壁を叩きつけたい衝動に駆られる。
「どうやって、近衛副隊長の部屋になど……。」
言いかけて、クルスは関係を思い出して拳を握った。
セリナが城を抜け出したあの日。
警護として付いていた男の名は、セス=キングレイ。
ラヴァリエ隊長に目をかけられ、その役目に抜擢されながら、任務を果たしきれず、挙句、「悪いのは僕じゃない」と口を滑らしたが故に、不興をかった兵士。
その後の勤務態度は至って真面目で、模範となるような働きをしていたはずだ。
護衛兵の任は即刻解かれたが、実際のところ1度の失態で、どうこうなるわけもなく、リュートたちもそれで見放したりはしていない。
あの日の護衛を任せた責任を感じていたリュートは、今回の件が発覚した時、セスからの聞き取り役を自ら希望していた。
「彼は、グリフ=メイヤードの甥だったな。」
グリフの姉の息子。ならば、グリフもまた、目をかけ世話を焼いていたはずだ。
執務室で話をすることくらいあるだろうし、甥を残して席を立つことがあったとしても不思議ではない。
まさか、部外秘の書類を盗み見されるとは思わない。
「その話した相手……女は姿を消したと。」
「真っ赤な口紅が印象的な女だそうです。語っていた身上も、すべて嘘だったようで。その上、なんの痕跡も残さずいなくなっています。それが判明して、すべて話す気になったようです。」
サルガスを摘発できたのは、女神のおかげだと。
中途半端な関係者であるセスは、あの日捕えられた麻薬密売人が、セリナと無関係ではないことを知っていた。
セリナを探すために力を貸していた魔法騎士が、その日のうちに捕えて尋問していたとなれば、難しい推理ではない。
咎められなくとも、反省していた彼は、ある意味善良な性質だった。
その性質のまま、深い考えもなく、口を滑らせたのだ。
失態に落ち込む彼へと優しい言葉をかけ、慰めてくれた、素性の知れない女性に。
(……行程がもれている。)
ラシャクを追い留守にしている間に、とクルスの手に力がこもる。
宰相がひげを撫でながら、ため息をつく。
「メイヤードも、キングレイも名門だ。下手を打って、"黒の女神"排斥派にでも回られては今の均衡を崩す上に、女神の行動自体が非難されかねないぞ。」
「っ……。けれど、今は。とにかく、"塔"へ知らせなくては!」
落ち着かない様子のリュートが、何を案じているのかは聞かなくてもわかる。
「不穏な影同士が、同じようなタイミングで姿を眩ました、と。」
一度口を閉ざし、宰相・ジェイクは立ち上がる。
「クルセイト。その『商人風情』、正体の見当は付いているのか。」
「対峙した者によれば、動きはプロ。手にした武器は、"アジャート製"だったと。」
ぴりと空気が張り詰める。
「やはりそういう話になるか……悠長にしている暇はないな。致し方あるまい。」
「は!」
ジェイクの承諾に答えて身を翻したクルスへと、リュートが声をかけた。
「クルセイト様! どこか怪我を?!」
足を止めて、リュートの視線の先を辿り、自分の右腕を見る。
袖の内側に付いた血。
いえ、と緩く首を振る。
「私の血ではありません。」
「……。」
リュートの表情は、さほど変化しなかった。
だが、先程まで纏っていた焦燥が消えたのは、冷静さを取り戻したからだ。
「クルセイト様、ロンハール卿は今どこに?」
リュートは、追ったはずのラシャクのことについて、クルスが一言も語っていないことに気づく。
歩を進めたクルスは、軽くリュートの肩を叩く。
「時間がありません。今は、"塔"へ知らせるのが先です。」
「……。」
ぎゅっと拳を作ったリュートは、無言で頷きクルスの後に続いた。


視察の日程は、既に3日目を迎えている。
(今となっては……女神殿の外出に間に合うとは、思えぬ。)
宰相・ジェイクは、明けた空を一瞥して、ひげを撫でた。


陽光が差し始めた庭に、風は吹かない。




















緋の塔・シャリオ。


先程までラグルゼと通じていた媒体が、部屋を映すただの鏡に戻ったところで、ゼノが口を開いた。
「陛下、この時期にラグルゼを動かすわけにはまいりません。」
「わかっている。もちろん予定通りに、"女神"は連れ帰る。」
難しい顔を見せたゼノの横で、エリオスが膝をつく。
「既に、あちらに連れ去られたと。考えるべきです。」
「……アジャート、だろうな。」
「敵として国境を越えて来るようなことがあれば、どのような事情だとしても、私はこの剣を抜きます。本人の意思がどうであっても、です。」
「あれは保護した者だと、知っていて言うか。」
「『敵』となれば、温情を向ける対象ではありません。」
「『また』排除すると。」
「いかにも。」
「では、またそなたの名誉が増えるな。国の災いを退けたと。」
嘲笑うような色が滲んだ声にも、エリオスは怯まない。
「それで、陛下とフィルゼノンを護れるのならば。」
言い切った騎士に、ジオは一瞬だけ面白くなさそうな表情を見せる。
だが、すぐにエリオスから、近衛隊長に視線を移した。
「ゼノ。」
「はい。」
「グリフ=メイヤードとアシュリオ=ベルウォールを呼べ。」
今後の動きについて、指示を出さなければならない相手だ。
は、と鋭く応じた近衛隊長の声を聞きながら、立ち上がったエリオスは王に向き直る。
「畏れながら、陛下。」
「なんだ。」
「此度の襲撃、"女神"自身が手引きした可能性は皆無と言えますか。」
「ナイトロード殿!」
突然の台詞に、ゼノが鋭い声を上げる。
「なるほど。疑うのも無理はないか。」
落ち着いた様子のジオは、口元に弧を描いた。
「だが、その疑念は無用。彼女は、今回の件ではただの被害者だ。」
「なぜそう言い切れるのですか。待ち伏せされていたのは、事前に情報が漏れていたということです。外出すること、その経路と行先、そして警備体制。」
「エリオス。」
つ、と顎を上げた後で、ジオはかけていた椅子から立ち上がる。
「襲撃者たちが使ったのは、海路だ。」
「……?」
相手の表情に、困惑を見てとって、ジオは目を眇める。
「ここ数日の、強い東風。加えて、昨夜の嵐。アジャートなら、船で海路を使うのが最速の移動手段だろう。」
「船。」
確かにレイクの説明で、一部の者はさらに南へ動いたと言っていた。
南にあるのは海で、そこから移動したなら、船しかない。
吹いていた強い風は、嵐と共に去ったが、あれが『敵』も運んで行ったというのか。
「情報がもれた可能性は否定しないが、その出所は女神ではない。」
聞いて、エリオスは眉を寄せた。
「陛下は、どこまでご存じなのですか。」
「届く知らせは、ラグルゼからだけだとでも?」
声には、薄く笑いが混ざる。
「いえ……。」
「ナイトロード殿。彼女に対してのスパイ容疑は、初めからあったこと。警戒して尚、王宮騎士たちが見過ごしたとお考えならば、改めていただきたい。」
強い口調のゼノに、エリオスは目を伏せる。
「騎士を侮辱するつもりはありません。確認しておきたかっただけです。」
そこにノックの音が響く。扉を開けたゼノの向こうから、兵士の声が上がった。
「失礼します。フィルゼノン城より、伝令が入っております!」
ちらりとエリオスを見てから、ジオは手を軽く振った。
「……。」
エリオスは、姿勢を正して王に向き直る。
「本日は、模擬戦の観覧予定が入っておりますが。」
「開始時刻までには、視察業務に戻る。」
王からの返答に短く応じて、エリオスとゼノは頭を下げた。








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