69.








用意された広間での食事は、セリナにとって落ち着かないものだった。
(広間で食事って言うから、大勢で食べるのかと思ってた。)
普段のことを考えればそんなはずはないので、部屋が閑散としていることは不思議ではない。
騎士たちは、別の部屋で食事をしているのだろう。
広い部屋に、長い机とその端と端に置かれた椅子というどこかで見たような光景。
中央に果物の盛られた足つき大皿というそのセッティングにも、この際驚くまい。
(2人分のテーブルセットなのに、なんで。)
味は申し分のない食事だ。
ナイフとフォークを動かしながら、セリナは目の前をじとっとした目で睨んだ。
(なんで壁を見ながら、食べてるの。)
おそらく。とセリナは前置きをして、思考する。
(もう1つの席は国王様用よね。)


―――「遅くなるので、お先に……とのことです。」


席に着いた時に、メイドから聞かされた主語のない言葉だ。
付け合せの野菜をフォークで突き刺して、セリナは上座の椅子に視線を落とした。
(予定では、一緒に食事を摂るはずだった……?)
食事を始めた最初は、いつ相手が来るかわからないので異常な緊張を強いられた。
しかし、メインディッシュが終わった今も、彼が現れる気配はない。
到着した時のホールでの様子や、近衛隊長が呼び出されていたことを思い出して、さらに視線を落とす。
(まだ仕事中? 忙しいんじゃ仕方ないけど……ちゃんと休めているのかな。そもそも王様って立場に休日なんてないよね。)
じゃがいもらしき野菜を口に運んで咀嚼する。
(いや、私が心配するのも筋違いだけど。)
第一印象は最悪だった。
あれが、演技やただの示威行為だったとは思えない。
けれど、他人から話を聞いて、直接話をして、彼の言葉に救われて、現状では協力的な態度ですらある彼に対しての意識はずいぶん変化している。
(国にとってマイナスになるような存在の私が、陛下を心配するなんて迷惑かな。)
フォークを置いて、セリナは水を飲み干した。
(なんか、味気ない。)
考えてもセリナにできることなど、思い浮かばなかった。
(おとなしくして騒ぎを起こさないこと、くらい?)
続いて頭に浮かんだ考えに、セリナは思わず息を止めた。
グラスに水を注ぎ、空いた皿を下げた給仕に、慌てて曖昧な笑顔を作る。
その背中を見送って、表情は苦笑いに変わる。
(サイアク……。)


―――いっそ私がいなくなれば、悩みの種は1つ減るかも。


「考えが後ろ向きだわ、ダメね。」
気合いを入れるように頷いてみる。
(私はここにいるもの。どんな理由であれ、今ここに。)
























「う、わぁ。」
暗い空が藍色に変わり、さらに黄金に移ろう。
手摺りを掴みぐっと背を伸ばすが、建物に遮られて太陽自体はまだ見えない。
ベッドが違うせいか、久しぶりに長い間外を移動したせいか。
いつもより早く目が覚めたセリナは、妙に目が冴えてしまいそのまま起き出したのだ。
明るくなる空に気づいて、バルコニーに出たのはついさっき。
南と東に窓が付いているこの部屋からは、日の出がよく見える。
刻々と色を変えていく空。流れる雲も光に染まる。
「夜明けの空。」
瞬きすら惜しくて、セリナはじっと眺める。
日の上がる前の大気はまだ冷たい。
ほぅ、と息を吐いてさらに身を乗り出した。
明るんだ空に鳥が飛び立つ。
逆光で黒の影になったそれは、1枚の絵のように美しい。
(日の出を、見たのなんていつだっけ?)
見ようと思えば、何度だって機会はあった。
けれど、残念ながらセリナの記憶からは浮かばない。
(夕陽を……眺めていたことは、何度だってあるのに。)
日の沈む西を眺めていた記憶は、痛々しいほど鮮明に残っている。
(どうして、今までこんな素晴らしい景色を見ようとしなかったんだろう。)
建物から顔を出した太陽の光が眩しくて、目を細める。
手をかざして視線を向ければ、青の空を再び2羽の黒い影が横切った。
不意に。
泣きたくなって、セリナは目を閉じた。


(あぁ、目を閉じても光は感じるんだ。)


それが無性に切なくて、小さく笑った。
ゆっくりと目を開く。
前を直視すれば光が刺さるのはわかっているので、視線は落としたままだ。
「?」
気配を感じて振り返る。
壁に寄りかかるようにして、こちらを眺めている人物がいた。
「い、つから、そこに。」
セリナの言葉には答えないで、ジオは壁から体を起こす。
「そんな薄着のままで外に出ると、風邪をひくぞ。」
「え?」
聞き返したセリナを無視して、ジオは踵を返すと隣の部屋へと入ろうとする。
セリナのいる部屋よりさらに奥にあるのは、南を除く三方に面したこの屋敷の主寝室だ。
廊下の扉ではそれなりに距離があるが、間取りで見れば隣室に当たる。
ゆえに、バルコニー自体が隣合っているのも当然である。
(ちょ! いつから見られてた!? 最初からいたとかはナシでしょ!!)
「ま、待って! ちょっと待って!」
思わず呼び止める。
不快そうな表情で振り向いたジオに、セリナは頭をフル回転させて次の言葉を探した。
「え、えと。」
「……また考えなしの行動か。」
「うッ! そ、そう、ちゃんと休めた!?」
「…………。」
図星を指されて、詰まった言葉をごまかすように出たのは、脈絡のない問いかけ。
案の定返されたのは、奇怪なものを見るような痛い視線だった。
「昨日、いっぱい移動したし、食事…来なかったし、仕事大変そうだったから。今だってこんな朝早くから起きてるし……視察だってあるのに。」
(視線が刺さるっ! 私、何を言ってるんだろう!?)
発言した言葉を、今更取り返すことはできない。
顔を伏せたセリナには相手の反応がわからず、沈黙に恐怖した。
「それが。」
「……ぇ?」
呟くような声に、セリナは顔を上げる。
ジオは横から朝日を浴びていて、表情はよく見えない。
「私の仕事だ。貴女が心を煩わせることではない。」
「……。」
言うだけ言うと、ジオはスルリとその姿をセリナの視界から消した。
それ以上引き止めることもできず見送ると、セリナも部屋へと慌てて戻った。
(今のはどう捉えれば!? 余計なお世話? それとも、心配するな?)
ドキドキしている心臓を押さえて、セリナはその場に座り込んだ。
ふわりと、バラの香りが鼻孔をくすぐった。
「落ち着け、私。確かに、上着は羽織っておくべきだったわ。」
夜着のまま外へ出たのは、さすがに恥ずかしい。
無理矢理に思考を切り替えて、深呼吸をする。
「いつから、見られてたんだろう。」
顔を上げると、咲き誇る白いバラが目に入った。
(彼も、同じ景色を……見たのかな。)












朝食は部屋に運ばれてきたため、その後ジオと顔を合わせる機会には恵まれなかった。
ホワイトローズの執事やメイドに見送られて、初めの視察地であるグリサール領へと出発する。
アエラが領地の境ですと、説明をしてくれてからしばらくして、馬車はその動きを止めた。
「領主の……ブランチに着いたの?」
「えぇ。左側の邸宅が支城"ロンド"ですよ。」
アエラの言葉に、セリナは窓の外に目をやった。
2階建ての屋敷に、厳めしい尖塔が印象的な建物だ。
(砦の役目もあるって言ってたっけ。)
馬車の扉が開くこともなく再び動き出す。
「下りなくていいの?」
「中継地点ですから。領主が出迎えに待っていたのでしょう。おそらく、陛下に挨拶を述べて、一番前で先導役についたはずです。」
イサラの見解を聞きながら、セリナはふかふかのクッションを抱きしめた。
「へぇ……領主さんも、いろいろ気を回すのね。」
「それは、もう。」
「今日の視察は、私も外に出ていいの?」
セリナが同行している表向きは、世間知らずが見聞を広める、という意図が含まれている。
「えぇ。メイヤード様の説明では、グラムスの視察時とラムダシャール神殿への拝礼、明日以降のバッカスとヴィラ、ベル・ヒルでは視察団と同行して構わないと。王が通過視察するだけの場所や形式的な視察地では、馬車でお待ちいただくことになりそうですが。」
さすがに、計画を把握しているイサラはすらすらと述べる。
アエラはその隣で「……です。」と、曖昧に後を継いだだけだった。
侍女を2人、と言ったジオの判断が正しいことを、早くも証明しそうである。
ただし、把握の曖昧さは、セリナもアエラと同じようなものである。
「グラハ……? ラムダ…ベル。」
せめて繰り返そうとした試みは、見事に失敗する。
事前に視察行程の説明は受けているが、ぱっとイメージが浮かばない。
「えぇと、グリサールの中心地と……リスリーア教の神殿、農地の整備事業を行った村とシュトラ領の中心地。」
指折り記憶を辿るセリナに、イサラは満足げに頷いた。
「素晴らしい。正解です、セリナ様。」
「ベル・ヒルは……聞いてないような気がするけど?」
「はい、後から付け足された場所です。視察というより、休憩地として組み込まれたみたいですね。」
「休憩地? ふぅん。」
「その後はルディアス領に入って、伯爵と会見。それから、町を視察して……翌、最終目的地"緋の塔"に到着。"塔"の視察には同席する理由もありませんから、滞在中はセリナ様もご自由に散策などできますわ。」
「散策……そうね。時間はあるものね。」
それこそが、今回の外出の目的なのだ。
イサラの言葉に、セリナは思い切って疑問に思っていたことを尋ねた。
「今回の。散策内容について、知っているのはどこまでなんでしょうか。」
ほんの少し、馬車の中の空気が張りつめた。
しばらく考え込んでから、イサラは口を開く。
「セリナ様に随行する我々4人と陛下、視察の総責任者であるディハイト様、"ラヴァリエ"指揮官代理を務められるメイヤード様までは確実ですが。それ以外は予測が立ちませんね。宰相様……陛下の側近や補佐官でも、伝わっているかどうか。」
「リュートや、ティリアさんは?」
「ティリア姫はご存じないでしょうが、エリティス隊長は知っているでしょうね。そうでなければ、彼の部下が散策にまで同行することができません。」
「エリティス様がご存じなら、何を押してもセリナ様に同行したのではありませんか?」
イサラの答えにアエラが首を傾けた。
「視察はともかく、その先の外出となれば警護を人に任せるようには思えません。日頃から、とても大切に思われているようですもの。」
アエラの言葉に、セリナの心臓が跳ねる。
過保護なほどに大事にしてくれているのは、傍目にも明らかだ。
「そ、そんなことは……。」
動揺しているのがそのまま声に出た。
「それでも、彼は責任ある地位に立つ騎士です。」
セリナに視線を向けて、静かにイサラが告げた。
「陛下について近衛騎士隊の他、各隊からの精鋭騎士が抜けて城を空ける間、城内警護の責任者は、第1騎士隊隊長であるエリティス様になります。彼まで、視察へ同行するわけにはいかないでしょう。到底認められることではない。」
イサラの言葉に、出発前のリュートを思い出して、セリナは申し訳ない気持ちになった。
視察に同行するだけでなく、秘密裏の外出を予定した旅だ。
(ただでさえ心配性なのに……。)
同行できないとなれば尚更だ。
(本当に、いつも気苦労をかけてる気がする。)
「公にされていないことであれば、口にも出しにくいでしょうし。」
ふぅ、と息をついてイサラは視線を伏せた。
その態度にセリナは、思いついたまま言葉を発する。
「イサラ……は、今回のこと薄々気づいていた?」
驚いたように反応したアエラが、セリナとイサラの顔を見た。
イサラは、ゆっくりとセリナの視線を受け止める。
「何か考えているのだろう、とは思っていましたよ。ずいぶん熱心に地図を見ていたことがあったでしょう? きっとどこか行きたい場所があるのだろうと。さすがに、行き先まではわかりませんでしたが。」
「地図を?」
「謹慎の初日に。」
(あ……そうだ。イサラが、地図を持って来てくれたんだ。)
「これは少し動きがあるかと気を揉みました。けれど。」
一度言葉を切って、イサラは小さく笑んだ。
「あの時は、自粛された…のでしょう?」
「なんというか。イサラには嘘、つけないね。」
「仕える主人の機微を察せずして、侍女は務まりません。」
事も無げに言い放つ彼女は、やはりただ者ではないのだろう。
アエラは呆然とした顔で、イサラを眺めていた。
「今だから正直に言えば。自粛したというほどの我慢はしてないかも、です。」
「適切な機会を窺っているのだと、そう理解いたしました。」
微妙な言い回しに、セリナは苦笑を浮かべた。
「ありがとう。こんなこと、呆れられるかと。」
「無用な心配です。」
イサラの横で、アエラがこくこくと首を縦に振った。
理由を知らないイサラたちからすれば、ポセイライナへの訪問は不可解な行動であり粋狂な望みだろう。
「何しろ、陛下に認めさせたくらいなのですから。信じておりますわ。」
前半の言葉にぎょっとして、後半の言葉に力を抜く。
「ちゃんと話さなくてごめん、でもありがとう。」








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