51.








(もし友のために"女神"が城を抜け出したのでは、と考えたなら。それを確かめるために、彼もまた危険を冒したとしても不思議ではない。)
自死を選んだ襲撃者の亡骸を、引き取ることなどできなかったはずだ。
友だと言った、その間柄がどういうものだったのかはわからない。
けれど、せめて見送ろうと祈りを捧げるローグに、何も知らないセリナはどう映ったのだろうか。
祭礼で襲ってきた彼の悪意はセリナのせいではないと、巫女姫は言ったけれど。
…あ。
(だって、私がここにいなければ、あの人だって。)
視界が揺れる。
(また私のせいで。)




立ち上がったセリナの体がくらりと揺れる。
「!!」
その腕を掴んだのは机の角を挟んだ隣に座っていたジオだった。
「セリナ様!」
急いでセリナの側に寄ったリュートの耳に小さな声が届いた。
「……んなさい。」
「え?」
「私が……私のせいで。」
「セリナ様?」
リュートが声をかけるが、セリナの目はどこも見ていない。






「私がいなければ、"彼"は死なずにすんだ…?」






リュートは言葉を失う。頭に浮かんだのは否定の言葉だが、咄嗟に音にならなかった。
ジオが立ち上がり、セリナの前に立つ。
「おい。」
「!!」
びくりと肩を揺らして、セリナは身を引いた。
「ぅ、あ。」
ぐるりと視線だけを巡らせて周りを見る。
その様子に、今にも泣き出しそうなセリナに、リュートは目を大きく開いた。








(ここはどこ。)
さらに一歩後ろへと下がる。
眩暈。
(まただ、グラグラする。思考が絡まる……世界が回って。)
「セリナ様、大丈夫ですか?」
リュートが恐る恐る、セリナに手を伸ばす。
―――ねぇ、大丈夫?
蘇る声にセリナは黒い瞳を見開いた。
そう労わるように声をかけてくれたのは、少女だった。
「―――ッ!


―――芹!


明るい笑顔。けれど、その表情にひどく胸を締め付けられる。
(……どうして。)
「っは。」
呼吸が苦しくなり、セリナは自分の胸を押さえる。
(思い出すだけで、どうしてこんなに苦しい……!)
その場から離れようとセリナは後退する。けれど数歩も行かないところで、壁にぶつかりそのまま床に座り込んだ。
「セリナ嬢!?」
慌てたような声が、どこか遠くで聞こえた。




彼女は優しくて明るくて、大好きな従姉だった。
(それは、嘘偽りない気持ち、なのに……どうして。)
目の前に膝をつく誰かをぼんやりと眺める。
(私はなんでこんなところにいるの。)
震える体を両手で抱き締めた。
(寒い。)
心が冷える。
凍えてしまいそうだ。
(こんな感覚を知っている。)


―――ナゼ ココニ イルノ?


(ひとりぼっちになってしまった……あの時。)
繰り返し頭の中で声が響く。
厄介者、厄病神。
セリナに問いかける声。感情のない視線。


―――なぜ、あなたがいるの?


(そう、なんで私が。)
浮かんだ涙で景色が霞む。
「な…んで。」
込み上げる嗚咽をかみ殺す。
(だめ、泣いちゃいけない。)
「おい。」
躊躇いがちな呼びかけに、セリナは力無く首を振った。
「ご、ごめんなさい。」
「セリナ。」
苛ついた声と共に腕を引かれる。
「ごめん…な、さい。」
ぼんやりとした視界の先にいる相手に向かってうわごとのように呟く。
「私が……いて。」
腕を掴む手が驚いたように一度揺れた。
「……どうして、私が、ここにいるの?」


向けられる哀れみ。
―――可哀想に。
同情の言葉。
―――困ったことがあったら言って。
好奇の視線。
―――仲のいい親子だったのにねぇ…。
―――娘さん、学校入ったばかりでしょう?
―――母親も亡くなっているって。


冷たい手が、握り返してくれることはない。
そんな思いをするのは初めてじゃなくて。
暗い部屋の中で、変わることのない笑顔で飾られた相手を直視できないまま。
何度も考えた。








(私がいなければ、あの人は死なずにいた?)
「セリナ。」
「わかってる、私がいけないの。」
セリナは自由な方の手で顔を覆う。
「私の……存在が、災い? 私の、せいでしょう? だって、本当は、私だったもの…!」
手で口を押さえて、吐き出すように告げた。
「セリナ、落ち着け。」
緩んだ腕の拘束から抜け出すと、今度は両手で俯いた顔を隠す。
「誰も責めないの! あなたも辛いわね、可哀想ねって。」
こぼれそうな涙を強引に拭った。
「だけど、違う。いい人だったのにって、惜しい人をって…悲しむの。みんなが、悲しむのよ……! だから、私は、みんなに責められてた。…でも、だって、違う…。私は!」
セリナが語るのは、ここではない場所への言葉。
ここにはいない人たちへの言葉。


「誰も、私を責めなかった…の。私の…せい、だったのに…!」


溢れた涙が頬を伝う。
押し寄せる感情、今まで心の中でため込んでいた言葉、決して彼らには告げることができなかった思い。


誰もがその死を惜しむ人物だった。
避けられたかもしれないその惨劇の、きっかけを作ったのは自分。
「ごめんなさ…ぃ。」
誰もセリナを責めてなどいない。
けれど、惜しまれるたびに、セリナは責められている気がした。




―――なんで、あなたが、ココに、いるのよ。




そうセリナに向かって呟いたのは。


他でもない自分自身。
どうして、ここに生きているのが自分なのだろうと。


ただ、自分だけが今でも自分を責め続けている。








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