42.








「謹慎明けですね。アエラも今日の午後には戻ってくる予定です。」
部屋のカーテンを開けながらイサラが告げる。
「引継ぎなどもありますので、今日明日は、まだこのイサラがお仕えさせていただきます。」
「お願いします。」
小さく会釈した時、部屋の外から声がかけられた。
「おはようございます。セリナ様。」
「おはよう、パトリック。今日はあなたが護衛担当?」
「はい。」
セリナはパトリックが開けた扉から、顔を突き出して廊下を見る。
ここ最近は、日替わりで別の隊員たちが付いている。午前午後で入れ替わることもあり、ラヴァリエの隊員たちもそれぞれ忙しいのだと容易に察しがつく。
昨日立っていたのは、ファライドとネーゲルという名の騎士だった。
(あまり人が変わると、顔と名前の一致が難しくなるわ。)
今日は良く見知った顔の相手で、セリナは思わずほっとした。
いずれも初めてセリナの前に立つ時は、黒色に驚くのか態度がぎこちない。
ただ、少し時間を置けば内心はどうあれセリナに対して淑女への礼を取る態度を崩さないのはさすが騎士というところだ。
他に誰もいないことを確認してから、パトリックに問う。
「まだリュートは忙しそう?」
「隊長ですか? ほんと最近の隊長は、見てるこっちが心配になるくらいで……忙殺ってああいうのを言うんですかね。」
どこか遠いところを見ながらパトリックが話す。
「隊長さんも大変なんだね。どんな仕事かよくわかってないんだけど。」
「普段は警備や護衛を務めます。忙しいのは視察や舞踏会など予定が重なって、事務量が増えたせいですね。警備体制や人員などいろいろと事前に決めることが多くて。」
「はぁ……そっか。」
「今は、舞踏会のことで手一杯って感じです。後1週間きりましたから。」
「舞踏会って、パーティー? 踊るの?」
「えぇ、踊りますよ。"社交期"の一大イベントです。」
出た、社交期!とセリナが感歎の声を上げる前に、別の声が響いた。
「ライズ殿。」
ぴしゃりとした口調で名前を呼ばれたパトリックは、びくりと肩を揺らした。
眇めた瞳で視線を投げているイサラから、ゆっくりと顔を背けあらぬ方向を見る。
「廊下で、無駄話が過ぎますよ。」
「失礼しました。」
セリナはパトリックに向かって両手を合わせて謝る。
それに笑顔で応えて、気にしないでくださいと騎士は首を振った。
(お城の舞踏会、ねぇ。)
マーラドルフの講義でダンスのレクチャーを受けたことを思い出す。ちなみに、まだ勉強中の科目だ。
この世界での常識に疎いセリナにも、王城の舞踏会に参加するような令嬢にとって踊ることが当然の嗜みだということくらいわかる。一大イベントと言われるくらいなのだから、女史が熱心に教えようとしたことも納得ではある。
(……まぁ、当然といえば当然なんだけど。)
と、考えながらセリナは微妙な表情を浮かべた。
(私、招待どころか、その話の欠片さえされてないんですけどねー。)
イサラの引いた椅子に座りながら、横目で侍女を眺める。
テーブルの上には、湯気の立つ朝食が既に準備されていた。
(改めて、やっぱりダンスの授業、不要じゃない!?)












「アエラ=マリン、ただいま戻りました。」
部屋に入るなり少女は深々と頭を下げた。
「初めての里帰りになったわね。」
イサラの言葉にアエラは気恥ずかしげに笑った。
「はい。久しぶりに両親とも会えました。でも、初めてが謹慎なんて情けないです。」
2人の会話を聞いて、セリナは自分がただ表面の薄いところしか見てなかったことを知る。物事とは一面の意味しか持たないというものではない。
(リュートもアエラも、私が知らないだけで、気づかないだけで。処分は処罰に違いはないだろうけど、それでも。それだけじゃない。)
どこまで意図されたものなのかは、セリナにはわかるはずもない。
(けど冷酷な人ではない。たとえ非道な振る舞いに見えても、本質は違うのかもしれない。)
無意識に自分の首に触れ、セリナはサファイアの瞳を思い浮かべる。
「セリナ様、本日よりまたお仕えさせていただきます!」
はつらつとしたアエラの声に、はっと顔を上げてセリナは微笑んだ。
「おかえり、またよろしくね。」
「はい!」
こうしてアエラも無事仕事に復帰し、セリナの日常は謹慎前のそれに戻る。




そして、その翌日。


「う、わ・わ・わ、わぁー、うわぉ!
っ!!


ふかふかのソファに全身を預けて、すべすべのクッションを抱き込みつつあごを載せた状態で、セリナは目の前の光景を眺めていた。
同じ室内にイサラがいるので、目に留まれば注意を受ける格好であるが、彼女はそれどころではないようだ。
「――――。」
冷や汗をかきながら大きな花瓶を押さえるイサラの顔は、青い。
「す、すみません〜〜〜。」
その隣で花瓶を押さえるアエラは泣き顔だ。
「朝、掃除中にもほうきの柄が当たりそうで危ない。と言いましたよね?」
「はい。」
「気をつけなさい、と。」
「はい。」
「なぜあなた自身がぶつかるのですか。」
「うぅ……。」
部屋の入り口横に置かれた台の上。両手で抱えてもこぼれそうなほどの花が活けられている花瓶がある。花の豪華さに相応しくどっしりと重たそうで大きな物だ。
もちろん割ってしまった場合、弁償可能なお値段とも思えない。
入り口の扉近くに置いているフットスツールにつまずいたアエラが、目の前にあった台に勢いよくぶつかった。
ぐらりと傾いた花瓶だったが、近くにいたイサラも慌てて押さえ、何とか花も水も零さず台の上にある。
「大丈夫?」
未だに花瓶に手を掛けたままの2人に向かって声をかける。
はっとしたようにイサラが立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ありません。」
顔を上げたイサラは、珍しくばつの悪そうな表情を浮かべている。取り乱したことを恥じているのかもしれない。
アエラを庇うのなら、「10日前には、そこに花瓶もスツールもなかったものねぇ」ということになるのだろうか。理由にはなっていないが。
セリナとしては、あぁ、アエラが帰って来たな、と実感できてうんうんと頷く程度だが、イサラにとってはそうもいかないらしい。なにやらアエラに向かってもっと落ち着きを持てとか、注意力を持てとかいう、お小言を与えている。
あうう、と情けない声を出して、気をつけますと答える少女だが、果たしてどれくらい効果が期待できるのかは不明だ。
イサラが、ちらりと目を向けたのに気づいて、セリナは首を傾げた。
彼女は無言のままアエラに視線を戻して、さらに視線を彷徨わせたあげく、天井を見た。
「補佐役だというのに、これでは……。」
苦悩に満ちた呟きがイサラの口からこぼれた。
本来なら、主人の力になるのが侍女の役目。日常の世話や話し相手に始まり、時には至らぬところを補助し、その立場を守るために立ち回る。
ましてや"女神"と称されるセリナの言動は、いやでも人目を引く。
「イサラ?」
呟きを聞き取れなかったセリナが声をかければ、イサラはふぅと小さく息を吐く。
「わかりました、こうしましょう。」
独り言のように告げてから、イサラは視線を下ろした。
「!?」
キッと目を向けるイサラの迫力に、アエラはビクゥと体を震わせた。
こんな光景を昨日も見かけた気がする、とセリナは心の中で呟く。
「アエラ、早く侍女として1人前になるよう、あなたを厳しく指導していくことに決めました。覚悟なさい。」
「え!? は、はい、よろしくお願いします!!」
勢いよく頭を下げたアエラに、イサラはひとつ頷いた。












よく晴れた昼下がり。
セリナはティリアと向かい合わせで午後のお茶を楽しんでいた。
「まぁ、さすがはイサラ。そもそも侍女の教育係だものね。優秀な彼女に指導されれば、アエラも少しはマシになるのではなくて?」
楽しそうにころころと笑いながら、ティリアはさらりと毒を吐いた。
「イシュラナ=ウォーカ。以前の主人の専属を外れた後は、誰の担当にもならず、副女官長として侍女の教育係になったと。2度目の主を持つことはないだろうと言われてますわ。名目は補助でも、実質はセリナ様に付くことになったわけでしょう。驚くべきことです。」
「やっぱり優秀なんですよね。」
「それはもう。」
カップに口をつけてから続きを口にする。


「でなければ、王妃付きなど勤められませんわ。」


「お、王妃!?」
「はい。」
「以前の主人って王妃様? っていうか陛下、結婚されてたんですか!?」
思わず立ち上がり、机がガタンと揺れた。
「まぁ、セリナ様ったら、どうしてそういう話になりますの?」
ほほほと口元を押さえて、艶やかに笑む。
「へ?」
「前王妃……陛下の母君様に当たるお方。それはお綺麗な方でしたのよ。」
過去形に気づいて、セリナは椅子に座りきる直前で動きを止めた。
「10年前にお亡くなりになっていますわ。とても穏やかな人だったと。」
(あれ、ということはティリアさんにとっても母親?)
ちらと考えるが、ティリアの口調はどこか他人事だ。
(腹違い……の兄妹は、珍しくないのかも。)
さり気なく、ようやく椅子にしっかり腰を下ろす。
思わず動揺してしまったのを誤魔化すように、口を開く。
「確か先王様も既に。」
「えぇ、戦の折に受けた傷がもとで。」
「じゃあ、陛下も両親を亡くしているんだ。」
「も? セリナ様も、なのですか?」
セリナの呟きを聞き止めて、ティリアは窺うように問う。
「はい、ずっと小さい時に母は病気で、その後高校……じゃなくて16の時に事故で父を。」
「まぁ。」
痛ましげに返事をして、ティリアはセリナの手を取った。
「ごめんなさい。軽々しく尋ねることではありませんでしたね。」
「いえ。」
申し訳なさそうなティリアにセリナは淡く微笑んだ。
「こうして……別の世界に来てしまった今となっては。残してきてしまったのではないということは、幸いかもしれません。」
元の世界でセリナの扱いがどうなっているのかはわからない。
行方不明か死亡か。
(あの世界で死んだことになっていたとしても、自ら命を絶ったわけじゃない。)
事故で、病気で。
生きたいのに生きられなかった人たちが、慈しんでくれた命だ。
「どこに立っていても、ココには生きてるから。」
セリナは空いている方の手で自分の心臓を押さえる。
「私が残したものは何もない、この手に掴んだものも。あの世界で私が生み出したモノはないんですけど……彼らが私に遺したものは、ここに記憶に残ってる。ただお墓参りに行けないのは、気がかりで…あぁ、それだとやっぱり親不孝なのかな。」
ははと、セリナは困ったように笑う。
「セリナ様。」
握った手に力を込めてティリアは、同じような顔で笑った。
「辛い時はどうか頼ってください。精一杯で力になりますから。」
ティリアの手を握り返して、セリナは素直に謝意を伝える。
聞いていいのか躊躇いながらも、好奇心が勝り口に出す。
「ティリアさんの家族は? お兄さんがいると……。」
「兄と。両親も元気でおりますよ。まだ、引退などは考えてないほどに。」
「両親って。」
「?」
「え?」
さっき聞いた話との整合性を模索しようとして失敗する。
「ティリアさんはお姫様だって。」
「は? え、えぇ、そう呼ぶ者もいますけど。」
「お兄さんて……陛下じゃないんですか?」


「はい!?」


ティリアにしては珍しい素っ頓狂な声を上げた。
「あ、れ? 違う?みたいですね。」
「そんな、どうしてそのような考えに!? 畏れ多くも国王陛下があ、兄上などと! 我が家は代々王家に仕える一族です。」
「あれ? では、姫というのは。」
「姫……は貴族階級の娘にはよく使われる敬称です。呼ばれるのは、わたくしに限りません。王のご子息ご息女であれば、殿下あるいは王子・王女と。もちろん姫とも呼ばれますが。」
「ああ!」
ぽんとセリナは手を叩く。
気まずい空気を払うためと、照れ隠しである。
「余計な予断を防ぐためと、わざと家のことは伏せていたのですが。まさかそんな誤解をしているとは。」
ティリアは頭を押さえた。
申し訳なく思うが、謝るのも妙な気がしてセリナは黙っていた。
「良い機会かもしれません。」
ぽつりとそうティリアが告げた。
怪訝さにセリナの視線はティリアを窺う。
「侍女のアエラに、イサラが本格的に付くのなら世話役はもう必要ない。この先はマーラドルフの指導があれば、既にわたくしの教師役も不要。」
言われた意味を理解して、セリナは慌てた。
「ティリアさん、まさか!」
「わたくしに与えられた仕事は、今日を限りに終わり。"教師役"も"世話役"も外れましょう。上にもそのように報告しますわ。」
不安顔のセリナに気づいて、ティリアは笑った。
「嫌だわ、そんな顔をしないで。役目に終わりがあるのは初めから決まっていたこと。そして、素性を話すのは役目を終えた後でと、決めていたのです。既にわたくしが"教師"として教えることはありませんし。」
「ティリアさん。」
「ですから。セリナ、貴女さえ良ければ今からは友人として。」
にっこりと笑ったティリアの台詞に、一拍間が空いてからセリナは表情を崩した。
「はい!」
紅潮した顔で大きく頷いてから、セリナは泣きそうな顔で笑った。
「嬉しい、ありがとう。ティリアさん。」
ティリアは呆れたように優しい笑顔で息をついた。
「本当に不思議な人ね。あなたの方が地位は上なのよ? 王が認めた客人で"女神"と称されるくらいなのだから。本来なら、無礼者と罵られてもおかしくないのだけど?」
「私は私です。元は一般人、無礼なわけがない。」
(むしろ、こんな私と友人になってくれることが有難い。)
ティリアは声を立てて笑った。
元の世界の友人と呼べる人の存在は遥か昔の記憶に思える。
ここでも厄介者には変わりないのに、優しくしてくれるティリアにどれだけ救われたか言葉にし尽くせない。
「自分より他人のことを心配したり、おとなしくて我が侭も押し込めてしまうのに、突然突拍子もないことをして周囲を驚かせたり。妙なところで頑固だったりするし……けれど。」
ティリアはふふふと口元を隠して笑う。
「そんなだから、あなた個人と対等でありたいと思うのかしらね。」
その言葉の意味を計りかねて、セリナは首を傾げた。
「セリナを取り巻く環境がどうであれ、あなたの精神は魅力的ということよ。」
ますます意味不明になってセリナは困惑した。
「さて、セリナ。これで垣根は取り払われたわ。」
「はい。」
「友人なのだから、わたくしの望みを聞いてくれるわよね。」
「?」
「わたくしはあなたと友人でありたいと。」
「はい。」
神妙な顔で頷いたセリナを見て満足げに笑う。
「では、もう少し打ち解けて話して。ね?」
敬語は不要だと言われていることに気づいて、セリナは苦笑した。
(リュートといいティリアさんといい、なんて気易い人たちなんだろう。)
いつの間にかティリアの口調も砕けている。
「わたくしの名は、ティリア=アーカヴィ。」
「アーカヴィ!?」
「兄の名はクルセイト。」
それを聞いて、セリナは妙に納得した。
「言われてみれば、そうですね。兄妹。」
同じ空色の瞳。
魔力に秀でた一族だと。
教師役になるにあたって部屋を用意してもらったと聞いていた。
ティリアの侍女2人だって城の侍女とは違うのだ。
(初めからよく考えれば、王族ではないと気づけたはずなのに。)
勘違いをそのまま口にしてしまった失態に、セリナは顔を赤くする。
「兄が陛下に、わたくしを推薦したの。他に、わたくしほど適任の相手がいないから。」
「適任……教養があるということ?」
「それも必要だけど。"女神"を排斥しない者、取り入ろうとしない者でなければいけないから。」
「あぁ。」
曖昧な笑顔を浮かべるセリナを覗き込むように視線を合わせて、ティリアは駄目押しのように問いかけた。
「誤解は解けたかしら?」








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