16.








中庭に置かれた木のベンチに腰を下ろして、セリナは横に咲いている花を眺めた。
休憩所として作られた一角で屋根が付いているので、ベンチは直接昨日の雨でも濡れていなかったようだ。少し湿気を含んではいるが、そのまま座っても支障がない。
朝から徐々に青空の面積が広がり、すっかり晴れている。
戯れに葉っぱを弾くと水が飛び散った。キラキラと光を受けて、地面へと着地する。
(綺麗。)
目に映る自然は、人の手によって整えられたモノではあっても美しい。
少し先の空に目をやり、そして瞳を閉じれば風が頬を撫でた。
(静かで、穏やか。)
昨夜から引きずっていたもやもやとした感情が薄れていく。
気分転換に外へ出たのは正解だったようだ。
(リュートじゃなかったなぁ。)
考えて、セリナは一抹の寂しさを感じた自分に気づく。
アエラから別の人間が警護に付いていると聞いて、少し驚いたのだ。
(当たり前だよね。いつも私にかかりきりでいるわけにはいかないんだから。)
そして、思わず苦笑が浮かぶ。
こちらに来てから、いつもリュートやティリアが側にいた。
それが当然のように感じていたが、そうではない。とっさにアエラには、なんでもないふうを装って答えたが、不自然でなかっただろうか。
(向こうではずっと1人だったのに。いつの間に、こんなに他人を頼るようになったんだろう。)
考えを振り切るように、綺麗な景色に視線を戻す。
じゃり、と足音がして、セリナは顔を上げた。
「おや。また会いましたね。」
気軽い調子で声をかけられてセリナは振り向く。アメジストのような紫色の瞳を持つ長身痩躯の男。
「ラシャク……さん。」
「光栄だな、名前覚えていてくれたんですね。」
(そりゃ、初対面であんなあいさつをされれば。)
そう心の中で返すが、口には出さない。マーラドルフから教えられたことによると、貴族同士の挨拶では珍しくないらしいのだ。
(普段からしてなきゃ、あんなに慣れた動作できないだろうけど。)
相変わらず趣味のいい服に身を包んだ男は、気を抜くと見とれてしまいそうだ。
格好といい仕草といい上流階級の人間であることに間違いはない。
「散歩ですか?」
なぜこんなに親しげなのかわからず、セリナは内心で警戒する。
「えぇ。」
「やっと雨も上がりましたからね。空気が澄んでいるし、風も心地いい。」
同意を求めるように視線を送られて、セリナは頷いた。
ラシャクは周りを見渡してから首を傾げた。
「お付きの者がいないようですが……1人で?」
「いえ、さっきまでは侍女が一緒に。少し肌寒いからと、上着を取りに行ってくれています。」
答えて、不自然でないように付け足す。
「すぐに戻ってきます。」
「中庭とはいえ……些か不用心ですね。」
困惑したような表情で呟いて、ラシャクは眉尻を下げた。
(え?)
セリナがラシャクを見上げた、その時。
「ラシャク様!?」
驚いたような声が響いた。
視線を向ければ、ティリアがこちらへ小走りに駆けてくるところだった。
「やぁ。こんにちは、ティリア。」
「ご機嫌よう。」
右手を軽く挙げて挨拶したラシャクに、軽く腰を落としてティリアが返す。それから、同じようにしてセリナにも笑いかけた。
「なぜラシャク様がこのようなところに?」
「ん? いや、まぁ……散歩?かな。」
「どうして疑問形ですの。」
容赦ない切り返しに、ラシャクが視線を逸らす。
鋭い光を浮かべた空色の瞳が細められる。
「ラシャク様、あまり感心できない振る舞いですわ。」
「ちょっと息抜きにぶらぶらしていただけだよ。」
「この時間でしたら、仕事中ではありませんか。」
「だから、息抜きに。」
あははとごまかすように笑って、手をひらひらさせた。にっと、セリナに向かって笑顔を見せるとラシャクは悪びれもせず言う。
「お忍びで会いに来たのに、見つかってしまった。今日のところはこれで失礼することにしよう。では、また会いましょう。麗しき姫君。」
ひめ…!?ぅ…っ!
投げ落とされた言葉にセリナは目をむく。
(どうして恥ずかしげもなく、この人は毎回去り際に爆弾を落とすんだろう。)
「ティリアも、またね。」
「はい。」
呆れたような表情でティリアが返事をする。
去っていく後ろ姿を追いながら、セリナはティリアに尋ねる。
「知り合いなんですね。」
「えぇ。不真面目の代表みたいな人間ですが、あれで優秀なところもあるのですって。わからないものですわ。」
建物の角を曲がって見えなくなった先を眺める。
(怪しい人ってわけじゃないのか。)
「この辺に用事でもあるんでしょうか? 以前もお会いしたんですが。」
何気なく聞くとティリアが驚愕に目を見開いた。
「以前にもここで? いつの話です!?」
「ここではなく、部屋へ戻る途中で。えぇと、ほらあの日。庭でお茶会をした帰りです。」
セリナの言葉と記憶を照らし合わせて、ティリアが呆れたように息をついた。
「まさに、油断も隙もない男ですわ。」
セリナは思わず笑いをもらす。
「そういえばティリアさんは、どうしてここに?」
「あぁ、珍しいお菓子を手に入れたので一緒に食べようと思って来たのです。部屋へ行ったら護衛の者が、庭へ散歩に行ったと教えてくれて。」
ティリアの説明にふんふんと頷く。
「で、セリナ様。護衛を残して出歩くとはどういうことでしょう?」
にこりと笑って、ティリアが一歩詰め寄った。
「え?」
「何かあったらどうしますの? 現にラシャク様のような男に絡まれて……そう言えば今、侍女がいないとはいかなること!?」
ティリアの中でラシャクがどういう位置づけにされているのかが垣間見えた発言だ。
しかも、後半の内容の方が大事だったらしく酷いことを言った割にあっさり流した。
「アエラは、ちょっと私の上着を取りに行ってくれてて……ラスティは、私が付いてこなくてもいいよって言ったの。ほら、前にティリアさんと庭に出た時もリュートはいなかったし、いいかなぁと思って。」
本当は少し理由が違う。もし、リュートだったら呼んでいたはずだ。
(あのラスティって人、なんか苦手なんだもの。)
寡黙で表情が変わらないので、まったく感情が読めない。
仕事なのだろうが、護衛に付いてこいとは言えなかったのだ。それで迷惑だと思われることはないとはわかっていても。
(来なくていいって言ったら、本当に来なかったし。)
「あれは、わたくしが付いていればこそ! 平気だと言うことです。」
自信過剰な台詞にも聞こえるが、おそらくそれは紛れもない事実なのだろう。
「両者を伴うのは物々しい、と言われるのでしたら、片方だけでもかまいません。けれど、どちらもいないというのは危険です。侍女がいるから平気だろうと呑気に待っている護衛も甘々ですが、側を離れた侍女はもっと考えなしですわ。」
語気強く言いきったティリアに、セリナは恐る恐る口を開く。
「ごめんなさい、ティリアさん。」
「セリナ様が謝ることではありませんが……。」
「でも、考えが甘かったのは私も同じだから。」
バツが悪そうにティリアが口を噤む。
「セリナ様! お待たせいたしました。」
ニコニコしながら、そこに現れたのは薄物を片手に持ったアエラ。
ティリアに剣呑な視線を向けられて、アエラは笑顔のままその場に凍り付いた。
















クルスから無言のままで視線を投げられる。
男は両手を降参とでもいうように上げて、肩をすくめた。
「会議に出席できなくて悪かったね。いや、何。体調が思わしくなくてね。」
自分の執務室に戻ると、さも当然げにクルスがソファで待っていた。
朝の会議をさぼったのはばれているだろうが、一応言い訳しながら頭を押さえてみる。
「そうか、それはお大事に。」
なんら感情のこもっていない返事に重ねて、冷笑を向けられる。
「『頭が悪い』のは、体調とは無関係なのではないかと思うがね。」
「ぬっ!?」
「まぁ、医者ではないし、ただの素人意見だ。」
一度、言葉を切ってクルスが眼鏡を押し上げる。
「さぼりの理由はもう少し考えるべきだぞ、ラシャク。その顔色で体調不良とは、よく臆面もなく言えたものだな。」
「うーん、いっそ寝坊したとかどうだろう。」
「そうか、もういっそ殴られてみるか?」
きらりと眼鏡が光ったのは錯覚だろうか。
「物騒だなぁ、クルセイトは。ほんの冗談じゃないか。」
手をひらひらさせて、ラシャクはクルスを宥める。
ほんの僅か、冷や汗が流れているのは致し方のないことだ。
「北の中庭にいたと。目撃されているぞ。」
告げられた言葉に、ラシャクはピクリと眉を動かした。
クルスの向かいのソファに腰を下ろす。忘れかけていたが、ここは自分の執務室だ。
「ずいぶん情報が早いな。」
視線が合うが、クルスは無言のままだ。
「勝手に彼女に接触したことは謝るよ。」
「別に、私が許可を出すわけではない。」
「それはそうだろうけど。おもしろくないかなと思ってさ。実は今日が初めてじゃないし。」
悪びれる気もなく、さらりとそう告げる。
「偶然会ったから、挨拶をしただけだけどね。」
「偶然ね。」
揶揄するようなクルスの言葉に、心外だといわんばかりに眉をひそめる。
「そうさ、偶然だよ。偶然で何度か会うくらいあるだろう? それから、嘘をついているとは思わないね。」
唐突な感想を感慨深げに呟いてみれば、クルスが眼鏡を押さえ、そのついでに眉間を押さえた。
「ラシャク。お前は『挨拶しただけ』でわかるのか。」
「ははは、態度を見ればそれくらいはお見通しさ。」
軽い調子で告げてから、急に真剣な表情に戻る。
「あれは素直すぎるよ。無防備すぎる、とも言えるか。」
「……。」
眉間を押さえていた手を口元に持っていき、クルスがラシャクを見つめる。
「彼女が。」
言いかけて止めた言葉に、クルスが小さく首を傾げた。
「いや、彼女が本当の意味で"予言の使者"ならば残酷だなと思ってね。」
クルスが何かを考えるように視線を逸らし、やがて口を開いた。
「今までいたという世界についても、何度も質問を変えて聞いたが矛盾はなかったよ。」
「疑っていたわけではないよ? ただ、何事も自分で確かめてみないと気が済まない性格なんでね。異世界から来た、か。俄には信じがたいが、まさに"黒の女神"様。」
再び、冗談でも言うような口調でラシャクは軽薄に呟く。
「研究所の方でも調査中だが、真偽を確かめるというより、謎の解明が主となっている。」
「異世界研究、か? また"蒼の塔"が喜びそうなテーマだな。」
どこか呆れたように言って、ラシャクはソファに身を沈めた。
異世界の言語ということで研究所や"塔"に妙な活気が出ているらしいので、あながち外れた意見でもない。
「陛下はどうされるおつもりで?」
天気の話でもするような軽さで、ラシャクが質問する。
「君は、婉曲表現という言葉を知っているか。」
眼鏡を一度上げて、クルスが足を組む。
「肝心なことを言わない曖昧表現だろう? あぁ、"ノアの予言"などその最たるものだな。」
皮肉な笑みを浮かべる。
「必要なら、美辞麗句の修飾語でも比喩使用の婉曲表現でも使うけど、不要だろう? いくら飾っても本質を見抜く君が相手なら、直球の方が話は早い。」
胡乱気な瞳を返されて、ラシャクは口角を上げた。
諦めたようにひとつ息を吐いてクルスは組んだ足を解いた。
「実際のところ、私にもわからない。」
「……ふぅん。」
感情の見えない相づちを返す。
「ただ個人的に言わせてもらえば、同感だよ。ラシャク。」
視線がぶつかり、どちらからともなく逸らす。
「存在のよって立つ根幹が曖昧なのは否めない。」
「へぇ。」
感心したようにラシャクは声を出す。
「やはりクルセイトには適いそうもない。」
「は?」
脈絡のない台詞にクルスは眉を寄せる。
「直球で返事をしてるはずなのに、限りなく曖昧な表現だね。婉曲表現を見直すべきかな。」
「ラシャク……。」
名を呼ぶ声に呆れと怒りが紛れ込んでいた。
「でも、気をつけないとね。」
口元を緩めたラシャクの声が温度を下げる。
「野心も後ろ盾も何もない幼気な1人の少女を、快く思わない心の狭い人間がいるみたいだよ。」
眼鏡の奥の瞳を細めたクルスが、またひとつ息を吐くと窓の外に視線を向けた。




風が吹き、雲が刻一刻とその姿を変える。
ゆっくりと。しかし、確実に。
世界はその姿を変えてゆく。




















<V.己の立つ場所>へ続く

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