50.








ジオに続いて廊下へ出たセリナは、部屋からは少し離れた場所に集まった4人の男たちの姿を見つける。
「申し訳ありません。」
先に立つクルスの背中越しに、リュートの声が聞こえた。
(リュート、戻って来てたんだ。)
「私の油断が原因です。」
続いて聞こえたのは知らない声だった。覗くように首を傾げれば、リュートとジルドが見えた。
「騎士が3人もいて、この有様とは。」
嘆くようなゼノの台詞。あまり喜ばしい状況ではないのだとわかる。
「ゼノ、そのくらいにしておけ。」
静かに告げられたジオの言葉に、ゼノは口を閉ざして黙礼する。
「状況を把握したい、リュート=エリティス。説明を。」
「はっ。」
頭を下げジオに応じてから、リュートはその後ろにいたセリナに目を止めた。
「セリナ様。」
驚いたような顔のリュートをはじめ、そこにいた男たちの視線が一気にセリナに向けられる。その後すぐに、騎士たちが頭を垂れた。
「……。」
まさか部屋から出て来るとは思っていなかったのだろう。
その態度に戸惑いながら、セリナはジオに顔を向けた。
「場所を改めよう。卿をこちらへ。」
その台詞に頷いた青銅色の髪の騎士が廊下の向こうへと消えた。












廊下で立ち話をするわけにもいかず、使っていない部屋へと場所を移す。
セリナの部屋の控えの間として用意されていたその場所は、掃除こそされてはいるが使われていないためずいぶん簡素だった。
本来なら中央棟の執務室や会議室を使うのだが、近いそこを選んだのはセリナに配慮してのこと。自分の部屋を使うのかと思っていたと呟いたセリナに、そういうわけにはいきません、と答えたのはクルスだった。
呼ばれた『卿』は、ほどなくして現れた。
その場にセリナの姿を見つけて驚いたような顔をしたのは一瞬で、すぐににこりと笑顔を見せる。
「今宵、セリナ嬢のお姿を拝見できるとはなんたる僥倖!」
大げさな手振りを交えて告げる『卿』に、クルスが声をかけた。
「早く座れ、ラシャク=ロンハール。」
「おぉ、これは失礼。」
軽い調子で一同に謝ってから、ラシャクは空いていた5つ目の椅子に腰を下ろした。
(皆で話し合うのかと思ったけど、違ったのね。)
リュート以外の騎士の姿はいつの間にか見えなくなっており、部屋にいるのはセリナの他に、ジオ・クルス・リュートとラシャクの計5人だ。
セリナにはラシャクが現れたことが意外だったのだが、ラシャクの立場からすれば、この場にセリナが座っていることの方が不思議だろうから驚くのも無理はない。
「舞踏会は?」
ジオが投げた問いに、ラシャクは頷き目を伏せた。
「以後も滞りなく。会場、広場、正門、いずれも大きな問題はありません。」
そうか、と応じて、ジオは一同を見渡した。
「では、今夜起こった件についてそれぞれ報告を。」
「まずは私から。」
と口火を切ったのはクルスだった。
「庭での出来事の概要をお話しします。ただ、一部始終を見ていたわけでも、詳細なやり取りを聞いていたわけでもありませんので。」
言葉を切って、クルスがセリナに視線を向けた。
「セリナ嬢、補足や訂正があればお願いします。」
目を大きくしたセリナは、ワンテンポ遅れて首肯した。
庭へ出てから部屋に戻るまでの流れがクルスの口から簡潔に語られる。会話内容などには一切触れず、起こった事実だけが要約された。
「接触をかけて来たのは、今述べた2名です。セリナ嬢とジルド=ホーソンに魔法が使われたと見ています。その術の媒体となったエントの葉から考えても、彼らの正体は"エンヴァーリアン"と考えて間違いないでしょう。」
「初めに声をかけられた相手ですが、何か特徴的なものはありませんでしたか、セリナ嬢。」
ラシャクに問われて、セリナはおずおずと思いついたことを口に出した。
「緋色の瞳、でした。あとは……えぇと背が高くて、身なりも良かったです。」
言いながら、後半は特徴というほどではないと思い至って、記憶を辿る。
しかし、結局瞳の色しか捻りだせず、肩を落とした。
「ごめんなさい。それくらいしか思い出せません。」
「いえ、いいのです。ありがとうございます。」
「皆さんが知っている人じゃない、ということは、やはり舞踏会の招待客ではなかったということですか?」
「えぇ、招いた方ではありません。」
クルスの返事に、リュートが言葉を継いだ。
「ジルド…副隊長の話に、バルドールという名が出てきましたが、おそらく偽名でしょう。」
「バルドールか。」
ジオが呟くように繰り返し、少し口角を上げた。
「とうに断絶した家の名だな、その血を引く者はいないはずだ。」
「その人なら"ローグ"と呼ばれていました。もう1人、"コナー"と呼ばれた人はローグが勝手なことをしたせいで予定が狂ったと。」
セリナの説明に、ジオが渋面のまま頷く。
「"コナー"は表に出るつもりではなかったのだろう。」
「護衛の目を逸らすために、手を出さざるを得なかった。」
ラシャクが呟き、クルスが顎に手を当てた。
「高いリスクを冒して城に侵入した目的はなんだったのでしょう。庭で会ったのは偶然としても、何を奪うわけでもなく去った。」
「"黒の女神"と呼ばれる者に会いに来た、と言っていました。」
「わざわざ、会うためだけに?」
セリナの答えに、クルスが首を捻る。
考え込む周囲にセリナは自分を奮い立たせながら痛みを伴う言葉を紡ぐ。
「私は……。」
向けられる4人の瞳。
「"黒の女神"ではなく"災厄の使者"だと。それを知る者がいるのだと覚えておけと、言われました。」
刃物のような鋭い宣言。それが彼らの認識。
ジオが眉を寄せ、同じような渋い表情のラシャクがセリナを見つめた。
「それでも、それをただセリナ嬢に伝えるためだけに来たとは考え難いことです。」
顔を上げたセリナに、ラシャクは安心させるように笑みを浮かべた。
「それにしても、セリナ嬢には輝く月夜の下での逢瀬というのは良く似合う。」
「……え?」
突然の台詞に思わず聞き返し、ラシャクの綺麗な笑顔に目を瞬かせた。
「今宵の相手がこの私でなかったことは残念です。」
(この人は、こんな時にも……!?)
彼にとっては普通なのかもしれないが、セリナには不慣れな会話だ。去り際の爆弾とは違い、反応に困ってセリナは狼狽える。
「ロンハール卿、追尾は。」
問いかけるジオを始めとして、他の者たちも卿の軽口を取り合うつもりはないらしい。
それをわかっているのか、ラシャク本人もあっさり真剣な会話に戻る。
「まだ連絡は来ていません。が、"ローグ"という男は北門から逃走、外に馬が繋いであったというので、逃走経路は事前に準備されていたものと思われます。"コナー"の協力が理由かと。」
「その"コナー"の追跡について報告を。」
ジオの目が末席に座る騎士に向く。
目礼してからリュートは西門の前で起こったことの説明を始めた。
ラシャクの台詞に1人取り残されていたセリナは、はたと気づいて、慌ててリュートへと視線を向ける。
アシュレー及びジルドと共に、西門の前でコナーを包囲したリュート。
捕縛するための魔法陣を敷いたその状況は、圧倒的に彼らに有利だった。
「彼は自ら魔法陣に足を踏み入れました。」
リュートの言葉にセリナは疑問符を浮かべた。
それならば、コナーは捕まったはずで、近衛騎士隊長の叱責やリュートともう1人の騎士の謝罪の意味がわからない。
(けど、今の空気もなんだか重たいし。)
続くリュートの説明で、セリナの疑問は解消された。


「塗り替えられた陣で発動したのは転移の術。目の前で消えるのを、止めることができませんでした。」


「で、逃げられたと。」
「申し訳ありません。」
「陣を転用されたとはいえ、魔法の残滓を追跡することはできたのでは?」
クルスの追及にリュートは顔を曇らせる。
「アシュレーがすぐに試みましたが、北へ飛んだ後は行方をくらまされ、見失いました。」
「それは、それは。」
肩をすくめたラシャクが、椅子の背もたれに体重をかけた。
「展開した魔法陣は確かに無防備ですが、遠隔で転属させるにはかなりのスキルが必要なはず。」
「"コナー"にそのスキルはありません。」
苦々しげにリュートが述べる。
「そうだね、『彼』にはあの包囲を突破できる術はない。そう知っていたからこそ、油断があった。」
ラシャクの指摘に、リュートは返す言葉もない。
「その前の、目くらましの術式を見ても……良くてC級。逃走に馬を使ったなら"ローグ"も違う。もう1人、高位の魔法使いの仲間がいそうですね。」
クルスが呟き、ラシャクが頷いた。
周りで進む話にセリナは、付いて行くので精いっぱいだ。
個々の説明を聞いて、それぞれが事態を把握分析していくのだが、それが速い。
「相手をするのは厄介かもしれませんが、"エンヴァーリアン"を調べる手掛かりにはなりそうですね。」
クルスから視線を向けられたジオが、口を開く。
「"コナー"から何か引き出せたか。」
「直接的には何も。ただ"災い"を保護していることに納得がいかないと。」
リュートはそこで間を置き視線を彷徨わせる。言葉を選んでいるようだった。
「……災いを成す前に封じるべきだと言っていました。」
「封じる、ですか?」
「えぇ。」
「それは、彼らの主張?」
クルスからの確認に、リュートは首を振った。
「今の段階では、あくまで"コナー"の考えだとしか言えません。危害を加えなかったことからすれば、"ローグ"の考えもそれに近いのかもしれませんが、推測に過ぎません。」
「では祭礼の襲撃者は過激派、とでも分類しましょうか。」
まるでからかうような口調でラシャクが評する。
「全員があのような考えではないということならば……。」


「あの時の。あの人も"エンヴァーリアン"なんですか?」


セリナの驚いた声に、ラシャクが口を閉ざした。
身のすくむ敵意も剥き出しに、セリナを悪魔だと罵った相手。
ゾクリと背筋が粟立つのを隠して、硬い表情にぎこちない笑みを張り付ける。
「なら、今回の人たちのことをその人に聞けば、素性とか何かわかるのでは?」
セリナの提案に、沈黙が落ちた。
(何か変なことを言った?)
口元を隠したラシャクの表情は気まずげで、セリナは無意識にジオに目を向ける。
それに応じたのはクルスだった。
「残念ながら、それは無理です。」
「無理?」
「その者は既にこの世におりません。」
「…………。」
セリナは思わず絶句する。
再びジオに顔を向けたセリナを見て、クルスは早口で言葉を足した。
「捕まることを忌避して、自ら死を選んだのです。」
王が命じて刑に処したわけではない、とセリナの誤解を解く。
(あ。)
走馬灯のように、セリナの脳裏にいくつもの記憶が浮かんだ。
あの襲撃のことを忘れていたわけではないが、いろいろ起こった夜だったし、混乱もしていた。恐怖を伴う記憶は無意識のうちに奥底に沈められ、その日を思い出すのに浮かぶのは巫女姫と西の庭で出会った『誰か』の姿。
剣を振り上げる男の姿は、思い出そうとするだけで体が震える。
(あの人も"エンヴァーリアン"。)
けれど、今セリナの心を占めるのはその時の恐怖ではない。
「申し訳ありません、セリナ様。お伝えしない方が良いと思い、黙っておりました。」
悄然と頭を下げるリュートの言葉は、セリナの耳には届いていなかった。
「その人は……。」
セリナの声が震える。
視線が集まるのがわかった。


「南部の出身、ですか?」


唐突な質問。
誰に問いかけたわけでもないそれを聞いて、リュートがセリナを凝視する。
険しい表情を浮かべたクルスがラシャクに視線を走らせると、ラシャクは困惑した顔でジオを見ていた。
サファイアの瞳を横に走らせたジオは、先を促すように頷いた。
ラシャクは目礼で応じた後、セリナの問いに答えるべく口を開く。
「その後の調査で得た証言に、かの者に南部の訛りがあったと聞いています。確定ではありませんが、おそらくは。」
その場で驚いたように反応したのはリュートだけだった。




襲撃者の調査していたアシュレーから、ラシャクが報告を受けたのはつい最近のことだ。
男の一番の特徴である刺青を手掛かりに、東部の彫師を突き止めたアシュレー。その彫師から襲撃者のことを聞き出した証言の1つに、『南部訛りだった』というものがあった。
アシュレーからの調査結果は、ジオとクルスにも届けてある。
だが、それだけだ。
調査はまだ途中、情報はどこへも出ていない。




「けれど、セリナ嬢。どうしてそのようなことを?」
ラシャクに問われるが、怪訝さを隠しきれていない声だった。
目的がわからないと言っていた。
リスクを冒して、ただセリナに会いに来ただけでは、説明がつかない。
(けれど、もし…私の考えが正しければ。)


―――その友が南部の出身でな……信心深い者だったので、その風習に倣って。


会話を振り返り思わず拳に力が入る。


―――南部では、冥府に旅立つ者の魂は"舟"が運ぶと言われている。


王都に海の女神と"舟"を掲げる場所はシスリゼだけ。
あの日、祈るために教会へと足を運んだというローグ。
そこで出会ったセリナが、"黒の女神"だと気づいた時、どんな思いを抱いたのだろう。
(ほんの一瞬でも思わなかっただろうか。)


―――そう……あの場所でも出会うはずではなかった。


いるはずのない場所で見かけたセリナの姿。
(何かの縁があって、"女神"もまた友のために祈りに来たのでは、と。)
ほんの一瞬でも、彼の心にその想いが浮かばなかっただろうか。
変装をして城を抜け出すという危険を冒したセリナがシスリゼ教会を訪れた理由を、そう推測しなかったと言えるだろうか。
けれど。
風習?と問いかけたセリナが、それを知らないことは明白だったはずだ。




―――……余計な話を聞かせたな。




あの言葉に込められた思いは。
そして、今日また意図せぬ場所で出会うことになった偶然を。




―――不思議なものだな。




そう諦めたように紡いだ胸中は。
「っ。」
セリナは思わず口元を押さえた。
その手が震える。
「セリナ様?」
訝しげに声をかけたリュートが席を立つ。
「彼が、"ローグ"が私に会いに来たのはきっと確かめるためです。」
無言で向けられる周りからの視線。
「私が……その人が南部の出身だと知っているのかどうか。」




震える声で語られる少女の話に、ラシャクは眉をひそめた。
「なぜ、襲撃者の出身地など。」
事情がわからない彼らにとって、あまりにもセリナの発言には脈絡がない。
それがそんなに重要なことだとも思えなかった。
続けて質問しようとして、ラシャクは言葉を飲み込む。
「セリナ嬢?」
その声が聞こえたのかどうかはわからない。
気の毒なほど蒼白な顔をした少女は、ふらりと席を立った。








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