24.
「滅びろ!!」
鋭い声と共に振り上げられた剣がキラリと光る。
それをスローモーションのように視界に映しながらも、セリナはその場から動けない。
目の前で自分に向けられた刃に、周囲は音を失い己の呼吸さえも忘れる。
剣先をやけにはっきりと認識しながら、セリナは無意識に腕を上げ、目を閉じた。
「させるか!」
叫ぶ声の後、潰れたような呻き声が聞こえた、と理解した時には状況は一変していた。
目を開ければ、襲撃者とセリナの間に、立ちはだかる2つの背中。
のろのろとした動作で防御するように上げていた右手をずらす。
セリナを庇うように腕を伸ばした金髪の男、その向こうでリュートが神兵を取り押さえていた。
見覚えのある金の髪に、目の前の背中が国王だと遅れて気づく。
「奴を捕縛せよ!」
ゼノの大声が響く。
周囲で呆然と立ちすくむ神官や他の神兵たちとは異なり、剣を構えた城の兵士たちがすぐにそれを取り囲み、襲撃者を捕えた。
ふ、と息をついた時、セリナと神兵の目が合う。
「っ!」
憎悪を隠しもしない強い視線に射抜かれてセリナは身を固くした。
「
神の名を騙る悪魔め! この世界に災いもたらす忌まわしき存在が…!!」
「黙れ!」
兵士の1人が男の頬を打つ。捕えられた男が倒れることはなかったが、衝撃に口を閉ざした。
それでも苦々しげな視線は変わることなく、引きずられるように神殿の前から連行された。
「……。」
まるで一瞬の出来事。何があったのか、去って行く兵士たちを見ながら思い返す。
向けられた剣と視線の意味を考えて、背筋がぞくりとした。
「大丈夫か。」
確認する声に、ゆるゆると視線を合わせて頷く。
「痴れ者の讒言など気にするな。」
『ざんげん』って何?と考えるが、つまり悪口とかいうことなのだろうとセリナは自己解決する。その上で、気にしないわけがない、とも思うがその思考は口に出さない。
分かりにくいが、どうやら気遣われているらしいと思い至ったからだ。
頭の中はぐるぐる回る思いで混乱しているが、口を開けば、想像以上に落ち着いた声が出た。
「どうして……。」
「何?」
「どうして、あなたが私をかばうの。」
セリナの言葉にジオは眉を寄せた。
「どういう意味だ。」
リュートが動くのは分かる。
こんな場所で、剣を抜いた相手を見逃すわけにはいかない。ましてや、狙われたのが護衛対象である自分ならば、とっさに動くのは当然だ。
だが、彼は違う。
どちらかといえば、護られるべき立場の人間。
それは近衛騎士がついていることからも明らかだ。仮に、守れと指示を出すことはあっても、自らの身を呈して他人を庇うべきではない。
それが大切な人なら理解もできるが、自分はそれに含まれる存在ではない。
「災厄を運ぶという私を、護る理由が?」
「…。」
「いっそいなくなってしまった方が、厄介ごとがなくなっていいじゃない。」
告げた自分の言葉に体が冷えた。
(神の名を騙る……って。)
落ちる沈黙に顔を上げれば、酷く不愉快そうな表情の王が冷たい瞳で見下ろしていた。
「……そうであるなら、保護などするものか。」
「え?」
問い返すが、王の視線は別のところに向く。
「リュート、この者を部屋へ。」
「はっ!」
短く応えたリュートが、セリナの横に立ち右手を差し出す。
「怖い思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。」
謝罪の言葉に小さく首を振ってから、セリナはリュートの手に自分の手を重ねた。
リュートに付き従われて部屋へ戻るセリナを一瞥してから、ジオは踵を返す。
「神官長、あの神兵について話を聞かせてもらおうか。」
「は、いや……いえ……はい。」
事態に青ざめていたイルは、その低い声音になんとか平静さを取り戻して、深く首肯した。
―――滅びろっ! 悪魔め!
突き刺さるような声に、体がビクリと揺れ意識が覚醒した。
「ぁ……。」
胸を押さえ荒い息を整えるが、じっとりと嫌な汗をかいていた。
何度か瞬きをしてセリナは自分が部屋のソファに横になっていることを認識する。
「嫌な夢。」
祭礼の後、リュートと一緒に部屋に戻ったセリナは、アエラに手伝ってもらいドレスを着替え、遅めの夕食を口にした。
心配げなリュートをよそに、妙な冷静さを持って、やるべきことは済ませたのだが、もう休む、と言って部屋に1人になった途端、そのままソファに沈んで寝入ってしまったようだ。
(夢、っていうか、ついさっきの現実だけどね。)
自嘲気味に笑って、時計を探した。
針は10時を少し過ぎたところを指している。寝込んでいたのは1時間弱だ。
「寝室に行かないと。」
気怠い体を起こして、気力で立ち上がる。
大きな鏡に映る自分の姿に、思わず眉を寄せた。飾りを外し、無造作に下ろされた髪。
「神の名を騙る悪魔、か。」
(別に私は、神を名乗ったことは一度もないし。)
「むしろ、神様じゃないって言ってるんだけどなー。」
文句を付けられるのは筋違いだ。
恐怖に身がすくんだ。その後、まるで何事もなかったかのように振る舞ったのは現実逃避。唐突な出来事は、すぐにそれを受け止めるには衝撃が大きすぎたのだ。
セリナはひとつ身震いをする。
(あんな憎悪の視線も、鋭い剣先も、向けられたことなんて初めて。)
「初めて……?」
ちらりと脳裏を掠めた何かに、セリナは戸惑う。
鏡に映る自分をもう一度見て、正面に向き直る。
髪に触れようと右手を上げて、セリナは動きを止めた。
無意識に自分を庇おうと振り上げたのは右腕。あのまま、神兵の凶刃が振り下ろされていたら、せっかく治った腕の傷がまたできていたかもしれない。
同じように腕を顔の近くに持ち上げて、そのことに気づく。
空から落ちてきた時についた、一際深い傷。
「腕の傷。そう、あんなふうにかばおうと手を上げたら、ここに傷が。」
言って、セリナは頭を押さえた。
「何……っ、痛い。」
痛み始めた頭に、眉根を寄せる。
『わかっ…のよ?………が悪…じゃな…て。』
『…、……1人で……寂し………』
ノイズがかかった誰かの声。
眩暈がした。
『だから、ね?』
心臓が早鐘を打つ。
息ができなくて、セリナは胸を押さえた。
「……っは!」
ガンガンと鐘が鳴り響くような頭痛に、その場に崩れ落ちる。
「―――ぃやだ。」
振り上げられたのはなんだったのか。
「いやだ、やめて……。」
足がすくんで、動けない。
「何、なんなの、知らない、こんなの知らない……。」
『逃げなさい! 早くっ!!』
「―――ぃ
やぁぁあ
っ!!」
「セリナ様!?」
肩を掴まれ、セリナは体をビクリと揺らした。
「セリナ様、しっかりなさってください!」
「……っは、は……あ。」
肩で息をしながら、呆然とした頭で周囲を把握する。
「りゅー……と?」
「大丈夫ですか!? っ顔が真っ青です、すぐにドクターを呼びます。」
相手の言葉をぼんやりと聞き流し、必至で頭を回転させる。
(違う、ここにいる。ここはアーク・ザラで、そして王城。)
考えて安堵した。
次の瞬間、その安堵した自分に愕然とする。
(元の世界じゃなく、この場所にいることにほっとするの?)
さっきの言葉がフラッシュバックする。
「……っう。」
震えの止まらない手を抱き込んで、目を閉じた。
「セリナ様?」
心配そうなリュートの声。
―――
だから、ね?
「―――!!」
叫び出しそうになる声をかみ殺す。
(ここにいる。私は、ここにいるのよ!!)
「ごめ……んなさい。少し頭痛がして。」
呟く声は掠れて、自分の耳にすら届かない。
「無理をしないでください。ここは冷えます、どうか寝室へ。」
眩暈がする。
「しばしご辛抱を。」
腕を掴んだまま険しい顔でそう告げる。
ぐんと、強い力で腕を引かれ、セリナは息を詰めた。
「誰かっ、ドクター・ララノを……!」
「リュ、リュート、離して。」
震えだしたセリナに気づいて視線を戻し、その瞳に怯えの色を認めたリュートが息をのむ。慌てて手を離すが、頼りなげなセリナに再び手を伸ばす。
「セリ……。」
心配してくれている相手を安心させようと、セリナはぎこちなく笑みを作る努力をした。
逆光の中でリュートを見上げて、セリナは動きを止める。
「!!」
近づいてきた手を反射的に振り払うと、勢いよく立ち上がる。
「セリナ様!?」
『逃げなさい!!』
(私は、今どこにいる……?)
辿り着いた思考に、全身から血の気が引く。背筋が粟立つ。
意味もなく部屋を見渡す。
「……ぃや。」
驚いたような顔のままこちらを見上げているリュートを認識して、セリナは唇をわななかせた。
「ご、ごめんなさい。私、あの。」
立っているだけなのに、足下が揺れる。
じっとしていると崩れ落ちてしまいそうでセリナは足を動かした。
「セリナ様!?」
背後でリュートの声がする。
開いたままの扉から廊下へ飛び出ると、そのまま目的地もなく走った。
「
セリナ様!!」
息が上がる。自分の呼吸音が耳障りだ。
ドクドクと激しく拍つ心臓。
「はぁ……!!」
走り続けて限界を感じたセリナは、ようやくスピードを落とす。
肩で大きく息をしながら、胸に手をあてる。
(動いてる……私はちゃんと生きてるもの。)
気がつけば、知らない場所へと迷い込んでいた。
どうやって外に出たのかもわからないが、綺麗に刈り込まれた木々がどこかの庭だと教えてくれる。
立ち止まって、顔を上げる。夜の庭だが外灯の光のおかげで、不気味さはなくむしろ幻想的だった。
「……ぁ。」
もう少し顔を上に向けたところで、金色の月に目を奪われる。
(綺麗……。)
自分1人を中心に世界が切り取られる、不思議な感覚に捕らわれる。
そのまま切り取られた世界は円を描いてゆっくりとセリナを包む。
それが閉じれば静かな終焉が訪れる、そんな予感をもたらす感覚だった。
けれど、それより前に世界は引き戻された。
「芹奈。」
ドクンと心臓が飛び跳ねる。不意に名前を呼ばれて、セリナは月を映した瞳を見開いた。
それをどう説明すればいいのかわからない。
けれど"セリナ"ではなく"芹奈"だと聞こえたのだ。
ゆっくりと上げていた顔を下ろし、後ろを振り返る。
霞む視界では、そこに立っている人物の顔を判別するのは難しかった。けれど、セリナにはただ1人思い当たる。
(知っている声、知っている人。)
よく見ようと目を凝らすのに、視界はどんどんぼやけてしまう。
手を伸ばす。足は勝手に動いていた。
「っ!」
セリナが抱きつくと、突然のことに僅かバランスを崩したものの、相手もきちんと受け止めてくれた。服を掴んだ手に力が入る。
(これは幻だ。)
どこに立っているのかもわからない。
ココハ、ドコ?
夢でも現実でもないハザマならば、あるいは逢えるのかもしれない。
「う……。」
不安、恐怖、安堵、あらゆる感情を留めていたタガがはずれる。
(会いたかった。)
頼り求めた温もりは、決してこの場にいるはずのない人物のもの。
(……お父さん。)
世界がまだ暖かく幸福に包まれていた頃、あんなふうに他の家族に強い憧れと嫉妬を抱くことはなかった。醜い自分を知ることもなかった。
愛されていた記憶。
少しだけ頼りないところもあるけれど、何があっても受け止めてくれた。
唯一無二の家族。
(ほら、今だってあやすみたいに背中を叩いてくれる。)
怒濤のように中で渦巻いていた感情が出口を見つけたように、こぼれていく。
逢いたかった。声が聞きたかった。
伝えたい想いは、言葉にならなかった。
「――――っぁ……うぅ。」
次から次へと溢れて頬を伝う涙。
その涙が涸れるより前に、与えられる温もりに身を預けセリナの意識は深く沈んでいた。
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