<X.舞い踊る葉>





39.








「……。」
城を抜け出した翌日。
ベッドの中で目を開けたセリナは、天蓋を眺めながら、妙に頭がすっきりしていることに驚いていた。
(なんだかここ最近で一番安眠した気がする。あんなことがあった夜なのに、私、結構図太いかも。)
いろんな人に迷惑をかけておいて、と少々自己嫌悪を感じて落ち込む。
(あ、いや、でもドクターの助手さんのおかげ、かも?)
昨夜、ララノに紹介された女性はカーヤと名乗った。
侍女の代わりにと側にいてくれた女性は、なかなか寝付けないセリナのために、暖かい飲み物を用意したり香を焚いたりと気を回してくれたのだ。
おかげで目覚めすっきりである。
それらに"ヒーラー"の魔法が作用しているとはセリナは思いもしない。
(夜中に目が覚めなかったのは久しぶりかもしれない。)
そのカーヤの姿は既に部屋の中にはない。
セリナは起き上がると、寝室の扉を開けた。
「お早う御座います。」
いるとは思っていなかった人物に挨拶をされて、思わずセリナは足を止めた。
「おはよう、ございます。イサラさん。」
落ち着いた橙色の髪を後ろで1つにまとめた彼女は、セリナの驚きなどお構いなしに会話を進める。
「食事を用意しておりますが、召し上がりますか?」
「は、はい。」
昨日は昼以降、何も食べていないことを思い出して急に空腹感を覚える。
テーブルにつくと、セリナはイサラに視線を向けた。
「カーヤさん……えとドクターの助手さんは……。」
「1時間ほど前に医務室へ戻られました。」
「そうですか。あ、あの……アエラは?」
「昨夜の内に荷物をまとめて、今朝早く城を出ました。」
「もう?」
「挨拶なしの出立なのは、事情が事情ですのでお許しを。」
「そんなことは、気にしません。……10日後には戻ってくるのですよね。」
「予定ではそのように。」
必要な答えだけが簡潔に返ってくる。
少し迷ってからセリナはもう一つ問いかけた。
「アエラは、どこへ?」
ちらりとセリナを見てからイサラは答える。
「実家です。」
「ということはグラトラ。」
「ご存じだったんですか。」
少し驚いたような顔をしたイサラに、セリナも目を丸くする。
「え?」
「いえ、なんでもありません。失礼しました。」
何事もなかったようにイサラの表情が元に戻る。
そのまま話を終わらせてはいけないような気がして、セリナは慌てて補足する。
「……話しているのを聞いたので、名前を覚えているだけです。地理的にどこにあるのかは知らないんですけれど。」
(そういえば、南部の方ってどうなってるんだろう。)
ぼんやりと昨日のアエラとファファの会話が蘇る。
言い終わってから、ほんの1,2秒沈黙が部屋に落ちた。
セリナを見ていたイサラが視線を外す。
「お望みでしたら、後で地図をお持ちします。」
「あ、はい! お願いします。」
偶然だろうが、まるで心を読んだかのような言葉だった。




食事の片付けをするイサラを見つめながら、セリナはクッションを抱えた。
(彼女がこの部屋に入ることなんて、ほとんどなかったのに。)
もちろんアエラの代理なのだから、ここでこうしていることは当たり前である。
しかし、イサラは世話役というよりアエラの監督としての役割が強い。
セリナより二回りくらい年上の彼女はいつも厳しい顔をしている。
あまり話したことがないこともあり、セリナはイサラに苦手意識を持っていた。
(10日間、か。)
「後ほどドクターが来る予定です。」
「?」
キョトンとしたセリナに、イサラはゆっくりと言い直した。
「ドクター・ララノが診察に来られるので、その前にお召し替えをお勧めいたします。」
「!?」
「セリナ様は着替えを手伝われるのが好きではないと、聞いていますので。」
「はい!」
勢いよく立ち上がったセリナに、イサラは少し困ったように笑った。
「服はご用意しております。御用の時は何なりとお申し付けを。」
(笑った。)
妙なところで感動を覚えて、セリナは抱えていたクッションを思わず取り落とした。
衣装部屋へ入ると、確かに服が用意されていた。
「用意周到、しかも趣味いい。」
すっかり皺だらけになっている昨夜の服を脱ぐと、用意された淡いラベンダー色のドレスに袖を通す。
平日の昼間に着るに相応しい服装というのがある。
普段着になるものだが、セリナ自身ではあまり判断が付かないので、ティリアに手伝ってもらって衣装部屋の一角に集めてもらっている。いつもは自分でその中から適当に選んで着ているのだが、今日のドレスは見たことがない物だった。
コンコンと控え目にノックされ、イサラの声が扉の向こうから聞こえた。
「後ろのリボンはわたくしが結びますので、着られたらおっしゃって下さい。」
「はい!」
内心疑問符を浮かべながらセリナが応える。
確かに腰の両脇に、ひらひらとリボンが付いている。
部屋の姿見で確認してから、セリナは部屋の扉を開けた。
「あの、イサラさん。別にリボンを後ろで結ぶくらいは自分で……。」
「傷に障るといけませんので。」
「あ。」
言われて、初めて気づく。
右手に巻かれた白い包帯。
ほとんど痛みはないが、無理に動かせば当然傷が開くだろう。
(食事のスプーン、いつもより少し大きかった。持ちやすいように? それにこの服、余計なボタンとかなしで着やすかった。)
後ろでしゅっと衣擦れの音がした。
「できました。」
「あ、りがとうございます。」
「時間があるようですので、地図を持ってまいりますね。」
一礼するとイサラは部屋を後にした。
出て行った扉とドレスと手の平を順番に見て、セリナはもう一度扉を見た。
「……もしかしなくても、イサラさんってすごい?」








イサラが地図を抱えて戻って来る。
両手の塞がっているイサラのために扉を押さえたのはラスティだった。
(今日の護衛はラスティなんだ。)
彼はセリナと目が合うと小さく会釈をした。
イサラが地図を机の上に置くのを傍らで見守りながら、セリナはぼんやりと考える。
("ラヴァリエ"が警護につくのは謹慎中でも同じか。来られないのはリュートだけかな。)
アエラが城を出たというなら、セリナ自身を含めてそれぞれの処分も執行されているはずだ。
(……もちろん。)
「昨日の。」
と言いかけて、相手の名前すら知らないことに愕然とする。
「?」
怪訝そうに振り返られてセリナは慌てて二の句を継いだ。
「昨日、の衛兵は……任を解かれたと。」
「えぇ。」
もちろん初めからラヴァリエの訓練があった昨日1日だけの任務だ。
今日、彼がいないのは当然である。
「今後、守護騎士につくことはないって。あれって私のせいですよね。」
イサラは何を今更というような表情を浮かべる。
「気に病んでいるのですか?」
「なんとかならないでしょうか。」
「なりませんね。」
セリナの提案に、イサラは清々しいほどに即答した。
「あれは決定事項です。覆すことはできません。」
「……。」
「僭越ながらセリナ様。陛下の下された処遇はいずれも妥当なものです。」
「わかっている、つもりです。」
俯きそうになる自身を叱咤して、セリナはイサラを見た。
「せめて彼に謝りに行くことは……謝罪の意を伝えることはできませんか?」
出かけることはできないと気づいて、途中で言い直す。
それでも無茶を言っていることには変わりない。イサラの口元が引き攣るのがわかった。
「やめておいた方がよろしいですわ。謝罪など不要。セリナ様から出向くなど以ての外。減刑や謝罪をと望まれるより、ご自分も謹慎中なのだという自覚を持つべきではありませんか?」
厳しい言葉だった。
「でも、あの人は何も悪くないのに……!」
「ティリア様から、セリナ様は聡明だと伺っております。かの者に非があることはおわかりのはずでは?」
言われて思わず黙り込む。
昨夜もジオに説明された正論に、言い返せなかったのは紛れもない事実だ。確かに、護衛としては失格だったのだろう。
セリナが気に病むのは、自分が抜け出してしまったという負い目があるからでしかない。
(謝りたいのは、自己満足だ。)
許すと、気にしてないと、言ってほしいだけなのである。
図星をさされて、セリナは黙り込む。
今の発言にしろ、昨日の行動にしろ、反省すべきなのはセリナ自身。自覚しなさいとの言葉が刺さるのはそれが真を突いているからだ。
「軽んじてました。」
横でイサラが少し首を傾げる。
「あの水場の時、処分を不問にしてもらえたから……どうにかなるんじゃないかって甘えてた。」
困ったように眉をひそめてイサラは静かに語った。
「状況が違います。あの時は、セリナ様は騒動を治めた功労者。被害を一番被った本人が処分を望まないと言えば、それは顔を立ててそのように計らいます。」
「今回は、騒動を起こした張本人ですもんね。」
「はい。」
「イサラさん、正直。」
「イサラで結構。敬語も不要です。うるさく言うのは、自覚してもらいたいからです。」
それは、つまり。
(私のためを思って、だよね。)
「嫌われているのかと思ってた。」
「侍女なのに、顔を合わせる機会がなかったから避けているとでも?」
「えぇと。まぁ、はい。」
「公式にはセリナ様の専属はアエラ1人。わたくしはアエラの補助者に過ぎません。代理でこうして付くことでもない限り、出過ぎた真似をしては…と側仕えは控えていました。」
言ってイサラが小さく息を吐く。
「このように会話することも、できるだけ控えようと思っていたのですが、なかなかそうもいきませんね。」
正確に表現するなら、そもそもイサラには誰かの専任の侍女になるつもりはなかったのだが、さすがにそれを口にはできない。
へ?と不思議そうに聞き返したものの、応じた言葉は巧みに話題を変えて来た。
「セリナ様を嫌ってなどおりませんよ。予言を信じてないといえば嘘になりますが"黒の女神"を疎んではおりません。」
口元を緩めて、セリナの目を見て放たれた言葉にイサラのフェアさを知る。
「代理とはいえ、アエラの不在の間、精一杯仕えさせていただきます。」
「よ、よろしくお願いします。」
セリナは思わず頭を下げた。
「ティリア姫様から話は聞いていましたが、本当に親しみやすい方ですね。」
誉められたのか貶されたのか微妙な台詞だが、それよりもセリナは冒頭の単語を聞き止めた。
「ティリア姫様?」
「はい?」
予期しない反応にイサラは思わず間の抜けた返事をした。
「ティリアさんってお姫様、なんですか?」
そういえば、昨夜同じ単語を国王の口から聞いた気がするとセリナはちらっと考えた。
あの時はうっかりそのまま聞き流したのだが。
「ご存じないのですか?」
はっきりと驚きの表情を浮かべて、イサラが問う。
ふわぁっとセリナの脳裏にティリアの過去の言動がよみがえった。


―――わたくしは兄に言われて、この"教師役"を引き受けたわ。


「って、え。まさか。」
わたわたと周囲に視線をやり、意味なく手を動かす。
(兄って! 兄って!? うそぉぉぉぉ!!)
一気に挙動不審になったセリナに、イサラが落ち着いて下さいと冷静に突っ込んだ。
(まさか、まさか! 王様の妹!?)
コンコンと扉がノックされる。
すぐに動いたイサラが戸を開け、来訪者であるドクター・ララノを迎え入れた。
「おや、元気そうだね。」
にこりと笑ったララノに、セリナは激しく動揺したまま怪我している右手でドレスの裾を摘んで応えた。




ララノは手慣れた様子で脈を計り、右手の傷を消毒すると包帯を巻き直す。
「自身で傷口を開くような真似をするとはのぉ。」
「あはは、すみません。」
「今のは幸い大丈夫だったが、今度さっきみたいなバカをやったら、そなたはわしを過労死させたいものと見なすぞ。」
「気をつけます。」
妙にくすぐったい気持ちになって、セリナは笑いをこぼした。
笑い事ではないわ、とララノに窘められて、セリナはもう一度すみませんと謝った。








「あの人は何も悪くない……ですか。お優しい方というのは本当のようですが。」
イサラは気まずそうに呟く。
診察中のララノと会話しているセリナの耳には届かないだろうが、イサラははっとして自分の口を押さえた。
(その台詞をセリナ様が言われるのと、本人が言うのとではあまりにも違いすぎる。)
イサラの個人的感情で言えば、任を解いただけの処分など甘すぎる。自分のミスを一言目で他人に転嫁する兵士など誰が信用できようか。
(守護騎士にはなれない。それはあくまで今後、セリナ様の担当に付けないというだけのことで、対象者が変われば護衛にも回るはず。)
そうとは伝わらないようにセリナに告げられたのはわざとである。
それぞれへの処分内容をわざわざセリナの前で言うこと、それ自体がセリナに対する処分の1つだ。
セリナが部屋にいないとわかった直後。
その場に集まった者たちからの視線を受けた兵士の態度。
それをセリナに語るつもりなど毛頭ない。
この先、当事者たる兵士が口を滑らせない限りセリナに伝わることはないだろう。
(自分の失態を好んで口にするほど愚かではないでしょうけど。)
できれば、と願ってイサラは自分の考えに眉を寄せた。
(ずいぶん肩入れしたものね。)


できればこの先、あの兵士が軽率に彼女を傷つけることがないように、と。








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