13.








しとしと降る雨が部屋の窓を濡らす。
昨日から降り出した雨は、降ったり止んだりを繰り返している。灰色に沈んだ空を見上げると鬱陶しくもあるが、このところ晴天続きだったため、恵みの雨となるだろう。
「この件は以上。次に、大神殿から"女神"に拝謁したいとの要望が出ています。」
金の箔押しがされた白い紙に、流麗に綴られた名前を見て、ジオは片肘をつく。
「神殿とすれば、当然の要求だろうな。」
"女神"を名乗る者を、無視することは到底できないだろう。
宰相ジェイクが持ってきた要望書を受け取って、無表情のまま中に目を通す。
「断る選択肢はない。日程の調整を進めてくれ。」
「御意。」
突き返した書類と交代で別の書類が渡される。
「最後に、女官長・アマンダからの報告書です。」
変わらず無表情で受け取って、ジェイクに視線で問いかけた。
「シノミヤ・セリナの専属侍女が決定したとの内容です。」
「誰だ、この侍女は。」
そう言って、ジオの顔に表情が浮かぶ。不愉快そうな顔ではあったが。
「グラトラのマリン家、末娘。行儀見習として5ヶ月前に城へ来た新人です。」
執務机についた左腕、その上に顎を乗せ、あいた右手で書類を弾く。
ジェイクの説明に補足するように、クルスが口を開く。
「尚セリナ嬢本人の強い希望による、とのことですよ。」
「そんなことはどうでもいいが……。」
すげなく返せば、クルスが肩をすくめる。
「補助として、副女官長のイシュラナが任につくことになったようですね。これで一応の均衡を保ったというところか。」
ジェイクのフォローになりきれていないフォローを聞きながら、ジオは山と積まれた書類の上にそれを重ねた。
「軽んじられたものだな。」
小さく呟いたその言葉を聞き逃したのか、ジェイクが首を傾げた。
「何かおっしゃいましたか?」
「いいや。」
「本日の執務は以上です。」
そう告げて、宰相がお辞儀をする。持っている書類を担当者に返すため、クルスを残して彼は部屋を後にした。
ジオは席を立つと、窓の外を眺めた。
「まだ止みそうにはないな。」
「えぇ、今夜にかけて雨足が強まるとのことです。」
「そうか。」
言って黙り込んだジオ。その背にクルスの声がかかる。
「1つ、お聞きしても?」
「……だいたい想像はつくが。」
「最後の件、そのまま既決でよろしいんですか? ずいぶん不自然だと思うのですが。」
「メイドの配置は、長の采配に任せている。」
それは至極当然のことだ。黒の女神が特別な存在故に、様々に異例な扱いをしてはいるが、原則に変わりはない。
「セリナ嬢を巻き込んだメイドの騒動があったとの報告から3日です。今までさんざん人選を重ねてきたわりに、結果が新人侍女と副女官長ではあまりに安易。」
それこそ『本人の強い希望』でもないと、到底説明がつかない。
「その騒動は、不問となったはずだったな。」
クルスの言葉には乗らず、ジオは別件を確認する。
「セリナ嬢がその件での懲罰は望まないということで、口頭注意だけでそのように処理したと……女官長からの報告にありました。」
クルスが付け足すように続けた。
「エリティス殿からも同様の報告が上がっています。」
ジオは振り返り、壁に背を預けた。
「彼も自身の処分を望んでいたな。」
「えぇ、護衛対象を危険に晒したと。自分を責めているようでしたが、セリナ嬢の意を汲むようにと伝えておきました。」
それでも、翌日は謹慎のつもりかセリナの部屋へは出入りしなかったらしい。
くっとジオは口角を上げた。
「……リュートは本当に生真面目な男だな。」
「それが良いところでもあります。」
「まぁな。」
雨足が強くなってきたのか、窓を叩く音が大きくなる。
「彼女は、誰の処分も望んでないでしょう。そういう人柄のようです。」
雨音に消されてしまいそうなほど静かな声でクルスが告げた。
無言で降る雨を見つめてから、ジオは答える。
「ずいぶん好意的な意見だな、珍しい。」
「おや、人を冷血漢みたいに。とはいえ、好意的というよりただの事実です。」
「……事実ね。あれは脆いな。」
「はい?」
聞き返したクルスの声は聞こえなかったことにする。
思い出しかけたセリナの姿を追い払って、すっと話題を元に戻す。
「さっきの件は既決で変わらない。」
特段反論することもなく、クルスはその言葉を受け止めた。
初めから、少し問うたくらいでこちらが意見を翻すとは思っていないだろう。
「まだしばらくはティリアが要るだろうな。新人メイドだけでは、かえって不安だろうし、実際困ることが多いだろう。」
「お優しいですね。」
微笑ましげな表情を浮かべたクルスに、ジオは冷ややかな視線を向ける。
「勘違いしてないか? 困るのは周囲の人間だ。」
「あぁ、そういう意味で。」
頷いて、クルスが苦笑を浮かべた。
「なんだ?」
「いえ、ちょっと思い出したことがあって。確かにそうだなと。」
眉を下げた青年が、ジオの視線に促されて言葉を継ぐ。
「以前、取り次ぎができないメイドに会いまして。あれは困りましたね。」
クルスの言葉に、ジオは怪訝な表情を浮かべる。
内容が理解できないのではなく、そんなメイドがいることが理解できないのだ。
「セリナ嬢の侍女も新人のようですが、あのような者でなければいいのですが。」
独り言のように呟いたクルスに、ジオは僅かに首をひねった。
「それは、本当に王宮女官なのか。」
「偽物ではないでしょう、もしそうなら見抜いている自信はあります。」
「だろうな。」
優秀な男の言葉に、苦笑交じりで返せば、相手が表情を緩めた。
「光栄です。」
ふっと呆れたように息を吐いて、ジオも小さく笑う。
「"偽物"ではない……か、彼女も。」
何を言わんとしているのかを理解して、クルスが一度眼鏡をかけ直す。
「あれから何度かセリナ嬢に協力してもらい、元の世界の文化や言語についての話をいろいろ聞かせてもらいました。"塔"の有識者にも手伝ってもらったのですが、近似のモノを見つけることはできませんでした。東の果ての国に似た文字があるようですが、字の複雑さが似ているというだけで、構文がかなり異なると。やはり、セリナ嬢の世界……あるいは国の特有言語なのでしょう。詳しいところはまだ調査中ですが、なんでも3種類の文字を合わせて1つの言語体系になっているのだとか。」
「理解不能だな。」
「研究員もそのように言っています。」
そもそも、異世界から来たという前提の存在だ。
それを裏付ける根拠を見つけ、尚かつ無用な可能性を潰すための処置である。劇的な発見など求めてはいない。
「文化も、信じられないような物が存在すると。鉄の固まりが中に人を乗せて空を飛ぶそうです。」
「金属の鉄か?」
「えぇ、何百人もの人間を中に乗せて、すごい速度で空を飛ぶらしいのです。」
研究員から報告を受けた正式な話なのだろうが、『すごい速度』というのが抽象的すぎてまるで内容が軽いものに感じてしまう。
詳細を尋ねたが、セリナからは具体的な答えが返ってこなかったらしい、とクルスは説明した。
実際は、日本の都市間の所用時間という具体例が具体的すぎて通じなかったのだが。それを彼らが知る術もない。
「それは、何かの喩えか?」
「言葉通りの現象らしいですが。」
「鉄を飛ばす理由がどこにあるんだ。」
「魔法がないから、と。いまいち理由が掴めませんでしたが。」
「冗談を真に受けてどうする。」
「あのセリナ嬢が、こんなことで冗談を言いますかね。」
そう言われてジオは言葉に詰まる。
「異世界では、魔法が実在しないそうです。話の中だけの存在だと。そして、彼女の話を聞く限りでは、それでなんら世界が矛盾しない。」
クルスは無意識にふぅと息を吐いた。
「実際、精霊の加護を失っている国はありますし、魔法がないだけの国の話なら難しくありませんが、それに代わる物の話となると1人の者の作り事でできる芸当ではありません。」
「元より異世界の者と思っていたが、疑いようが無くなってきたな。」
柳眉をひそめて、ジオも嘆息した。
(理解に苦しむが、ありのまま受け止めるしかないのだろうな。)
「現在資料をまとめておりますので、後日詳細な報告書を提出いたします。」
「わかった。」
答えて、片手を上げる。
クルスが一礼してから身を翻した。
気配が部屋の外へと消えると、ジオは窓の外を見上げた。
「世界樹の外、アース……チキュウか。」








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