12.








翌日。
寝室続きの隣の部屋へ行くと、見慣れないメイドが待っていた。
「え?」
「お目覚めになりましたか。おはようございます。」
「おは、ようございます。」
丁寧な挨拶にセリナもお辞儀を返す。顎のラインで切り揃えられたサラサラの赤髪には見覚えがあった。
「えぇと。以前、庭でのお茶会の時に。」
「ティリア様付きの侍女、カナンと申します。」
(付きの侍女って、やっぱりティリアさんもお嬢様なんだ。)
ティリアがメイドだとは思っていなかったが、セリナは妙に納得する。
あの時の恭しい態度を見れば何となく推察できるが、直接言葉にされれば頷くしかない。
「ティリアさんは?」
「ティリア様は用事がございましてこちらへ来ることができませんので、今日は私が代わりに。」
そこで一度言葉を切って、セリナの前に立つ。
「お召し替えを手伝います。」
その言葉にギョッとして、セリナは慌てて辞去する。
「いいです、いいです。自分で着替えますから!」
「しかし。」
「ありがとうございます、気持ちだけもらっときます。」
引きつり笑いを浮かべながら、衣装部屋へと入る。
「では、食事の用意をしておりますので、何かあれば声をかけてください。」
若干不満げな様子で、カナンは引き下がる。
初めこそ服の選び方や着方を教えてもらうためティリアに手伝ってもらったが、さすがに今では自分の服くらいは自分で着られる。
(さも当然のように言われたけど、こっちではそれが普通なのかな。そういえば、最初にお風呂入る時も手伝うだの何だのって言われて焦ったっけ。)
引き出しの一番下を開けて、黒い布地にそっと触れた。
この黒い制服はセリナが初めに来ていた物である。隣には通学用の黒いローファーもある。
行方不明になっていた服だが、こちらへ来て数日後、洗濯され繕われた状態でセリナの元へ届けられた。
怪我の状態から考えても、かなりあちこち破れていたはずであるが、きれいに縫製されていた。
(くたびれているけど、捨てられたりしてなくて良かった、かな。)
引き出しを閉め、普段着と言われるドレスに着替える。
カナンのいる部屋に戻ると、テーブルの上には食事が用意されていた。
「リュートは?」
食事を食べ終わる頃、思い切ってカナンに問う。
「エリティス様も、今日はお忙しいとのことです。」
え、と表情を曇らせたセリナに誤解したのか、カナンが付け足す。
「代わりに衛兵が2人付いていますのでご安心を。」
気にする点はそこではない、と訂正することはセリナにはできなかった。
「何かあったんですか?」
昨日の今日で、周囲の様子が変わっていることに不安を覚えながら尋ねる。
少し考える素振りを見せてから、カナンは口を開いた。
「いえ。特別、何ということは。用があるのでしたら、エリティス様に手が空いた時にこちらへ来るようにお願いしますが……。」
「え、あ。」
逡巡してセリナは首を振った。
「いいです、忙しいなら邪魔しちゃ悪いし。ごちそうさまでした。」
そう告げてフォークを置く。
そうですか?と気の抜けたような声を返して、カナンは片付けを始めた。








昼過ぎに部屋に訪れたティリアに、セリナは目を丸くした。
「何かあったんですか?」
思わずセリナから問うほど、彼女の表情は硬かったのだ。
「実は、女官長に呼ばれて話をしに行っていたのです。」
「女官長……。」
昨日部屋に来たばかりの女性を思い出しながら呟いて、セリナは眉をひそめた。
「まさか、まだ解雇とか問題になってるんでしょうか?」
他のメイドよりも裾の長い制服を身に纏った壮年の女性。きつめの印象を受けたのは、感情の起伏が乏しかったからだろうか。
自分が感情論で応じただけでは、女官長は動かないのかもしれない
「え? いえ、それは昨日セリナ様が執り成しをしたので、不問に処すということになったはずです。」
「あぁ、なんだ。びっくりした。」
「えぇと、その件ではなくて。」
「あ! 早とちりで、すみません。どうぞ。」
手振り付きで話を振りなおすと、ティリアが居住まいを正した。
「昨日のこととは無関係です。いえ、まったく関係がないということでもないのですけど。」
と、話ははっきりしない説明から始まった。
ただ、それだけ言いにくいことなのだろうと察するには十分だった。
「セリナ様付きの侍女を選ぶよう依頼していたので、その件で話を。」
「はい?」
驚きで少し高めの声が飛び出た。
「付きって……えぇと。カナンさんみたいな?」
「えぇ。専属のメイドのことです。」
「専属、の。そのメイドさんが何か?」
「はい。まだ決まりそうにない、とのことで。すみません、わたくしの力不足ですわ。」
昨日話をしに行ったティリアも、その翌日に呼び出されるとは思っていなかった事態だった。
「付く人がいないってことですか?」
直球で訊けばティリアが言葉に詰まったようだったが、セリナはあっけらかんと言い放つ。
「なら、私その付きのメイドさんいらないですよ?」
セリナは必死で笑い顔を作った。
「賓客、珍客。女神、黒き使い、厄災、凶星。つまり、厄介者なんですよね?」
ティリアが目を見開く。
話を聞いてわかってしまった。名前も知らない彼女たちの言動に、傷つきたくなどない。
だから精一杯の強がりで、はねつけてやりたいのだ。
「メイドは私が恐ろしいのではありませんか?」
昨日、あの場にいたメイドたちの視線が蘇る。ティリア付きの侍女だって、似たような態度だったではないか。
ティリアからの答えはない。
「ここで暮らすために、そういう人が必要なのだとはわかっているつもりです。けれど、無理矢理私の専任になることなどない。例えば、それが"犠牲者"と、そんなふうになってしまうくらいなら、私は専用の侍女などいらない。」
「セリ……。」
言いかけてティリアは口を噤んだ。セリナの指摘は、ある意味では事実だったからだ。
通常なら立候補者がいない場合、女官長の推薦ということで指名する。それができないところに、この一件の扱いに苦慮する理由がある。
何より、不満を持って主に仕えるなどあってはならないことだ。
推薦が名誉なことではなく、選ばれた者が"犠牲者"だという目で見られる可能性のあるこのケースで軽はずみな対応などできるはずもない。
「偉そうに見栄を張ってみたところで、結局誰かを頼らないと何もできない。私はあまりにもこの世界のことを知らない。ここにいていいのだと、ティリアさんが言ってくれて嬉しかった。」
声が震えて、セリナは一度息を吸い込んだ。
「親切にしてくれて感謝もしています。できれば、これ以上……必要以上に周りに迷惑をかけたくないと、そう思うんです。きっと、ただの自己満足なんですけど。だから、なりたい人がいないなら、専属になんてならなくていいんです。」
セリナはティリアの目を見てそう告げた。
「本当に、セリナはとても優しくて、聡明な人ね。」
以前聞いたことのある言葉。けれども、ニュアンスは違っていた。
前はセリナに向かって聞かせるために紡がれたが、今回はティリア自身が確認するためのようだった。
「あなたの気持ちはよくわかりました。けれど、侍女がいないのは想像以上に不便で辛いことですわ。それに"教師"であるわたくしも、このままいつまでも傍にはいられない。やはり専任の侍女は、どうあっても必要です。側で力になってくれる人が。」
ティリアが身を乗り出して、セリナに近づく。
「厄介者だと、迷惑だと言いましたが、それは半分正解で半分間違いですわ。恐れもあるでしょうけど、困惑の方が大きいのではないでしょうか。付きになりたいと、立候補している者もいると聞いています。」
「え?」
「自主的に名乗りを上げた者で決まり、となれば良かったのでしょうが。女官長が渋っているのです。経験が浅すぎるから……セリナ様に付くには相応しくないと。」
それだけを聞くと、セリナに配慮してくれているという印象を受ける。
「王族の方に付くほど厳格な条件が定められているわけではなくても、それなりに教養があって、年も近くて、尚かつ今配置を動かせる人間となると、なかなか難しいというのも一理あるのですけれど。」
ティリアのその説明を聞き流して、セリナは恐る恐る聞き返した。
それは妙な予感だった。
「ティリアさん、その立候補したメイドの名前って。」
「立候補? えぇと、何と言っていたかしら。まだ城へ来て半年も経っていない新人だと。」
「アエラ?」
きょとんとした目でティリアに見つめられ、セリナは意味なく笑みを浮かべてみた。
「そうそう、そんな名前の子でしたわ。知っているのですか?」
怪訝そうな表情に、セリナは小さく呟く。
「昨日、水場で。」
「セリナ様を突き飛ばしたメイド!?」
ティリアの口から出た言葉は、激しく事実が曲がっていた。
「いや、突き飛ばされてはないですが。」
一応訂正をしておいてから、説明する。
「助けた方のメイドです。」
「助けた方……って、まさか。」
ティリアは昨日のことを回想して、眉をひそめた。報告を聞いた女官長が、複雑な表情で呟いた言葉。


―――またあの子ですか。


「失礼ですが、とても優秀とは言い難いメイドですわよね。」
なんの自信を持って立候補など、とティリアは呟く。
「それは、確かに女官長も渋るわけ……。」
「彼女が専属になってくれるというのなら、私はかまわないですけど。」
「はい!?」
「自分からやってくれると言っているなら、頼みやすいし。」
「本気ですか、セリナ様! 付きの侍女の格は、主の格にも関わるのですよ?」
ティリアの剣幕に押されながらも、セリナは続ける。
「格っておおげさな。ティリアさんだってさっき、侍女はどうあっても必要だって。」
「そ、それはそうですが。こういうものには人選というものがあって! 適任を選ぶことが重要なのですっ。」
「こんな私のメイドをしてくれるというんでしょう? 彼女なら面識もあるし。」
「セリナ様! 結論を急ぎすぎですわ。」
立ち上がったティリアは、セリナの腕を掴む。
「もう少し、考えましょう!? せめてアエラという者が、どういう人間か。きちんと知ってからでも遅くはないですもの! ね!」
「これで、全て解決だと思うんですが。」
「セリナ様、どうか!」
あまりの必死さにセリナは目を瞬かせた。そこまで言うなら、とティリアの言葉に頷きかけたその時だった。


「っセリナ様ぁ!!」


勢いよく扉が開いて、感極まったような声が響いた。
「お待ちなさい!」
それを追いかけるように険のある声が飛ぶ。
思わず椅子から立ち上がったセリナは、腕を掴まれたままティリアに身を寄せた。それくらい身の危険を感じるものがあったのだ。
「……なんで、ここに。」
部屋に飛び込んできたのは1人のメイド。
セリナの足下に膝を付いて、潤んだ目で見上げた。
「ありがとうございます! わたし、誠心誠意この命を懸けてお仕えいたします!!」
すごい台詞を真剣に言いきったアエラは、そのまま頭を深々と下げた。
(ど、土下座!?)
隣のティリアを見ると彼女も呆然としている。
入り口に視線をやれば、苦い表情のカナンがいた。
「これ何? どういうこと?」
誰に聞くともなくセリナは呟いた。












「つまり、なんの許可もなく昨日のことを謝りに来たところ、部屋の前でカナンに止められ、追い返されている内に中の会話を聞いてしまい……あげく制止を振り切って、部屋へ乱入してしまったと?」
「はい。」
アエラはしょんぼりとした様子で床に正座したまま答えた。
ティリアの問いかける言葉は静かだが、『なんの許可もなく』だの『乱入』だのとの言葉の選択に感情が否応なく表れている。
項垂れる相手を見ながら、ティリアは頭を押さえてため息をついた。
(初めて見た、こんなティリアさん。)
「宮廷女官が……いったいどういう神経しているの。」
心配そうにカナンがティリアの傍らに寄る。
「大丈夫ですか、ティリア様。」
そのやりとりを申し訳なさそうに眺めているアエラに、セリナが声をかけた。
「謝りに来たって?」
「は、はい! 昨日のことを!」
「謝罪ならもう聞いたよ、気にすることない。」
アエラが一度顔を伏せて、答える。
「本来なら解雇になっても文句は言えない失態です。それをセリナ様が執りなしてくれたと聞きました。おかげでこうしてまだここに……どうしてもお礼を申し上げたくて。」
ティリアに視線を走らせてから、アエラは再び頭を下げた。
「後先考えずに軽率な行動をしてしまい、深く反省しております。本当に申し訳ありませんでした!」
セリナたちは顔を見合わせる。
「どうされますか? とりあえず報告を?」
カナンがセリナを窺いながら問う。
「う……でも、それをすると彼女怒られるでしょう?」
「それはそうでしょう。それだけのことをしているのですもの。」
3人で耳打ちするような小声の会話を繰り広げる。
「でも、不問に処されたことをお礼に来てくれたのに、それで怒られるとかって。」
「そこはセリナ様が心配するところではありませんわ。自業自得というものです。あのような行為。不敬にも程がありますわ。」
「ティリア様のおっしゃられるとおり、さすがに方法というものがあります。」
2人の言うことは尤もだ。
あの行動が誉められたものではないことは明らかだった。
「けれど、悪意からではないでしょう?」
それでなんでも許されるわけではないけれど。セリナは2人を交互に見つめる。
「今回だけは、目を瞑るということにできないかな?」
ティリアはそっと息をついた。
「セリナ様がそうおっしゃるなら、私とて強くは言えません。」
「ありがとう、ティリアさん。」
ティリアはカナンに視線を投げた。それだけで察してカナンは部屋の扉を開ける。
「早く戻りなさい。……次はありませんから。」
「あ、ありがとうございます!」
ばっとお辞儀をして、アエラは部屋を後にした。
カナンが扉を閉めると、ティリアはセリナに向き直った。
「あなたは、不思議な人ね。」
「そ、そうですか?」
呆れたようなティリアに、セリナは曖昧に笑ってみせる。
「けれど。悪いことは言わないから、あの子はやめておきなさい。」
「ティリアさん。」
「調べるまでもないわ、苦労しますよ。」
「かもしれないですね。」
応じたセリナにティリアは嘆息する。
説き伏せようと再び口を開くが、途中で思い直したのか。結局、音にしたのは苦笑混じりの賛嘆。
「本当に優しすぎるわ、セリナ様は。」








変わり者の彼女は、メイド内で肩身の狭い思いをしているに違いない。
女神付きの侍女になれば、異例の出世になるし、状況は劇的に改善される。
誠実な侍女が付く代わりに、不利益を受けるのは主の方だろう。
それでも、今更セリナが意見を変えるとは思えない。
「心配してくれるティリアさんも、十分優しいです。」
返ってきた言葉に、ティリアは頭を下げたくなった。
(本当にこの方は。)
ちらりと視線を向ければ、カナンも同じような表情を浮かべていた。
「カナン?」
「……思っていたイメージとはずいぶん違うお方なのですね。」
ポツリとこぼしたカナンを、ティリアはきょとんと見返した。
すみません!と慌てて頭を下げた侍女にティリアは思わず頬を緩めた。
昨日の件でメイドが動揺しており、怯えた態度でセリナの前に立たれるくらいならと、ティリアがカナンを代わりに遣わしたのだ。
なぜそんなことを、と眉をひそめたリルに対して、カナンはいつも通りの冷静さで快諾して今に至る。
この短時間でセリナの人となりに触れたのか、ティリアを誉め返した会話に感心したのかはわからないが、先入観を壊すきっかけにはなったらしい。
(いつの間にか、カナンを味方に付けてしまったみたいね。)








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