44.








廊下へ出たリュートはハウル=ネーゲルに目をとめた。
リュートと一緒にセリナの部屋に来た騎士・カイル=テフナーと、交代の引継ぎを終えたところだった。
「ハウル、君もそろそろ準備を。」
「はい、隊長。」
今から数時間はジルドとカイルがセリナの護衛にあたる。
「では、カイル。また後ほどダミアンを交代に寄越す。」
「はい! ですが、お気遣いなく。私はどうしても舞踏会に顔を出さなければならないというわけではありませんので。」
「……そういうわけにもいかないだろう。」
カイルの言葉に、苦笑してリュートが肩をすくめた。
舞踏会の前半に顔を出してから抜け出して来る予定のダミアン=ソルトと交代して、カイルは後半から出席することになっている。
「ジルドも、少しくらい顔を出さないか? ファライドが交代できるし。」
リュートの言葉に、ジルドは眉間にしわを寄せて、首を振った。
「俺には場違いですよ。それならこちらで護衛をしている方が気が楽ですね。」
ジルドはラヴァリエの副隊長であるが、貴族というわけではない。
舞踏会への参加資格は満たしているが、いわゆる『上流社会』に興味もないため進んで参加しようという気はない。
それが社交の場であり、人脈を広げることや情報を得るのに欠かせないことは理解しているはずだ。副隊長としての仕事の一環に含まれるということも。
「気が変われば、言ってくれ。」
隊長としては、ジルド自身のためにも社交の場に顔を出してもらいたいのだが、今のところ強制まではしていない。
会場警備ならまだしも、貴族のパーティーに参加するとかホント勘弁してくれ、と以前から公言している男だ。
彼には彼の事情もあり、リュートも言い分を一定理解してはいるため、それ以上は口にせず、彼らに警護を任せた。




セリナの部屋から歩き出してすぐ、ハウルがためらいがちに声をかけて来た。
「隊長、顔色が悪いようですが……。」
「問題ない。」
「しかし。」
言い募ろうとした部下を片手で制して、廊下の先を視線で示す。
「先に会場へ行く。ハウルも早く着替えるといい。」
「……はい。」
ネーゲルもテフナーも名家であるが、四男のカイルが気楽なのに対して近々名家の令嬢と婚約すると噂されるハウルは、今夜の会を欠席できるはずがない。
頷いて、廊下を曲がった部下をちらりと見送ってからリュートは足を進めた。
今日ばかりは、ラヴァリエの仕事においても、舞踏会に対する隊員たちそれぞれ個人の事情を汲んだ配置を行っている。
会場の警護を兼務している者もいれば、こうして護衛と『家』の事情を両立させるべく動かす者もいる。
この日にセリナに付くのに、いきなりというわけにもいかなくて、事前の護衛の任も含めて人員の調整に頭を悩ませたものである。
実務で動き回るのは苦にならないが、こういったことで頭を悩ませるのは苦手だった。
(誰でもいいというわけではないからな。)
むぅと眉を寄せた後で、顔色が悪いという言葉を思い出して、リュートは眉間を押さえた。
(さっきセリナ様の前で、そんな顔をしていなかっただろうな。)












天井から下がる大きなシャンデリアがきらきらしている。
会場を照らす光灯の柔らかな光を受けて、揺れたドレスがその光沢を控えめに主張した。
ふふ、と笑顔を浮かべながら、ティリアは何組目かとの世間話を終えて席を離れた。
移動しながらティリアが壇上に目を向けると、この場で一番高位の相手はそつなく来客の相手をしていた。
その隣には宰相の姿があり、近衛騎士隊の面々もそこここにいる。
さらに視線を巡らせれば、見知った騎士や貴族たちが楽しげな会話を繰り広げ、笑顔をこぼしていた。
(それにしても。やはり"黒の女神"の話題は、どこでも出てくるわね。)
噂好きの貴族にとっては格好のネタである。
"教師"を務めていたティリアに、女神について踏み込んだ質問をするほど無粋な相手とはまだ今夜は話していないが、興味津々というのは誰でも同じらしい。
(エリティス隊長も同じような立場なのでしょうね。)
同情めいた気持ちにティリアは、内心で苦笑いした。
「ティリア姫。」
声をかけられ立ち止まる。
軽やかに演奏される音楽に添うように、ドレスの裾が翻った。












さっきからアエラがそわそわしている。
「やはり直接言いに行って来ます。」
何度か部屋の中をうろうろしてから、決心したというように宣言した。
椅子に座って図鑑を眺めていたセリナが、顔を上げて困り顔で応じた。
「うーん、そうだね。」
「……これはあんまりですわ。えぇ、もう直接わたしが!」
ぐっと両手で拳を作る。
今2人が直面している問題。
それはいつもの時間になっても夕食が届かないという事態だ。
「忙しいから、なんだろうけどね。せめて状況がわかると助かるかな。」
「はい! 確認してきます!」
セリナの返事を受けて、アエラは一礼する。
扉を開けるとすぐに護衛のジルドが顔を覗かせた。
「どうかしましたか?」
事情を説明するアエラにジルドはふむと頷く。
「というわけで、東翼へ行きますので、セリナ様のことをお願いします。」
「承知しました、侍女殿。」
戸口での2人のやり取りを見ながら、セリナは思わず息を吐いた。
(……いいんだけどさ。)
副隊長であるジルド=ホーソンは、パトリックやラスティと同時期に護衛に付き始めた人物であるが、ほとんど言葉を交わしたことはない。
リュートはもちろん、ティリアやアエラとも談笑する姿を見かける。しかし、セリナに対しては態度が硬化するのだ。そのためセリナは、彼に対して苦手意識を持っていた。
("女神"をよく思ってないんだろうなぁとは思うけど。)
隊長であるリュートより年上で落ち着いた空気を纏うが、騎士だけあって眼光は鋭い。
どこか柔和な印象を残したパトリックやラスティと違い、がっちりと鍛え上げられたジルドはいかにも武人という感じである。
年下の上官に複雑な事情や感情があるのかと思えばそうでもないようだ。
(単純に私が気に入らないって感じなんだよね。)
わざわざ確かめて傷つくのは怖いので、セリナから歩み寄ることもないまま気まずい関係に至る。
(気まずいと思っているのは私だけかも。)
相手にもされてないとしたら、それはそれで傷つく。
同じように苦手だったイサラとは良好な関係に変わっているので、距離の問題というだけかもしれないのだが、結局、セリナは気にしないという選択をして目を逸らした。
「では、セリナ様。しばし失礼します。」
再び一礼したアエラに、いってらっしゃいと声をかける。


扉が閉じると部屋にはセリナ1人だ。


図鑑を棚にしまうとセリナは、大きな窓を両手で押し開けてバルコニーに出た。
「月が。」
金色の三日月が夜空に輝く。
セリナはぐっと身を逸らして空を見上げる。
不意に中央棟からの音楽が微かにセリナの耳へ届いた。
(あ、キレイな音楽。)
無意識に頬が緩む。
綺麗な月はその視界に捉えたままだ。




―――手が届きそう。




思考のどこかでそう呟いて、手を持ち上げる。
すぅと視界の下半分が曖昧になる。
さらに上を目指そうとつま先にぐっと力を込めた。


―――掴める。




そう感じて音が消えた。


世界が、切り取られる。












ふと。


曖昧になりかけた思考の隅で、沈んでいた記憶が蘇る。
(!!)
はっとして、セリナは勢いよく後ろを振り返った。
「……あ。」
けれど、当然のようにそこにはあるべき状態の景色があるだけだ。
セリナのために用意された部屋、中に人の気配はない。
「当たり前、か。」
既視感を覚えて振り向いた自分に、嘲笑が浮かぶ。
「いるはずがないのに。」
呟いてから、もう一度空を見上げる。
以前、大泣きしてしまった夜も1人で月を見上げていた。
あの時もさっきと同じような不思議な感覚に包まれたのだ。
(ここにいるはずもないけれど、あの人は……誰だったんだろう。)
父親だったら、と願う気持ちもあるが、頭のどこかであれが幽霊などではなく人だったと気づいている。
再び聞こえてきた音楽に、セリナはバルコニーの手すりに身を預けた。
(城の関係者なら、あの舞踏会の会場にいたりするのかな。)
セリナは庭を眺めて、目を凝らしてみる。
もしかしたら、今ならあの時の人物に出逢えるのではないかと思ったのだ。
「なんて、ね。そんなうまくはいかな……。」
身を起こしたところで、セリナは目を見開いた。


「……うそ。」


庭先で動いた人影を凝視する。
顔は見えない、その姿もすぐに木々に隠れてしまう。
手すりを掴んで身を乗り出し、光灯に照らされた庭に視線を走らせる。
木々の隙間から、その背が一瞬見えた。
「!!」
その姿を、セリナは『知っていた』。


(確かめなきゃ……!)


弾かれたように身を翻し、セリナは部屋の扉を開けた。
「わっ。」
廊下へ踏み出したところで壁に阻まれ、セリナは身を引く。
「どちらへ。」
降って来た声に、一歩あとずさって見上げればジルドが立っていた。
「に……っ!」
(仁王立ちっ!?)
さらに身長もあるので完全に見下ろされる形になり、圧迫感がある。
「『に』?」
ぴくりともしない相手に先を促され、セリナは気圧されながら答えた。
「に、庭に……行こうかと、思いました。」
「………………。」
たっぷりとした沈黙の後、視線で部屋を示しながら告げられた声は低かった。
「お戻りください。」
う、と腰が引けるが、今を逃せばこんな機会は2度と訪れないだろう。
「行きます。」
「お戻りを。」
「……。」
「失礼ながら。」
聞き分けのない、とでも思っていそうにジルドは顎を上げる。自然とセリナを見下ろす角度がきつくなる。
「今何時かご存知ですか。」
むっとしてセリナは、睨むようにジルドを見据えた。
本気で尋ねているわけではない。それがわかるから余計に腹が立つ。
「部屋にお戻りを。こんな時間に……というか、そもそもこんな日にと言うべきでしょうかね。」
珍しく饒舌な相手に驚くが、内容的にまったく嬉しくない状況だ。
「女神殿にこうして2人で護衛に付いていることからもわかるように、今日はいつも以上に警備が強化されています。にも関わらず、こんな時間から外に出られると? 理由があるならご説明を。」
「り、理由。」
早く追いかけなくては見失ってしまう。
しまう、というかこのやり取りをしている間に、見失ってしまった可能性が高い。
部屋に押し込まれるようにずいっと迫られる。
「庭とはいえ、人の出入りがないわけではありません。そのような場所に目立ちすぎる女神殿がいては、騒ぎになります。」
「……目立ち『すぎる』?」
俯いたセリナからこぼれた低い呟き。
ジルドは片眉を上げた。
「えぇ。身勝手な行動は自粛してください。」
(なんだか、言葉に棘があるような気がするのは考えすぎ?)
意図してなのか、無意識なのか。
「理由、に納得すればここを通すの? そんなつもりあるの?」
彼が心配しているのは『騒ぎになる』ことだ。
「納得できるような理由をお持ちには思えませんが。」
淡々とそう告げた騎士に、セリナは薄く笑みを向けた。
「そう思うなら、初めから説明など求めなければいいのに。」




(うわぁぁぁーーーーー。)
険悪な様子の2人に、カイル=テフナーは割り込むこともできず固まっていた。
どうして自分の順番で、こんなことになっているのだろう。さっきまで普通だったのに!と恨み言が浮かぶが、投げられる対象がいないので飲み込むしかなさそうだ。




キッと鋭い視線を向けてから、セリナは踵を返し部屋へと戻る。
そして、そのまま衣装部屋へと足を運んだ。
見えた影があの時の相手だと、確信があるわけではない。
(全然関係ない人だったっていうのが現実かもしれないけど。)
既に見失っているし、追う手がかりはない。しかし、追いかけないままでは後悔だけが残る。
衣装ケースの蓋を開けたままで立ち上がり、足早に再度扉に近づいた。
戸に手をかける直前で、廊下側から声が響く。
「失礼ですが、侍女殿が戻るまで室内で警護をさせていただきます。」
言い終わるが早いかガチャリと音を立てた扉に、セリナは手をかけて思いきり開いた。
驚いたように立ち尽くす騎士に向かって、背筋を伸ばしたセリナは言い放つ。


「これで文句はないでしょっ!!」


目を丸くしている相手の脇をすり抜けて、部屋を出ると廊下を蹴った。
ッ!!カイルっ、止めろ!!」
弾かれたように振り返りジルドが叫ぶ。
「!?」
慌てて伸ばされたカイルの手をするりと交わして、セリナはその髪をなびかせた。




ゆるくウェーブのかかった『茶色』の髪を。








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