41.








(うーん。)
窓際の机に突っ伏してセリナは唸った。
今週のマーラドルフ女史の講義は受けたばかりなので、今日は予定がない。
護衛に立つのは副隊長のジルド=ホーソンで、話し相手にはなりそうもない。
ラスティと同じで無駄話をするような相手ではないのだ。
(昨日は、初めましての騎士さんだったし。)
カイル=テフナーとダミアン=ソルトと名乗った騎士たちは、共にセリナにとって新顔のラヴァリエ隊員だ。日中と夜間で交代した2人だったが、さすがに初対面とあって態度のぎこちなさは消しきれていなかった。
そんなわけでこのところ「おしゃべり」からは疎遠になっている。
「淑女がそのような格好をするものではありません。」
声をかけられて顔を上げれば、イサラが立っていた。
(淑女、ではないと思うんだけどな。)
そう思うものの言えば怒られるので口には出さない。
しとしと降る雨から、花を活けているイサラに視線を向けて、ぽつりと呟いた。
「避けられてるのかなぁ。」
謹慎5日目。
2日間は反省の色も濃く、本を読んだり文字の練習をしたりとおとなしく部屋にこもっていた。
3日目は女史のマナー講座のため、久しぶりに部屋から出て、ついでに城の図書室へと足を運ぶことができた。
4日目の昨日は女史からの宿題と借りた本を読むことで時間をつぶした。
「どなたの話ですか。」
「ティリアさんは謹慎処分を受けたわけではないですよね? 顔を見せないのは、やはり私に会いたくないからでしょうか。」
傷つけてしまったことが負い目でもあり、すぐにネガティブな思考に辿り着く。悪い癖だとわかっているが、そう簡単に治るものではない。
「ティリア姫も、責任を感じているのでしょう。陛下からの処分は『与えた許可の取消し』だけでしたが、それではご自分が納得できなかったようで自主的に謹慎されていると、彼女の侍女から聞いています。」
「そんな! なんでティリアさんが。」
思わず非難めいた言葉が出た。
「セリナ様、いい加減ご自分の立場を理解するべきです。」
イサラの静かだが鋭い声にセリナは目を見開く。
「ティリア様は何も悪くないのに、とでも言うつもりかもしれませんが、セリナ様が勝手にいなくなったことで罪悪感を持つ者は少なくないということです。こうして無事帰ってきたからいいようなものですが、何かあれば責任を負うのは貴女ではない。」
「!」
言い切られた台詞に、返す言葉を失う。
「望むと望まざるとに関わらず、ご自分の行動が多くの人に影響を与えるのだということを自覚なさい。貴女にとっては迷惑な話かもしれませんがね。」
言い含めるようなイサラの口調には、突き放した感じはなかった。
それに気づいて、セリナはつい本音をこぼす。
「無知だと、言われればそうなのだと思います。今も自分の立場なんて、曖昧でよくわからない。私はこの世界のことを何も知らない。」
ぽつりぽつりと語るセリナの言葉を、イサラは無言で受け止める。
「元の世界ではただの一般人ですし。私の行動1つがどれだけの波紋を広げるかなんて、想像もつかない。」
一度イサラを見て、思い切ってセリナは続きを口にした。
「"黒の女神"がなんなのかすら、私にはわからない。」
「えぇ、おっしゃる通りだと思いますよ。」
ゆったりと頷かれて、セリナは呆気にとられる。
「そういうことをきちんと説明しなかった周りが悪いのです。」
「……。」
「ですから、周囲の者が罪悪感を持ったり責任を負ったりすることも当然のこと。わたくしも、アエラもエリティス隊長も、それからティリア姫も。」
「あ。」
言いたいことをようやく理解して、セリナは愕然とした。
「貴女自身のことですから、それを知ろうとしなかったセリナ様にも責任はありますよ。けれど、誰か1人が悪いわけではない。周囲を庇うために、罪を1人で背負おうとするのはおやめなさい。」
「……。」
「謹慎している者たちを否定することも、ね。」
すべきなのは、謹慎をやめさせることでも、どうして?と責めることでもない。


―――陛下の下された処遇はいずれも妥当なものです。


謹慎の初日にイサラに言われた言葉を思い出す。
今になって、ようやくセリナはその意味が理解できた気がして、素直な気持ちで頷いた。
「はい。」
「それから、エリティス様ですが。」
絶妙な感覚でイサラは話題を掬い上げる。
「今日で謹慎が明けます。しかし、ずいぶん忙しいようですから、謹慎が無くともこちらへ顔を出すことは難しい状況におられるはずです。」
「え!?」
「あぁ。北の宮への出入りを禁じられたのは、隊長にとって良かったのかもしれませんね。ただでさえ、無理をされる人ですから。」
「そう、なんですか。」
考えもしなかったことを聞いて、セリナは呆然と呟いた。
顔を見せないのは当然だとしても、あの日から何も音沙汰のないリュートに対しても漠然と不安を抱いていたのだ。
「けれど、あの隊長殿なら明日には顔を見せると思いますよ。」
当然のようなイサラの言葉に、セリナは彼女の顔を凝視した。
(打てば響く、痒いところに手が届く? 博識、事情通に加えて、こっちの気持ちを読むのが上手いんだ。)
尋ねれば的確な返事が戻ってくるし、一歩先を見ている。
(優秀な"侍女"ってこういう人?)
そして。
イサラの見立て通り、翌日にはティリアもリュートも顔を見せに来て、セリナの心配は杞憂に終わる。




















クライスフィル城・中庭。
雨が降っているにもかかわらず庭先のテラスでぼーっとしていたティリアに男が声をかける。
「聞いたぞ。自主謹慎中だって?」
ぱっと振り向いたティリアは、相手を見つけてばつが悪そうに目を逸らした。
「そんなふうに拗ねるものじゃない。」
「す、拗ねてなど! ただ。」
「ただ?」
断りもなく男はティリアの向かいの椅子に座る。
「己の不甲斐なさに落ち込んでいるだけです。」
男は少し表情を緩めた。
「正直だな。まぁ、反省するのは悪いことじゃない。」
ティリアの顔を覗き込むようにして、声をかける。
「ティリアが顔を出さないから、彼女が君に嫌われたんじゃないかと気にしているそうだ。」
「!?」
ティリアはぎょっとして顔を上げる。こんなことで冗談を言う相手ではないから、イサラあたりからの情報なのだろう。
そんなわけないのに、と言いかけてティリアは口を閉ざす。
(セリナ様なら、そう考えるかもしれない。)
どうしよう、と知らずティリアは縋るような目を向けた。
あの日、明らかに顔色を変えたセリナを残して部屋を出た。
心配で仕方ない気持ちはあるが、彼女の事情に軽々しく踏み込むことはできない。顔を見れば問いかけてしまいそうだが、問い詰めるのは本意ではないのだ。
(何でも話してほしいと思うのは、わたくしのわがままだから。)
それが、セリナに会うのを遠慮していた一因でもある。
「隊長と同じだけの謹慎を過ごせばもう充分だろう? これ以上は"国王陛下"の判断に不服ありということで逆に不敬だぞ。」
「……。」
一拍おいてから、ティリアはふっと笑顔をこぼした。
「そうですね。」
かたん、と音をさせて椅子から立ち上がる。
見上げてくる彼に、にっこりと笑みを返した。
「ありがとう、お兄様。」
「どういたしまして。」
なんでもないというように応えて、一度目を伏せた。
去って行くティリアに、慌ててリルとカナンが後に続く。カナンが一度彼を振り返って、深々と礼をした。
見送るついでに肘をついた手を広げてやる。ティリアの元気がないと教えてくれたのはカナンだ。
さて、と口の中で呟いて男が立ち上がる。
「あぁ、雨が止んだな。」
ここ数日、天気の悪い日が多く、今日も朝から小雨が降り続いていたのだが、ようやく止んだらしい。


灰色に沈んだ空の向こうで、雲の切れ間から青色が覗いていた。




















「失礼します。」
「リュート!」
部屋に入って来た者の顔を見てセリナは思わす名を呼んだ。
リュートは穏やかに笑んで会釈をした。
「謹慎が明けましたのでご挨拶に。変わりありませんか?」
「うん。大丈夫!」
立ち上がって迎え入れてから、セリナは首を傾げた。
「忙しいと聞いたけど。平気?」
おや、という顔をしてリュートは頷いた。
「えぇ。ご心配には及びません。けれど、誰からそんなことを?」
不思議そうに聞かれて、セリナは素直に答える。
「イサラからです。」
我関せずと控えているイサラにちらりと視線を向けて、リュートはあぁと呟いた。
謹慎で会いに来られないだけでなく、忙しくて顔を出せないのだと。その事情が重なればセリナへの負担が軽くなる。
情報を収集し、内容を判断して的確に主に伝える。それは侍女の仕事であり、不可欠なスキルだが、実際に行うのは簡単ではない。
それとなく気を回せる侍女で、イサラ以上に優秀な者はいないだろう。
「リュートにも心配をかけてしまってごめんなさい。」
「いえ。謝らなければいけないのは私も同じです。」
「?」
「迎えが遅れ危険な目に遭わせてしまったことは、我々の過失です。本来なら、この程度の軽微な処分では贖えない。」
セリナは首を振る。
「いいえ、そんなことはないわ。私は感謝している。」
セリナを見るリュートの目が僅かに見開かれる。
「セリナ様。」
リュートの言葉尻と重なって、ノックの音が響いた。
控えていたイサラが扉を開け客人の訪問を告げた。
「ティリア姫様がいらっしゃいました。」




6日ぶりに会ったセリナは思っていたよりも元気で、ティリアは胸をなでおろす。
先を越されてしまったリュートに会釈をするとセリナの前に立つ。
「良かった、ティリアさんだぁ。私からは会いに行けないし。早く謝りたくて。」
「謝る、ですか?」
「心配をかけてしまってごめんなさい。」
「い、いえ。怪我はもういいのですね。」
包帯の取れた右手を見て、ティリアは安堵の表情を浮かべた。
「はい。もうすっかり。」
「良かったです。」
応えてティリアはゆっくりとセリナの手を取る。
「?」
「……なんとなく気づいていたの。」
「え?」
「町へ行きたいと、そんなふうに望みを口にするのは珍しいことですもの。きっと近いうちに町へ下りられるだろうと。」
セリナは無言でティリアの言葉を聞く。
「わたくしが無下に断ってしまったから、こんな事態を招いてしまったのかもしれない。」
「いいえ、ティリアさんのせいではありません。お願いです、悪くもないことで自分を責めないでください。すべては私のわがままです。」
ティリアの目を見て、きっぱりと言い切る。
背筋を伸ばしてセリナは息を吸い込んだ。
目の前にいるティリアとリュートにまっすぐ向き合う。




イサラと話していて気づいたのだ。
迷惑をかけたことを負い目に背負い込むのではなく、向き合わなければいけないのだということに。
自分の気持ちを整理して、その決断を糧に変えるために。
考えて踏み出した一歩を無駄にしないために。


「考えなしでした、浅はかでした。反省しているし、こんなふうに周囲に迷惑や心配をかけるべきではなかった。」
―――若いうちはね、そうやって羽目をはずすことも必要なんだよ。
―――貴女の答えが見つかるよう祈っておる。
出会った人たちの言葉が、力となり後押ししてくれる。
「けれど、後悔はしていないんです。どうか誤解せずに聞いてください。どうあっても、私にとってこの城の外へ出てみることは必要だったんです。それは、守られて"女神"としてではなく、ただの一個人として。」
―――捻くれてる子は、あんないい顔で笑ったりしないよ。
「方法は間違っていたかもしれない。けれど、今回のことで学ぶことは多かった。」


「だから、後悔はしていない。」


「セリナ様。」
囁くようにティリアが声をもらし、眩しいものでも見るように目を細めた。
リュートもまた同じような表情を見せていた。
ティリアが握った手に少しだけ力を込める。
「セリナ様、少し変わられましたね。」
セリナは微笑むことでそれに答えた。
変わったとすれば、それはこの世界で出会った人たちのおかげだ。
(気持ちを受け止めてくれるから。伝える強さを持てた。)
まだ、すべてをさらけ出す勇気はないけれど、セリナにとっては大きな前進だ。
「ティリアさんが取ってくれた外出の許可、ダメにしてしまってごめんなさい。」
ティリアはにっこり笑った。
「リビス祭、首都の収穫祭に出席できないのは残念ですが、1度許可を取れたのです。2度目からはもっと容易くなりますわ。」
冗談めかして言い、ティリアはウインクして見せた。








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