11.








運動不足解消にとリュートに頼み、連れ出してもらった散歩中だった。
中庭以外の場所を見たいと駄々をこねると、最初こそ渋い顔をしたリュートだったが反対することもなく「では……」と、セリナの気の向くままに歩くことを許してくれた。
物を知らない子供のような稚拙な質問にも丁寧に答えてくれつつ、段差などがあればさり気なく気を配れるあたりさすがは騎士というところだ。
言い争う声がして意識を向けた後、何も告げずにリュートから離れそちらへと向かったのは好奇心。
そこには護衛者であり監視者であるリュートをまいてみたいという心理も少し影響していた。
関わり合うつもりなどなかったのに、飛び出してしまったのは無意識の行動だった。
気がついたら庇うように体が動いていて、情けないことに水に落ちたわけである。
理由なら考えればいくつか挙げることができるが、その時にそこまで思い至っていたかどうかは定かではない。
(多分、彼女があの時電気……光灯をつけに来てくれたメイドだったから。)
見過ごすことができなかった。
(多分、疫病神って罵られる姿が自分と重なって見えたから。)
放っておけなかった。








「あの!」
後ろから声をかけられて、セリナは足を止めた。
小走りで近づいてきたのは先程のメイド。
「どうかした? えぇと……。」
「ア、アエラと申します。わたし、お礼を。」
リュートの視線にビクビクしながら、アエラが答える。
「あの、ありがとうございました。庇ってくださって……で、申し訳ありません。わたしのせいで、女神……様、にこんな。」
つっかえながら言い、頭を下げる。
「いいよ、私が勝手に飛び出しただけだし。」
「でも、あれは、全部わたしが悪いんです。だから。えと、そもそもわたしが水を。」
視線を彷徨わせながら説明を始めるメイドを遮ったのはリュートだった。
「悪いが、セリナ様にこの状態で君の話に付き合わせる気はない。」
言われてアエラは慌てて謝った。
「そうですよね、すみません。わたしったら、また余計なことを。」
泣きそうに顔を歪めて俯く。
「セリナ様、行きましょう。」
濡れた服が冷えてきたので、大人しくセリナも頷く。
「ありがとうございました! それから、すみませんでした!!」
歩き出したセリナに、深々とお辞儀をしてアエラは叫んだ。
顔だけ振り向いてセリナは微苦笑して答える。
「アエラも濡れた服、早く着替えた方がいいよ?」
驚いたように顔を上げて、再びアエラは頭を下げた。
隣でリュートが小さくため息をついた。
「怪我が治ったばかりだというのに。なんて無茶をされるんですか。」
「ごめんなさい。」
素直に謝り見上げると、リュートと視線が合う。慌てて逸らしたのはリュートが先だった。
「急ぎましょう。」
「はい。」
答えて小さく首を傾げる。
(なんかリュート顔赤い? 気のせいかな?)
そして、はたと淡い色のドレスが濡れて胸元が透けていることに気づく。
(ぅあ!)
慌てて肩にかけられていた上着の前を掻き合わせ、歩調を緩めない騎士の横を小走り気味に付いて歩いた。












ティリアがその出来事を聞いたのは、折しも女官長と話をしている最中だった。
来客に報告を躊躇うメイドを促して、水場で起こったことの顛末を聞いた女官長は片眉を動かしただけだった。
「またあの子ですか。」
感心とも嘆きとも取れる口調でそう呟く。
「セリナ様に怪我は!?」
「いえ、怪我などはされていないようです。」
ティリアの問いに、女官長を気にしながらメイドが答える。
その言葉に胸をなで下ろして、ティリアは席を立った。
「わたくしはこれで失礼させていただきます。先程の件は、よく熟考して下さいませ。今の件については、しかるべき対応をお取り下さいますよう。」
ティリアは最小限の言葉で最大限の苦言を呈する。
静かに頭を下げた女官長を後に残し、早々にセリナの元へと向かった。












その言葉の意味を唐突に理解したのは、夕飯後のお茶を口にした時だった。
それまでバタバタと慌ただしく、やっと一息つけたせいかもしれない。
部屋へ戻って、拭く物や着替えを探しているうちに話を聞きつけたティリアが合流し、着替えより先にお風呂へ入りなさいと、半ば強制的にバスルームに押し込まれた。
風呂から上がって部屋へ戻ると、なぜかドクター・ララノが待ちかまえていて、診察が始まる。異常なしとの結果にようやく安堵したのか、ようやく解放されたと思えば、今度は女官長が謝罪に訪れメイドの処遇について意見を聞かれる羽目になる。
曰く、望むなら解雇も辞さないと。
故意でされたことでもなく、自分が勝手にしたことだからと返し、懲罰的なことは決してしないで欲しいと、なんとか説得したものの精神的に疲労した。


「どうかされました?」
カップに口を付けようとした格好で固まったセリナに、ティリアは首を傾げる。
「いえ、なんでも。」
一口だけ飲むと、カップを戻して席を立った。
「今日はちょっと疲れたみたいです。早いですけど、もう休ませてもらいますね。」
そう言って口角を上げる。上手く笑えたかどうか、セリナ自身には判断がつかなかった。
「では、わたくしもこれで失礼しますわ。お休みなさいませ、セリナ様。」
なんの引っかかりもなくそう返されて、セリナはほっとする。
「お休みなさい……また明日。」
「はい、また明日。」
にこりと微笑んで部屋を出ていくティリアを見送って、セリナはソファに身を預けた。
「あぁ、うん。」
両手で顔を覆って視界を遮る。
「なんで思い出すかなぁ、私も。」
ごろんと横になって、ぼんやりと窓を眺める。


―――祟らないで!!!どうか命だけは…っ!


あれは、そういうことなのだろう。そういう目で見られていると。
(こっちの言語だとどんな言葉なのかな……自動翻訳も困りものだわ。)
筆記されているとわからないのに、音で入ってくると理解できてしまうのだ。
(祟るって、私は怨霊か。)
通常ならあまり人相手に咄嗟に出てくる発言ではない。
彼女たちにとってセリナは「人」ではないということだろうか。
(あぁ、女神だっけ? こちらの世界での祟りの詳しい概念はわからないけど、報復されるって反射的に思われるような存在。)
はらりと落ちてきた自分の髪をつまんで唸る。
(髪が黒いだけじゃん……。)
魔法を使えないのは当然だが、人を祟るような力も特別な能力もない。
「人を外見で判断しちゃいけませんって習わないのかねぇ。」
はは、と渇いた笑いがもれる。
("黒の女神"って、十分恐れられてるんじゃない。)
あの時、周りにいた者の反応を見れば嫌でもわかる。
驚愕だけでなく、あの場には確かに恐怖の感情があった。
何か災いが降りかかるんじゃないか、と。
飛び込んだのは自分だが、とても長居できる場所ではなかった。
リュートやティリアが特別なのだ。恵まれた環境に馴染んで忘れていたが、セリナの存在は決して歓迎されているものではない。
ぐっと、唇を噛みしめると不意に国王の顔が浮かんだ。
(容赦しない、だって。)
涙が出そうになって、きつく目を閉じた。
「……。」
セリナは願う。
女官長が言った『解雇』の言葉に血の気が引いたのだ。そんなこと望んでない。
どうか、己のせいで誰かが理不尽な扱いを受けることがないように、と。
セリナは願った。








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