61.








部屋にはセリナとジオの他には誰もいない。
人払いを気にしたセリナの意図を汲んだのか、ジオは青い石をテーブルの上に置いた。
不思議そうな表情を浮かべるセリナに、結界だ、と短い説明が返された。
その石を中心にして張られた結界が防音の役割を果たす。
どんな話をしても部屋の外に漏れることはないということだ。


深呼吸をしてから、セリナはぐっと力を込めてジオに顔を向けた。
「単刀直入に言うと、ポセイライナに行きたいんです。」
「これはまた、大胆な発言が出たな。」
セリナの言葉におどけたように応じてくれるが、目は笑っていない。
早くも怯みかけた自分を叱咤して、セリナは捲し立てる。
「矛盾してるってことは、わかってるんです。関係ないってそう考えてるくせに、もしかしたらそこへ行けば何かわかるかもしれないって。方舟伝説なんてこの世界にはないのに、どうして方舟に似た"アザリー"を掲げる神殿の系列下にオリーブに囲まれた碑石があるんだろうって不思議で。ノアの予言、アーク・ザラの名前。奇妙に符合するものを、ただ重ね合わせてるに過ぎないって。そう思いながら、その関係性に意味を見つけようとしている。」
「こちらで調べると、言ったはずだが。」
「いいえ、『こちらでも』と言ってくれたわ。それって、私が調べることを拒否したものではないでしょう?」
間髪入れず発した返答に、ジオが目を見張る。
「それに、本当に知っているのは私だけ。例え、他の人が調べに行ってくれるという案が出ても引かないわよ。きっと何かがあっても、気づけるのは私だけだもの。そこへ行くなら、私が留守番するという選択肢はない。」
「いきなり、君が碑石に出向く理由をどう説明する。正直に言って説得するか? 混乱を招くのを覚悟で? そんなこと許可できるわけがないだろう。」
どういう考えの下に、この提案を持って来たのかを確かめようとジオは問う。
混乱、つまり余計な騒ぎを起こしたくないから、話を伏せているのはセリナ自身の考えでもある。
目立つ動きをすれば、騒ぎになるのは目に見えている。
もちろん、ジオとてセリナがこんなことを言い出した契機に心当たりはあるはずだ。
だが、それを彼から提示するはずもない。
求められているのは、セリナの意見。
待っていました、と言わんばかりにセリナは身を乗り出す。
「来月、陛下は視察に出向くとか。」
「それがなんだ?」
素っ気ない返事にも関らず、セリナの口調は強さを増した。
「首都より西、視察先は"緋の塔"。その視察に同行することは不可能ではないでしょう?」
「……。」
ジオが無言なのを幸いと、セリナは足りなかった説明を補足して語る。
「方舟の話を伏せたままで、塔まで同行しそこからポセイライナへ足を運ぶことは。不可能じゃないでしょう?」
「そもそも、視察に同行する理由がない。」
ジオの言葉に、セリナは思わず笑みを浮かべた。
それは否定の言葉だが、今のセリナの案を直接切り捨てるものではない。
言いかえれば、ジオの言う『理由』さえあれば可能ということだ。
「"女神"を保護したのでしょう。保護とは城に閉じ込めることではない。」
それはかつてジオが言った言葉だ。幽閉したのではない、と。
「この国を、世界を見せることも必要なのでは? 例えば、無知な者への教養のために。王家の心の広さを示すために。」


「あるいは、"緋の塔"の騎士たちに"女神"を見せるために。」


ジオの瞳がすっと細くなる。
無い知恵を振り絞って考えた理由だ。
セリナにとって優しいモノより、女神を忌避するこの国の民が納得するモノである方がいい。
見せると言っても、紹介します、よろしく。という和やかに無意味な顔合わせではない。
軍事施設に女神を連れて行くなら、それは将来起こるかもしれない"災厄"に対する布石。"敵を知る"行為だ。
「国に危難を起こすような存在なら、それを国軍の中枢が把握しておくことに不思議はないはずよね。」
そういう『裏』があるとすれば、今度の視察に王が女神を伴うことに一応の理屈を通すことができる。
黙ったままのジオを、セリナは祈るような気持ちで見つめた。


「なるほど。素人にしては、よく考えたものだ。」


手で口元を隠して、ジオは口角を上げた。
ジオの言葉に、セリナはぱあっと表情を明るくさせる。
「いいだろう。」
「じゃあ!」
「ただし、同行を許すのは"塔"までだ。その先、出かけることは許可しない。」
「え!? ちょっと! それじゃ、意味ないじゃない!」
「焦るな、聞け。」
むっとしたように告げられて、セリナは口を閉じて頷く。
「塔の視察だが、予定では4日間だ。他の場所と違い、ここの視察は本格的で余計なことに気を向けているような余裕はない。」
「?」
「付加的に連れて行った者なら、割当ての仕事もないな。少しの間、姿を見せなかったとしても支障はない。それこそ、体調を崩して寝込んでいたとしても、さてどれほどの者が気づくか。逆に、お忍びで出かけられても、気づく頃には往く方知れず。視察を中止するわけにもいかないとなれば、打つ手なしだな。」
「……。」
「ラグルゼを経由して、海でも見て。再び戻るのにおよそ2日。転移を使えば実質1日で済む。」
「あ。」
呟いたセリナに、ジオは静かに先を続ける。
「無断で抜け出すリスクを背負うことになる。失敗して窮地に立つのは君自身。結果によっては、君への処遇も考えなければならない。」
「……。」
向けられる言葉に、セリナは喉を鳴らした。
結果次第では、自分の首を絞めることになるのだ。
セリナが求めているのは、嫌な推測を否定するための情報。けれど、望むものを見つけるとは限らない。
何も見つからない上に、抜け出したことがばれてしまえば目も当てられない。
「その覚悟がない。あるいは、この程度で怖気づくのなら……この話は無しだ。」
はっと顔を上げて、セリナはまっすぐにジオを見た。
「大丈夫。……大丈夫です。」
「無駄足になる可能性の方が高いぞ。」
「うん。」
神妙な顔で頷いてから、ぽつりとセリナは今更なことをこぼす。


「了承してくれるとは思わなかった。」


ゆっくりとジオはセリナに目を合わせた。
「ダメだと言っても聞かないだろう。」
「当然! 置いて行くというなら、視察団に潜り込むなり後をつけるなり……とにかく! 無理やりにでも付いて行くつもりなんだから。」
語気強く言い切ったセリナは、ジオを見据える。
ジオは、小さく息を吐く。
「ならば、初めから側にいてくれ。」
「!」
射抜くでもなく、見つめるでもないジオの真っ直ぐな視線にセリナは息をのんだ。
(な、何!? なんか心臓跳ねた。)
わかってはいる。
目の届かないところで騒ぎを起こされるくらいなら、初めから連れて行った方がマシだ、と言いたいだけだ。
(わ、わかってるんだからっ!)
何気ない言葉に動揺した自分に狼狽して、セリナは意味なく視線を彷徨わせた。
「君がここに来た意味を見つけることを、阻止する理由はない。それに……実を言えば、視察に連れて行くという話がなかったわけじゃない。」
告げたジオの声のトーンは少し下がっていた。
「へ?」
敬意も何もない返事をした上で、セリナは恐る恐る尋ねる。
「それは、さっき言ったみたいな裏事情で?」
「ああ。」
さらりと答えられて、セリナは思いっきり身を引いた。
「そ、そうなの。そうよね。いえ、ほら! 私が言うのと、影でっ?言われてるのとは、ちょっと違うじゃない?」
身を引いたままで、セリナは何とも言えない表情で笑う。
「冗談だ。」
「そぅ、冗談。………冗談?
「あぁ。」
憎らしいほどあっさりと白状されて、セリナは虚をつかれる。


な!ヒドッ!!


(からかってる!?)
「自分で言い出したくせに。」
くっと、ジオが笑う。
(あ、笑った。)
その笑いもさることながら、目の前の人物が砕けた態度を取っていることにどぎまぎする。
妙に気恥ずかしくなって、朱が上っているだろう頬を押さえたまま、セリナは感情を隠すためにジオを軽く睨んだ。
「怒るな。連れて行くという話は本当だ。」
「……何か理由が。」
笑いを消したジオが、先を続ける。
「城に残して行くより、同行させた方が安全だろうと。それが理由だ。」
「安全?」
思いがけない単語に、セリナは無意識に繰り返した。
「視察には近衛や"ランスロット"の騎士が同行する。その分残った兵で城を守るわけだが……当然"ラヴァリエ"の力も分散される。警戒していても、個人警護に隙ができないとは限らない。」
言いたいことを理解して、セリナはその先を受けた。
「少数精鋭。いっそ、王を警護できる体制の中に組み込む方が安全だと?」
「そういうことだ。」
「けれど、お城の中で、そんなに警戒する必要は。」
ない、と言いかけて、セリナは途中で口を閉ざした。
「突き落とされたかもしれない、のだろう。」
表情を曇らせたセリナは、包帯の巻かれている足首に目を落とした。
「"エンヴァーリアン"とか?」
不安げに問われて、ジオは少しだけ答えに詰まった。
「どう、だろうな。はっきりしないからこそ、警戒が必要だ。」
「それ以外にもいるってこと?」
「……その可能性は否定しない。」
「そう、だよね。」
再び足首を見てから、セリナは顔を上げた。
「あのね? 言ったのも自分だから、申し訳ないんだけど。」
「なんだ。」
「やっぱり、突き落とされたっていうの気のせいだったと思うの。今、思い出してみても、なんだか勘違いだなっていう気持ちの方が強くて……。振り回すような発言しちゃったなぁって反省してるくらいで。」
申し訳なさそうな顔で語るセリナ。
「良く思ってない人がいるのは、わかってるから、気をつけなきゃいけないとは思うんだけど。……陛下?」
珍しくぼうっとした様子を見せたジオに声をかける。
呼ばれたジオは、あぁ、と応じた。
「それならそれで構わない。注意すべきだと自覚できただけ、上出来だ。」
「う……。それ、褒めてないよね?」
「自分の立場を忘れるな。"女神"の名が持つ影響力を。」
考え込むようにしながら頷いたセリナに、ジオは息をつく。
「君の存在に理由があるなら、早く解明するに越したことはない。"災厄"でなければ、尚いいが。」
(でも、もし"災厄"だったら?)
セリナの脳裏に悪い予想が浮かぶが、それを口にすることはできなかった。
(もし、そうなら私はどうするべきなんだろう。それはその時にならなきゃわからないことだけど、それでも。私は、周りは、どうするんだろう。)
ジオに視線を移す。
「警備体制を今から組み直すわけにもいかない。本人含めて、専任警護2名と侍女1名の4人を追加するというところか。」
既に視察のことに頭が戻っているらしく、必要な現実案をはじき出す。
「警護人員の選定は隊長に任せるとして、侍女は……。」
ふと口を閉ざし、セリナを眺める。
「新人だったな。」
「え?」
「侍女2名、で計5人……その程度なら、無理は生じまい。」
(ふ、増やした!!)
目を丸くしているセリナに気づいて、ジオは肩をすくめた。
「初めての遠出に、外出に不慣れな侍女だけでは何かと不便だろう。」
「あ、りがとうございます。」
会釈するセリナを横目に、ジオは机の上の青い石を手に取る。
その顔に浮かんだ複雑そうな表情に、セリナが気づくことはない。


結界が解除されて、刹那きらきらと残光が散った。












セリナの部屋を後にしたジオは、護衛と共に廊下を進む。
(ずいぶんと強気に出るようになったものだ。)
傍観者のようだったセリナが、この世界を見ようとし始めたのだとしたらそれを止めるべきではないだろう。
緋の塔から先の外出を、公式に認めることはできない。だが、それを実行する手立てはいくらでも用意できる。
街へと抜け出した前回のように揉み消すことはできなくとも、ごまかす方法はいくらでもあるのだ。よほどの事態にならない限りは。
視察団に潜り込むやら後を付けるやら言っていたが、現実的な案ではない上に、普段のセリナが起こしそうな行動でない。
しかし、唐突に城を抜け出した経歴があるからハッタリとも思えない。
正直なところ、厄介だと思う。
(なぜ、彼女は。)
そう考えて、僅かに眉を寄せた。
―――気のせいだったと思うの。
そう話していたセリナの言葉に、嘘や無理をしている感じは見受けられなかった。
本当にそう思っているのだろう。
ラシャクの語った推論が蘇ったが、ジオは小さく首を振った。
(この視察で、何か掴めればいいが。)




















<[.外苑の蔦>へ続く

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