26.








城の正門前の広場に、神殿の一行が出立の最終準備を進めながら並ぶ。
その完了を待ちながら、シャイラはホールでジオと挨拶を交わしていた。
「あのようなことがあった後、本当ならここへ留まりお力になりたいところですが。大神殿をこれ以上不在にするわけにもいかず、申し訳ありません。」
襲撃のことがあって、神官長も同席させた朝議で逗留を延ばす話も出たが、犯人が神殿の関係者ではないとわかったこともあり、結局一行は当初の予定通りに帰途につくことになった。
表面上は、何事もなかったかのように物事は進められてゆく。
「良い。巫女姫には心配をかけたな。」
「いいえ。わがままを聞いてもらって感謝しています。」
準備のためにホールの入り口付近では、人の出入りがある。
少し離れた場所のざわざわとした空気を感じながらジオは、そちら側に背を向けて声をおとした。
「収穫はあったか?」
それまでと微妙に変わった口調に気づき、シャイラも近くに人がいないことを確かめてから少し目を細めた。
「そうね、足を運んだかいはあったと思っているわ。」
「ほう。」
「百合の間を選んだのはクルセイトかしら。」
「謁見の部屋か?」


「必要ない、と伝えておいて。」


驚いたようなジオを横目に、近づいて来る巫女の姿を認めシャイラは姿勢を正した。次に視線を戻した時には、ジオも表情の見えないいつもの顔になっていた。
2人の側で深々とお辞儀をしてから巫女が口を開く。
「シャイラ様、出発の準備が整いましてございます。」
「そう、ありがとう。」
応えてシャイラが腰を落とすと、巫女の少女は慣れた手つきで巫女姫のヴェールを下ろした。
差し出されたジオの手を取って、シャイラは馬車の止まっている正面広場へと出る。
「道中、気をつけて。」
「お見送りに感謝いたします、陛下。」
ゆるり、と微笑んでシャイラはヴェールの下からジオに視線を向けた。
人前で交わすのは、形式通りの言葉。仮面の表情から心を読みとることが難しいのはお互いさまである。
支えられた手が離れ、巫女姫は馬車へ乗り込む。
やがて動き出した馬車の中、クッションのきいた席に身を沈めた。
(あの白い部屋でなくとも、セリナ様の存在は損なわれない。)
謁見に用意されたのは、神殿の中のような白を基調にした部屋。
それは、大神殿の巫女を迎えるために誂えたような趣向。けれど、嫌味なほどに黒を取り除いた室内は、女神の存在を一層際立たせるための舞台だ。
透けるほどの白さを持つ巫女姫が埋もれてしまう色調の空間で、黒い髪にロイヤルブルーのドレスを纏った少女がどれほどの存在感を持つか、気づいていないのは当の本人だけだろう。
(謁見に際して、不利な立場であるセリナ様を少しでも優位に、という配慮でしょうけれど。)
セリナの部屋を訪ねて、そこでも話をする機会を作った。
普通の部屋であっても彼女の存在感は揺るがなかったのだ。
シンレンがなつくという事実はどんな言葉よりも真を証明する。加えて襲撃を受けた翌日だというのに自分のことではなく他人の心配ができる心根。
シャイラは口元を緩めた。
(神殿は聖典と系譜を重んじる。)
「貴方はどうなのかしら、ジオラルド。」
車窓を走る景色。城の影は既に後ろへと離れていた。




















祭礼が終わって、解散間近の緊張が緩んだ瞬間。それを狙っていたのだろう。
祭礼中には邪魔するそぶりひとつなかったことから、彼が、儀式に敬意を払っていたということは容易に察しがつく。
神兵が、何気なく神殿に近づくのは気づいていた。警戒もしていた。
リュートは神殿の舞台に上ることを許されていないし、それは相手も同じだったはずで、セリナが下りて来たらすぐに距離を取るつもりだった。けれど、目の前を通った人影に一瞬相手を見失った。
次に見た時には、既に相手は剣を抜いていたのだ。


初めに動いたのは、ジオだった。
騎士に指示を出していた王が、いち早く異変を察知しセリナの前に立った。しかも、一瞬で防御魔法を展開したことは、ある程度魔力を持つ者なら気づいただろう。
当然、近衛騎士であるゼノの抜刀も俊敏であった。
セリナに害が及ぶことはないと確信していたからこそ、リュートは地を蹴って、誰よりも前へ飛んだのだ。
そこにいる誰よりも先に、襲撃者の剣を叩き落とすために。
セリナはもちろん、国王陛下にも掠り傷1つ許すつもりはない。
無謀だとは思わない。
クルセイトというこれ以上ないほど強力な援護が付いていたのだから。


ぎり、とリュートは拳に力を込めた。
(せっかくその場で取り押さえたというのに。)
まだ犯人の身元は謎のままだ。
神殿の兵士だと思われていたが、調べた結果、大神殿から同行してきた者を襲い、祭礼の直前に入れ替わっていた賊だった。
おかげで、神殿側の管理体制を糾弾すると同時に城内の警備体制も見直すよう厳命が出た。
朝からその関連で走り回っていたが、苛立ちの原因は別にある。
リュートはセリナの護衛である。
襲撃後もセリナを部屋まで連れ、夜の一件もあり明け方まで側に付いていた。だから、その知らせを聞いたのは、今日になってからだ。


襲撃者の男が自害した、と。




「エリティス隊長、どうかしたのか?」
名を呼ばれて、リュートははっと顔を上げた。
「いえ、なんでもありません。」
近衛騎士隊長ゼノは固く握られた拳に気づいていたが、それ以上尋ねることはせず、目の前に視線を戻した。
外は陽が落ち、すっかり暗くなっている。
いつもならこの時間帯に王の執務室に人が集まるということはないが、今日はソファに座る3人の男と立ったままの騎士2人がそこにはいた。
「それで、ゼノ。賊の正体に目星は?」
ジオに問われて、ゼノは頭を下げた。
「巫女姫が下がるまで沈黙を守ったこと。狙いが女神殿お一人であったことから、おそらく"エンヴァーリアン"に間違いないでしょう。あの者らの紋章こそ出ませんでしたが、肩にエントの刺青がありました。」
主義主張に信念を持つ者なら、確かにそれを隠したりはしない。
「神殿に敵意はない、か。神殿との関わりは、本当に何もないのだな?」
「例の……襲われて厩舎の裏に縛られていた神兵を含め、神殿から同行してきた者の素性は確かです。イル神官長の調査に加え、巫女姫様の目を欺くことはできないでしょう。」
ゼノの台詞に頷いてから、宰相ジェイクはむぅと唸り声を上げた。
「王城内で襲われたとなれば、賊を手引きした輩がいないとも限らないが。」
「クルセイト、アレから探ることは?」
クルスが首を横に振った。
「残念ながら身元を辿るまでには至りませんでした。かろうじて、ラトルの景色を掴んだ程度です。仲間はいるようですが、今回の件に協力者の影は見えませんでした。」
「単独犯か? 外周の衛兵も鍛え直さねばならんな。」
ゼノの独り言にチラリと視線を送ってから、リュートはクルスに向き直る。
「ラトルの景色、ということは先日の火事の。」
「えぇ。」
ラトル郊外の火事の件は記憶に新しい。クルスの見解も、相手が"エンヴァーリアン"である可能性が高いことを示していた。
「生きていればもう少し探ることもできるのですが。」
「申し訳ありません、陛下。もっと慎重に連行していれば。」
渋面を作るゼノに、クルスも悄然として頭を下げた。
「いや。ゼノらにあの場を押さえるよう指示したのは私だ。」
神殿の敷地に入れる者は限られていた。
その場に残ったジオの警護含め、神殿からの一行の身柄を押さえるために、近衛騎士隊を留めたのは王自身だ。
結果を見て、判断が甘かったと非難するのは簡単だが、神兵が乱心したと見えるあの状況では、その判断は妥当だった。
リュートにはセリナに付いて部屋に戻るようにと告げ、クルスには共犯者がいた場合に備え逃亡を阻止するために結界を頼み、ジェイクには箝口令の発動を要請した。
襲撃者を牢へと連行したのは、敷地の外で警護に付いていた衛兵たちだ。彼らが無能だとは言わないが、襲撃に失敗した相手が自害することを止められなかったのは痛い。
犯人は神殿の敷地を出た瞬間に、事前に口の中に含んでいたらしい毒を噛み砕いて絶命したという。
神兵の姿で"女神"に近づける機会の中、護衛が離れもっとも対象が無防備になる瞬間とはいえ、周囲にはたくさんの人がいる状況だ。
襲撃が失敗した時のために仕込んでおいたのだろう。あるいは、成功してもそのつもりだったのかもしれない。
クルスの術でも拘束されていたが、口の中の毒を噛み砕くのを止めるには力が及ばなかった。
ゼノとしても、クルスとしても不手際を自覚していた。
そしてリュートも、同じく昨夜の対応を悔やんでいた。
死なせてしまったこともそうだが、なによりの後悔は、セリナに向かっての暴言を許したことだ。
(一撃で、気を失わせていれば……。)
落ちた沈黙に、重い雰囲気が漂う。
それを一掃するようにジオが立ち上がった。
「とにかく侵入経路を洗い出せ。賊の組織と通じている者がいるかどうかも、だ。」
クルスは協力者の影はないと言ったが、単独で城の警備を突破したなら大問題だ。
王城に張られた防壁を魔法で越えることは、不可能と言っていい。
城にいる術者たちに気づかれずに敷地に入るには、魔法によらず正攻法で忍び込まなければいけない。手引きをした者でもいれば別だが、本当に協力者なしで侵入したなら警備に穴があるということだ。
頷く臣下を一瞥してから、ジオは宰相を見下ろした。
「神殿の一行はどうなった。」
「は、無事本日の宿まで到着したとの知らせが届いております。」
宰相ジェイクの報告に、ゼノが言葉を続ける。
「賊の仲間が神殿の一行を襲う可能性は低いでしょうが、念のため警護に付けた騎士たちはこのまま大神殿まで同行するよう命じました。」
「そうか。」
襲撃については箝口令が敷かれ、情報が伏せられている。
神殿側は、要請するまでもなく神官長であるイルがそれを徹底していた。
同席させた神殿の人間が女神を襲撃したという醜聞など、口が裂けても外へは漏らすことはないだろう。
「今日はもう良い。皆、下がれ。」
王の言葉に、ジェイクとクルスも立ち上がり、それぞれ頭を下げた。
「あぁ、そう言えばエリティス殿。」
「はい。」
「セリナ嬢の様子はいかがですか? あんなことがあった後ですが。」
クルスの気遣わしげな表情に、リュートは頭を下げて応える。
「落ち着いていらっしゃいます。」
「そう、なら良いのですが……気丈な方ですね。」
ほっとしたように息をつくが、それでも心配そうな色は消えていない。
襲撃犯の件にかかりきりだったクルスが、昨夜のセリナの恐慌を知っているのか知らないのか、リュートには判断がつかず、再度目を伏せた。








人のいなくなった部屋で、ジオは窓にもたれ掛かった。
今回の襲撃に、利点を見つけるとしたら1つ。
このところ態度が大きくなっていた神殿を自重させる効果があったということくらいだ。事件直前まで宰相と会話していたイルは、あの騒ぎに茫然自失となっていた。
女神を襲って、彼が得をすることもない。むしろ、変装とはいえ神兵が女神に刃を向けたのだ。
昨日の謁見における神官長の強気の態度から誤解を招けば、巻き添えをくって自分の首が飛びかねない事態だった。青ざめながらも驚くべき迅速さで神殿関係者の聴取に奔走したのも道理だ。
ただし、箝口令を敷いたとはいえ、『事件発覚を恐れて』などという理由で追求の手を緩めるつもりもない。
それはイルも承知しているだろうから、しばらくは神殿で大人しくしているはずだ。
(当初の目的も果たせたのだろうし。)
イルはジオが神殿を軽んじていると言ったがそうではない。
("女神"が落ちたのは、大神殿ではなく城の神殿。)
天の意思とやらが働いたのなら、それが答えだ。
セリナの口から神殿についての話はなかった。その存在すら知らなかったのなら、女神にとってそれは重要ではないということだ。
ジオは1つ息を吐いた。
そして、顔を上げる。












窓の外を見上げれば、金色の月が輝いていた。












昨日は神殿から見上げた月だ。
その後起こったさまざまな出来事にも関わらず、セリナの心は穏やかだった。


「滅びろ。」


―――『芹奈』。


「祟らないで。」


―――セリナを恐ろしいと思ってなどいない。


「神の名を騙る悪魔。」


―――大切なのは、貴女の意思を尊重することです。


「災いを運ぶ者。」


―――そのままのセリナ様でお会いになればよいと思いますよ。


「"黒の女神"。」


―――セリナ様のためにも祈りを捧げましょう。


バルコニーへ続く大窓を押し開くと、風が髪を揺らした。
剣を向けられ、混乱から自分を見失って暴走した昨夜の激情が嘘のように落ち着いている。
それがなぜなのか、理由を絞ることはできない。
ハザマの出来事のせいか、シャイラの言葉のせいか。あるいは、周囲の人たちみんなのおかげかもしれない。


「この国に仇なすなら容赦しない。世間を知れ。現実は私を傷つける。」


自分へと向けられた言葉を思い出しながら声に出してみる。
それは痛みを伴うが、苦しくはなかった。
部屋からの灯りと月の光。バルコニーの手すりと窓枠の影。
そして、足下には自分の影。
内と外の光と影の境目が、今のセリナの立っているところ。
(『自分と周囲をよく見ろ。世間を知れ』か。私は、何者としてここにいるのか。)
今いる場所を受け入れようとした途端、足元が崩れて世界を見失った。けれど、消えはしなかった。
確かに、ここに在るのだ。
勉強用にと積まれた本に目を止め、セリナは深呼吸を1つ。


「ここは別世界……だけど、私が今生きている現実だ。」


言われて、考えて、気づいて。そして決めた。
(私は何を望む?)
一歩を踏み出そうと、決めたのだ。
「この境目から、私の望む方へ。」




(だから、知らなければいけない。)




"黒の女神"という存在のことを。
顔を上げ、神殿のある方角を眺めた。
不意に蘇る。背中を押した少年の言葉に、小さく頷いてセリナは空へと視線を動かした。
(私が後悔しない、納得のできる答えを。)


頭上には輝く月。




―――あなたにも、己の意志はあるようだな。




「安心した。」




向けられた言葉と顔を思い出して、少しだけセリナは笑った。




















<W.標されたもの>へ続く

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