56.








「―――っだぁ!!」


倒れ込むように男が日陰に寝転んだ。
その隣に歩み寄った男が、苦笑して見下ろす。
「鍛えが足りんな。」
「返す言葉もありません。」
全身で息をするパトリックが疲労困憊なのは傍目にも明らかだ。
直前まで、彼の指導を付けていたリュートは立ったまま評価を口にする。
「身軽で、動きがしなやかなのはお前の持ち味だが、力で競り負けるようではまだまだだな。」
手合せをしていたリュートの剣戟の重さに、ついバランスを崩したことを言われているのだ。
強い日差しの下で長時間剣を振るっていたというのに、息を乱さない隊長に自分との差を思い知らされる。
(無駄な動きが多いってことか。)
「馬上から落とされれば、圧倒的に不利になる。」
「はい。」
伏せていた半身を起して、パトリックは訓練場の中でそれぞれ腕を磨くラヴァリエの騎士たちを眺めた。
「ダミアン。」
「はい!」
「そちらが終わったら、パトリックの相手を。」
「承知した!」
近くにいた騎士に段取りをつけたリュートは、そのまま別の隊員たちの元へと歩いて行った。
木陰には他にも休憩を取っている仲間がいるが、パトリックは唇を引き結ぶと立ち上がって、ダミアンの手が空くのを待った。
「ずいぶんやられていたな。」
休憩にやって来たラスティに声をかけられ、パトリックは微苦笑を浮かべた。
「まぁな。」




「副隊長は?」
「今日は、護衛の担当だ。」
「ああ、そうか。」
離れた場所から聞こえてきた会話に、パトリックは視線を向ける。
「あんなことがあったのに、まだ続けるんだな。」
「それが任務だろう。」
「そうだが……。それでも、守るんだから頭が下がるよ。例の件の原因だってのに。」




「あいつら……っ!」
むっとしたパトリックの腕をラスティが引いた。
「やめておけ。」
「だが。」
「深く考えての発言じゃない。」
「……。」
「警護に力を入れなきゃならないことは、皆わかっている。」
カイル=テフナーが除隊された件について、大きな騒ぎにはなっていない。けれど、周囲へ与えた衝撃は大きかった。
露骨に女神を避けていた人物ではなかったから、余計に。
ラヴァリエ内部でもそれぞれ気持ちの整理がつくには時間がかかるだろし、外部の好奇には落ち着くまで耐えるしかない。
「くそ……。」
陛下の命で、隊長が擁護し、副隊長が受容した存在。
「"ラヴァリエ"の騎士なら任務は果たす。それを放棄したのが誰なのか、皆わかっている。」
ラスティの言葉に、パトリックは静かに頷いた。
「……。」
大きなため息を吐いて、パトリックは無理やり表情を緩めた。
「偏見だって。セリナ様と話せば、それに気づくのに。」
「……。」
話していた騎士たちは既に訓練に戻っていた。
普段からあまり口数は多くないラスティには珍しく、再度口を開く。
「苦手意識は、理屈ではどうにもならないこともある。」
「……。」
「わかっていても、"女神"より元"仲間"を擁護したくなるんだろう。」
言おうとしていることはわかるので、パトリックは頷いた。
「おい、そこの2人! 休憩は終わりだ!!」
ダミアンに呼ばれ、慌てて姿勢を正す。
「はい!」
呼ばれるまま2人は、指導を受けるべく木陰を飛び出した。
















近づいて来た侍女の姿にジルドは頭を下げた。
「ホーソン殿。昨日はありがとうございました。」
「あのくらいお安いご用です。ああいう重い物を運ぶ時は、いつでも声をかけてください。」
「まあ、助かります。」
荷物を持っているイサラのために部屋の扉を押さえてやる。
何気なく視線を上げれば、こちらを見ていたセリナと目が合った。
(……。)
「ありがとう。」
「いえ。」
イサラからの礼を受けて、慌てて顔を作る。
そのまま扉を閉めて、元居た場所へと戻って警護を続けた。








「どうかされました?」
ぼんやりとしていたセリナにイサラが声をかけた。
はっとしたように顔を上げたセリナは、取り繕うように笑いを浮かべた。
「いえ。何を話していたのかなーって。」
「あぁ、副隊長にお礼を。昨日、水瓶を運んでもらったのです。」
返した答えに、なるほど、と頷くセリナを見ながら、イサラは抱えていた箱を机の上へと置く。
「アエラ、手を貸して。」
「は、はい!」
持って来た箱を並べる侍女たちを横目に、セリナは扉を見つめた。
(ホーソンさん、まだ私の護衛付いてくれるんだ。)
ついごまかしてしまったが、本当は姿を見て驚いていたのだ。
先日の行動を思えば呆れられても仕方ないと思っていた。
(また、態度は戻ったみたいだけど。)
今日はまだ一度も言葉を交わしていないし、担当だということもついさっき知った。
1度のやり取りでセリナを好きではないということはわかったが、ひとまず見放されなかったらしいと知り安堵の感情を覚える。
だからといって、苦手だという思いがなくなるわけではないのだが。
(リュートの判断なら大丈夫。)
リュートが護衛のメンバーから外さないのだから信頼できる人物なのだろう。
そう考えて、ふとセリナはそう考えた自分に笑った。
「?」
不思議そうに首を傾げたアエラに気づいて、セリナはアエラにも笑って見せる。
つられるように首を傾げたままアエラも微笑んだ。
そこでようやくセリナは、イサラたちの仕事に目を瞬いた。
「その、大量の箱は……何?」
どんどん運び込まれてくる大小の四角と丸の箱が積み上げられていく。
セリナの問いに、イサラはさらりと答える。
「新しい服をお持ちしました。」
「ふ、服?」
「試着されますか? それとも、衣裳部屋に?」
「え、新しいって……今あっちの部屋にもすごい量が。」
「あちらは生地が薄手ですので、これからの時期には向きませんよ。」
「……。」
「とりあえずスタンダードな形で仕立て上がった物からお持ちしました。お目通しいただければ幸いです。好みがあるかと思いますので、こちらの衣装画の中からいくつか選んでいただければ、そちらの方向でも用意をさせますわ。小物はこちらで、靴はこちら。宝飾関係はこれに。今年の流行は……。」
カタログらしきデザイン画の束を渡される。
説明を始めたイサラに、セリナはわわ、と身を引いた。
(秋冬物ってこと?! 確かにどれもきれいだけどっ!)
よく知らない間に用意されていた衣裳部屋の服の中には、一度も袖を通していないものがあるのだが、衣替えということらしい。
しかも、セリナのために仕立てることになるのだろう。
「わあ! セリナ様! これなんかすごく素敵ですわ。」
「あぁ。よくお似合いになりそうですね。」
「え、でも、今持って来てくれたものだけでも十分に数が……。」
積み上げられた箱1つに付き1着としても、1シーズン乗り切れそうだ。
「足りませんよ。」
ぴしゃりと言われて、口をつぐむ。
「こちらはどうですか?」
1枚を取り出し、机の上に置くと、そのデザインが立体的に像を結んだ。
「!!」
「あら、『これ』を見るのは初めてでしたか。」
驚いたセリナを見て、イサラが呟いた。
(すごい、魔法……なんだろうけど、ホログラムみたい。)
平面画が立体となって浮き上がり、そのデザインが良くわかる。
「きれー……。」
思わず呟いたセリナの声を聞き逃さず、イサラが頷いた。
「では、これは頼んでおきましょう。」
「うわ! 待って、イサラ!!」
「大丈夫ですよ、セリナ様。ごゆっくり考えてください。」
そういう意味ではない、と告げるが、笑って受け流されてしまった。
(足りてるからっ! ありがたいけど、そんなにたくさんのドレス着こなせない……っ。)
両手に抱えたカタログに視線を落として、セリナはしばし途方に暮れた。


慣れたつもりの日常でも、まだまだ奥は深そうである。




















中央棟にある階段の手摺りを掴んでセリナはため息をついた。
あれから数日。
セリナ自身が集められる情報には限りがあって、これといった名案も浮かばず頭を悩ませる日が続いていた。
(同行できる理由なんか思いつかないし、やっぱり連れて行ってもらうのは、簡単じゃないのかな。)
マーラドルフ女史のマナー講座を終えた帰り。
北棟の自室へ戻ろうと階段を下りる。
(了承してもらうには、説得しなきゃいけないのに。)


今回、巻き込むべき相手は他ならぬ国王陛下。


あのサファイアの瞳に向かって、納得のいくような理由を提示しなくてはいけないのだ。
(けれど、協力を仰ぐとはいえ、そもそも会う機会がないのよね。)
先日と同じようにジオへ面会を申し込むという手もあるが、今のまとまらない考えのままその段取りはさすがに踏めない。
そうこうしているうちに、時間はどんどん経ってしまう。
(悩んでいる間に視察が終わったら笑えない。)
ちっとも会えそうない相手のことを考えながら、思わず声が出た。
「いっそ、この辺でばったりとかいう展開はないのかしら。」
「何がですか?」
きょとんとアエラに問われて、セリナは手を振った。
「ごめん、独り言。気にしないで。」
「はぁ。あの、セリナ様。」
「ん?」
階段の中ほどで立ち止まりセリナは後ろを振り向く。
「行く時に持っていた本2冊、今お持ちじゃないのですが、かまわないのでしょうか?」
「あ! さっきの部屋に忘れてきた!!」
両手を見て、セリナは声を上げる。
「すみません、部屋を出た時にお聞きすれば良かったですね。」
切り出すタイミングは少々遅いが、気づくとはなかなかだ。
(アエラがちょっと頼もしくなって来た、のかもしれない。)
「取りに戻らなきゃね。」
研究所から借りた本なので、無くすわけにはいかない。
「でしたら、わたしが。取ってまいります。」
「え?」
言うやいなや階段を駆け上がり、アエラが廊下の向こうへ消えていく。
「なんか、悪いことしたかな。」
他のことに気を取られての忘れ物に、他人の手を煩わせてしまった。
引き止めることもできず、見送ったセリナはゆっくりと階段の上まで戻った。
手摺りの角に手を乗せて階下を眺める。
(お城かぁ、広いもんね。これだけ広いとむやみにウロウロしても偶然会うのは難しい気がする。)
手入れの行き届いた廊下には塵一つない。
見上げれば大きなシャンデリアがキラキラと光を放つ。
(しかし、本当に煌びやかにゴージャス。高級な装飾品。なんか、もういろんな意味で別世界っていうか。)
考えて、セリナは瞬きをする。
(別世界…だし、異世界か。)
ここにいることの不思議に、説明はつけられない。
(世界を超えて、空から落ちて。)
ズキン、と頭が痛む。
(空から落ちた……?)
頭痛のする頭を押さえて、セリナは思考を巡らせる。
(高層ビルなんかよりもずっと高い場所から落ちたのよね、私。)
ザワと全身が粟立った。
ここへ来たばかりの時の記憶は曖昧で、意識に残っているけれど実感がない。
助かったのは奇跡だと言っていなかっただろうか。
(どうして助かったんだろう? それに、ここへ来る前、私、何をしていた? なぜ、今まで気にしなかったの?)
頭痛がひどくなる。
思い出すことを拒否するように、痛みが思考を掻き乱す。
(……だめ、これ以上は。)
逃れようと無意識にセリナは一歩後ずさる。
考えてはいけないと、思考を切り替えようとして頭を上げる。
その時だった。


ドン、と背中に衝撃が走る。


(え?)
理解するより先に体がバランスを失う。
支えようと出した足は階段を踏み外し、伸ばした手は空を切る。
見開いた目に一瞬だけキラキラとした光が映って、暗転した。


「――――!!!!」


転がる体は自分では止めることができない。
「セリナ様!!?!」
悲鳴のようなアエラの声を最後にセリナは気を失った。








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