43.








「ティリア様。」
リルに名前を呼ばれて、ティリアは顔を上げた。
「舞踏会の衣装が届きましたわ。」
さわり、と柔らかな光沢を持つドレスが広げられて、思わずティリアは刺繍していた手を止めて頬を緩めた。
手を差し出したカナンに刺繍していた布を預けると、それに近づく。
「最後の仕上げを致しますから、どうぞご試着を。」
弾む声でリルに告げられて、笑いながら頷く。
「もうすぐですわね。今年の趣向はどのようなものなのか、今から楽しみです。」
刺繍の糸を片付けたカナンも表情明るく2人に近づいた。
「わたくしも楽しみよ。」
ドレスを鏡に映しながら、ティリアが応える。
「セリナが出席しないのは残念だけど。」
「出席されないのですか?」
リルが不思議そうに繰り返した。
「えぇ、招待していないはずよ。」
だから、ティリアも舞踏会の話題は一言も口にしていない。
「今はまだ公に出るべき時期ではないかと。好奇の視線に晒されるだけでは、あまりに気の毒です。」
「そうね、きっと国にとってもセリナにとっても、良いことなどないから。」
ふとカナンが首を傾げた。
「当日の護衛は、どうなるのでしょう?」
「どういうこと?」
「あぁ、いえ。私如きが心配することではありませんが、"ラヴァリエ"は、貴族の子弟が多く所属する隊です。当然、隊長をはじめ、主だった者は舞踏会の出席者として招待される身。少なくとも、セリナ様についていた騎士たちは、そうではありませんか?」
「ライズ様やナクシリア様ですわね。確かに。」
頷くリルに、ティリアはそういえばと声を出した。
「昨日、セリナの護衛に立っていたのは、あまり見かけない顔の騎士だったわね。」
「あぁ! 先日、お菓子をお届けした時も、いつもの騎士様とは違っていました。」
思い出したというようにリルが指を立てて報告する。
「そうなの?」
「はい。」
振り向いてリルに確認すれば、力強く肯定された。
「付く騎士が増えたのね。舞踏会のような時にも対応しなくてはならないし、少しずつ"ラヴァリエ"に慣れていただこう、という配慮かしら?」
自分の言葉に小首を傾げながらティリアは呟く。
「では、やはり心配には及びませんね。さすがはエリティス様でいらっしゃいます。」
カナンが頷き、リルが同意の表情を浮かべる。
むぅ、とティリアは綺麗な眉を寄せた。
「ティリア様?」
「いえ、なんでもないわ。」
(本当にそうなのかしら? 彼にしては性急すぎるような気がするけれど。)
釈然としない気持ちのティリアをよそに、リルはカナンに話しかける。
「では、今回は女神様の御髪は結えないということよね。」
「あら? 残念そうね、リル。女神のことは好きでなかったのでは?」
「そ、そんなことは。好きとか嫌いとか畏れ多いことだわ!」
「前回、髪を結ったのが楽しかったの?」
「だから、カナン! そんなんじゃないってば!」
もう、と怒るリルに、カナンが楽しそうに笑った。
















「……。」
各諸侯らとの謁見を終えて執務室へ戻る途中、軽やかな笑い声が聞こえて思わず足を止める。開いた窓から見える景色に、中庭の一角にお茶会をしているらしい貴婦人たちの姿があった。
遠目からでもそこにいる人物が容易に推測できたのは、そこへ立ち入れる者が限られているからという理由だけではなく、映った『色』のせいでもある。


「何やら楽しげですな。」
主の視線に気づいて、後ろを歩いていた近衛騎士隊長・ゼノが口を開いた。
北宮の庭で笑い声が溢れる。
以前はそれが当たり前の光景だった。
しかし今は、手入れだけはいつも行き届いているものの、人の姿を見かけることはあまりない。
北宮の主が不在ゆえに仕方がないことではあるが、その閑散とした状況はどこか寂しくもある。
「そうだな。」
返された言葉に、ゼノは意味がわからず目を瞬いた。
遅れて、自分の発言に対する返事だと気づいてさらに目を丸くした。
(あぁ。)
隊長は目の前の主の背を見つめる。
かける言葉は持っていない。だから、彼も王と同じ景色に目を向けた。
言葉にすれば、それはひらひらと舞って意図とは違う場所へと落ちてしまいそうな気がしたのだ。
明るい日差しに、風に揺れる木々の葉。
華やいだ雰囲気の中で、彼女たちは楽しげに笑う。


楽しそうに笑っていた。


止めていた足を踏み出した相手に、近衛騎士も意識を戻し後に続く。
次の瞬間、人の気配に緊張を高めたゼノだったが、相手を見て警戒を解いた。
「ロンハール卿。」
名を呼ばれた男は、陛下に向かって深々とお辞儀をする。
顔を上げてなお、卿は目を伏せたままだ。
「……。」
用向きを推察して、ジオは共に執務室へ来るよう無言で示した。
先ほどまでと同じように主の後ろを歩きながら、ゼノは渋面が浮かぶのを隠せなかった。
きっと前を行く彼の表情は、いつもの無表情なのだろう。
その上これから聞く話で、その柳眉が寄せられるのは想像に難くない。


一瞬で消えてしまったものを残念に思いながら、彼もまた後ろを振り向くことはなく廊下の先を見据えて顔を上げた。




















ティリアの姓がアーカヴィだと判明してから4日後。
役目を離れたとはいえ関係が変わることはなく、ティリアは良き話し相手でありお茶会友達のままである。
今日はまだ姿を見ていないが、今日は姿を見せないだろうことはセリナも知っている。
「なんかざわざわしてたね。」
城の図書室から部屋に戻ったセリナは、後ろにいたアエラに声をかけた。
「そうですね。最終準備で人の動きが多いのでしょう。」
パトリックから聞いた舞踏会の当日。
部屋にいる間は気づかないが、城の中を歩くとどこか落ち着かない空気が漂っている。
「こちらにはそれほど影響はないと思いますが、今日は夜半まで多少騒がしいかもしれないと、イサラさんが言っていました。」
「始まるのは何時くらい?」
「ええと……夕方くらい、かと。」
何せアエラもはじめてのことで、その答えも自信がなさそうである。
「本はこちらに置いておきます。」
図書室から借り出した本を、今日の護衛騎士であるネーゲルが机の上へと静かに置く。
「ありがとう。」
「いえ、では失礼します。」
頭を下げてからネーゲルは、扉の横に控えていた副隊長のジルドと共に廊下へ出て行く。
今日は朝から、珍しく2名ものラヴァリエの騎士が護衛に付いていた。
しかし、どちらの騎士もセリナの話し相手になるつもりはないようで、会話に口を挟むようなことはない。
(いろいろ尋ねられるような雰囲気でもないしなぁ。)
扉が閉められる様子を眺めながら、セリナは思わず息を吐いた。が、その扉は締め切られる前に再び開かれた。
「失礼いたします。」
会釈をして、彼は表情を緩めた。
「リュート。あ、その格好。」
いつもの隊服とは違う服装にセリナは思わず呟きをもらす。
似てはいるのだが、いつもと比べて装飾が多く華やかだ。礼装用らしい肩章と飾緒があるだけでまったく雰囲気が異なる。
「"ラヴァリエ"の正装です。今宵は夜会に出るので、このような格好を。」
実用的でないので肩がこるのですが、とリュートは苦笑を浮かべた。
「すごく似合ってる。」
わぁ、と感歎の表情もあらわなセリナの言葉に、リュートはぎこちなく礼を述べた。
褒められるのは気恥ずかしく照れくさいらしい。
「ここ数日顔を出せずに申し訳ありませんでした。」
「ううん、気にしないで。忙しいって聞いてたし。夜会って、今日の舞踏会だよね。今からも行かなきゃいけないんでしょう? 時間大丈夫?」
「はい。少し時間が取れましたので、セリナ様のお顔を見にまいりました。」
笑いながらさらりと言われた言葉に、セリナは返す言葉に詰まる。
(僅かな時間の空きを利用して来てくれた、ってこと……だよね?)
過剰に反応するのもおかしいが、当たり前のように告げられるとそれはそれで、とセリナは動揺していた。
「ご存知の通り。今夜は人の出入りも多く、城中がざわついています。いつもと違って、セリナ様にご迷惑がかかっていなければいいのですが。」
「そんなっ! 大丈夫だよ。護衛だって2人もいるし、アエラも側にいるし。」
ちなみにイサラは、夜会の準備に借り出されて朝から不在だ。
「……何かあればホーソンに伝令を。」
「はい。」
真剣な表情で告げられたリュートの言葉に、セリナは笑って応じる。
なおも何か言いかけたリュートだったが、思い直したように口を閉じた。
(いつもリュートは心配性だなぁ。)
そう考えて、心配そうなリュートにもう一度笑みを見せた。
















ガラガラと車輪の音をさせて、立派な馬車が次々に城の門をくぐる。
所狭しと並んだ馬車。乗っている主人を下ろして、敷地を後にするものもあるため、それらは数え切れない。
正面に近い場所にまだ空間が残っているが、そこは高位の客が使用するという暗黙のルールが存在する。
石畳の広場にステッキやヒールの音が響き、広いホールの中では着飾った紳士淑女がさざなみのような笑い声をこぼしていた。
ホール横では楽団が澄んだ音色で招待客を出迎え、煌びやかに飾られた室内をさらに華やかにしている。


社交期の一大イベント。王都にあるクライスフィル城で開催される舞踏会の幕が上がる。








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